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こわくない
※主人公はガレーラの職人で『見える』
※軽くホラー表現あり



『俺、見えるんだよね』

 酒の席でそんな風に言い放ったナマエを、パウリーは笑い飛ばした。
 それもそうだろう、この歳になって『幽霊』だなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
 久し振りに賭け事で勝ち、良い気分で酔っ払ったパウリーがふらりとその足を島外れの放棄されたドックへ向けたのは、ただ単に、そのそばを通りかかったからだった。

『あそこ悪い奴がいるから、夜は近付かないほうがいいよ』

 酒を片手に真面目な顔を作って言い放ったナマエの顔を思い出して、どれ試してみっか、と考えただけのことである。
 ふらりと体を揺らしつつ、おぼつかぬ足を踏み出して、パウリーはそのままドックへと足を踏み入れた。
 本来なら多くの船を引き込んで作業しているドックは広く、端々に資材が転がっているものの、本体である船がないせいかとても広く見える。

「へえ」

 自分のところのドックも船がないときはこう見えるのだろうか。
 そんなことを考えて、パウリーはその目できょろりと周囲を見回した。
 空に浮かぶ月は細く、落ちる輝きはほんのわずかで、目を凝らさねば端まで見やることも難しい。
 しかしやはり、そこは普通のドックだった。
 設備に問題があるようにも見えない。
 そんな風に考えてから、そういえばどうしてここが放棄されることになったのだったかと、パウリーは軽く首を傾げた。
 ぼんやりと思い出すのは、パウリーがまだ駆け出しの職人としてガレーラの下っ端をやっていた頃、相次いで耳にした『事故』だ。
 短期間で怪我人を多く出したドックが島のどこかにあった気がする。
 噂はすぐに聞かなくなったが、そういえばその噂にのぼった『ドック』は、今パウリーがいるここと同じ名前であったような。
 そこまで考えたところで、カラン、と物の落ちる音がパウリーの耳に届いた。
 それを聞き、視線をそちらへ向けたパウリーの目が、転がった資材を見やる。
 恐らく何かの拍子に落ちたのだろう、大きなそれの傍には大工道具が一つあって、誰かの忘れものだと把握したパウリーの眉間にしわが寄った。
 大工道具は船大工の命とも呼ぶべきものだ。
 いつから放棄されているのかも分からないような場所に放っていくだなんて、持ち主は大工の風上にも置けない。
 拾って、もしも名が入っているなら届けてやって、ついでに説教してやろう。
 酒に酔った頭がそんな考えをはじき出し、パウリーの足はそちらへ向かった。
 一歩、二歩と足を進めていくパウリーの目の前で、パウリーを誘うように大工道具が月光をはじく。

「パウリー」

 そこで名前を呼ばれて、ぐい、と肩を引っ張られた。
 そのことに驚いて体を強張らせたパウリーが、その視線をすぐさま後ろへ向ける。

「……あ、ナマエ?」

 先ほど酒場で別れてきたはずの同僚が、どうしてか少し困った顔をしてパウリーを見ていた。
 歩みをとめて、その名を呼んだパウリーを見やり、ナマエの口が酒の香るため息を零す。

「なんでここにいるんだよ」

「なんでって」

 寄越された言葉に、パウリーの口が酔いでもつれながら言葉を放った。
 確かめに来ただけだとその口が言い放てば、何をだよとナマエはその顔に呆れをにじませた。

「夜は近付かないほうがいいって言っただろ」

「なんだよ別に、幽霊なんてどこにもいないだろ」

 寄越された言葉に眉を寄せて、パウリーはぶんと片手を振ってドックの中を示した。
 閑散とした閉鎖ドックは、相変わらずの静かさだ。
 暗闇に飲まれた端まで見つめられるわけではないが、自分たち以外の存在が無いことくらい、パウリーにだってわかる。
 けれどもパウリーのその言葉に、ナマエはふるふると首を横に振った。
 『わかっていない』とでも言いたげなそれに、さらに不愉快になったパウリーの眉間のしわが深くなる。

「あのな、」

 けれども、目の前の男に文句をつけてやろうとしたところで、大きな音がそれを遮断した。
 跳び上がりかけたパウリーが慌てて視線を向けた先に、巨大な資材がある。
 まるでどこかから放り投げられてきたようなそれは、先ほど落ちた大工道具を踏み潰すようにして大地に直立し、パウリーの視線が向けられている前でゆっくりと大地へその体を横たえた。
 その勢いに合わせて埃が舞い、わずかにパウリーの視界を白くする。
 大きさはパウリーより二回りほど大きいそれは鉄材で、もしもパウリーが呼び止められなかったなら、直撃は避けられないような場所に転がっていた。

「…………は、」

 なんだこれ、と思わず酔いも吹き飛んで目を瞬かせたパウリーの耳に、けたたましい笑い声が響いた。
 男とも女とも判別のつかないケタケタと笑うおぞましい響きの唐突さに驚いて、パウリーの目がきょろきょろとせわしなく周囲を見回す。
 しかし、やがて尾を引くようにして音がやんでからも、笑い声の主はやはり見当たらない。

「なん、だ……?」

 耳に残った音から感じる寒気に思わず肩をすくませたパウリーの背中を、すぐそばにいたナマエが軽くさする。

「ほら、帰ろう」

 そんな風に言いながら、ナマエはパウリーを促して歩き出した。
 一つ頷き、その歩みに合わせて歩き出したパウリーの眼が、もう一度落ちた鉄材へ視線を向ける。

「……なんだよ、あれ」

 思わずと言った風に呟いたパウリーに、だから言っただろ、と傍らのナマエが口を動かした。

「『悪い奴』がいるんだよ、ここ」

 パウリーが怪我をしなくてよかった、と続く言葉に、嘘の響きは見当たらない。
 その手はしっかりとパウリーの背中に添えられていて、パウリーよりも頼りないはずのその掌が、なぜだかとても頼もしく感じられる。
 その事実に眉を寄せ、小さく舌打ちを零したパウリーが、するりとナマエの手から背中を放す。

「いるわけねェだろ、ユーレイなんて」

 酒場で口にしたような言葉を放って、パウリーは先にその場から歩き出した。
 それを見やったナマエが、軽く肩を竦めてパウリーの隣に並ぶ。

「『事故』のせいでせっかくの酔いが醒めちまった、お前んちで飲み直すぞ、ナマエ」

「そうだなァ、怖いだろうし、その方がいいと思う」

「誰が怖いつったよ!」

 傍らからの言葉に声を荒げつつ、パウリーはそのままナマエと共にドックを後にした。
 酒の抜けた翌日、真昼に見に行った放棄ドックはただのドックだったのだから、『幽霊』なんてものはやはり存在しないのだ。



end


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