ノジコと誕生日
※主人公はNOTトリップ系近隣村民
※軽く捏造あり
※幼女ノジコ注意
ぎこ、といつものように舵をとり、いつもの場所を目指す。
普段と変わらぬ航路を取って辿り着いたのは、一週間前と同じ場所だ。
「あ、ナマエ!」
そして、砂浜の端で飛び出た岩の上に座ってこちらを待っていたらしい相手が手を振ってくるのに、おれも手を振って応えた。
「よう、待ったか?」
「ううん、今来たとこ!」
おれへ言葉を返しながら、明るく笑う少女は先週と変わらない明るい顔だ。
おれよりいくつも年下の彼女は、ココヤシ村のノジコと言う名前の少女だった。
おれはノジコが島へやってきてしばらくしてから出会ったが、明るく笑うその顔はいつも変わらない。
小さな右肩とそこから伸びる腕には大きく入れ墨が彫られていて、それをあえて晒すためにか袖の無い服を着込むことの多い彼女が、するりと岩から降りてくる。
それを横目に小舟を降りたおれが船を砂浜へ押しやると、波打ち際までやってきた少女の手が船の先を掴まえた。
「転ばねェようになァ」
「分かってるよ」
ぐいぐいと船を引っ張って手伝ってくれようとしているノジコへ言うと、元気の良い言葉が返ってきた。
とはいえ先週はそう言いながら転んだので、まるで説得力がない。
あまり押しすぎないようにしようと気を付けながら船を押しやり、砂浜の上へ乗せた。
一番最後の引き上げは男であるおれが引き受けるべきものなので、船に掛けたロープを引っ張りながら砂浜を踏む。
そのまま船の先にいたノジコを追い越しながらロープを引っ張っていき、最後に持ち込んだ長い杭を砂浜の端に突き刺して踏みつけた。
それに船のためのロープを結べば、上陸は終了だ。
手についた砂を払い落とし、口に煙草をくわえる。
火をつけてからちらりと振り向くと、船の傍に佇む少女がじっと船の腹に掛けられた旗を見ている。
そこにあるのは黒い布地にふざけた柄の刻まれた、海賊の証だ。
誰のものなのかなんてそんなもの、このあたりの島の人間なら子供だって知っている。
お互いの島を行き来するときは、海から見えるようにそれを付けないと、下手をすれば海の真ん中で沈められてしまうということもだ。
「……危ない目には遭わなかった?」
「いんや? いつもと同じ、平和な散歩だ」
隣の島から来るだけのことだと肩を竦めたおれに、そう、と答えた少女がこちらを向く。
海とも空とも違う水色の髪を揺らして、それからおれの方を見やったノジコは、やっぱりいつもと同じ顔だった。
「それなら良かった。ほら、行こう? 今日もたくさん手伝ってもらうんだからね!」
そんな風に言って、嫌なものから離れるように駆けて近寄ってきた子供の手が、ぐいとおれの足を押す。
腰までしか高さの無い頭を見下ろして、おれは片手をその頭の上へと乗せた。
自分で丁寧に梳いたんだろう髪をかき混ぜるようにして頭をなでると、下から小さく悲鳴が上がる。
「ちょっと! せっかくセットしたのに!」
「あー、悪い悪い」
いい位置にあったから撫でちまったよと言って手を離すと、もう、と声を上げたノジコが頬を膨らませる。
子供らしいそれに笑って、それから押されるままに足を動かした。
向かう先はいつもと同じく、みかんの成る畑の方だ。
「今度のはね、なかなか美味しいのがなったと思うんだよね」
「そうか、そいつァいい値段がつきそうだな」
「当然! ベルメールさんのみかんだもん」
うきうきと声を弾ませた子供の言うみかん畑は、確かにしばらく前まではベルメールという名前の女のものだった。
けれども今は、そいつはいない。
何故なんてそんなこと、ココヤシ村の住人なら誰だって知っているし、付き合いのあった人間なら、みんな話を聞いている。
「それじゃ今日は、収穫の手伝いか」
「そう! あと、棚も壊れちゃったから直して」
「おれァみかん畑の手伝いに来てるはずなんだがなァ」
「何よ、いいでしょ、あたしじゃ届かないんだもん」
言いながらぐいと手を引っ張られて、仕方ねェなァ、なんて答えながら小さな手を掴まえた。
驚いたのか、逃げようとした手を離さないでいると、少しの抵抗の後で、仕方なさそうにそっと力を抜かれる。
見やった先にはそっぽを向いているノジコがいたが、少し顔を傾ければ、顔がにやついているのは丸わかりだ。
この子供が『母親』を失って、しばらくの時間が経った。
話によれば『妹』も家を出てしまって、たまにしか帰ってこないらしい。
仲の良い三人が暮らしていたあの家とみかん畑を、この子供はずっと守っていく決意をしている。
それを聞いたおれが一週間から二週間に一度、その様子を見に来るようになったのは、ひょっとしたら幼馴染が残した子供が心配だったからかもしれないし、一人でも大丈夫だと言って笑う少女を可哀想だと思ったからかもしれない。
最初は嫌がられたが、何度も通ううちに受け入れられて、ついには畑を手伝っても良くなった。
感慨深いものを感じながら視線を前へと戻し、ゆるりと坂を上っていく。風は少なく、口にくわえた煙草が零す煙がゆらりとうしろへ流れた。
「じゃあ道具借りに行かねェとな。さすがに大工道具は持ってきてねェし」
「大丈夫、もう借りてあるから」
「なんだ、本気でおれに直させるつもりだったのか」
断ると思わなかったのかと笑ったら、ナマエは断らないでしょと言葉を寄こされる。
予想外の発言につないだ手を辿るように視線を戻せば、こちらを見上げた少女がにまりと笑っていた。
どこかで見た顔だと思って、それがベルメールの笑い方に似ていると気が付く。小さな彼女は、血のつながりがないとしても確かに、やっぱりベルメールの『娘』だ。
「だってナマエ、あたしにぞっこんだもんね」
「んぶふっ」
感心したところでおかしなことを言われて、変な風に咳き込んでしまった。
煙草が飛んでいきそうなのを片手で捕まえ、ごほごほと紫煙交じりの咳をしてから、そのまま視線をノジコへ向ける。
「ガキに興味ねェよ、おれァ」
「ガキガキ言うけど、あたしだってすぐベルメールさんみたいになるんだから」
毎日みかんも食べてるし、と言葉を続けられて、それとこれとどう関係があるんだ、と肩を落とす。
ベルメールのようになるノジコなんて、想像するだに恐ろしい。
「ベルメールみたいになられたら、おれァ怖くてもうここに来れねェよ」
村を出る前のベルメールときたら、随分な悪ガキだった。
幼馴染のおれだって、親父の仕事で隣の島へ引っ越すまで、何度泣かされたか知れない。
海兵になって帰ってきたベルメールはそこらの男連中より強くなっていて、いつの間にやら子供を二人拾ってきていて、その子供たちを自分の『娘』だと言って愛しつくした。
そうして『母親』を貫いて、見せしめに殺された。
海賊どもの支配がいつまで続くかもわからぬ現状、この小さな手の持ち主が同じように見せしめになったとしたらと考えると、それだけで背中が冷える。
「……ナマエって……もしかしてベルメールさんに虐められてた?」
「なんでそうなる」
恐ろしさにため息を零したところで気遣わしげな声を寄こされて、おれの声に呆れが含まれた。
けれどもこちらを窺うノジコは真剣な顔をしていて、だって怖いって言うから、なんて言葉を口にする。
確かに何度もベルメールに泣かされたが、別に虐められていたわけじゃない。おれと同じように泣かされたり喧嘩した男連中は、ココヤシ村には大勢いるはずだ。
ベルメールはみんなの姉貴のようで、妹のようで、言ったら絶対殴られたが兄貴のようで弟のような友人だった。
「虐められねェよ」
だからそう断言すると、それならいいけど、とノジコは呟いた。しかしその顔はまるで納得しておらず、怪訝そうに首まで捻っている。
けれどもそれから数歩で疑問を放り捨てたのか、まァいいや、と言葉が落ちた。
「ナマエがあたしにぞっこんなのは変わらないもんね」
「…………」
今度は咳き込まなかったおれを、誰か褒めるべきだ。
「一体何を言い出してんだ、このお嬢さんは」
言葉を落としつつタバコを消して、繋いでいた手を放し、代わりにひょいと小さな体を抱え上げる。
きゃあともぎゃあともつかないなんとも色気のない悲鳴を上げたノジコを片手に抱いて姿勢を戻すと、驚いたようにこちらにしがみ付いたノジコの顔が、ちょうどおれの顔と同じ高さに来た。
水色の髪に大きな瞳、少し厚みのある唇に健康的な肌色。確かにノジコは可愛いし、育てば美人になるだろう。けれどもそれとこれとは話が別だ。おれにそう言う趣味は無い。
「何があってそんなこと言ってんだ?」
「何がって、別に……でもほら、色々あって」
「色々?」
「そう、色々」
歩きながら見やった先でそう言葉を紡ぎつつ、ノジコがふいとこちらから顔を逸らす。
どうにもこの少女は、目を見て話をするのが苦手なようだ。よく目を逸らされるし、おれもそれにはすっかり慣れてしまった。
「だからほら……あたしだって、いつかは結婚するんだし」
「ん、まァ、そうだろうなァ」
寄こされた言葉に答えつつ、おれはいつもの道を歩く。
このまま育てば年頃の女になって、ココヤシ村の誰かか、そうでなければよそから来た誰かと恋仲になって、ノジコだって結婚するだろう。
結婚式には是非とも参加したいところだし、今からでもゲンさんが泣く姿を想像できるから、それを慰める役に回るかもしれない。
「ちょうど今日、〇月◇日だし」
「ん?」
何やら急に話が飛んだ気がして声を漏らすと、気が変わらないうちがいいって言うし、と呟いたノジコはまだそっぽを向いたままだ。
〇月◇日というのはおれの誕生日の日付だが、他にも何かあっただろうか。
よく分からないまま足を動かしていると、ついにはいつもの家の前までたどり着く。
そこでようやく少女を降ろそうとすると、そっぽを向いたままだったノジコの両手が改めて、がしりとおれへしがみ付いた。
「おい、ノジコ」
降ろすつもりだったのでぶらさがってしまった少女の背中を軽く叩いて、放せと促す。
さらに少し身を屈めたからつま先くらいはついているんだろうが、ノジコの腕は緩まない。
抵抗を示す子供にどうしたものかと眉を寄せていると、だからね、とノジコが人の耳元で言葉を零す。
「今年のナマエの誕生日プレゼント、あたしだから」
「……………………は?」
「誕生日おめでとう、ナマエ」
どういう意味だと目を瞬かせたおれの片頬に、ちゅう、となんとも可愛らしく吸い付いてきたノジコが、それからぱっと腕を離す。
こちらを見上げる顔は何やら真っ赤になっていて、自分で自分をごまかすみたいににまりと笑った少女は、嬉しいでしょ、とおれへ向けて言葉を寄こした。
どういう自信だ。
そう言って額の一つでも弾いてやろうかと思ったが、小さな手が拳を握りしめているのを見つけたので、仕方なく言葉を飲み込む。
一体何がどうなってその発言なのか分からないが、子供の言うことだ。何年かすれば忘れてしまうだろう。
覚えていたとしても、ノジコが年頃になる頃にはおれはおっさんだ。相手の方から忘れてくれと言われるに決まっている。
ひょっとしたら、寂しくて色々考えこんでしまったのかもしれない。
誰かが声を掛けに来てくれることが多いとは言え、ここは村の外れで、家にはいなくなった家族の思い出が詰まっているのだ。
「……なるほどな。分かった、大事にするさ」
「!」
言葉と共に軽く肩を叩くと、ノジコの顔が明るく輝いた。
それを見下ろし、片手で小さな頭を軽く撫でる。
「まァでも、まずはお前が大人になってからだ。今日のとこはそのためのみかん畑の世話だな」
「大人って、どのくらい?」
「そうだな……ベルメールがお前たちを拾ったくらいかな」
軽く考えてそんな風に猶予を告げると、先過ぎると眉を寄せたノジコが文句を言う。
いつかおれに感謝するときが来るんだぞとは言わずに笑って、おれはひょいと曲げていた背中を伸ばした。
それから扉を押しやれば、鍵のかかっていなかった扉は簡単に開く。
「今日のとこは、まずは棚からだな」
「その後はみかんの収穫ね!」
「あいよ」
寄こされた言葉に返事をしながら作業に入った後は、打ち切った話題を持ち掛けられることは一度もなかった。
まァ、子供なんてそんなもんだろうと、高をくくったのは認める。
だがしかし。
「何よ、むかァしあげたでしょ。大事にするって言ったのに」
数年後、忘れたわけ信じられないと詰られながら、妹のように可愛がっていたつもりだった相手に迫られると分かっていたら、もう少し返事の仕方も考えたのに。
そんなことを思ってみたって、後の祭りというもんだ。
end
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