おかし
※トリップ主じゃない主人公は魚人で白ひげクルー
ばしゃん、と大きく水の跳ねる音がする。
耳に届いたそれに勢いよく目を開いたマルコは、夏島だからと甲板に寝ていた体を素早く起こして立ち上がった。
同じように甲板で転がっている何人かの『家族』の合間を抜けて駆け、水音がした方へと近寄る。
「ナマエ!」
夜中なのだからできるだけ声を潜めようと思いながら、それでもどうしても出てしまった声に呼応するように、がしりと船のふちが掴まれた。
注ぐ月光でてらりと光るその指は、誰がどう見ても海水で濡れている。
幼いマルコの頭を軽くつかめそうなその掌から続いた太い腕も同様で、さらにはひょこりと出てきた頭もずぶぬれだった。
けれども、当人は気にした様子もなく、自分を見上げる子供を見下ろして軽く首を傾げる。
「なんだ、マルコ。まだ起きてたのか」
こんな時間なのにと続いた言葉は、真上からすでに傾いた月をちらりと見やって続いたものだ。
それを受けて、むっと口を尖らせたマルコは、ナマエがわるいのよい、と言葉を紡いだ。
「ぜんぜんかえってこないから、まってたんだよい!」
「あーわかったわかった、悪かったから、静かにな」
きい、と声を張り上げたマルコに答えながら、のそりと船へ乗り込んできた男は、肌の色、体格、見た目の特徴からして、どこの誰がどう見ても魚人だった。
海の中を泳いできた体はすっかり濡れていて、マルコへ手を伸ばしかけてそれに気付いた男が手をおろしたのも、マルコには気に入らない。
いつもなら、『悪かった』と言いながら、マルコを抱き上げてくれているはずなのだ。
不満をその顔で示した子供に軽く笑って、男はその場に座り込んだ。乾いた甲板へ海水が染みて、少しばかり色が変わる。
それを見ながらさらに近寄り、少しだけ触ったナマエの体はやっぱり海水まみれだった。
「そう拗ねた顔するなよ」
「……だって、ナマエかえってこなかったよい」
寄こされた言葉へ言い返して、マルコの眉が寄せられる。
昨日は、十月五日だった。
この世にマルコが生まれたというだけの、本当に正確な日付なのかもわからぬようなその日を、けれども祝うと言ってくれたのは『白ひげ』と呼ばれる海賊とその『家族』達だ。
『あ、悪い。おれちょっと用事が』
だというのに目の前の男ときたら、そんな風に言いだして三日前の朝から外出したのである。
当日には帰ってくると言っていたのに、すでにもう日付すら変わっている。
不実な男を詰るマルコの視線の先で、あー、と声を漏らした魚人が軽く頭を掻いた。
「それは悪かった。間に合うと思ったんだがなァ」
途中色々あって、と言い訳を紡いでから、男の手がごそりと自分の着ていた服を探る。
そうして、そのうちのポケットから出てきた小さな包みに、マルコの目が瞬いた。
しっとりと海水にぬれているらしいそれは紙包みだが、どうにもそれがじんわりと輝いているように見える。
「それ、何よい?」
「これァ、おれの故郷では星飴って呼ばれててな」
「あめ?」
おかしらしいそれに目を丸くしたマルコの方へ、ナマエが包みを差し出す。
両手でそれを受け取って、マルコは手元のそれをそっと開いた。
湿った紙の内側には、確かにいくつかのキャンディが入っていた。
丸みにいびつさのあるそれは、どうしてだかそれぞれの中に星が瞬いている。月光やそれ以外を弾いているのではなく、暗い場所でも輝くそれが、包みを照らしているのだ。
どういう仕組みだと一つつまみ出したマルコの指を照らしたのは、オレンジの飴の内側からの輝きだった。
「……これ、くいもんよい?」
どう見ても財宝にしか見えないそれを見つめて尋ねたマルコに、そう言ってんだろうとナマエが笑う。
「星が入ってる飴だから、願いを掛けながら噛まずに舐めきれたら願いが叶うらしいぞ」
「ねがいが?」
「お袋が作ってたのを思い出してなァ」
里帰りしてたんだと続いた言葉に、ぱち、とマルコが瞬く。
それから視線を向けると、甲板に座り込んだ魚人がどうしたと首を傾げた。
いつもと変わらぬその顔を見つめて、さとがえり、とマルコが口を動かす。
「まえに、すっごくとおいとこにすんでたっていってたよい」
「ああ、おれが人魚だったら間に合ったと思うんだが、どうにもおれァ泳ぎが下手でな」
間に合わなくて悪かったよと、そんな風に言うナマエの言葉に、ごまかしの響きはない。
けれどもマルコの記憶が確かならば、ナマエのいう『故郷』というのは、三日やそこらで行って帰ってこれる距離だっただろうか。
飲まず食わずで泳ぎ続けたなら可能だったかもしれないが、そんな無茶までしたのか。
そういえば、月明かりの下、甲板へ座り込んでしまっている魚人は、いつになく疲れた顔をしている。
窺ってしまったマルコの前で、思い出すのが遅れちまったからなァ、と言葉を紡いだ魚人が、わずかに肩を竦めた。
「来年はもっと早めに用意しておくから、許してくれ」
「……じゃあ、これ」
「お前へのプレゼントだよ」
誕生日おめでとう、と微笑みと共に言葉を寄こされて、マルコはもう一度瞬きをした。
その手がつまんでいた飴を包みへ戻し、湿った紙ごと飴玉達を握りしめる。ひょっとしたら少し飴が溶けてしまうかもしれないが、今はそんなことには構っていられない。
確かに、誕生日を祝ってやると言われて、嬉しかったのは事実だ。
けれども、それなら珍しいプレゼントを持ってくるよりも、当日にその口から祝いの言葉を受けるだけで良かった。
無茶な行動をして、そんなに疲れてまで持ってきてくれた贈り物を突き返したいとまでは思わないが、しかし。
文句を言いたいような、怒りたいような気持ちをぐっと飲みこんだ子供は、代わりに放り出された男の足にどすりと腰を下ろした。
全身が濡れている男の体に触れたせいで、自分の服が濡れていくのを感じたが、今は気にしない。
「おい、マルコ」
濡れるぞ、と少し慌てたような声を出した相手に、しらないよい、と返事をしつつ、マルコは紙の包みを膝の上で開いた。
中にはやはり、いくつものいびつな丸い飴玉が並び、ちかちかと星の輝きを零している。
「ナマエ、これ、どれがなにあじよい?」
「味? あァ、その橙のはオレンジで、そっちのは」
戸惑いを浮かべた男へ全部の飴の味を尋ねてから、マルコが最初に口へ入れたのは、晴れた日の海の色をした一粒だった。
その飴だけが包みの中に二つ入っていたからであって、決して、ナマエが一番好きな味だと言ったからではない。
end
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