お八つは焼きたてで
※主人公は無知識トリップ主で白ひげクルー
※軽く捏造注意
ふわ、と漂った少し甘く香ばしい匂いに、イゾウはすん、と軽く鼻を鳴らした。
追いかけるように足を向けた先にあるのは、モビーディック号の一角にある一部屋だ。
少し狭めのそこは日頃二番隊隊長が詰めているキッチンのすぐそばの、簡易の調理設備が揃った場所だった。
レンガを組んだ小さな窯のあるそこをひょいと覗き込むと、椅子に座って小さな丸テーブルへ向かっている背中が見える。
「うまそうな匂いさせてるね」
「え? ……わ! イゾウ隊長!?」
声を掛けると振り向いた男は、イゾウの顔を見るなり何やら飛び上がった。
後ろめたい何かがあるかのようなその反応に、片眉を動かしたイゾウの足が室内へ入り込む。
甘さを含んだ香ばしさが強くなり、それはどうやらテーブルの上にあるらしいと感じて近寄ったイゾウの視界に入ったのは、白い皿だった。
その上には焼き菓子が転がっている。
「なんだ、焼き菓子か」
指一節ほどの長方形で、あちこちの角を崩したそれらを見ながら呟いて、イゾウの手がひょいと皿へと伸びた。
けれどもその手が目的の物を捕まえる前に、はし、と何かに捕らわれて止まる。
イゾウの手を掴んだのは当然ながら皿の前にいるもう一人で、イゾウがちらりと視線を向けると、ナマエという名の男の困り顔がその視界に入った。
「隊長、これは食べてもあんまり美味しくないと思います」
こっちにしましょう、なんて言いながらもう片手で男が差し出してきたのは、口を開いた紙袋だ。
覗いた中には皿の上にあるのと似た焼き菓子が入っている。違いと言えば、皿の上のものとは違い、しっかりとした形をしていることだろうか。
「昨日にでも買ったのかい?」
「いえ、今日出港の前に買ってきたやつです」
どうやら半日前にモビーディックへ乗り込んだらしい品を差し出されて、へえ、と声を漏らしたイゾウの口が軽く笑む。
「自分の金で買ったんだ、そいつはお前が食いな、ナマエ。おれはこっちで我慢してやるよ」
「あっ」
言葉と共に素早くもう片方の手を使い、皿の上のものをひょいとつまんで口へ放り込むと、ナマエが焦った声を漏らした。
それを気にせずイゾウが口を動かせば、歯に潰されてほろりと崩れた焼き菓子が唾液を吸って溶けていく。
小麦粉の素朴な味わいに砂糖の甘みが混じり込み、さくさくと噛めば噛むほど溶けていくそれを味わって、それからごくりと飲みこんだイゾウは、なんだ、と拍子抜けしたように声を零した。
「うまいじゃないか」
『美味しくない』なんていうからどんな失敗をしたのかと思ったのに、焼き菓子は何とも普通に『焼き菓子』だった。
材料が少ないのだろう、単純な味しかしなかったが、焦げたりもしていない。
舌に染みる甘い後味に、少しざらつく舌を動かしたイゾウの前で、ナマエが眉をよせた。
「そんなことないです。形からしてもうダメダメじゃないですか」
「形? あァ……まァ、少し崩れちゃいるけど、腹に入ればおんなじだ」
皿の上に並ぶ焼き菓子たちは、どれもこれも体のあちこちが崩れている。
何をしたんだとイゾウが尋ねると、焼きあがってすぐに触ったら崩れましたとナマエがため息を零した。
今は新しいのを焼いている途中だと言われて、イゾウの目がレンガの窯の方へと向けられる。
先ほどは気付かなかったがどうやら火が入っているようで、ふんわりと漂う甘い匂いの一部はそちらから漂っていたらしかった。すぐそばの台には、中身のないボウルも置かれている。
「しかし、なんでまた菓子なんて作ってるんだい」
言葉と共に、イゾウの手がまた一つ皿の上から焼き菓子をさらう。
もはや止めるつもりもないのか、その手に持っていた紙袋を皿の上でひっくり返して中身を出しながら、ナマエが答えた。
「簡単に作れるって聞いたんで、作ってみようかなって思って。実際、焼くまでは簡単ですよ。粉と砂糖とラードを混ぜて練って形作るだけです」
「へえ」
相槌を打ちつつ、イゾウの指がナマエの手から紙袋を奪い取り、それを畳んで皿にこぼれた既製品達を端へ追いやる。
そのうえで崩れた焼き菓子達を自分の方へと引き寄せると、ナマエの手がそこに自分が零した焼き菓子を混ぜてきた。
何が何でも既製品の方を喰わせたいらしい相手に笑って、しかしイゾウはまたしても形が崩れた一つを自分の口へと入れた。
「それで、作って一人でお愉しみだったわけか」
「うまーく出来たらお裾分けに行くつもりだったんですよ。こんな失敗したのじゃなくて」
「こういうのは焼きたてがうめェんじゃねェのかい」
「いえ、焼きたてはめちゃくちゃ熱かったんで止めた方がいいと思います」
窯の中身に狙いを定めたのが分かったのか、首を横に振ったナマエは真面目な顔をしている。
それから、俺が作ったのよりこっちが美味しいですよと、ついにその手が既製品の焼き菓子を一つつまみ上げた。
「どうぞ、隊長」
手へ押し付けようと差し出してくる相手に、少し考えたイゾウが自分の両手を降ろす。
丸いテーブルに掌を乗せて、持たれるように少し身を屈めながら受け取り拒否を示すとナマエはまた眉を下げた。
ナマエという男は、イゾウの前ではよく表情を崩す。
他では顔にぺたりと仮面をかぶったように愛想笑いをしていて、無理難題を吹っ掛けられても断るか笑って受け入れるかであるくせに、自分の前でだけはそれを忘れる男にイゾウが気付いたのは、はたしていつの頃だったろうか。
何故だろうと理由を探していたはずが、まあなんでもいいかと受け入れるようになってしまい、そしてその代わり、イゾウは少しだけ相手をいじる方法を模索するようになった。
「あ」
短く声を漏らして軽く口を開いて見せると、ナマエがぱちりと目を瞬かせる。
それから数秒のうちに、イゾウが求めることに気付いたのか、む、と眉間にしわが寄った。
「……自分で食べてくださいよ」
「食べさせてェのはナマエのほうだろう?」
だから仕方なく食べてやるのさと笑いながら、もう一度軽く口を開く。
それを受け、やや置いてわずかに躊躇いながら、ナマエの手が恐る恐るとイゾウの口元へ近付いた。
長方形の塊が口の中へ入ったところで、勢いよく口を閉じたイゾウの唇を間一髪で免れた指が、そそくさとイゾウの前から逃げていく。
「噛む気ですか」
「噛まなかったろうに」
「そう言う問題じゃないですよ!」
文句を言う相手に悪かった悪かったとまるで悪びれた様子もなく謝罪をしてから、イゾウの歯が口の中の焼き菓子を噛み砕く。
砕けたそれはほろりと崩れ、口の中で溶けていく。
確かにナマエのいう通り、鼻に抜ける香ばしさも上品で、何より口に広がる味が違った。粉か砂糖かまたはそれ以外か、それを生業にする職人らしい拘りがあるのだろう。金をとるだけはある品だ。
しかし、と口の中身を全て飲み込んでから、イゾウの手がひょいと皿から焼き菓子をつまむ。指に粉がついてしまうのは、それの形が崩れているからだ。
「おれァ、こっちの方が好きだね」
「え?」
「知らねえ奴より、ナマエが作ったもんのほうがうまいに決まってるじゃないか」
口に放り込んだ後で指まで軽く舐めて、そんな風に言葉を紡いだイゾウの前で、ナマエがまた眉を下げる。
「……それはイゾウ隊長の味覚がちょっとおかしいんだと思います」
「失礼なことを言いやがって」
ぷい、と顔をそむけたナマエの紡いだ言葉に、イゾウの指が憎たらしい相手の頬をつまむ。
痛いですと訴えてきた男を許してやったのは、窯の中身が焼けた頃のことだった。
end
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