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バレンタイン
※トリップ系主人公は白ひげクルー
※ワンピースの世界には日本式バレンタインがあるという設定



 深夜を回った時計の針が示す通り、日付の変わった今日は二月十四日。バレンタインだ。
 うっかり紛れ込んだこの世界が『漫画』の世界だなと感じるのはこういう時で、日本のどこかの誰かが作ったチョコレートが行き交うバレンタインと言う制度が、この世界には存在する。
 意中の相手にチョコレート、お世話になったあの人にチョコレート、大事なあの子にチョコレート、友達にもチョコレート。
 大体この時期は栄えている島ならどこでもそんな広告を見かけて、探さなくても黒くて甘くて良い香りのするおいしいあの菓子を見つけることが出来る。
 島の特産物を使った変わり種も多いし、何ならケーキ屋にもそう言ったものが並ぶ。
 それはいいのだ。大いに良い。選択の幅が広がるのは結構なことだ。
 しかし、俺には大きな不満がある。

「男が買いにくいんだよ!」

「別に気にせず買えばいいじゃねェかよい」

 テーブルを叩いた俺の訴えに、そんな呆れ交じりの言葉が寄越された。
 じとりとそちらを睨みつければ、今日の酒のアテを噛んだマルコが、どうでも良さそうな顔で頬杖をついている。
 向かいに座るマルコと俺の間には先ほど押しやったトランプがあり、つまみの乗っている一枚の大皿は、寂しい俺側とは対照的にマルコ側が賑わっていた。
 夕食を終えた晩酌のこの時間、食堂の端でやっていたカードゲーム戦争にはすでに終止符が打たれており、俺の賭け金達はすでにいくつかはマルコの口に運ばれている。

「馬鹿、今こんな時期にこんなおっさんがあんな可愛いチョコレート買って見ろ。『あの人自分の分を自分で買ってるんだわ』『見栄っ張りさんなのかしら』って噂されるぞ」

「自意識過剰だ」

 誰もそんなこと気にしねェとマルコは言うが、俺はそれに異を唱えたい。
 そう言う店に入ったら、ちらちらと遠巻きに見られるのは間違いないのだ。何度かそう言う目に晒された俺が言うんだから間違いない。

「普通のチョコレートなら、ナマエだってそこまで気にせず買えるんじゃねェかよい」

 酒瓶を手に取り、中身を少しばかり飲みながらそんな風に言われて、俺は眉を寄せた。

「この時期にしか出回らない奴だってあるんだ、どうせならそっちも食べたいだろ」

 バレンタインと言うこの時期に合わせて売り出される商品の中には、珍しいものや新しい試みのものも多い。どうせならそれを食べたいと思ってしまうのは、消費者としては普通のことだ。
 ただし問題は、吟味するところには女性客が溢れており、近寄りがたいということである。
 こぶしを握り、ため息を零した俺の向かいで、マルコが軽く肩を竦める。

「チョコレートが好きなのは変わらねェな」

「甘くておいしいから仕方ない」

「今年もナース達から貰えるんだろうよい」

 それを待てと言外に寄こされて、分かってるよと眉を寄せたままで呟いた。
 行倒れていたところを拾われ、白ひげ海賊団の一員となったのは、もうすでに遥かに昔のことだ。
 その頃から俺は甘党で、特にチョコレートが好きだった。
 ナース達にもそれは知られていて、バレンタインには義理でチョコレートを貰っている。本命の試作品だとか言う手作り品も多く、毎回ありがたく頂いているしお返しもしている。
 だから確かに今年も誰かから何かしらは貰えるだろうが、それで俺の不満が解消されるわけではないのだ。
 もう一つため息を零した俺を見て、マルコが仕方ねェ奴だと呟いた。
 その手が一度酒瓶を手放して、ごそりと自分の服を探る。
 その動きに気付いて視線を向けた俺の前で、マルコがひょいと取り出したものをこちらへ投げた。

「いでっ」

 一直線に正面から飛んできたものが額にあたり、思わず悲鳴を上げて身を引く。
 ガタリと椅子が音を立てて、ついでに俺の額を襲った凶器がテーブルへ落ちる音がした。

「ちゃんと受け取れよい」

「いや、せめて下手で投げろよ」

 放り投げるのではなくて、明らかにぶつける気で投げてきた相手へ文句を言い、片手で額を擦りながらテーブルへ落ちたものへ視線を向ける。
 そこにあったのは、小さな箱だった。
 マルコが握って投げたからか、それとも無造作にポケットにでも仕舞われていたからか、包装が少しひしゃげている。
 可愛らしいというよりはシンプルなそれを見て目を瞬かせ、それからひょいと持ち上げた俺は、中身を問うために正面のマルコを見やった。
 改めて頬杖をついたマルコが、こちらを見てその口にわずかな笑みを浮かべる。

「味見もしねェで買ったもんだが、くれてやる」

「え…………え?」

 さっきまでの会話と、マルコの台詞に中身を予想して、俺は手元の箱とマルコを見比べた。
 つまり、まさか、これは、バレンタインの定番であるあれだろうか。

「……マルコが……?」

 バレンタインなんて気にしていないような顔をした、実際そこまでチョコレートを好きでもない男が、チョコレートを買っていた。
 その事実に思わず箱を落としかけて、慌てて握りしめる。
 包装がまた少しひしゃげてしまって、そのことにすら少しの動揺を感じながら、俺は恐る恐る口を開いた。

「だ、誰かにやる予定だった、とか?」

 何がこんなに俺を動揺させているのかも分からないが、なんだか口の中が乾いている気すらする。
 だって、今日はバレンタインだ。
 そんな日にマルコがチョコレートを用意しているなんて、つまりそうとしか考えられない。
 今まで友人に贈ったりすることも無かったんだから、つまりこれは特別なものだ。
 そんなの受け取ってしまっていいのかという考えと、いいから貰っちまえと囁く誰かの声がする。自分で自分の食い意地にため息を吐きたくなるところだ。
 俺の問いに、マルコが軽く首を傾げた。
 それから少し考えるようにして、いや、とその口から言葉を寄こす。

「なんとなく目についたから買っただけだよい。どうせ食わねェんだ、ナマエが食え」

 そうしてあっさりと寄こされた言葉に、嘘の匂いを感じた。
 しかし、それ以上は追及できないまま、それじゃあ、と言葉を置いて両手を動かす。
 素早くぺりぺりと包装紙を剥いで出てきた箱は、見覚えのある店のロゴが焼かれていた。客が多くて商品を見ることすらできなかった店の一つだ。
 開いた中には、くるりと曲線を描いて固められたチョコレートが数粒入っている。
 高そうで甘そうなそれを一つつまんで口に入れると、じわりと舌の上に甘みが広がった。
 溶けていくそれを惜しみながら舐めて、うまい、と素直な感想が口から漏れる。

「すげェうまい。今まで食った中で一番うまいかもしれない」

「毎年聞いてる台詞だよい」

 今度はマルコの方がため息を零して、その目がこちらから逸らされた。
 引き寄せた酒瓶が傾けられ、マルコの口に酒が注がれていく。
 ごくりと喉を鳴らして飲み下すのを見やり、もう一粒を口に入れて小さなそれが溶けていくのを舐めきってから、俺はチョコレートの匂いのする息を零しつつ箱を閉じた。

「これはもう、今日中にお返しするしかねェ。そんくらいうまい」

「なんだ、お返しはホワイトデーじゃねェのか」

「知らねェのかマルコ、友チョコは交換し合うのが普通なんだぜ」

「ともちょこ?」

 片手で箱を持ったままで告げた俺に、知らない単語だったらしいマルコが不思議そうな顔をする。
 つまりそれは仲間で『家族』で友人である俺に渡すために買ったチョコレートじゃないということだが、俺はその事実に目を瞑った。
 いっそのこと、既成事実でこれは友チョコだということにしてしまいたい。マルコが俺に渡すために買ってくれた、という思い出にしてしまえたら、本来貰うべきだった誰かを考えなくてすむ。

「これに負けねェくらいうまいチョコレートを買ってくるから、夕方を楽しみにしてろよな」

「……店に入れねェって話じゃなかったかよい」

 拳を握って宣言した俺に、何故だかマルコが呆れた顔をした。
 確かに、あれだけ女性客の溢れていた店の中へ足を踏み込むのはとてもつらい。しかしそれでも、俺の心の平穏の為だ。

「俺だってやれば出来るんだ! 絶対、マルコが食っても『うまい』ってやつを選んでやる」

「そうかい」

 仕方なさそうに笑いながら『期待はしねェで待っててやる』と言われた俺は、日が昇ったらまずは一番人気の店に行こうと、そう心に誓ったのだった。



end


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