匿名希望の愛
※(無知識トリップな)主人公は海兵さんでクザンさんの副官
バレンタインデー。
どこの誰が流行らせたのだか知らないが、2月14日に名付けられたそれは、好意を持つ相手にチョコレートを渡したり贈り物を贈る日だとして、市民の中に根付いている。
女性から男性への贈り物が基本であり、親しい相手、親しくなりたい相手に渡すというその慣習から、色恋の混じった贈り物も少なくない。
「今年もモテモテですねェ、クザン大将」
それを知っているからこそ、しみじみ呟いた副官に、クザンはちらりと視線を向けた。
そうしてそれから、そうみたいだねェ、と他人事のように言葉を零す。
クザンがだらけて座っている執務机のすぐそばには、カートが一台並んでいる。
普段は荷運びにしか使われていないそれには大きな籠が一つ乗せられており、そしてその籠の中には、多種多様の贈り物があった。
中身が何と分かる見た目から綺麗に梱包されたものまで、積み上げられては整理されていくそれらは全て、『大将青雉』への贈り物だ。
海兵からだけでなく、マリンフォードに住む市民からの物まで紛れているらしいというのは、贈り主を確認してはリストを作っている副官の談である。
「はァ〜……やっぱ、出かけとくべきだったか」
「そうなっても、部屋でチョコレートが積まれていることには変わりなかったと思うんですよね」
諦めてください、なんて言って笑ったクザンの副官、ナマエという名の海兵が、チェックし終えたらしいリストをクザンの方へと差し出した。
受け取ったそれを、クザンが眺める。
「あららら……確かに、随分な人数じゃねェの」
どこそこの誰それと、リストにはずらりと人の名前が並んでいる。
クザンの見知った名前もあれば、そうでないものもあった。
このチョコレート達はクザンが来る前から積まれ始めていたし、一人が預かって複数人分を運んでくることもあったので、顔と名前を一致させられない相手もいる。
来月の今日には、この贈り主達にお返しをすることになるのだ。
好意に対して返礼の品を贈るというのもおかしな話だが、すでに慣習化されているそれを『面倒くさい』という理由で無視してしまうと、呆れた顔で小言を言ってくる同僚や知人がいる。それはそれで、とても面倒くさい。
もう一度ため息を零してクザンがリストを机へ置くと、ナマエの手が素早くそれを回収した。
「月末までには用意を始めていた方がよさそうですね。今年のお返しはどうします?」
「ナマエが適当に決めといて。金は出すから」
「義理の人はそれでいいと思うんですけども」
本命の人にはちゃんとしたほうがいいんじゃないですかと続いた言葉に、クザンは机にべたりと懐いた。
先ほどまで扱っていた書類の山を腕で押しやると、崩れかけたのか慌てたようにナマエがそれを捕まえる。
「義理も本命も一緒くたにして返さなきゃ、無駄な期待を持たせちまうでしょうや」
「そう言うもんですかね……大将、上官から貰ってなくて良かったですね」
「センゴクさんがおれにくれんのァ、説教と拳骨くらいなもんじゃない?」
言葉を放ったクザンに、またそんなこと言って、とナマエが笑う。
抱えた書類の山をそのまま自分の机へ避難させる小さな背中から目を逸らすように、クザンはごろりと机の上で顔の向きを変えた。
横向きになった視界の中で、机の傍に積まれたチョコレートの山の先がちらりと見える。
好意を贈り物にして渡すだなんて、なんとも面倒くさい風習だ。
積まれた山には友愛も親愛も憧憬も思慕も混ざり込み、クザンの側からはどれがどれだと判別することも難しい。
ましてや見知らぬ誰かからの贈り物なんて、本当にそんな柔らかな心から渡されたものなのかも分からないのだから、手放しで喜んでいいものでもないはずだ。
「あ、そういえば、俺、今年も一個貰ったんですよ、チョコレート」
そんな風に考えたところで寄越された言葉に、クザンは数拍を置いてから、またごろりと顔の向きを変えた。
ついでに腕を枕のように顔の下へ挟んで、見やった先でナマエが何やら嬉しそうに笑っている。
机にしまってあったのか、その手が小さな箱を掴んでおり、いいでしょう、とクザンの方へ晒して見せていた。
丁寧に結んだが少し形のいびつなリボンが、ふわりと揺れる。
「……あららら……誰から?」
「分からないんですよね、朝来たら机の上に置いてあって」
去年と同じ人だと思うんですけど、と言葉を紡いで顔を緩める自分の副官に、へえ、とクザンが相槌を打つ。
ナマエがクザンの副官になって、今年で三年。
昨年も、ナマエは今と同じように、自分が貰ったチョコレートをクザンへと見せびらかしてきた。
しかし、包みもリボンも箱の形ですらも、今年と去年ではまるで違う。共通点など見つけられない。
「名前書いてなかったんなら、本当に去年と同じ贈り主とは限らねェでしょうや」
だからそう告げたクザンに対して、うーん、と声を漏らしたナマエはそれでも笑顔で答えた。
「でも、同じ人だと思います。野生の勘ですけど」
「野生って」
「野生です」
きっぱりと寄こされた言葉に、クザンは胸の内だけで感心した。
文官としての経歴が長く、戦闘に出たことも殆どないくせに、そう言った方向の感覚は鋭敏であったらしい。
いや、しかし、本当にその勘が働くなら、贈り主がどこの誰かなんてすぐに分かることだろう。
つまるところ、クザンの副官は適当なことを言っているだけである。
やれやれとため息を零しつつ、クザンは懐いていた机から身を離した。
もう少し仕事しますか、と掛けられた声に、コーヒーでも飲んでからね、と返事をする。
わかりましたと答えたナマエは素早く包みを自分の机に置き直し、先ほどクザンの机から攫った書類の束と共に席を離れた。
「すぐ淹れて戻ります。寝ないでくださいね、大将」
「そいつァ保証できねェや。ナマエの戻り時間次第だねェ」
ひらりと手を振ったクザンの言葉に、もう、と声を上げつつナマエが執務室を出ていく。
走り去る足音を聞き、遠ざかっていくそれが聞こえなくなってから、クザンの視線がナマエの机に置かれたままの一箱へと向けられた。
贈り主の名前すらも書いていない、なんとも不審な一箱だ。
クザンだったら、あそこまで手放しで喜ぶことは出来ないだろう。いや、他の人間だって、恐らく同じはずだ。
しかし、ナマエは喜ぶ。
それはもうとても喜んで、いいでしょう、とクザンへ見せびらかしてくる。
それが年齢より幼く見えてしまったのが、犯行の動機である。
「……単純だよね、ほんと」
一昨年は、個人的には一つも貰えなかったと嘆いているのを横目に眺めただけだった。
昨年は、ふとそれを思い出したから準備をして、前日の夜に置いてみた。
悪戯だったらあとはネタバラシをしておしまいだったはずなのに、あまりにも喜ぶナマエになんとなく言い出せなくなって、今年。
去年と同じくただ一人の為にチョコレートを用意してしまったことで、クザンは観念した。
仕方ないのだ。単純な話だ。
たった一箱のチョコレートを、あんなに喜んだナマエが悪い。
「まァ、今日はバレンタインだし」
バレンタインデーと名付けられた本日は、好意を持つ相手にチョコレートを贈る日だ。
贈り主の名前すら書かれていない贈り物の、その包みの内側に入り込んだ感情が何なのかなんてナマエには伝わりようもないのだから、良いということにしよう。
一人でそう結論付けて、クザンは机の端まで寄っていたペンを引き寄せた。
くるりとその指の上でペンを回し、暇を潰す。
駆けて戻ってきたナマエの淹れたコーヒーを飲むまで、あと五分と言ったところだった。
end
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