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キャンディ・メディシン
※見える系主人公はNOTトリップ主でハートの海賊団クルー
※そこはかとない捏造注意
※少しホラー表現あり



 紙の擦れる音がする。
 そこへ記された文字を追いかけていたローは、わずかに襲った眠気に眉間へしわを寄せ、本に触れていた手のうちの片方でしおりを挟んだ。
 厚みのある医学書を閉じて、小さな舌打ちがその唇から漏れる。

「……仕方ねェな」

 うなりつつローが見やった壁際には、固定された時計があった。
 記された時刻からすると夜間だが、恐ろしく暑いという名目で海へ沈んだ潜水艦の中では、航行を可能とするために何人ものクルーが起きているはずだ。
 密閉された船内は、海上にいた時よりはマシとは言え蒸し暑く、当番を終えたローは静かな場所を選んで自室へ引きこもっていた。恐らく、クルー達はローが眠っていると思っていたことだろう。
 眠気覚ましにコーヒーでも飲むかと考えて、ローの手が手元にあった医学書をベッドへ放る。
 部屋にあった灯りを消して、目を閉じても歩ける狭い部屋を移動したローの足は、そのまま通路へと抜けだした。
 あまり広くはない通路の中で、機械の動く音がする。
 ちらりと見えた強化ガラスの向こうは薄暗い海で、夜の海を進むポーラータング号は今日も真面目に働いているようだ。
 わずかな灯りを辿って足を進めれば、ローはそのまま数人の人間がいる食堂へとたどり着いた。

「嘘だと言ってくれよナマエ!」

 そこで響いた大声に、思わず顔を顰める。
 見やればシャチが両手で仲間のつなぎを握りしめているところで、それを受けたナマエという名のクルーが、あはははと笑った。
 それからその目がふとローの方を見やり、船長、とローを呼ぶ。
 ナマエの反応に、ローに気付いた他の何人かもローを呼び、そのうちの一人が椅子を引いてローを席へと案内した。

「船長、冷たいのがあるんでお茶でいいですか?」

「コーヒーはねェのか」

「あっついのしか無いんですよ。お茶にしましょう」

「……あァ」

 近くに寄ってきたローへ尋ねたナマエへ頷けば、ナマエが分かったと答えて立ち上がる。
 シャチの両手を自分のつなぎから引きはがし、そのままさっさと離れていく男に、ナマエ! とシャチが追いすがるように声を上げた。

「何を騒いでいやがるんだ」

「さっきまで怪談話をしてたんですよ。暑いんで」

 耳に響くシャチの声にため息を零したローへ、ローの椅子を隣に指定したペンギンが答える。
 怪談、とその言葉を反芻したローの目が、ちらりと飲み物を用意しているナマエの背中を見やった。
 ナマエは、ロー達がこの潜水艦を手に入れた頃、ハートの海賊団へと加入した海賊だった。
 真面目に働き、海賊として生きることを楽しみ、もちろんたまに冗談を言うし馬鹿なこともする、社交的な男だ。本を読むのも苦にならない方で、食堂の小さな本棚に並ぶ娯楽のための本は、半分ほどがナマエの持ち込んだものである。
 何か作り話でもしたのかと考えたローの向かいへと、シャチが少しばかり移動した。

「ナマエのやつ、ユーレイが見えるって言うんですよ、船長!」

 人の背中を指さしたシャチが、そんな風にローへ向けて訴えた。
 あまりにもばかばかしい言葉に、お前な、とローの口がため息を零す。
 そのままテーブルへ頬杖をつき、ローは目の前の仲間を見やって微笑んだ。

「そんな馬鹿な話を信じていやがるのか」

 呆れ半分、慈愛半分の眼差しを仲間へ向けたローに対して、船長が酷い、とシャチが人聞きの悪いことを言う。
 芝居がかった様子でテーブルに伏して泣く男にローがもう一つため息を零したところで、ことり、とテーブルへ飲み物が用意された。
 少し前の島で人数分購入した、不思議な鉄製のカップの中には、琥珀色の茶が入って揺れている。
 すぐ隣には、紙で包まれた飴玉がころりと転がっていた。ナマエがよく買い込んで、人に配っている嗜好品だ。

「やだなァ、船長。ホントですよ?」

 それを運んできた男が、信じなくてもいいですけど、なんて答えながらローの傍へと腰を落ち着けた。
 あまりにもばかばかしい言葉に、は、と鼻で笑ったローの手がカップを掴む。

「じゃあ何か、ナマエ。今も見えてるってのか?」

「そうですね、たまにしか見えないですけど、ちょうど今は見えてますよ」

「ほォ、何が?」

「そうですね、船長の傍に小さい女の子が」

 微笑んだままのナマエの言葉に、ローの近くにいたクルーの何人かがローを見つめた。
 寄こされた視線に眉を寄せて、ローはカップの中身を口にする。
 作ったあと冷やしてあったらしい茶は冷たく、熱の入り込んだ体をわずかに冷やした。それから紙から取り出して口に含んだ飴が、じわりと口の中に甘みを広げる。
 小さな甘みが、体から少しばかり疲れを取ってくれたような気がして、ローは緩く息を零した。
 ローの様子など意に介した様子もなく、ナマエは両手でゆるく拳を握り、何故だか自分の襟足に添えた。

「こんな感じに髪を二つくびりにしてる、すごく小さい子です。たまに見えるんですけど、よく船長の傍にいます。まァ、見える時って大体船長のこと睨んでるんですけど」

「なんだそれ怖ェー!」

 ナマエの言葉に誰よりも先に反応して悲鳴を上げたのはシャチだった。
 船長が女の子に恨まれてると騒ぎだして、お前な、とペンギンに呆れられている。
 それをよそにカップの中身を半分ほど口にしたローは、自分の記憶を探るようにわずかに目をさ迷わせた。
 自分に恨みを持つ少女。
 幽霊というなら、それは『死んでいる』誰かだ。
 そうは思ってみても、今一つ思い至らない。

「あ、少し船長に似てる気もします」

 そう考えていたのに、追加で寄こされた言葉に、ただ一人の少女が脳裏へ過った。
 わずかに目を見開き、そうしてそれから、ローの視線がわずかに自分の周囲を探る。
 しかしそこにいるのは、ローとローの仲間達だけだ。密閉された潜水艦で、それ以外がいるはずもない。

「……肌は」

「え?」

「いや、なんでもねェ」

 漏れかけた問いを撤回して、ローは茶の残りを口にした。
 カップをテーブルへ戻し、ため息交じりに視線を向ける。

「あんまり馬鹿なこと言ってシャチを騒がせてるんじゃねェぞ、ナマエ」

 諭すように言葉を投げたローへ、ナマエが曖昧に微笑んだ。







 予定通りに飲み物を口にして、しばらくクルー達と過ごした後、歯磨きまでしてから、ようやくローは自分の部屋へと戻っていた。
 途中でやってきた航海士のミンク族によれば、そろそろ熱帯の海域を抜けるらしい。
 涼しい海上へ顔を出せると聞いて、クルーの何人かはとても喜んでいた。
 もう少し休んでいてほしいと言われたため、部屋の灯りを付けたローの足がベッドへと向かう。
 ベッドやその周辺へ散らかった本をいくつか掴み、片付けようと重ねたところで、先ほど途中で読むのを辞めた本へと手が触れた。

「……」

 少し考えて、少しだけならいいかと考えたローの手が、重ねた本をベッドの端に置く。
 それからベッドへ座り込み、一冊の本をぱらりと広げて、挟まれたしおりを探した。
 問題なく先程中断したところへたどり着き、ローの目が文字を追う。
 ぱらり、ぱらりと紙をめくる音がして、文字を追うことに集中していたローがそれを途切れさせたのは、積んであった本が倒れる音がしたからだった。

「…………なんだ」

 なんの前触れもなくベッドから落下していった本達に、ローの口がわずかに声を洩らす。
 本が傷んだかもしれないと、しおりを挟みなおした本を置き、すぐに落ちた本を拾い上げた。
 そこでふと、下を向いた自分の視界に、小さな靴のつま先が入り込んだ。

「!」

 驚いてそちらへ視線を向けたが、そこにはいつも通りの室内が広がるばかりだ。ロー以外には誰もいない。
 しかし、締め切った部屋の中、わずかな灯りが届かない部屋の隅の暗がりに、何かが潜んでいるような気がした。
 当然、そんなものは錯覚だ。事実、ローが小規模に能力を展開してみても、そこにある交換できる『もの』は本や家具ばかりである。

『そうですね、船長の傍に小さい女の子が』

「……馬鹿か」

 思わずローが呟いてしまったのは、耳にナマエの言葉が過ったからだった。
 小さな女の子、と言われて、さらには少し似ているとまで言われて、ローの脳裏に蘇ったのは、もはやおぼろげになってしまった遠い記憶だ。
 『お兄さま』とローを呼んだ。珀鉛病を患い、ベッドの上にとどまり、ローの嘘を信じてくれていた。
 大事に覚えていた筈の記憶は薄れ、声すら思い出せない。思い出すその顔は珀鉛病によって、不自然に白い色をしていた。
 あの少女は間違いなく苦しんで、苦しんで苦しんで、最後は燃える病院の中で死んだ。

「……ラミ」

 あの頃のローに、何かが出来たわけもない。しかしローは自分だけが助かって、妹も、両親も、友人も、シスターも救えなかった。
 妹はあの日、燃えながら、病院の中で何を思っていただろう。
 どうして助けに来てくれないのかと、ローを恨んだのではないのか。
 もしも本当に幽霊がいるのだとしたら、きっと今も部屋の隅の暗がりより昏い場所から、ローを睨みつけているのかもしれない。暗闇に映える真っ白な肌で。
 赤い涙を零し、恨みがましく睨みつけてくる少女の姿を脳裏に描き、わずかに息をつめたローの部屋に、こんこん、と不躾にノックの音が響く。
 そのことでふと我に返ったローは、小さく息を吐きだした。

「……入れ」

 誰と問うことも忘れて言葉を投げつつ、ベッドへと座り直す。
 遠慮なく扉を開いて現れたのは、先ほど食堂で別れたはずのナマエだった。

「あれ、船長、寝ないんですか」

 ローのことを見やってそんな風に言い放ったナマエに、ローは軽く肩を竦める。その手が持っていた本をベッドの上へと置き、何をしに来た、ととがめるような声がローの口から漏れた。

「なんか、船長また無理してそうだなァと思って」

 様子見に来ました、なんていう風に言いながら、ナマエの視線がわずかにローから逸れる。
 その様子を過敏に感じ取ったローは、同じ方へわずかに視線を向けた。
 しかし、もとよりここはローだけの部屋なのだ。他にナマエが視線を向ける相手がいるはずもない。
 それとも、もしも本当に『幽霊』なんてものが見えるというのなら、ローの妹はそこに佇み、ローを睨みつけているというのか。

「いつも心配してるんですよ、その子。特に船長が徹夜したり、あんまり寝てなかったりすると」

 ローが何かを尋ねる前に、ナマエはそんなふうに言葉を放った。
 そうしてそれからその手がごそりとポケットを探り、何かを掴んで取り出す。
 出てきたのは、紙に包まれた飴だった。先ほども口にしたものだ。
 どうぞと差し出されたそれを何となく受け取って、ローの目が包み紙を見つめる。

「……心配……?」

 ナマエの言葉を噛んで砕くように口にして、それからローは、ナマエが見やっていた方を改めて見た。
 やはり、そこには誰もいない。ローを睨む小さな誰かは、ローの目には映らない。

「……どんな顔をしてる?」

 思わずとローの口から漏れた言葉に、えっと、とナマエは少し言葉を探したようだった。

「鼻は丸みがあって、眼もぱっちりしてます。なんか元気そうで……髪の色は明るめかな? あ、恥ずかしがってる」

「声も聞こえるのか」

「声はあんまり……あ、でもなんて言っているか分かる時はありますよ。さっきは言わなかったんですけど」

「……」

「船長のこと、おにいさまって呼んでました。おにいさま、ちゃんと眠ってって」

 だから妹さんかな? と続けて首を傾げたナマエは、どうやらその情報はあえて先程口にしなかったようだった。
 それが何故かはローには分からないが、しかし、少なくとも先程コーヒーが提供されなかった理由には気が付いた。
 そのことにわずかに息を吐き、手に持っていた飴を傍らの本の上へと置く。
 死者に花を手向けるというのはよく聞くが、例えば食べ物を渡すことは出来るものだろうか。

「肌の色はどうだ?」

「肌? え? いや、普通ですよ」

「……そうか」

 あっさりと寄こされたナマエの答えに、馬鹿馬鹿しいと思いながらも安堵の声が漏れた。
 一体、今ラミはどんな顔をしているだろう。
 ただの妄想にしかならないが、おぼろげな記憶の中の笑顔をそこに見た気がして、ローはわずかにその口元を綻ばせた。
 ローのその様子を見ていたナマエが、いいですねェ、としみじみ呟く。

「船長の妹さん、やっぱり可愛いですね」

「やらねェぞ」

 羨ましげに響いた言葉に、ローはきっぱり言葉を投げた。
 その手がベッドの端に放ってあった鬼哭を掴み、自分と自分には見えない妹と、目の前の男の間を隔てるように突き出す。

「お前がそう言う趣味だとしたらこちらにも考えがある」

「ええええ!?」

 何言ってるんですか船長と声を上げられたが、悪の芽を摘むためには仕方のない措置であるのだ。
 すぐそばで小さな誰かが楽しげに笑ったような気がしたのは、きっと気のせいではないだろう。



end


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