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スピードと誕生日
※主人公は百獣海賊団下っ端(notトリップ主)



「ん?」

 ふと耳に届いた聞きなれた音に、屈みこんでいた場所から立ち上がる。
 開けたそこはだだっ広く自然にあふれた一帯で、この国では『桃源農園』と呼ばれている場所だ。
 あちこちで作業をしている人間がいて、それらを検めるようにして歩いている影がいた。
 凛と背を伸ばし、その背中に弓を乗せたままで『四本』の足を動かしているのは、この地を支配する海賊団ではかなりの肩書を持つ人である。
 綺麗な顔立ちにすらりとした背中や手、一見すればかなりの美人だが、何故だか彼女の下半身は馬だった。
 何とかという悪魔の実を食べた結果の馬人間だということだが、下っ端のおれが詳しい話を聞いたことはない。

「そう言えばもう三日目か」

 おれがひとり呟いたところで、スピードという名の彼女の大きな耳がぴくりと揺れた。
 その顔はこちらを向かなかったが、耳の方がこっちを向いたので、どうやらおれが見つかったらしいと把握する。
 常日頃から自己申告してくるように、スピード様の視野はかなり広い。首なんて動かさなくてもこちらを見つけたんだろう。
 そしておれが感じた通り、おれが作業を再開している間にゆるりと田んぼの間を歩いてきたスピード様が、おれのいる近くでその足を止めた。

「今日はこんなところで働いているのか、ナマエ」

 落ちた言葉に、おれは改めて作業の手を止めた。

「ちょっとこのあたりの育ちが気になったもので」

 言葉と共に、今手入れしていた野菜の葉を軽く撫でてから立ち上がる。
 とんでもなく色々あってから、百獣海賊団に入ることになって早二年。
 あちこちで点々と働いていたおれが、『農作業が好きだから』という理由でこの農園の方へ回されたのは、確か一年くらい前のことだった。
 ここで働く人間はおこぼれ町からいくらでも集められるが、労働力はあって困ることじゃない。
 本当にそんなことがしたいのかと再三確かめて、それでもここへおれを送り出してくれたのは目の前のこの人だ。
 何かあれば招集されると言われているが、今のところ招集がかかったことだって無かった。

「相変わらず変わった奴ね」

 やれやれとため息交じりに肩を竦められる。
 そう言いながらも好きにさせてくれますよねと、今の上司を見やって笑ってから、おれは肩から掛けていたタオルで汗をぬぐった。
 朝から使っている手ぬぐいはすっかり汚れている。もともと繰り返し使っているせいでくたびれているため、見た目の悪さも一割増しだ。
 これは一回洗った方がよさそうだなと見つめていると、ふっと自分の頭の上に影がかかった。

「わっぷ」

 驚いて身を引こうとしたところで、ぱさりと頭に柔らかなものが乗る。
 戸惑いながらそれを掴んだおれは、自分の顔から引きはがしたそれが、市松模様の手ぬぐいだということを確認した。

「えっと……?」

 明らかにこれを放ってきただろう相手を見上げると、こちらの方へ軽く手を出していたスピード様が、その手を降ろしたところだった。

「そんな汚い手ぬぐいは捨てて、それでも使うといい」

「貸してくれるんですか」

「まさか、私へお前が使ったものを返すつもり?」

 真上から見下ろしての問いかけに、じゃあ頂いていいんですか、と尋ねつつ首を傾げる。
 おれの言葉は満足いくものだったのか、そうしたければそうしろ、とスピード様は頷いた。
 ヒヒン、と嘶きまで寄こされたので、間違いなく目の前の人は機嫌が良い。
 目の前の相手の機嫌を損ねたいとは思わないので受け取る他ないが、何故急に贈り物なんてされたんだろう。
 考えても、今日が〇月◇日だということくらいしか浮かばない。おれが分かるのはそれがおれの誕生日だってことくらいで、別に百獣海賊団の記念日でも無いはずだ。
 オロチ様にでも褒められたんだろうか。いや、でもそれならそのことを自慢してくるはずだ。この人は多弁だが、自分から言わないことは尋ねても教えてくれない。

「どうした?」

 困惑するおれの様子に、スピード様が首を傾げる。
 よく分からないが、せっかく頂いた贈り物なので、ありがたく受け取るしかなさそうだ。
 そう判断したおれは、そっと手ぬぐいを肩へかけた。

「ありがとうございます。大事に使いますね」

「当然ね」

 汚れている方は折りたたんで腰帯に挟み、それから言葉を投げたおれに、スピード様が返事をした。
 さて、そろそろおれも、いつもの休憩場所で休憩でも取ることにしよう。
 『変わり者』としてここで働くおれを、どうやらおこぼれ町の連中は『見張り役』の一人だと思っているようなので、このままここにいては近くの連中が休憩もろくに取れないのだ。

「スピード様、お食事はもうお済みですか?」

「ええ、当然ね。何時だと思っているの」

「まだ昼だと思ってますよ」

 つんと顔を逸らした相手に答えつつ、じゃあなんで中まで入ってきたんですか、と言う問いを飲み込む。
 この人がたまにおれを構いに来るのは、もはや慣れたくらいには回数のあることだ。
 おれの何をそんなに気に入ってくれたのかは分からないが、おれもこの人と一緒にいるのは嫌いじゃない。この人が食べるだろうものを自分が作るのも、とても楽しい。

「おれは今から休憩するんですけど、良かったら一緒にどうですか?」

「休憩?」

 だから誘っていつもの方向を指さしたおれに、スピード様がぱちりと瞬きをした。
 何かを考えるように、その目がじっとこちらを見る。
 馬人間だからかそれ以外の理由でか、スピード様は大きいので、おれは下からそれを見上げる格好になった。
 数秒待っていると、仰々しく頷いた相手が、良いだろう、と一つ呟く。

「わざわざこの私を付き合わせるのだから、何か楽しい話があるのでしょう?」

「そうですね……昨日新しい品種のトマトが花を咲かせまして」

「それのどこが楽しい話!?」

 ふざけるな、と怒った風な声を出しながらも、スピード様はぱかりとその場から歩き出した。
 向かった先はいつもの休憩場所の方向だったので、おれも手早く道具を片付けて、少し駆け足でそれに続く。
 畑の間の道は狭いので、後ろを歩く格好になったが、スピード様はあまり気にした様子が無い。
 しかし耳はこちらを向いているので、多分その広い視界できちんとおれのことをとらえているんだろう。

「大体、女を誘うというのに話題がトマトだなんて」

「品種改良したあまァい奴ですよ。あまいの、お好きでしょう」

「好きだけれども!」

 小さくこぶしを握る相手がどんな表情をしているのかは後ろから分からないが、尻尾が少し上がっているので、怒ってはいないようだ。
 目の前の尻尾を見やってそう判断したおれは、とりあえず首から掛けた手ぬぐいを見やり、その後腰帯に挟んだ自前の手ぬぐいに手を触れた。
 さすがに勿体ないので、新品はしばらく自分の部屋に飾ることにしよう。


end


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