とある男の回想録
※無知識系転生トリップ主人公は幼児
※主人公の偏見が酷いので軽く注意
やばい。
なにがやばいってこの状況がやばい。
背中が冷えて心臓がばくばく動くのを感じながら、俺は両手を握りしめた。
自分のそれがどうしようもなく小さいことは、もう今更言うまでも無いことだ。
なぜなら、今の俺の体は本当に小さな、ただの子供なのである。
ついこの間まで普通の社会人で成人男性だった自分が、死んだという記憶は朧げながらもある。
それでも目を覚ました今の俺は幼いただの幼児で、これが生まれ変わりと言うやつか、と飲み込むのには少し時間がかかった。
死んだという事実は覚えているものの、かつての『俺』の名前すら思い出せない。
気付いたら今の俺で、傍に母親はいなくて、よく分からないが恐らく船の上にいた。自分がいる場所が時々揺れて、少し湿度のある生臭さというか、いわゆる潮の匂いがしたから間違いない。
ちょっとそう言うビデオに出ていそうな丈のスカートをはいたナースのお姉さん達が入れ替わり立ち替わり世話をしてくれて、漏れ聞いた会話で俺が『保護された』身の上だということも知った。
何か怖い目にも遭った気がするが、その記憶すらぼんやりしている。まあそれでも、優しくされたし、怖いことなんて思い出しても仕方ないだろうと開き直っていた。
しかし、そんな自分を今すぐ責め立てたい気持ちでいっぱいだ。
青い空、広い甲板、大きなマストとその上にはためく黒い旗。そして見かける強面の男達。
この船は、海賊船だ。
「…………う……」
小さく声を漏らして、俺はそろりと木箱の陰に隠れた。
俺の体は本当に幼くて小さいので、そうやれば隠れられるだろう、と言うのが自分の認識だった。
いつもなら閉じられている扉が開いている、と気付いてこっそり外へと出たのは好奇心によるものだ。
随分と天井の高い通路に、俺はどれだけチビなんだろうと困惑したし、歩きながら二回ほど転んだ。
それでも何とか風の吹く方へと移動してきた結果、俺は自分が海賊船に乗っているという事実に直面してしまった。
あちこちにいる、どう見ても海賊かチンピラと言った風体の男達が怖い。大人の俺だったとしても、絶対に目は合わせないし出来ればすれ違ったりもしたくない。
何かのアトラクションなのかとも思ったが、俺は何日もこの船に乗っている。どう考えても彼らは本物で、そして善意で子供を保護するような見た目の人達じゃなかった。
ただの偏見かもしれないが、子供を保護するより誘拐する方がありそうだ。
そこまで考えて、は、と思い至った事実に体を固くする。
なるほど。もしや俺は、誘拐されたのか。
そうなると、身代金目的か。
いやけれども、この船は海の上を進んでいると思うが、どう考えても木造船だ。
海賊達の風体もナース達の持ち物も通り抜けていた通路にも、電子機器に該当するものは見当たらなかった。ひょっとしたら、今の俺が生まれた国はそう言うものがまだ普及していない国なのかもしれない。
それでは、海の上で陸と連絡する手段がない。連絡手段がなければ、身代金なんて要求は出来ないだろう。
となれば、誘拐犯の目的なんて、俺の若くてピチピチな体の中身に決まっている。
あんなにかいがいしく優しく世話してくれていたナース達が、子供を太らせて食らう魔女のようにも思えて、俺は箱の影で一人震えた。
まだまだ俺の体は小さいから、大きくしてから売り払うつもりかもしれない。
逃げたい。逃げなくては。今がそう、逃げる時だ。
がくがく震える体をどうにか動かそうとしたところで、ふ、と自分の上に影が落ちた。
雲で太陽が隠れたのかと思うほどの影に、何となく真上を見上げる。
「………………」
そこには、何故だか人の顔があった。
とんでもなく高いところから、その目がこちらを見下ろしている。
俺の目測が間違いなければ、三メートルはゆうに超えているのではないだろうか。いや、馬鹿な。ギネスブックにだってそんな人間は載っていない。
誰かがどこかからか運んできた人形か何かだろうか、とそちらを見つめた俺の前で、その首が少しばかり動く。
「何してんだ、坊主」
「ひっ!?」
それどころか地鳴りのように低く落ちた声に、俺は思わずその場から跳びあがった。
慌てて距離を取ろうとしたら足がもつれて、べちりとその場に転ぶ。
それでも痛いところを摩る前に素早く這ってその場を逃れ、木箱の向こう側に身を潜めた。
そうしてそこから、箱を盾にするようにしてそっと顔をのぞかせる。
やっぱり、そこには人らしき何者かが立っている。
たくましい体つきで、おしげもなく肌を晒し、白くてどういうセットなのかよく分からない髭を蓄えている。手も大きいし足も大きい。これはとても怖い。そしてでかい。
やっぱりどう考えても世界記録を超えている気がする背丈の相手は、俺の方を見下ろして、その顔に笑みを浮かべた。
「そんなに怯えなくても、取って食いやしねェ」
そりゃ食べないだろう、俺は人間だもの。いや、人間を食べる人間と言うのも世の中にはいるらしいから、そこは論点にはならない。腑分けしたあと肉だけ食べられるかもしれない。それはとても怖い。
ぐるぐる混乱する頭がよく分からないことを考えて、言葉がまとまらない。
箱を間に挟んで窺う俺に、巨大すぎる大男は軽く肩を竦めた。
それから、何故だかその場にどかりと座り込む。音があまりにも大きかったので、その衝撃で体が跳ねた。
座ってもなお大きいが、先程よりは低い位置からその目がこちらを見つめている。
胡坐をかいた膝に片方の肘を置き、頬杖をつくようにして、その大男は口を動かした。
「テメェの名前は言えるか」
寄こされたそれは、どうやら問いかけらしい。
俺の名前なんて聞いてどうするんだろう。売る時のラベルにでもするんだろうか。
強面の男の様子に怯えつつ、ふるりと首を横に振った。
いつの間にか船の上にいたし、ナース達はみんな俺のことを『坊や』としか呼ばなかった。俺は幼児である。名前はまだない。
俺の反応に、そうか、と答えた男が少しばかり何かを考えるそぶりをする。
「……なら、テメェの名前は今日からナマエだ」
分かったな、と続いた言葉に、ぱちりと瞬きを一つ。
どうやら俺は、この巨大な海賊に名前を付けられたらしかった。
※
俺が乗せられていた船は、やっぱり海賊団のものだった。
言われている言葉が理解できるが、ひょっとしたら日本語ではないかもしれない。
というよりは、もしかしたらもしかしなくても、ここは俺が知っている『かつての俺』が生まれて育って死んだあの地球ではないようだ。
ギネス記録をいくらでも更新できそうな体つきの海賊を大勢紹介されて、魚人だというミュータントみたいな海賊達に会って、色々他にも見せられて、俺はそう認識した。
なんだかもう熱が出そうだ。目まぐるしくてくらくらする。
「グララララ! どうしたナマエ、疲れちまったか」
「うん……」
床板に座り込んだままの俺の横で、大きな海賊が笑っている。
『白ひげ』海賊団というなら多分船長なんだろうなと思わせる不思議なひげの彼は、何人もの海賊達に『オヤジ』と呼ばれていた。
どう見ても血のつながりはなさそうなので、ヤクザ物の映画とかでよく見るあれだろう。ひょっとしたら血のつながりのある誰かもいるのかもしれないが、見ていても分からなかった。
部屋から抜け出した俺を探したらしいナース達は、無事でよかっただとか冒険したい年頃だもねだとかと言いながら俺をひとしきり構い、そして今は俺を毛布に包んだ状態で放置している。
甲板の上では何やら宴会のようなものが始まっていて、俺はといえばこの大男の横でぼんやり座るしかない。貰った食べ物は柔らかいものが多くて食べることができたが、どう考えても幼児の腹に入る量じゃないと誰か止めてほしい。
皿の上に大量に残る料理を眺めつつ、毛布の内側でそっと自分の腹を撫でる。
ぽこんと丸くなった腹は、俺が腹いっぱいに料理を詰めたという証でもある。
食べれば食べた分だけ成長するというのが幼児の特権で、これだけ食べたんだから俺はすくすく大きくなってしまうだろう。
そのことに複雑な思いを抱いて、俺はちらりとすぐそばの大男を見やった。
「どうした?」
寄こされた視線を受け止めて、大男が笑っている。
「……おりぇ、のこと、ほんとに、うりゃない?」
「なんだ、さっきの話か」
しつこい野郎だななんて言って笑われるが、これは俺の死活問題だ。
ナース達曰く、俺はこの海賊団に『保護』された身の上であるらしい。
けれども俺自身にその記憶はなく、それが本当かどうかも分からない。
伸ばされた手に、逃げなきゃと身じろいでも逃げることは叶わず、大きな手にがしりと掴まれてしまった時、俺は必死になって相手へ訴えた。
『おねがい、おりぇのこと、うりゃないで、おねがいしましゅ……!』
がたがた震えながら必死に紡いだ言葉は舌をもつれさせて、けれどもどうにか相手へきちんと伝わったらしい。
最初からそんなつもりはねェよ、誰に吹き込まれた。
笑ってそんなこと言いながら膝に乗せられて、へ、と間抜けな声とついでに涙が目からこぼれたのはつい二時間ほど前のことだったりする。恥ずかしい。
騒いだからかナース達にも見つかって、着替えもさせられた。恐怖のあまり男の沽券にかかわる重大な事案が俺の下半身に起こっていたからだが、誰も幼児である俺を叱らなかったし笑わなかった。
どうにか俺が落ち着きを取り戻したところでこの宴会の場に連れて来られて、料理も口にしたところで、今である。
「さっきも言ったろうが。最初から、そのつもりはねェよ」
座り込んだ大男が、そんな風に言う。
本当に本当だろうかとその顔を見つめていると、グラララ、とまた声が漏れた。
さっきから思っていたが、それは笑い声なんだろうか。独特が過ぎると思う。
「おれ達のナワバリに入ったら、親代わりも探してやる。テメェの母親にも頼まれたからなァ」
「おかあ、しゃん」
見ず知らずの誰かを示す言葉に、俺はぽつりと口を動かした。
今の俺を生んだその誰かは、俺が拾われた時にその命を落としたらしい。
ナース達やこの大男の言葉を信じるなら、小舟の上で瀕死の状態だったそうだ。
どうして小舟に乗ってこの海原にいたのか、その理由すら分からない。
もう弔われたというその女性の顔も俺は知らないし、そもそもそれが事実だという証拠すらも無かった。
「自分より息子の命を心配していた。ありゃあいい女だったろうなァ、誇りに思え、ナマエ」
けれども、そんな風に言い放つ船長の顔は何となく優しげで、嘘の様子が見当たらない。
今言っていることが真実だと信じさせるような、そんな表情を見上げてから、俺は少しばかり俯いた。
毛布の中でもぞりと身じろいで、くるまれていた足を隙間から出す。
そのままどうにか立ち上がって、よたよたと毛布を引きずりながらその場から移動した。
歩く速度はゆっくりで、向かうのはすぐそばに座っている大男の方だ。
多少あった距離を詰めて、その胡坐の前に改めて座り込む。毛布で見えないだろうが、きちんと正座した。
間近にやってきた俺を、大男の二つの目が見下ろした。
「よろしゅく、おねがいしましゅ」
ぺこり、と下げた頭が重たくて、ごちりと甲板に自分の頭がぶつかった。痛い。
それでもとりあえず顔をあげて、俺はまっすぐ目の前の相手を見上げた。
「あと、しゃっきの、ごめんなしゃい」
舌がうまく回らなくて発音が怪しいが、俺の精いっぱいの謝罪だ。
多分この人は、俺のことを本当に売らない、と思う。
なんの証拠もないのにこんな風に思えてしまうのはなぜなのか分からないが、けれども俺は、この大男を信じられる気がした。
その結果もし裏切られたら、それはもう悲しいしこの世のすべてを呪って死ぬだろうが、その時はその時としか言いようがない。
顔が怖いし筋骨隆々だしとても大きいしやっぱり怖いが、それだけじゃないのだ。
俺の言葉を聞き届けた相手が、ふ、とわずかに息を漏らした。
大きな手が動かされ、迫ってきたそれに少しだけびくりと震えたものの、逃げないでいた俺の体に、その太い指が触れる。
「……妙なガキだ」
親指でぐり、と俺がさっきぶつけた辺りを撫でるように擦って、俺の髪を適当に乱した大男が、またグラララと笑い声を零す。
エドワード・ニューゲートと言う大男が俺の『オヤジ』になったのは、後になって思い返すと多分、この時だったんだ。
end
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