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酒の席では
※『真心も寄越せ』設定
※ルッチと疑わしき異世界トリップ系男子
※主人公がルッチによって痛い目に遭わされた(過去形)ので注意



 どんな環境でも、長らくそこにいれば、だんだん気持ちも緩むものだ。

「ふは……」

 ごくりと飲み込んだ液体が、じわりと胃を熱くする。
 手元にあるのは酒瓶とそれを少し注いだグラスで、どちらもつい最近、自分で購入したものだった。
 エニエス・ロビーで生活することになって、はや二年。
 自分へのご褒美を買った、と同僚が話しているのを聞いて、俺も何かそう言うのを買おうかな、と考えた結果の選択である。
 一応、民間人はいなくても従業員の為の酒場くらいはあるわけで、そちらへ行って飲むことだって出来るのだが、そこで何が起きるかなんて俺には予想がつかない。
 たまたま出会ったサイファーポールの名前を呼んでしまったが為にここにいる俺なのだから、警戒するのは仕方がないことだろう。たまの飲酒は自室で引きこもるに限る。

「うーん、至福……」

 ベッドに腰かけてしみじみ呟きつつ、ふらふらと頭を軽く揺らす。
 胃が熱くて、頭がふわふわして、体は少し汗ばんでいるような気もする。
 この酒はとてもうまいのだが、度数が恐ろしいやつだった。たくさんは飲めなくて、ご褒美に買った酒瓶は一か月たつのに空にならない。まあ休みが少ないというのも理由の一つだけれども。
 適当に買い込んであったつまみのチーズを一つ齧って、グラスに半分残った琥珀色の液体を見やる。
 これを飲んで、あと一杯で今日は終わりにするかな、なんてことを考えたところで、勢いよく扉が開いた。
 どこのと言えば、誰がどう見ても俺の自室の扉だ。
 壁にめり込んだんじゃないかと言う大きな音に、思わず飛び上がる。

「え? あの、え?」

 目を瞬かせてそちらを見やった俺は、扉の入り口に悪魔を見た。
 誰かと言えばそんなもの、ロブ・ルッチに決まっている。

「え、ええと、え?」

 戸惑いつつ壁のカレンダーに視線を向けるが、今日の俺は間違いなく休みだった。仕事をすっぽかしてしまったわけではないだろう。
 一体どういうことだろうかと慌てる俺を前に、勢いよく扉を閉めたロブ・ルッチが、足音もなくこちらへと近寄ってくる。
 肩にハットリすらおらず、服装は少々ラフだがそこに立っているだけで恐ろしい顔で、その目がベッドに座ったままの俺を見下ろした。

「おい、ナマエ。休みに出かけもしねェのか」

 笑いもしない顔で、低い声がそんなことを言う。
 酒の回った頭でも落ちてきた言葉はしっかりと理解が出来て、俺はむっと眉を寄せた。

「お休みなんですよ、部屋にいたっていいじゃないですか」

 数少ない休みをどう過ごすかなんて、俺の勝手と言うものだ。
 エニエス・ロビーに来た最初の頃より少し活動範囲も広がったが、俺は基本的に司法の塔を離れない。
 海列車の近くに行くとどこからともなくサイファーポールが現れて、別に逃げるつもりもないのに脅かされている気になる。
 従業員の為の小さな街並みを歩いてみても、そちらはそちらでどことなく怖い気配がするのだ。それだったらいっそ中庭で天使と戯れている方がいいというのに、最近は可愛い子猫にも会えない。
 それは誰のせいかと言えばよく動物の姿で遭遇する目の前のCP9最強の男のせいだが、さすがにそれは言えないので、俺はじとりと相手を見上げた。
 俺の視線を受け止めて、ロブ・ルッチがゆるりと瞬きをする。
 少しだけその目が瞠られたような気がして、どうしたのかと思って見つめていたら、少しだけその目が逸らされた。
 それと同時に、俺が全く気付けない速度で、俺の手から酒瓶が奪われる。

「随分と酔っていると見えるが」

 自分の目の高さに持ち上げて、ロブ・ルッチは酒瓶のラベルを検めたらしい。

「この程度でか?」

 落ちた声には揶揄うような、あんまり悪意の感じられない響きがあって、それからぽいと酒瓶がこちらへと放られた。
 口の開いた瓶が落ちてくるのに慌てて手を伸ばして、何とか中身を零さないまま受けとる。

「何するんですかもう! 俺には十分強い酒ですよ、これは」

 じりじりと楽しく飲んでいる酒を無駄にすることを避け、受け取ったそれを俺は自分の膝で挟んだ。
 少し不格好な姿勢だが、不安定なベッドに立てておくよりはよほどいい。
 瓶を足で挟んだ俺を見下ろしたロブ・ルッチが、少しばかり眉を動かす。

「アルコールには中毒性があるが、まさか毎日飲んでいるのか」

 なんだかアルコール中毒呼ばわりされた気がする。
 そんなわけないじゃないですかとそちらへ応えて、俺は口を尖らせた。

「休みの日だけです」

 この休暇の過ごし方だって、ここ一か月だけのものだ。
 今後どうなるかは分からないが、それでもそこまで言われるようなことじゃない。
 俺の言葉に、ほう、と声を漏らしたロブ・ルッチが少しだけ、その口に笑みを浮かべた。
 いつもだったら怖すぎる笑顔だが、今日はあんまり怖くない。酒のせいだろうか。

「せっかく休みをくれてやっても外で見かけないと思えば、まさか自室に引き籠っているとはな」

 そんな風に言われて、俺は少しばかり首を傾げた。
 何だろう。何かが引っかかる。
 けれども、今一つその引っ掛かりが見つからず、傾けたのと逆側に首をひねってから、そういえば、と声を漏らした。

「なんでここにいるんですか?」

 見れば分かる通り、ここは俺の部屋だ。
 CP9の最高戦力であるロブ・ルッチにふさわしい広さの私室でもなければ、よく他のCP9と一緒にいる広間でもない。
 むしろロブ・ルッチが俺の自室の場所を知っていたということも驚きだ。いや、それは、俺を見張っている立場からすれば当然なんだろうか。
 俺の質問に、ロブ・ルッチがまた眉を動かした。
 その目がじっとこちらを見下ろして、眼力で穴があけられるなら二つくらい穴が開いていそうだなァなんてことを考える。
 そのまましばらく待っても返事が無かったので、うーん、と声を漏らした俺は、膝で挟んだままだった酒瓶を片手に持ち直した。

「……あの、少し飲みます?」

 よく分からないが、酒でも入ったら少しは話しやすくなるだろうか。
 俺が休みと言うことは目の前のこの人も休みと言うことだから、飲酒をしても問題ないはずだ。
 俺の問いに、また少しばかり沈黙を落としたロブ・ルッチが、やっぱり俺には反応出来ない速度で酒瓶を俺から取り上げる。
 どうやら飲む意思があるらしい相手に息を吐き、グラスの場所を教えようとした俺は、大事な酒瓶の口に目の前の相手の唇が触れるのを見た。

「あ!」

 そのまま一気に上向きになった酒瓶の中身が、ごくごくとただの水のように飲まれていく。
 半分以上減っていた酒瓶の中身は止める間もなく飲み干され、空になった瓶がぽいとこちらへ放られた。

「随分安い酒だ」

「いや、え……ええー……」

 ふん、と鼻を鳴らした相手に戸惑いつつ、とりあえず空っぽになった酒瓶を引き寄せる。
 瓶の内側はまだ濡れているが、手元のグラスに中身を継ぎ足すほどもない。

「口付けて飲みます? 普通」

「グラスを寄こさなかったのはお前だ」

「いや、だからそこに……はー……」

 批難を受けてとりあえず壁際を指さすが、しかし今更グラスのありかを教えたところで後の祭りだ。
 ため息が口から漏れて、俺は仕方なくベッドの上に置いたままだった皿を相手へ差し出した。

「酒も無くなったらチーズが余るじゃないですか……責任取って半分は食べてくださいよ。あと今度弁償してください」

 適当に買い込んだ酒のつまみだが、単体でずっと齧っていられるほどチーズが好きなわけでもない。
 合間に飲むつもりだった酒を奪われてしまった俺の発言に、ロブ・ルッチが俺を見下ろす。

「………………」

「……なんですか?」

 またじっと注がれた視線に、今度はとりあえず問いを放った。
 俺のそれを受けて、いや、と声を漏らしたロブ・ルッチが、その手で皿の上からチーズを一つつまむ。

「まァ、悪くない」

「?」

 まだ口にチーズを入れたわけでもないのにそんな風に呟いたロブ・ルッチに、どうしたんだろうかと首を傾げた俺は、まだ間違いなく酔っぱらっていた。




 それが、昨日の、記憶だ。




「………………どういう格好だ?」

 怪訝そうな問いかけが、俺の後頭部に落ちる。
 ロブ・ルッチの私室で、いつものように給仕に呼ばれた俺は、給仕が終わってすぐさま、フローリングへ膝をついた。
 両膝を揃えて両手も床に添え、額を打ち付ける勢いで前のめりに頭を下げる。
 日本で言うところの土下座だが、これ以上に謝意を示す姿勢を俺は知らない。

「大変、いえ本当に、大変、お見苦しいところをお見せしました……!」

 いくら酔っていたとは言え、ロブ・ルッチにとんでもなく馴れ馴れしくしてしまった。
 そもそも、この人が部屋に入ってきてベッドから一度も立ち上がらず、何なら椅子も勧めず、それどころか酒を飲み干されてそれを非難して言いがかりじみたことを言いながら安物のチーズを食べさせた。なんなら弁償しろとか言った。
 相手が心の狭い暴君だったら、俺はあの場で滅茶苦茶怒られていると思う。
 いや、むしろ、ロブ・ルッチが怒らなかったという奇跡がありがたい。
 しかし、忘れたふりなんて出来るはずもない。そんなことをしたら後が怖くて夜も眠れない。
 腰も頭も低くして謝罪をした俺に、ロブ・ルッチはしばらく押し黙った。
 どの爪から剥がしてやろうとか考えているんだろうかとか、そんなことを考えて拳を握りそうな指にどうにか力を込めて踏みとどまりつつ、相手からの許しを待つ。
 かち、こちと時計がしばらく時間を刻み、やがて、わずかにため息が聞こえた気がした。

「床に懐いている時間があるなら仕事を始めろ」

「いえ、あの……」

「おれに二度言わせるか?」

「いえ!」

 低い声音に慌てて顔を上げて、すぐさま立ち上がる。
 見やった先のロブ・ルッチは窓の方を向いていて、何なら立ってもいる。今日は多分、肉食獣に舐められたりはしない日だ。
 これは、俺の昨日の無礼を許してくれるということだろうか。
 しばらくその背中を見つめて、しかし振り向かなかった相手に、俺はほっと息を吐いた。
 不問にしてくれるというのなら、これ以上昨日のことは話題に出さないべきだ。

「で、では、カートを片付けてきますね……」

 そっと声を掛けて、素早くカートと共に移動する。
 ロブ・ルッチはもうすぐ部屋を出ていくだろうから、それを待ってから掃除に戻ろう。
 失礼しましたと声を投げて、俺はそのまま部屋を抜け出した。
 からからと音を立ててカートを押しながら、長く、深く、ため息を一つ。

「……禁酒しよう……」

 休みの日の過ごし方を一つ失ってしまったが、背に腹は替えられない。次は許してもらえるかも分からないのだ。
 大体、あんな怖いロブ・ルッチに構わず話しかけてしまえるなんて、酒と言うのは本当に恐ろしい魔物だ。ここに慣れてきた気の弛みもあったんだろうが、俺にはきっと扱いきれない。

「…………あれ、でもそういえば、結局あの人、なんで昨日俺の部屋に?」

 はた、と思いついて首を傾げてみても、当然ながら答えは出ない。
 問題を蒸し返すことを思うと当人に尋ねるのも憚られ、まあいいか、と過ぎたことを明後日の方向に投げ捨てた。
 そんな俺が、どこかの悪魔の贈り物が自室へ届いていたと知るのは、その日の夜のこと。
 なんだか滅茶苦茶お高いということが分かるラベルの、送り主不明と言う怪しさ満点の酒瓶は、ひとまずクローゼットに片付けた。仕方のない話だと思う。


end


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