エースと誕生日 2018
※notトリップ主人公は白ひげクルー(古参)
そういえば、今日は〇月◇日だったか。
おれがそんなことを思い出したのは、朝食に引き続いて昼食にも自分の好物が混じっていることに気付いたからだった。
食事の途中に思い至ったそれに視線を動かせば、こちらを眺めていたらしい今日の当番が少し呆れた顔をする。
それから肩を竦められたので、どうやらこれはあいつからの贈り物であるらしい。
〇月◇日は、おれの誕生日だ。
こんな年になってまで騒いで祝ってもらおうとするわけもなく、何ならうっかり今日の日付すら忘れていたが、どうやら同い年の誰かさんはおれの誕生日の日付まで覚えていたらしい。まめなことだ。
まァ祝ってくれるならとありがたく食事を平らげて、食器を片付ける。
入れ替わりに貰ったラム酒の小さな瓶を持って、おれが向かったのは午前中を過ごした甲板の端だった。
今日は休養日だったので、そこで趣味を満喫していたのだ。
そういえば、ひょっとして今日が休養日なのも誕生祝いの一環なんだろうか。
隊長殿に聞いてみようかと思ったが、聞いたところでさっきの誰かさんみたいに呆れた顔をされても困るので、やっぱりやめておく。
吹き抜ける風はいつもと変わらず穏やかで、見上げた空には白い雲が散っている。
おれがここを離れる間ついでに見張ってくれていただろう見張りに手を振り、それから相手がこちらを見たのを見届けて思い切り振りかぶった小瓶は、狙い通り見張り台の方へと飛んでいった。
謝礼を受け取って笑っている相手にもう一度手を振ってから、先ほど座っていたところへもう一度腰を落ち着ける。
椅子代わりの樽の前に佇むのは、大きなイーゼルだ。
置かれたキャンバスには、おれが午前中に塗りたくった色がそのまま置かれている。
置き去りにしていったパレットの横では電伝虫がぐっすり眠り込んでいて、そいつの殻の上に取り付けたクリップには一枚の写真が挟まっていた。
先日の秋島で見た浜辺の風景がそこに収められていて、似たものがキャンバスの上に描かれているのだ。
「……んー」
端から端まで色を塗りつけたキャンバスを眺めて、それから写真と見比べて、小さく声を漏らす。
絵としては上出来だと思うのだが、浜辺に立った時のあの鳥肌が立つような感動は、まるでそこからは得られない。
納得のいかないそれに写真をつまみ上げてもう一度見比べ、それから軽くため息を零す。
そのまま写真を折りたたみ、イーゼルの上からキャンバスも取り外して、写真と一緒にぽいと甲板へ放った。写真はうまいことキャンバスの下敷きになったので、風で飛んでいく心配はないだろう。
そのまま真新しいキャンバスを取り付けて、さて、と木炭を手に取ったところで、ふとこちらへ影が落ちる。
特徴的なシルエットに、それを追いかけて視線を向けると、いつもの帽子を被った相手がこちらをじろりと見下ろしているところだった。
「エース?」
どうしたんだ、と尋ねて首を傾げる。
ポートガス・D・エースと言う名前のそいつは、しばらく前に白ひげの名前を背負った海賊の一人だった。
仲間になるまでに紆余曲折あったが、今では良い兄弟分だ。
気を張り詰めて、攻撃的だった最初の頃とは違い、今ではよく笑った顔を見かけるし、楽しそうに過ごしているはずの相手である。
しかしそれが、何故だか船に初めて連れ帰られた頃のように、とんでもない仏頂面をしてそこに佇んでいる。
何か嫌なことでもあったのか。
おれに出来ることなんてほんの僅かだが、話を聞けば解決策も見つかるだろう。
「何かあったのか?」
だからこそそう尋ねたおれの前で、エースはぎゅっとその目を眇めた。
そんな顔をされると、まるでこちらが睨まれているような気持ちになる。
ましてやつばの広いテンガロンハットなんて被っているせいで目元に影が出来ていて、眼光の鋭さも三割増しだ。
下っ端だったら怯える怖い顔だなァとそれを見上げてから、エース、ともう一度相手の名前を呼ぶ。
ややおいて、小さく拳を握ったエースが、開いていた距離を一歩縮めた。
少し手を動かせば手を触れられそうな近さで、こちらを見下ろす目はやはり眇められている。
「……今日、何月何日だ?」
「ん? 今日は〇月◇日だが……」
「ナマエの誕生日は?」
「今日」
「言えよ!」
大きな声を上げられて、思わず目を丸くする。
サッチに聞くまで知らなかったんだぞと言葉を重ねたエースは、少し怒った顔をしていた。
言われた言葉を追うために瞬きをして、それから意味を飲み込んだおれの口が、あー、と間抜けに声を漏らす。
「なんだ……祝ってくれるつもりだったのか?」
もしもそうなら悪いことをした、という気持ちで言葉を紡ぐと、エースがわずかに目を泳がせる。
「べ……別に、そんなつもりじゃねェ」
さらには顔を逸らして素直じゃないことを言い出されて、おれは自分の口が緩むのを感じた。
このエースと言う名の海賊が、白ひげ海賊団に入って、そろそろ半年近くなる。
他の誰とも打ち解けて、いろんな人間にも頼られるようになった相手に少し気に入られているようだと気付いたのは、つい最近のことだ。
宴の最中だと隣に座ってきたり、何かをする時に誘われたり、手間のかかる仕事をやっている時に手伝いに来たり、別々に島へ降りてもどこかで出くわしたらそのまま船へ戻るまでついてくる。
よくこちらから目を逸らしたり顔を背けたりするが、しかしちらちらとこちらを気にしていることも知っている。
本人は無自覚なのか、それともあえて隠したいのか認めないが、慕われて悪い気はしない。
「まァ、でも、知っちまったんだから祝ってやる。誕生日おめでとう、ナマエ」
「偉そうだな」
「うるせェ!」
顎を逸らし、明らかに子供っぽい仕草で胸を張ったエースに笑うと、エースの方から抗議の声が上がった。
そうしてそれから、気を取り直したように『何か欲しいもんあるか』と問われて、少しばかり思考を巡らせる。
しかし今のところ、これと言って思い至らない。
物欲が無いとは言わないが、しかし基本的におれの毎日は満ち足りているのである。
「……残念ながら、何も……」
ない、と答えようとして見上げた先で、弟分がなんだかものすごい顔をしていた。
これはまずいと視線を逸らし、更に何かないかと考える。
しかし本当に、『欲しいもの』が思い至らない。
誕生日の祝いなんて、うまい飯が食えてうまい酒が飲めて、それからおめでとうの一言でももらえたらそれで十分だ。宴をしてほしいなんて目立ちたがりでもないし、極端な好物もない。
答えを探すために視線をさ迷わせたおれの視界に入ったのは、先ほど立てかけたばかりのキャンバスだ。
「あ、あー……じゃあ、あれだ、モデル」
真っ白なそれを見つめているうちにひらめいた言葉を口にすると、『モデル?』とエースが怪訝そうな声を出した。
「人間は描かねえんじゃなかったのか?」
尋ねてくるそれは、いつだったかおれが目の前の弟分へ言った言葉だ。
風景を描く方が気楽で、生き物はあまり描かないのがおれの趣味だった。海ですら秒ごとに波模様が違うのに、生き物なんてさらに動くんだから似せるのが大変だ。
けれども最近、おれは良い相棒を見つけたのだ。
「ちょっと練習してみようかと思ってな」
「練習台かよ。……仕方ねェな」
片手をポケットに入れながら答えたおれに、エースはそんな風に言葉を零した。
了承してくれたらしい相手に笑って、それからポケットから相棒を掴みだそうとしたおれの傍を、エースが離れる。
「座ってりゃいいのか?」
「え? ああ、うん、まァ」
寄こされた言葉に頷くと、分かったと応えたエースはすぐ近くに置いてあった樽を引き摺った。
それを座るおれの正面へ寄せて、それからそこへどかりと座り込む。
帽子を首の後ろへ落とし、背中を伸ばして両手を膝の上に置いた相手は、なんだか少し緊張した顔をしている。
今まで見たこともないその顔に、おれはぱちりと瞬きをした。
「…………これでいいのか」
そんな風に尋ねる相手に、おれはしばらくの逡巡の後、ああ、と一つ頷いた。
ポケットの中身をポケットの中に残して手を抜き、持っていた木炭を持ち直す。
こちらも背を伸ばし、じっと相手を見つめると、エースの眉間に皺が寄った。
いつもなら、そろそろ目を逸らしたり顔を逸らしたりする頃だ。
しかし、『モデル』という立場をわきまえているのか、エースは身動ぎせずにこちらを睨みつけている。
意志の強いその瞳や顔を正面から眺めていられるというのは、おれにはなかなか貴重な体験だ。
魔が差すとは、こういうことに言うんだろうか。
にやついてしまいそうな口を引き締めつつ、おれも真面目な顔をして木炭を滑らせた。
「どんくらいじっとしてりゃあいいんだ?」
「まァ今日はとりあえず、おれの下絵が終わるまでだな」
「今日はって……これァ誕生日プレゼントなんだから、今日だけだろ」
「そんなかてェこと言わず、次もおれの趣味に付き合えよ」
そんな風に言うと、仕方ねェな、とエースがこちらを睨んだままで言葉を零す。
しかしその口元は危うく笑いそうになっているから、決して嫌がってはいないようだ。
おれの何をそんなに気に入ってくれたのかは知らないが、喜ばれるのに悪い気はしない。
ポケットの撮影用電伝虫の出番はなさそうだと考えたおれは、とりあえず置かれている電伝虫が印刷用だと気付かれないように祈りながら、目の前に座る弟分を十二分に眺め倒すことにした。
なかなかどうして、今年は随分可愛らしい誕生日プレゼントを貰えたもんだ。
end
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