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苦くて構わない
※主人公は有知識トリップ系主人公で元ロジャー海賊団クルー



 からん、とドアベルが音を立てる。
 懐かしいそれを耳にしながら押し開いた扉の内側へ足を進めると、いらっしゃいませ、なんて気の抜けた柔らかな声を零した店主が店の奥から姿を現した。
 その目がレイリーを見つけて、あれ、と言葉を一つ。

「久しぶりですねえ、副船長」

 へらりと間抜けな犬のように平和な顔をして笑った男に、そうだな、とレイリーは返事をした。







 偉大なる航路には、様々な島が点在している。
 海賊王と名を馳せた男の船に乗っていたとしても踏破しきれぬそれらの一つが、この穏やかな春先の気温を漂わせた島だった。
 程よくシャボンディ諸島にも近いが、島民はのどかに生活を営んでいる。
 天竜人の気を惹くような『特別さ』が皆無であり、観光に頼ることは出来ないが、静かな時間を過ごすにはもってこいの場所だった。

「はい、どうぞ」

 のんびりとした声音と共に運ばれてきた品が、ことりとレイリーの前へ置かれる。
 店の端に置かれた小さな丸テーブルは窓に面しており、背の高い窓から注ぐ柔らかな日差しが運ばれてきたコーヒーでわずかに反射した。
 隣に置かれたものはクッキーで、いびつなそれをつまみ上げたレイリーがそのままそれを口に運ぶ。

「ふむ……」

「結構腕あがったと思うんですけどね?」

「ああ、食べられるようにはなっている」

「食いもんなんだから当然でしょうよ」

 むっと眉を寄せて、しかしそれほど怒ってもいない顔で向かいの席へ腰を落ち着けた男に、はははは、とレイリーの口からは軽い笑い声が漏れた。
 オーロ・ジャクソンの上で、甘いものを強請った子供達に手造りの菓子を振舞って悶絶させていた新入りがいたはずなのだが、どうやら当人の頭からはそんな懐かしい記憶は消えてしまっているらしい。
 さくりと噛み締めたクッキーからはわずかに焦げた苦みと香ばしさと甘さがにじんで、口を付けたコーヒーの苦みがそれをさらりと押し流していく。
 コーヒーの方は懐かしい味だった。何度もレイリーが淹れさせた手順を、向かいの男はきちんと守って淹れたようだ。

「それにしても、本当に久しぶりですね、副船長」

 いまだにレイリーを『副船長』と呼ぶ向かいの男は、懐かしそうにその目を細めていた。
 確かに、レイリーがこうしてナマエの店へ足を向けるのは久しぶりだ。
 いつ振りかと考えてみると、半年は経った気がする。

「顔を忘れられていなくて何よりだ」

「俺はそんなに忘れっぽくないですって」

 わざとらしく胸を撫でおろしたレイリーに、ナマエが笑う。
 ロジャー海賊団がなくなったあの日、レイリーの後をついてきたのは向かいの彼の方だった。

『俺、副船長と一緒がいい、です』

 子供でも無いくせに子供のようなことを言ったあの日の青年は、ロジャーが海で拾った漂流者だ。
 帰るべき場所もなければ、行く宛もない。
 縋りつくように服の裾を掴んできたその手を、レイリーは振り払わなかった。
 レイリーが定住を決めたのはシャボンディ諸島で、しばらくはナマエもあの島にいたのだ。
 それがどうして今はこの島にいるのかと言えば、ナマエが今は服の下に隠している太ももの火傷跡のせいでもある。

「たまには会いに来てやると言ったからな」

 奴隷の焼き印を消してやり、そのままシャボンディ諸島から運び出し、よそへ住処を与えると決めた時に告げた言葉を口にすれば、それならもっと高い頻度で会いにきてくださいよ、とナマエがわがままを言った。
 しかし見やった相手はテーブルに頬杖をついて、ただ笑っている。
 それを見やって肩を竦め、レイリーの手がもう一枚のクッキーをつまんだ。

「『たまには』だ、私にも仕事があるのでね」

「コーティング屋っていまだによく原理が分からないんですよね……」

 うーん、と声を漏らして賢いふりをする男は、手伝うと言ったくせにレイリーの仕事の手伝いもうまくできなかった。
 『これ』で船が潜水できる原理が分からないだのとごねていたが、原理もなにも、レイリーが教えたとおりにやれば出来る仕事であるはずなのだ。
 コーヒーの淹れ方は覚えたくせに、シャボンの一つも扱えないで、結局今は、こうしてにぎやかな場所から少し離れたここで雑貨屋をしている。
 酒から煙草、菓子類に小物まで好き放題に棚へ並べた店内を一瞥して、お前の拘りの方が私には分からん、とレイリーは言い放った。

「また棚を新調しているな。銃まで扱うのか、この島で?」

 そうだとしても、かわいらしいキャンディの入った瓶の横に陳列するのはどうなのか。
 尋ねたレイリーに、ああ、と声を漏らしたナマエが同じ方を見やる。
 そのままひょいと椅子を立ち、棚へ向かってレイリーが目を止めた銃を手に取って戻り、男はそれを無防備にレイリーへと差し出した。

「すごく本物っぽいですけど、水鉄砲ですよ、これ」

 ただの玩具ですと、そんなことを言い放つ男に、レイリーの目がゆっくりと瞬きをする。

「……ほう、ちょっと見せてみろ」

「はい、どうぞ。いやァ、副船長にも勘違いされるくらい本物っぽいか、良いの仕入れました」

 うきうきと嬉しそうな声を零しつつ寄こされた『水鉄砲』を、レイリーの手が受け取る。
 ずしりと重たいそれは、どう考えても鉄の塊だった。
 いくつか確認したところ、確かに水を入れる注ぎ口がある。
 水を押し出す仕組みをいくつか確認しながら、レイリーは尋ねた。

「いいつくりだな。どこで買い込んだんだ?」

「初めて見る顔だったんですけど、行商人だって人が来て、こういうの置かないかってセールスしてきたんですよ。最初はびっくりしたけど、水鉄砲だって実演もしてくれて」

「玩具売りか。買っていった奴もいるのか?」

「昨日仕入れたばかりなんで、まだです。あ、でも行商しながら宣伝するって言ってたから、そのうちここにも探しに来る子供がいるかもしれませんね」

「なるほど……」

「帰りにまた寄るって言ってたから、あと二丁くらい仕入れようかなって思ってて」

「ナマエ」

 椅子へ座り直してのほほんとした顔で楽しそうに言葉を紡ぐ相手を呼べば、はい、と素直な返事が寄こされる。
 そちらを見やってから、レイリーの片手が自分のカップを取り上げて、半分以上減っていた残りを飲み終えた。
 空になったカップをそのまま相手へ晒すと、レイリーの意図を受け取ったナマエがカップを回収する。

「次は砂糖とかミルクも?」

「まだクッキーがあるからな、ブラックでいい」

「はい」

 カップを持ち直しながら、ナマエはひょいとそのままレイリーの向かいから離れて行った。
 その背中が店の奥の方へ向かったのを見送ってから、レイリーの指が改めて『水鉄砲』へ触れる。
 ぺき、とわずかに音を立てて、水の発射口のすぐそばに開いていた穴がレイリーの指によって押しつぶされた。
 ついでに、見た目ではただの飾りにしか見えない何か所かに指を押し当てると、黒く染まった指が『水鉄砲』へわずかに沈む。
 一度弾倉を引き出し、入っていた弾丸六つを指先で外してから弾倉を仕舞い直したレイリーは、テーブルの上へ落とした弾丸をさっさと拾い集めて握りしめた。

「……わざわざ『銃』を島へ運び入れるか」

 それも『玩具』と偽って、あちこちにばら撒いているのだとすれば、どこかの誰かが何かを企んでいることは想像に難くない。
 シャボンディ諸島に多少近い平穏な春島は、良からぬことを行う拠点にするにはまあ申し分のない場所だ。そういう考えの連中が、どうやらひっそりとこの島へ忍び寄ってきている。
 ここへ向かうきっかけになった『情報』に確証を得てしまい、レイリーの口からはため息が漏れた。
 例えば他の島が海賊に占拠されたり、そこで良からぬ考えの連中が拠点を作り上げたとしても、それはレイリーにとってもどうでもいいことだ。
 当然自分に火の粉が掛かれば振り払うが、シャボンディ諸島は天竜人が闊歩する場所で、それに合わせて世界政府が警備を配置している。海軍大将まで出てくれば大概の事態は制圧されてしまうし、わざわざレイリーのもとへと火の手も及ばない。他の島が焦土になったところで、憐みはするがそれだけだ。
 だがしかし、この春島だけは駄目だった。
 何故ならここには、ナマエがいるのだ。

「お待たせしました、副船長」

 足音が聞こえたところで弾丸をポケットへ放りこんだレイリーの元へ、ナマエがコーヒーを運んでくる。
 レイリーが希望した通りミルクも砂糖も入っていない様子のそれは、先ほどと同じ暗褐色をカップの中で揺らしていた。

「もしかして、副船長、その水鉄砲気に入りました?」

 片手で『水鉄砲』を持っているレイリーに、ナマエがそんな風に言って首を傾げる。
 いいや、と返事をしつつレイリーが差し出すと、ナマエの手が『玩具』にしては重たいその鉄の塊を受け取った。
 元あった場所へ戻しに行く背中を見やりながら、レイリーの手がカップに触れる。

「シャンクスとバギーが一時期そういう玩具にハマッていた時期があっただろう。それを思い出していた」

「あ、ありましたねェ、そんなことも」

 懐かしい思い出を口にしながら口に運んだコーヒーは、先ほどと変わらぬ味わいだ。
 舌を擦る苦みを受け入れて、また一つクッキーを口へ入れたレイリーの視界には、先ほどレイリーが少しばかり壊した『水鉄砲』を丁寧に棚へ飾っている男がいる。

「結局船長もハマっちゃって、甲板でわーわーやりましたよね。びしょ濡れになって」

「びしょ濡れになったせいで、お前は風邪をひいていたな。あれであいつらの流行りが終わったんだった」

「……俺がびしょ濡れになったのって、そう言えば副船長が盾にしたからじゃなかったです?」

「おや、そうだったか?」

 思い出せないな、と嘯いたレイリーに、またそんなこと言って! と声を上げたナマエが向かいへと戻ってくる。
 どかりと椅子へ座った店主は、まるで怒っているかのように眉を寄せながら、しかし隠しきれていない笑みをその口に浮かべていた。
 会いに来てくれて話せるのが嬉しいと、ここまで顔に書いている男もそうはいない。
 ナマエは昔から、素直な男だった。
 レイリー達には理解できない『故郷』の話をして、しばらくは帰り方を探して、しかしすっかりそれを諦めた。
 何故だかシャンクスやバギーに最初から好意的で、ロジャーやレイリーの言うことにも反発することなく従った。
 ナマエがレイリーの言葉に逆らったのは、たったの一度だけだ。

『俺、副船長と一緒がいい、です』

 平和な東の海に置いて行こうとしたのに、そう言ってついてきた。
 ナマエの為を思えば、レイリーはあの時あの手を振り払ってやるべきだった。
 そうすれば、ナマエは人攫い屋に攫われることもなく、レイリーの知らぬうちに足へ焼き印を入れられることもなく。
 わずかな時間でも奴隷として扱われる屈辱も知ることなく、焼き印を焼いて消される痛みを知ることもなく、ここで物騒なものを騙されて仕入れることもなかっただろう。
 それなのに、レイリーがナマエをこうして偉大なる航路の奥へと連れてきてしまったのは、何故か。
 考えれば一つの結論が出るが、レイリーがそれをナマエへ告げたことは無い。そして、年齢を重ねても素直だが鈍くて海賊らしさのないナマエが、そのことに気付くはずもない。
 ナマエは何も知らなくていい。
 たとえば、自分が利用されていたと知れば、ナマエは悲しげな顔をするだろう。
 そんな顔を見たくないというのはレイリーの勝手で、しかし譲るつもりもないことだった。

「副船長はいつも都合の悪い記憶を無かったことにする、そういうの良くないと思うんですよ」

「そう怒るな。クッキーでもどうだ?」

「それは俺の焼いたやつです」

「焦げているが、まァ食べられるぞ」

「え!? うわ、すみません」

 レイリーの言葉に慌てた声を漏らした相手に、レイリーがつまんだクッキーをその口へ放り込む。
 すぐに口を押さえて味を確かめ、見る見るうちにしょんぼりとした男に、レイリーの口からは明るく笑い声が漏れた。
 その日の夜のうちに『問題』は片付いたが、レイリーを副船長と呼ぶ男は、当然ながらその出来事すら知らないままだった。



end


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