幽霊がいるとして
※無知識トリップ主は『見える』
※ほんの少し殺人表現あり
※少しホラー表現あり
倒れる死体のそばで赤く生臭い液体の海を踏みつけて、囚われている男を見下ろす。
壁に寄りかかっているその男は、どうやら気絶しているらしい。
明らかに奴隷の扱いを受けていた男は体のあちこちに傷を負っており、何より両手を繋ぐ枷がその扱いを雄弁に語っていた。
押し入った先にいた別口の被害者が、小さく声を漏らして身じろぐ。
間近でキラーの叩き切った男が上げた悲鳴にも目を醒ますことの無かったそいつを見下ろして、キラーはその腕を拘束していた枷の鎖を断ち切った。
じゃらりと落ちた鎖を寝ぼけ眼で追いかけて、床に広がる血の海を見つめた男が、それを踏みつける二本の足を追うように視線を動かす。
ゆるゆると辿った先にある相手であるキラーを見つめ、それから一つ瞬きをして、その目がもう一度自分の腕へと戻った。
ちゃり、と音を立てた鎖の切れ目を確かめて、それから少しの間の後に、その顔が改めてキラーを見上げる。
『……あの、すみません、もしかして生きてるひとですか……?』
『…………お前は何を言っているんだ?』
キラーがナマエという名の男と最初に交わしたのは、そんな馬鹿みたいな会話だった。
※
囚われていた奴隷を船へ乗せると決めたのはキッドだった。
もとよりキッドに喧嘩を売った船をキラー達が見逃すわけもなく、船にある『金目の物』は全て持ち帰ると最初で決めてあったからだ。
売り飛ばすのかと尋ねたキラーに笑ったキッドが『有意義に使ってやる』と嘯いたので、ナマエはそのまま海賊団の一員となった。
仲間となってから分かったことだが、ナマエと言う男はどうも、幻覚を見ることがあるらしい。
「ああいう腕に柄杓をやるとやっぱり船が沈められちゃうんですかね」
停泊させたヴィクトリアパンク号の船首の下、キッドがつけた注文で用意させた一画で、針路の先の海原を指さした男が言う。
寄こされた言葉にキラーはそちらへ視線を向けたが、日差しのきらめく海原に、ナマエの言う『手』とやらは見当たらない。
仮面をつけているキラーの視界が悪いとはまた関係なく、ナマエの言うそれは、ナマエにしか見えないものであるからだ。
「柄杓を渡して何故船が沈没する?」
「いやほら、よく言うじゃないですか、柄杓で海水をこう、ざばざば船に入れてくるんですよ」
こう、と手の動きで水を汲む仕草をしたナマエに、ふむ、とキラーは少しばかり首を傾げる。
「多少水が入った程度なら、排水できるように設計されている」
キラー達の乗る船は、少々特殊な船首をしているのだ。
喫水線ぎりぎりに開いた大きな口は、そのままそこに乗り込み前方の敵を叩くことが出来る。
大砲など運び込まなくともキッドの能力があればいくらでも砲撃が出来るし、鉄でできた軍艦などキッドの能力で押しのけて進めるのだから、これ以上にない設計だ。
キラーの発言に、それは確かに、とナマエが納得した顔をする。
「おれが聞いた話だとボートに乗ってる時の話ですから、このくらい大きい船だと関係ないかもしれないですね」
「ボートか……何故ボートに柄杓が乗ってるんだ」
「そりゃ、水が入ったら掻き出す為じゃないですか?」
「バケツではだめなのか」
「ええ? うーん」
どうなんでしょう、と首を傾げた男の様子に、キラーは軽く肩を竦めた。
どうもこの男は、幽霊という『幻覚』が見えるらしい。
キラーに対する初対面の発言は、最初キラーを幽霊だと思ったからだった、というのが本人の弁だ。
その手に武器を持ち返り血を浴び、血の海を踏みつけて死体を転がしていたキラーにまるで怯えなかったので、ナマエはそれだけ長らくその『幻覚』と付き合っているのだろう。
正直幽霊だと思ってももう少し怯えても良かっただろうとキラーは思うのだが、たまに聞くナマエの幻覚の話を思うに、似たようなものにナマエは何度も遭遇しているようだ。
いつだったかは大きな鎌を持った黒頭巾の骸骨が歩いていたというし、その前は首がぐるりと後ろを向いた海兵だった。
小さな子供から巨人族まで、ナマエの見る幻覚の種類には限りがない。
「あ、キラーさんキラーさん」
「なんだ」
ふと何かに気付いたように海原を見やったナマエに、キラーは返事をした。
その腕を軽く叩いたナマエが、青くひろがる海のどこかを指さす。
「あれ、生きてる人ですか」
そうしてそんな風に尋ねられて、キラーは仕方なく先程と同じように海原を見やった。
しかし、食糧事情で島の傍に停泊しているヴィクトリアパンク号の前には、日差しを弾いた海原しかない。
人魚や魚人の一人だって泳いでいない、偉大なる航路にしては随分平穏な風景だ。
「おれには見えん。何がいるんだ」
「水の上に立ってるんですけど、ワカメみたいに長い髪の毛で白いワンピースの……髪がぼさってしてて顔は分からないですけど、女の人かな」
具体的に言葉を重ねられて、少し想像はしてみたものの、キラーの目の前にその幻覚は現れなかった。
見えん、と再度言葉を告げて、ナマエの肩を掴む。
くるりとその場で反転させると、うわ、と声を漏らしたナマエが大人しく従った。
「その『幽霊』とやらより、食糧の調達が先だ。そろそろ休憩は終わりにするぞ」
「わかりました」
軽く背中を叩いて促すと、返事をしたナマエが歩き出した。
その後を追いかけて、キラーもナマエと共に甲板へと上がる。
階段を上る途中でちらりと見やってみても、やはり海にはその『人影』は見当たらない。
それも当然だ。死んだ人間が見えるなんて、そんな馬鹿な話はないだろう。
「……」
だが、ナマエはずっと、幻覚を見ている。
気が違っているわけではないが、突拍子の無い話をする男の背中へ視線を戻すと、階段を上り終えたところで振り向いたナマエが、少しばかり首を傾げた。
「キラーさん?」
どうしたんですかと、尋ねてくるその顔はいつも通りだ。
だからキラーは肩を竦めて、まぁいいだろうと勝手に納得した。
ナマエは非力だが、よく働く。
あの日あの船から奪ったものの中でも当たりの範囲だと言って笑ったのはキッドで、キラーもそれには同意した。
よく働くナマエは、今や立派にキラー達の仲間だ。
仲間が多少おかしなことを言ったって、キラー達が忌避するはずもない。
「下処理は任せる」
「大きい動物の解体はキラーさんも手伝ってくださいよ」
「そろそろ一人でできるようになったらどうだ」
「俺にはぐるぐる回るカッターがついてないんです」
人の武器を包丁扱いして笑う男に、失礼な奴だな、と怒ったふりをしながら、キラーは男を伴って船を降りる。
島でもナマエは何度か幻覚を見たようだったが、何ひとつ、害はなかった。
end
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