ゼファーとTrick or Treat
※『若気の至り』『怜悧狡猾なりて』設定
今日も今日とて、仕事帰りの酒がうまい。
半分ほど中身を飲んだグラスをテーブルへ置いて、料理を待ちながらふと店内へ視線を向ける。
耳慣れた酒場の雑音の中、見回した店内はいつもと少し雰囲気が違う。そう言えば今日はハロウィンだったな、なんて思い出しつつ、テーブルの上のかぼちゃの置物を見やった。
この世界は俺が生まれたかつてのあの場所とはまるで違うのに、たまに随分と似通っている。
遅い時間だからもう見かけなかったが、子供達が仮装して町を練り歩いていたかもしれない。
「Trick or Treat」
そしてそんな台詞を言っていそうだな、と思い浮かべた言葉がそのまま真横から降ってきて、おや、と俺は目を丸くした。
それから傍らへ視線を向ければ、随分と体の大きな奴がいる。
「……ゼファー」
思わず名前を呼んでしまった俺に、ゼファーと言う名の海兵がにやりと笑う。
どうしてこんなところにいるんだとその顔を見上げていると、休みだから会いに来てやった、と俺が尋ねる前に返事があった。
「会いに来てやったって」
「そうでもなけりゃあ顔も合わせねえだろう」
そう言って笑う相手に、そうかもなァ、と軽く相槌を打つ。
海軍から逃げ出して早三年。流れ着いたこの島ですでに定職についている俺には、海を越えてマリンフォードへ行く『理由』が無い。
多分、ゼファーが『会いに来い』と言ったらその限りではないが、ゼファーは俺にそう言ったことが無かった。
たまに時間を作って、わざわざ取り巻き達を置いてきてから会いに来てくれる相手に少しだけ喜んでしまうのは、もはや仕方がない。
ゼファーの座った椅子がぎしりと軋んだのを聞いて、やっぱり椅子が可哀想だなァとどうでもよいことを考えた俺の横で、テーブルに肘を置いたゼファーがこちらを向く。
「それで、ナマエ」
「うん?」
「Trick or Treat、だ」
随分と滑らかに呪文を口にして、ゼファーの片手がこちらへ向けられた。
差し出された大きな掌に思わず自分の手を乗せると、お手とは言ってねえぞと笑われる。
「菓子が無いなら悪戯するぞ」
「あ……ああ、なるほど」
そのまま笑いながらそんなことを言われて、俺はゼファーが何を言いたいのかに気付いた。
酒が入っているからなんて言い訳はしたくないが、『Trick or Treat』なんて呪文を、この海兵の口からきくなんて思いもしなかった。どちらかと言えば、ゼファーはそう言う遊びに付き合ってやる方だったのに。
ちょっと待ってくれ、と言葉を落として、ごそごそと服のあちこちを探る。
そうして出てきたキャンディの包みに、つまんだそれをぽいとゼファーの手の上に乗せた。
「ほら、どうぞ」
「……いつのだ、これァ」
「今日貰った奴だよ」
ポケットに入れっぱなしだったが、朝出勤した時に職場で貰った駄菓子だ。
なんでそんなものをくれたんだろうと思っていたが、今日がハロウィンだったから、そのお裾分けだったのかもしれない。今更気が付いた。
ゼファーの手が、そこにあるキャンディを転がして、そのまま器用に指先でつまむ。
「うちのも好きな奴だな。この島にも店を出してやがるのか」
「美味しいもんな、そこのお菓子」
口当たりの良いフレーバーの多いキャンディだ。子供や甘党の人は大体好きなんじゃないかと思う。
そういえば、ゼファーの奥さんも甘いものが好きだったはずだ。
「ここの島だけのフレーバーとかも最近開発してるらしいから、明日お土産に買っていくといい」
そんなことを考えながら口を動かすと、ゼファーの目がちらりとこちらを見やる。
寄こされる視線を見つめ返すと、何故だかため息を零された。
「人の顔を見てため息吐くのは失礼だぞ、ゼファー」
「……そんな疲れた顔してるやつを見たら、こっちまで疲れる」
「そんなに顔に出てるか?」
低く声を寄こされて、俺は片手で頬を擦った。
確かに最近は忙しかったが、そこまで言われるほどだろうか。
鏡でも持ち歩いていたら確認できたが、さすがに今の俺の手元に鏡は無い。
仕方なく顔を逸らすと、おい、とゼファーの方から声がする。
「そこまで露骨に顔を逸らす奴があるか」
「だってほら、この顔見てると疲れるだろ」
「それでもお前の顔を見に来てるんだ、おれァ」
だからこちらを向け、と頭を掴まれて、ぐいと無理やり首をひねられる。
痛みに短く悲鳴を上げつつ元の位置に顔を戻すと、それでいいんだ、と満足そうに頷いたゼファーが俺の頭から手を離した。
その様子を見やって、ごし、ともう一度自分の顔を擦る。
手の甲に触れる頬の温度はいつもの通りだ。多分、ほんの少しも赤くなったりはしていないだろう。
ゼファーは時々、こういう俺を喜ばせるようなことを無意識に言うので、本当に油断ならない海兵だ。
この世界で若返ってからずっと一緒に過ごしてきた幼馴染で、今や妻も子もいる男をずっとずっと好きな俺は、その傍でいつも一番の被害を被っている気がする。
罵っても仕方ないが、少し仕返しをしてやりたい、と考えたところで、ふとゼファーの片手がつまんだままのキャンディに視線が言った。
「……ゼファー」
「ああ?」
どこかのチンピラみたいな相槌を寄こした相手へ、自分の片手を差し出す。
「トリック、オア、トリート」
言葉を紡いで手を上下に振ると、ゼファーは少し怪訝そうな顔をした。
それでもその手がキャンディを俺の手の上へ乗せようとしたので、それを避けるように手を下へ下げる。
「まさか、俺から貰ったものを俺に返したりしないだろう?」
別にゼファーがそうしたいなら、俺はそれでも構わない。
でも、付き合いの長い俺には、そう言えばゼファーが行動を踏みとどまることなんてわかり切ったことだった。
そして、俺の予想通りに動きを止めたゼファーが、なんとも渋い顔をする。
「……タチが悪ィぞ、ナマエ」
やがて、しばらくの沈黙の後、舌打ちまでしてから唸る声はとても低くて、俺が見知らぬ海賊だったらすみませんと謝って逃げ出したに違いなかった。
それでもそれに笑った俺が怒った顔のゼファーにやり返されてしまったのは、それからすぐのこと。
『仕方ねェ、なんでも好きな悪戯をしやがれ。抵抗はしねェ』なんて、男の理性を試すようなことを言われるのは、すごく、とても、めちゃくちゃに、心臓に悪い。
店員が料理を運んでこなかったら血迷った俺が何を言ったのかも分からないので、ゼファーは酒場の店員に深く感謝した方がいい。
end
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