犬の躾
※主人公は元海兵さんで多分無知識トリップ主だけどガスパーデを慕っているし『見える』
※ガスパーデに対するそこそこのねつ造注意
「……おい、テメェ、殺されてェか」
低く声を零しながらガスパーデがじろりと見やると、慌てたように真後ろにいた小さな男が首を横に振った。
しかしその手は小さなボウルを抱えていて、今しがたその中身が一掴みガスパーデの背中へ向けて投げられたところである。
身じろぎ、先日『戦利品』から仕立て直しさせた白いコートをわずかに揺らすと、ぱさぱさと床へ細かいものが落ちる音がする。
見下ろしたそれは白くざらついたもので、誰がどう見ても塩だった。
「船長があの、凶悪なものつけてるから」
つい、なんて言葉を放ってあいまいな顔で笑った男は、ナマエと言う。
海軍での生活に飽き、手っ取り早く『権力』を手に入れるために方針を転向したガスパーデが連れてきた部下のうちの一人だ。
アメアメの能力者であるガスパーデが『殺す』と決めたら数分足らずで殺せるだろう程度の男だが、とてもよく働く。
休憩時間ですら何か小さな作業をしていることが多かったことを同じ部隊だったガスパーデは知っているし、恐らく今も似たようなことをしているだろう。
使えると思ったから、軍艦を乗っ取る時に連れてきた。もう何年も前の話だ。
そして、連れてきてから知ったが、ナマエはいくらか奇妙な行動をする男だった。
船のあちこちに塩を盛り、持ち歩き、誰かにぶつけていたりする。
当人に聞けば『幽霊が見える』という妄想話が出てくるばかりだが、他のことでは普通だ。気が違っているわけではないらしい。
その奇行は故郷の習慣なのだと判断することが、ガスパーデや他のクルーたちの出した結論だった。
「やっぱり、昨日の軍艦の人ですかね」
肩が重くなかったですかと問われて、ガスパーデはぐるりと片腕を動かした。
しかし、先ほどまでと何かが変わった気はしない。
答えるように肩を竦めて、その口が言葉を零す。
「今日は何がついてたって?」
「金髪の、船長より少し小さい人ですかね。腕も丸太みたいに太くて、くすんだ金髪で、顔はよくわからなかったんですけど、首が折れてるみたいな」
寄こされた言葉に少しばかり記憶を探ってみるが、ガスパーデより小さくて金髪で体格の良い『弱者』など、今までいくらでもいる。昨日の軍艦にも乗っていただろうが、これだ、と思いついたりもしない。
「踏みにじった蟻の姿を逐一覚える趣味は無ェな」
「悪者みたいですねえ」
海賊相手にそんなことを言い放ちつつ、ナマエは片手に持っていたボウルを大事に抱えなおした。
足元に散らばっているものから察するに、この前から甲板の端でいじっていた分だろう。
太陽の光が大事だの何だの言いながら、くみ上げた海水で塩を作るのもこの男の日課なのだ。
「それで、『悪者』に物をぶつけておいて、ただで済むと思っていやがるのか?」
こぼれた声は地を這うように低く、ガスパーデの伸ばした腕はそのままナマエを捕まえた。
顎をつかまれたことでいくらか抵抗をしようとしたようだが、どろりと片腕の一部を飴に変えてしまえば、抵抗しようとしたナマエの腕まで捉えてしまう。
派手に暴れないのは、片手に持っているボウルのせいだろう。
困り顔がガスパーデを見上げて、放してください、と要求される。
「一応良かれと思ってやったんですよ。そんなに怒ったフリしないでくださいって」
「おれのこれがフリだと?」
「本気だったらもう殺してるじゃないですか」
見上げながらそんなことを言い放つ相手に、ガスパーデの目元がぴくりと動いた。
片腕が完全に変容し、ずるりとうごめいた『水飴』が、生意気なことを言う男の口元を覆う。
むう、だのなんだのと声を漏らした男が口を開いたのでその中にまで水飴を押し込むと、手元の男が驚いたような顔をした。
逃げようとする舌を飴で押さえつけ、持ち上げた相手の顔をすごむように見下ろす。
「このまま鼻までふさいだら、テメェはそのまま死ぬが?」
人間など、呼吸ができなければそのまま死ぬ。
飴で体を貫くのにも飽き、ならばと始めた『遊び』は最初の十分ほどは面白かったが、すぐにつまらなくなった。
口と鼻を覆われた人間の大半はそれを引きはがそうと暴れるだけで、せっかく手も足も自由で満足に動けるというのに、ガスパーデへ立ち向かわないのである。
何かを言おうとナマエが舌をうごかして唸っているが、満足な返事は寄越されない。
その片腕すら飴にとらわれたまま、つま先も床から浮いているというのにいまいち抵抗を示さない相手に、ガスパーデは短く舌打ちをした。
本当にそのまま鼻までふさいでやろうかと思ったが、確かにナマエの言うとおり、ガスパーデは腹を立てているわけではない。
つい昨日は軍艦に巡り合えた為に楽しい時間を過ごせたが、今日という日が始まってすでに半日、偉大なる航路とは思えないほど順調な航海が続いている。
ありていに言えば、暇なのである。
そして、長い付き合いになるこの元海兵は、どうもそれを見透かしている。
ふと拘束を緩めると、ナマエの体がずるりと下へと落ちた。
その口から半固形の水飴が滑り出て、唾液まみれの場所がぬるりと光る。
汚ェな、とそれを払うように捨てて自分の腕を取り戻したガスパーデの傍で、自由を取り戻したナマエは自分の口を押えていた。
眉間にしわを寄せて、何やらその目に少しばかりの涙すら滲ませている。
「これに懲りたら、馬鹿な真似してるんじゃねェぞ」
何度か言ったが守られた試の無いガスパーデの命令じみた発言に、ふあい、と間抜けな声が漏れた。
そうしてそれから、なぜだかその手がこぼれなかったボウルの中身を一つまみして、自分の口へと入れる。
何をしているのかと真上からそれを見下ろしていると、ほんの少しの塩をなめたナマエが、真剣な顔でガスパーデを見上げた。
「船長、ちょっと葉巻控えた方がいいと思います」
「あァ?」
「すっっっっごい、マズいです」
飴がマズいって恐ろしいことですよと、とてつもなく失礼な発言が寄越される。
何の話だと考えて、それから自分の手元を濡らしていたものを思い出したガスパーデは、は、と短く笑い声を零した。
口をふさがれて脅かされていたのに、その間ずっとそんな馬鹿なことを考えていたのか。
「別に食われたいと思ったことなんざねェんだ、マズくても構いやしねェだろうが」
「いやでも、これだけマズいってのは不健康な証拠なのでは? 人間、健康が第一ですよ」
馬鹿馬鹿しい気持ちになり、相手を置いて歩き出したガスパーデへそんな風に言いながら、ナマエが後をついてくる。
海賊が健康的でどうするんだと尋ねれば、海賊が健康ではいけないってことはないですよと返事が来た。
キャンキャンよく鳴く犬のようだと思っていたら、足を速めたらしい男がガスパーデの隣に並ぶ。
ガスパーデの手に入れた軍艦は広く、ガスパーデよりずいぶん小さいナマエが並んだところで圧迫感はない。
「もしかして、最近よく眠れないとか無かったですか? やっぱり船長の部屋にも塩置きましょうよ」
「いらねェよ」
真剣な顔で寄越される言葉に、ガスパーデはそう言い返した。
ここまで心配そうに、まともに発言を寄こす相手は、今やこの傍らの元海兵くらいのものだ。
船に乗る人間のほとんどはガスパーデが『海賊』であると認識しているし、絶対的強者として君臨するガスパーデに対して、気安く意見を言ってくるものなどいない。
これもまたこの犬を殺さず手元に置く理由の一つかと、ペットを従えている気持ちになったガスパーデは自己分析した。
恐怖で支配するのは簡単だ。この世は力こそがすべてである。
だが、こうもキャンキャン吠える男をただ威圧して従えるのは、少々もったいないことかもしれない。
「じゃあ部屋の前だったらどうですか? 夜よく眠れるようになりますよ?」
「いらねェっつってんだろうが」
そんなことを考えながら、ガスパーデはそのまま男に付き添わせる形で船のうちの自室へと戻った。
しかし、それから十数時間後。
ガスパーデの発言をどう解釈したのか、真夜中にこっそりガスパーデの部屋までやってきていたらしいナマエが人の寝床に大量の塩をまいたので、さすがに死なない程度の躾をする必要があると、その考えを改めることになったのだった。
end
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