お戯れ
※白ひげクルーになったトリップ主とマルコ隊長とエイプリルフール
今日も偉大なる航路の海は荒れ狂い、穏やかさとは程遠い慌しさの中を船が進んだ。
ぜいぜいと息を切らせながらも走り回った俺はこの船の中では下っ端で、しかしこの海の上の人間によくある『悪魔の実の能力者』ではなかったので、海水をひっかぶっても問題ない甲板の上を担当していた。
帆を張り破れぬよう操って、航海士や他のクルー達の言うことを聞きながら嵐を抜ける。
相変わらず気まぐれな偉大なる航路はすっかり穏やかな天候になっていて、ぜい、はあと息を零しつつへたり込んだ俺の手が触れたのは、甲板に出る時に縛り付けられた腰の命綱だった。
「う……かたい……」
しっかりと結ばれたそれに眉を寄せつつ指を使うが、全く結び目がほどけない。
海水を吸ってきつくなっている様子のそれを見下ろして、少し指で撫でてみるが、やっぱり結び目は緩まなかった。
ナイフは持っているが、これだけの太さだと俺の力では歯が立たないだろうし、誰かに頼んで切ってもらうべきか。
そんなことを考えているところで、真上から影が落ちる。
「よォ、ナマエ。お疲れ様だよい」
「あ、マルコ隊長」
落ちてきた声に顔を上げて、そこにいる相手の名前を呼ぶ。
先ほどまで波が来ない高さを旋回しながら飛び回っていた不死鳥が、人の姿をしてそこにいた。
体中ずぶ濡れなのは、雨の中を飛び回ったからだろう。
波も高いから危ない、やめろと言われていたのに、この悪魔の実の能力者は人の話を聞きもしないで船の先導をするために飛び出したのだ。
後で説経くれてやる、と唸っていたリーゼントの姿は見当たらない。
多分、船の被害状況を確認しに行ってるんだろう。
そうだとしたら説教はもう少し後かと判断した俺の前に屈みこんで、マルコの手が俺の腰に巻き付いている命綱に触れる。
「解けねえのかい」
くい、と引っ張りながら問われたので、はいと答えて頷いた。
「ちょっときつくなってるみたいで」
「慌ててたからねい」
偉大なる航路では日常茶飯事とは言え、今日の嵐はいつもより少し強かった。
俺の腰にロープを巻いたのはマルコで、『本当なら船倉にいろと言いたいくらいだよい』とまで言われたのを思い出す。
「でも、おかげで助かりましたから」
何度か頭から海水を浴びたし、濁流のごとき波に甲板の上を滑らされたり盛大に転んだりもしたが、この命綱のおかげで海へ放り出されることはなかったのだ。
少しでも役に立てたなら嬉しいですし、と言葉を重ねた俺の前で、そうかい、と言葉を落としたマルコが笑う。
「そういやさっきも派手にすっ転んでたねい。膝ぶつけただろい、ちゃんと船医に診せろよい」
「……痛くないです」
「嘘吐け、ほら」
「いっ」
子供に言うような言葉につんと顔を逸らしたら、マルコの手が思い切り俺の膝を掴まえた。
それと同時に走った痛みに思わず悲鳴が漏れて、慌てて口を押える。
しかし時すでに遅く、それを聞いていたらしいマルコは、俺の方を見てにやりと笑っているところだった。
「痛いかい?」
わざとらしくそう囁かれて、首を縦に振ることしか出来ない。ここで『痛くない』と言ったら、更に膝を掴まれることは間違いなかった。
マルコは、意外と意地悪なのだ。
面倒見は良いし、海賊にこう言っては何だけど、いい人だと言うことも知っている。
俺が嵐の中海を流されていたのを拾ってくれたのはマルコだったし、『この世界』で右も左も分からない俺をこの船に置くよう口添えをしてくれたのもマルコだ。
平和な日本しか知らない俺にナイフをくれて、戦い方と、それから逃げ方を教えてくれた。
最近辿る航路の揺れに慣れず吐いたり食欲の無かった俺の世話までしてくれたし、どう考えたって不審な下っ端でしかない俺のことを構ってもくれている。
だけど、その方法に時折軽い悪戯を混ぜてくるのは、酷いと思う。
マルコは俺より年上なんだから、もう少し大人らしいことをしてくれたっていいのに。
サッチ隊長に訴えたら『気に入られてんなァ』と笑われただけだったことを思い出して少し口を尖らせると、伸びてきたマルコの手がむにり、と俺の唇をつまんだ。
「ニワトリみてェな顔してるよい」
「……ッ 鳥はマルコ隊長のほうじゃないですか!」
「お、言うねい」
そんな悪いことを言う口はこうだ、と唇から離れた指に口の端を引っ張られて、更には反対側もつままれて、唇の中央から裂けそうな軽い痛みに慌てて『ごめんなさい』を口にした。
すぐに手を離してくれたマルコ隊長は笑っているが、やっぱり酷い。
「マルコ隊長、酷いです」
「酷いこと言ったのはナマエのほうだろい、おれァ随分傷付いたよい」
「絶対嘘だ」
俺が詰っても、マルコ隊長はけらけらと笑うばかりだ。
楽しそうなのは何よりだけど、そろそろロープを解いてもらえないだろうか。
ずぶ濡れのままそんなことを考えて少しだけ考えを巡らせた俺は、ふと昨晩の酒盛りの時に近くにいたクルー達がふざけていたことを思い出し、そっと両手を自分の腹にあてがった。
筋力トレーニングを頑張ってはいるものの、マルコ達みたいに晒すことも出来ないくらいには貧弱な腹がふにりと指に当たったが、今は気にしないでおく。
「俺だってもう、一人の体じゃないんですからね。もう少し優しくしてください」
ふざけて放った、軽い冗談だった。
食事を食べすぎて膨れた腹を押さえたクルーがサッチ隊長へ『貴方の子供よ責任取って!』とふざけていたのを昨日見たし、近くにいたからマルコだって覚えているだろう。
ただ、『優しくして』と言えば、馬鹿言ってんじゃねェよい、なんて笑ったマルコがロープを解いてくれるんじゃないかと、そんなことを少しだけ思ったのだ。
しかし俺の言葉に、マルコがぱちりと目を丸くする。
それからすぐにその眉が寄せられて、どことなく不機嫌な顔になったマルコに、びくりと体が震えた。
「え、あの」
「……」
戸惑う俺を放置して、無言のまま動いたマルコの手が、俺の腰のホルスターからナイフを取り出す。
そしてあっさりとその切っ先がロープを切り裂き、あ、と俺が声を漏らした間にホルスターへナイフを戻したマルコが、その場からひょいと立ち上がった。
「こんな濡れたとこにいつまでもいたら、体冷やしちまうだろい」
低い声でそんな風に言いながら、マルコの手が俺を無理やり立ち上がらせる。
戸惑いに目を瞬かせる俺を気にせずそのままマルコが歩き出して、俺もその後を追いかける格好になった。
何人かが嵐のあとの片づけをしていて、手伝おうと思ったのにマルコは俺を逃がさず船内へと連れ込む。
「あの、マルコ隊長!」
どうしたんですかと声を上げると、どこか苛立った様子で足を動かしていたマルコが、通路の途中でぴたりと動きを止めた。
それから、俺の手を掴んだままでちらりとこちらを振り返る。
「……どこの馬の骨の子かは聞かねえけどよい」
「え?」
「ナマエから生まれるってんなら、おれの子も同然だ。可愛がってやるから、体はもっと大事にしろい」
すっ転ぶなんて持ってのほかだ、風呂に入ったら次は医務室だと言い放って、マルコの足が風呂場のある方へと向かう。
「いや、あの……」
ひょっとして、『この世界』では男も妊娠が可能なんだろうか。
いや、そうだとして、俺の軽い冗談にこの反応はどういうことなのか。
戸惑いながらも俺がどうにかネタ晴らしできたのは、風呂場でマルコに無理やり服を脱がされそうになった時だった。
「…………そういや、今日はエイプリルフールだったよい……」
しばらく真顔になった後で脱力したマルコが俺の両頬を引っ張りながらそう呟いたので、どうやら今日は四月一日だったらしい。
end
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