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バレットの犬
※無知識のアニマル転生主(犬)
※この犬は後日人間になります(?)注意
※『バレットと男』へ続きます
※バレットの絶望に含まれたかった。つまりこの話は主人公死にネタ注意
※微妙に名無しオリキャラ?注意
※映画『スタンピード』、および10089巻のネタバレ注意



 生まれ変わったら犬だった。
 その事実を飲み込むには一年近くかかったが、まあ、何とか飲み込めたと思う。
 今回の俺が生まれたのは戦争の絶えない国で、どこを歩く人間も大体怖い顔をしている。
 そして攻撃的な人間も多く、気に食わない犬を蹴飛ばす軍人だって多かった。
 だから俺は軍人が嫌いだ。
 だけど、この人間だけは特別だった。

「……わうん」

 荒く息を零すたびに鍛えた胸板を上下させながら、木の根に隠れるようにして倒れ込んでいる相手へ向けて、小さく鳴き声を漏らす。
 潜伏した森の中で、『音を立てるな』とばかりにぎろりとこちらを睨みつける視線を受けたが、相手は何も言わない。
 その腕は自分の腹に回っていて、ぐるぐるきゅるきゅると、さっきから時折小さく虫が鳴いている。
 いつもなら食べ物を探しに行くんだろうに、そうできないほど体が疲れているのだ。
 その様子を見下ろして、探しに来てよかった、と俺は胸の内でだけ呟いた。口に出したら鳴き声にしかならないから仕方ない。
 そこに転がっている子供は、バレットという名前だった。
 周りには他にも何人か『バレット』という名前がいたから、この国の流行りなのかもしれない。
 他より抜きんでて強い少年兵で、自分より体の大きい少年兵をぶちのめし、ストレス発散で蹴られていた俺を助けてくれた相手だった。
 当人には助けたつもりが無かったかもしれないが、近寄ってもバレットは俺を蹴らなかった。
 近くで食事をしていても奪い取ろうとはしなかったし、体を休めていても追い払わず、返事の出来ない俺を気にせずメダルの自慢話をしてくれたこともある。ごくごくたまに、自分の少ない食事から俺へ食べ物まで分けてくれた。
 この戦争の国でそんな相手に懐くなというのが無理な話で、だから俺はこのバレットの近くをちょろちょろしていた。
 たまにバレットを酷い目に遭わせたい奴らに狙われたが、俺は見た目は犬でも中身は犬ではないので単純な罠には掛からないし、バレットの方がそんな奴らより強い。いつだって無事に帰ってきてくれる相手だった。
 だから、新たな戦地に向かうと言って、いつもなら帰ってくる時期になっても帰らなかったバレットに、待っていられなくなった俺は、こうして探しに来てしまった。
 戦地にはいくつも死体が転がっていて、もしかしたらバレットも死んでいるかもなんて考えてしまっただけに、息をしている相手にほっとする。
 その拍子に自分の腹もきゅるきゅると空腹の音を漏らして、そこで俺はようやく、自分が持っていたものを思い出した。
 俺の首には、戦地横断の最中に倒れていた衛生兵らしき奴の鞄が掛かっている。
 中にはどうやら薬やら何やらが入っているようで、これは役に立つかもしれないと死体から剥がしてきたものだ。
 そして、森に入ってすぐに見つけた、多分食べられるだろう果物を、口の開いていたそれへ入れて運んできている。

「きゅうん」

 鼻を鳴らし、近寄った相手に自分の首に掛けてあった鞄を押し付ける仕草をする。
 煩わしそうにそれを払いのけようとしたバレットは、多分あの果物の匂いに気付いたんだろう、わずかに目を見開いた。
 その手が俺の持ってきた鞄に触れて、中身を探る。
 小さいが硬いその手が掴んで取り出したのは、さっき俺が見つけたあの果物だった。
 見ているだけでよだれが出るような、ふんわりと甘い匂いがする。
 それを見つめ、そしてこちらを見たバレットに、俺はそっと少しだけ距離を取った。
 決して食べるのを邪魔するつもりなんて無いと示すために、そのまま伏せて、万一にもとびかかったりできしないようにする。動くとついでにぐるぐると腹が鳴った気がしたが、多分それは気のせいなので気にしないでほしい。

「わふ」

 どうぞ、と声を漏らして見つめると、バレットはしばらく俺を見つめた後で、そのまま果物にかじりついた。
 一口齧ってすぐに、ものすごい顔をする。すっぱかったか、苦かったんだろうか。せめて皮は剥いた方がいいかもしれない。
 それでも飢えには勝てなかったのか、もぐ、もぐとその口が大きな果物を齧っていく。
 半分を過ぎ、残りのひとかけらになってからようやく動きを止めたバレットが、自分の片手で軽く自分の腹を撫でた。
 その指やあちこちには怪我があって、次は治療の番か、と少しだけ身を起こした俺の方へ、改めて視線が寄こされる。

「……こい」

 木の根に伏していた体を起こしながら手招きされて、俺は少しだけ頭を傾けた。
 バレットが俺を呼ぶなんて、珍しい。
 伏せた状態から少しだけ体を浮かせて、おずおずと相手へ近付く。
 バレットは片手にあの果物の残りを持っていて、そのほんのひとかけらが、ずい、と俺の方へと差し出された。

「食ってみろ」

 分けてやると言いたげに寄こされた言葉に、少しばかり耳を立てる。
 よく分からないが、しかしまた腹がぐうぐうと音を立てた。食べ物を分けて貰えるなら、食べないなんて選択肢は俺には無い。
 わふ、とわずかに鳴き声を零して、バレットの手から果物の残りを奪い取る。

「……!!!!」

 ものすごい味だった。
 酸っぱいだとか苦いだとか、そんな言葉で表すことも出来ない。
 ものすごくまずい。
 鳴き声を上げるのをどうにかこらえようとしたが、きゅうんと鼻が鳴るのを押さえられない。
 ぶるぶる震える俺をよそに、よくこんなもんを見つけてきたな、とバレットが唸る。

「だが、まァ、腹の足しにはなった。よくやった、ナマエ」

 そんな風に言って、バレットの片手が俺の頭をがしがしと撫でた。
 初めてバレットに撫でられたというのに、口の中のまずさに身もだえている俺がそのことに気付いたのは、そこらにはえている草を食んで完全に味を拭い去ってからのことだった。
 ついでに言えば、バレットの中で俺はナマエという名前になっていたらしい。そのことにもびっくりだ。







 バレットと一緒に過ごして、数年が経った。
 バレットのいる軍の『将軍』とやらが代替わりして、そこの首に座ったのはバレットがいるダグラス部隊の隊長だった。
 それは絶対バレットのおかげだと俺は思うし、多分将軍だってそれも分かっているんだろう。バレットの待遇は随分よくなっていて、しかし相変わらず最前線で戦っている。
 バレットには多分『国を守っている』なんていう意識は無いだろうけど、英雄とまで呼ばれたら嬉しいだろうなと思う。
 ついでに言えば俺はバレットの飼い犬ということになっているし、いつの間にかバレットのベッドの下へもぐりこんで寝るのが許されるようになっていた。

「呼吸は問題ねェか」

「わふん」

 俺へ首輪を与えながら尋ねたバレットへ、俺は鳴き声を上げて答えた。
 それから少し体を動かすと、首元でちゃり、と何かが揺れる音がする。
 小さなチャームのついたそれは、バレットへと貢がれたものだった。
 もちろん、バレットへ首輪をしたいなんて言う不届きな輩がいたわけではなく、バレットの飼い犬である俺の為のものだ。
 いつもなら貰ったものを大体使わず放り捨てるバレットが、俺につけるものだと気付いて持ってきてくれたのが嬉しい。
 つける前に見せてもらったが、ちゃりちゃりと揺れたチャームは、バレットが軍服につけている襟章と同じだった。
 裏側には小さな星が九つ刻印されている。バレットの管理番号が九番だからだ。
 当人にはそのつもりは無いかもしれないが、お揃いなんて、これは照れる。
 ぱたぱたと尻尾が揺れるのはどうにもならず、リズミカルに床を擦る音がした。
 俺を見下ろしたバレットが、少しばかり首を傾げてから、一度俺の頭を掴んだ。
 がしがしと、バレットにしてみたら手加減しているんだろうけど、俺にしてみたら随分と強い力で頭を撫でられて、がくがくと体が揺れる。
 屈んでいた背中を伸ばしたバレットが向かったのは、バレットの体格が育ったせいで、最近軋むようになったベッドだった。
 椅子代わりのそれへ腰を落ち着けたバレットに、俺もそのすぐそばまで近寄って改めて座り込む。
 膝の上に片手を乗せて、バレットは何かを考えこむような顔をした。

「……聞いてたか、ナマエ」

「くうん?」

「戦い以外の、自由な暮らしだと」

 一体それはどんなものだろうなと、呟くバレットの声音には憧れが混じって聞こえた。
 バレットのそれが、つい先ほどこの部屋を訪れた将軍のものだと分かって、俺の尻尾の動きがゆっくりに変わる。

『戦争に勝ったら、お前を軍部上層へ迎え入れて、こんな血なまぐさい現場から解放してやろう!』

 戦場から離れた豊かな暮らしをさせてやると、ダグラス将軍はそんな風に言ってバレットの肩を叩いていた。
 俺にはよく分からないが、聞きかじった情報によると、バレットは孤児らしい。それで言えば俺だって孤児なわけだが、犬はなんといえばいいのか分からない。
 それはともかく、そうして孤児だったバレットを拾ったのがあのダグラス・グレイとかいう将軍で、お前を自分の子供のように思っていると将軍が言ったとき、バレットが少し嬉しそうにしたのを俺は見た。
 だから多分、バレットだってあの将軍のことを父親か何かのように思っているんじゃないかと思う。
 だけどもだ。
 犬だからこそあちこちをうろうろ出来る俺からすると、あの将軍はとても胡散臭い。
 英雄のバレットを連れていく次の作戦で、バレットをどうやって囲むか会議する必要があるのかはなはだ疑問だ。ちゃんと作戦を聞くことは出来なかったのが悔やまれる。
 俺が言葉を話せたら、バレットに忠告するのに。その結果怒ったバレットに殴られようとも、ほんの少しでも忠告があれば、バレットだって不信感を抱くかもしれない。
 だけども俺は犬だから、それが出来ない。
 不安な気持ちがきゅうんと鼻を鳴らす形で漏れて、俺のそれを聞いたバレットが、こちらへ視線を寄こした気配がした。
 それを見あげると、俺を見て不思議そうな顔をしたバレットが、珍しく、わずかに笑みを浮かべる。

「そんな心配そうな顔をしなくても、お前も新しい家に連れて行ってやる」

 だから安心して待っていろと、バレットが言う。
 分かったと答える代わりに、俺はわんと返事をした。







 裏切った。
 将軍は、バレットを裏切った。

「貴様の強さは、やがておれの地位を危ぶめる……!」

 大きなカタツムリに向かって、ダグラス将軍が言葉を吐き出す。
 どういうつもりだというバレットの言葉に対する返事だった。
 俺はそれを、軍部の中で聞いていた。
 電話のように扱うカタツムリの向こう側で、怒号が聞こえる。銃声が聞こえる。悲鳴が聞こえる。
 バレットが向かったのは敵国で、ついていけなかった俺には、その様子が分からない。
 けれどもきっとバレットなら、無事に逃げ延びてくれるだろう。だって、バレットはこの国で誰よりも強いのだ。
 だから、あの日森に潜伏していたバレットを見つけたように、後で追いかけて探し出さなくてはいけない。
 けれどもその前に、一つだけやるべきことがあった。

「相手はあのバレットだ、動かなくなっても完全に死んだと分かるまで油断は……なんだ?」

 カタツムリに向けて話しかける間抜けな男が、俺の零す唸りに気付いてか体をこちらへ向けた。
 怪訝そうな顔が俺を見て、そうしてわずかに身を引く。
 裏切り者を睨みつけ、物陰から抜け出した俺は、一歩、また一歩と足を進めた。
 こいつは、バレットを裏切った。
 周りにいる警護達が銃を構える。何かを叫び怒鳴っているが、目の前が赤くなるような苛立ちを抱えた俺の耳には、意味のある言葉として届かなかった。
 だって、目の前のこいつは、バレットを裏切ったのだ。
 そんなもの、許せるはずもない。

「殺せ……殺せ!!」

 号令を掛けるように将軍が怒鳴り、銃弾がこちらを狙って放たれる。
 それを避けて駆けだした俺の開いた口は、そのまま将軍の頸を狙った。







 ざり、と砂を踏むような音がする。
 それに気付いてゆるりと目を開けた俺は、自分が床に転がっていることを思い出した。
 目の前には見慣れた軍靴があって、それを追うように視線を上げていくと、こちらを見下ろす軍人がいる。
 バレットだ。
 その事実に、ぱた、と痛む尻尾が少しだけ床を叩いた。
 体中がぼろぼろで、あちこちから血を流しているバレットが、俺の傍で屈みこむ。

「――――」

 何かを話しかけてくれているのに、俺の耳がその音を拾えない。
 その手が俺の顔へ伸び、鼻先を包むように触られた。
 その掌をぺろりと舐めて、鳴き声を零そうとするけど、吐息交じりの物しか漏れない。
 それも仕方のないことだろう、と思う。
 何せ俺は体中に銃弾を受けていて、眼を開けただけ褒めてほしいような有様だった。
 全身がずきずきと痛んで、苦しくて仕方ない。多分、内臓も少し出ていないだろうか。
 なりふり構わず立ち向かい、将軍の頸をかみちぎってやったつもりだったが、あの将軍はどうなっただろう。
 周囲を確認したいが、体はほとんど動いてくれなかった。骨も何本か折れているみたいだ。血も足りない。
 これじゃあもう、バレットについて行くことも出来ない。
 申し訳なさがきゅうんと鼻を鳴らして、もう一度バレットの掌を舐める。
 俺を見下ろすバレットの表情は、陰になっていてよく分からなかった。

「――――」

 バレットがまた、何かを言う。
 俺の鼻先に触れていたのとは別の手が、俺の顔に触れる。
 ゆるりとその手が俺の毛皮を撫でて、それから首元へと触れた。
 ぷち、と小さな音がして、首に触れていた感触が無くなる。
 どうやらバレットは俺から首輪を奪ったようで、ちぎれたそれが振り払われ、チャームだけを残して皮のベルトが明後日の方向へと飛んでいった。
 襟章そっくりのチャームが、バレットの手に握り込まれる。

「――――」

 バレットの囁くような声に、うまく聴きとれないながらもバレットが何をしたいのか分かって、俺はそのままゆっくりと目を閉じた。
 鼻先に触れる手がそっと滑り、俺の顔を下から支えるように掌へ乗せる。
 俺の首輪のチャームを握りしめた方の手が、改めて俺の首へと寄せられる。
 その仕草は俺へ恐ろしいものを連れてきているのだと分かっていたが、不思議と怖くは無かった。
 バレット。バレット。
 鳴き声も漏らせないから、胸の内だけでその名前を呼ぶ。
 どうか逃げて、どこかで自由に生きてほしい。
 お前が幸せなら、俺だって幸せだ。


「……じゃあな、ナマエ」


 人間でない俺の口から漏れなかった願いはそのまま飲み込まれて、俺の記憶は、自分の首の骨が折れる大きな音で幕を閉じた。



end


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