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ハイルディンと誕生日
※傭兵ハイルディンと無知識トリップ系主人公



 人の掌の上に乗ったことがあるだろうか。
 比喩の話じゃない。現実に、物理的な話だ。
 軽業師じゃあるまいし、掌の上だなんて普通は無理だと言うところだが、俺はある。

「まァ、相手がデカいからって話だけど……」

「ディガガガガ!」

 轟くような笑い声を耳にして、ちらりと視線を向けると、船の大きさには少しだけ不釣り合いなサイズの男が、胡坐をかいて座っていた。
 その手には俺が全身浸かれそうなほどの量の酒が入った巨大な樽カップがあり、先ほどから楽しげに酒を飲んでいる。
 俺のことなんて一握りに出来そうなサイズ感の彼は、ハイルディンと言う名前の『巨人』だ。
 変な感覚に目が醒めたと思ったら水に叩きつけられ、口に入った塩辛さに困惑して両手両足をばたつかせ、上とも下ともつかない方向へ向けてもがいていたらひょいとすくい上げられた。

『なんだ、人間か』

 温かくて少し硬い何かの上でごほごほと咳き込み、それでも助かったことだけは分かったから現状を把握しようとしたらそんな風に声が落ちて、見やった先には巨大な顔。
 その場で失神してしまったのは、今からつい半年ほど前のことになる。
 どうやらここは、俺が生まれて育ったのとは別の世界であるらしい。
 日本もなければ携帯もパソコンもインターネットもない、そして俺の常識では考えられない人々が数多くいるこの場所で、俺はそう結論付けて考えるのをやめた。
 だって連れていかれた先でピエロじみた男が唐突に空中でばらばらになったのだ。悲鳴を飲み込むのにとても苦労した。
 急に海へと落ちてきたらしい俺を海からすくいあげてくれたのはこのハイルディンで、ちょうど戻るところだったからとそのまま島へと連れて行ってくれた。
 行く当ても帰る場所も無かった俺が今こうしてこの命の恩人と共にいるのは、住所不定無職の事実に慌てた俺がどうにか座長殿に頼み込んで、下働きにしてもらえたからだ。
 戦うことなんて出来ないが、見た目がもういかつい連中よりは交渉ごとに向いているからと、誰かの派遣についていって交渉と略奪の制御と、それから促進を行うのが仕事である。
 絶対に俺は今悪い仕事をしている。自覚はある。

「どうした、飲まねェのか、ナマエ」

「頂いてま……る、よ」

 敬語を使おうとしたところでじろりと睨まれて、肩を竦めつつ語尾を変えた。かなりおかしかったが、満足したらしいハイルディンが一つ頷いたので良しとする。
 バギーズデリバリーの中でも稼ぎ頭の筆頭であるこの巨人は、俺がこの仕事に就いてからの間で最も長く一緒にいる相手だ。
 最初の頃に年齢を聞いて、そのとんでもない数字に目を丸くしつつ言葉を改めたのだが、どうやらそれがずっと気に入らなかったらしい相手に、『普通に話せ』と唸られたのが二日前。いまだに慣れない。

「一仕事終えた後の酒はうまいもんだ」

 カップの中身を一口飲み、しみじみとサラリーマンみたいなことを言い出す相手に、そうだなと相槌を打った。
 俺の手元にある小さめのカップの中にも同じ酒が入っているが、とても度数がきついので少しずつ舐めているだけだ。ハイルディンは体のサイズに見合った肝臓をしているに違いない。
 永久指針で目指す場所へ向けて進む海原は今のところ快晴で、こんな時間帯に酒を飲むなんて、半年前には考えられないことだった。

「ああ、そうだ。おい、ナマエ」

「んむ?」

 とりあえずとつまみを口に入れたところで声を掛けられ、口に肉をくわえたままで視線を向ける。
 俺が見やったのを見て、手元の樽カップを置いたハイルディンが、自分の後ろから何かを取り出した。
 じゃら、と音を立てた何かを握りしめた拳が自分の真上にやってきて、嫌な予感に肉を噛み締めながら少し身を引く。
 しかしハイルディンは気にすることなくぱっとその手を開いてしまい、じゃらじゃらと音を立てたものが俺の上へと降ってきた。

「いだ、だ、だっ」

 多少身を引いたものの、落ちてきたそれがばしばしと体にあたる。
 重たいそれに悲鳴を上げつつもがいた俺は、埋まりかけた体をどうにかよじり、下敷きになりかけた運命から逃亡した。

「ちょっと、何し……金貨ァ!?」

 抗議しようとしたところで、自分に注いだそれの正体に気付いて声を上げる。
 いや、実際にはただの金貨じゃない。いくつか銀貨や銅貨も交じっているし、そもそもこれは流通しているベリーとは違う単位のものだ。
 今日の戦場での『略奪』の成果の一部であることは間違いなく、その事実に目を瞬かせながら、広がったそれを慌ててかき集める。

「なんで袋から出してるんだ、せっかく全部集めたのに……!」

「ディガガガガ!」

 改めて抗議しながら、とりあえず袋へ片付けようと立ち上がった俺の前で、座ったままの巨人族が笑い声を零す。
 先ほど人の上に金貨達を降らせたその手が動いて、俺の体がひょいと掴まれた。
 驚いてしがみ付いた両手からカップが落ちて、酒が甲板にびしゃりとこぼれる。
 明らかに宝達の方まで被ってしまったそれに、ああ、と悲鳴じみた声が漏れた。
 しかし、身をよじろうにも俺の抵抗なんて、ハイルディンにとっては無いも同然だ。
 そのまま持ち上げられ、足の下から甲板の感触が消える。
 やわらかく握り込んだ指の内側に腰かける格好になりながら、俺は自分を引き寄せるハイルディンへ視線を戻した。

「ハイルディン!」

「それはお前の為の略奪品だ、ナマエ」

 声を上げた俺へ向けて、そんな風に言葉が落ちる。
 へ、と間抜けな声を出した俺の前で、話を聞けば、とハイルディンが口を動かした。

「先週はお前の生まれた日だったらしいな?」

「え? ええと……うん……?」

 そんな風に続いた言葉に、そうだっけ、と俺は首を傾げた。
 確かに、先週の中に〇月◇日、すなわち俺の誕生日は含まれている。
 けれどもそんなの、俺自身だって意識した覚えがない。
 当日だって確か、誰かの派遣について行っていた筈だ。
 しかしそう言えば、拠点へ戻った時に労いついでにおめでとうを言われた覚えが、あるような、無いような。
 曖昧な返事をした俺に怒るでもなく、ハイルディンがとても残念そうにため息を零す。

「知っていりゃァ当日に海王類でも狩ってやったんだが」

「あ、いやそれはほんとに、お気遣いなく」

 とんでもないことを言い出す相手に慌てて手を横に振ると、くくく、とこらえるようにハイルディンが笑い声を漏らした。
 どうやら本気じゃなかったらしい。年齢の割に、この巨人族はお茶目さんだ。いや、巨人族にしては若手に入るということだから、単に若いってだけの話かもしれない。

「島でゲルズ達が用意をしている手はずだ。三日三晩は飲んで食える量だ、腹は空かせておけよ」

「ハイルディンたちの言う『三日三晩』だと、俺じゃ腐るまでに食べきれないんじゃないかな……」

「大丈夫だ、セムラも用意してある。おれは食わねェが」

「何が大丈夫なのかな!?」

 いつだったか食べさせてもらったことのある、甘くてカロリーの高そうなお菓子の名前まで聞かされて、俺はさらに声を上げた。
 俺を持ったままディガガと笑い声を零したハイルディンが、そのまま俺を自分の肩口へ乗せる。
 ここから落ちるととても痛いのは分かっているので、俺は自分で厚みのあるその肩へ座り直し、身じろぐハイルディンに慌てて太いその首にしがみ付いた。
 一度屈み、そうして背筋を戻したハイルディンの手が何かをして、つまんだ何かをこちらへと差し出してくる。
 そこには俺が先ほど落としたカップがあり、受け取れ、という意思を感じて恐る恐る受け取ったそれには、いつの間にやらまた酒が入っていた。
 どうやら、ハイルディンのカップからおすそ分けされたようだ。

「まァ、飲め。前祝いだ」

「当日は過ぎたんだから、前祝いも何も……」

「それはおれ達に話しておかなかったお前が悪ィんだ」

 来年はきちんと前祝いしてやる、と言い置いて、ハイルディンが先に酒を口へ運ぶ。
 まるで水のようにカップの中身を飲む大男を見やって、俺も恐る恐るカップへ口を付けた。
 じりじりと喉を焼く酒に、こほ、と小さく咳が出る。
 なんということだ。同じ酒を飲んでいると思っていたが、ハイルディンが飲んでいる方が度数がきつい。
 これは一気になんて飲めないなとカップを膝に落ち着けて、俺は巨人族の肩から船の上と海を眺めた。
 たまに座らせてもらうことのある場所だが、やっぱり高い。俺が高所恐怖症だったら、とりあえず降ろしてくれと泣いて頼んでいると思う。
 見下ろした甲板にはハイルディンのためのつまみと、俺が食べていた小さな皿と、それから零れた酒と、小さな一山の財宝がある。

「あー……じゃあ、あれって誕生日プレゼントってことか」

 日差しを弾く金銀銅のコイン達を見やり、呟いた俺は、そのまま視線を傍らにやった。
 見やったことに気付いたハイルディンが、ちらりと視線をこちらへ寄こし、なんだ、と聞いてくる。

「ありがとうな、ハイルディン」

 高価すぎる贈り物に思えるが、用意してくれたのは素直に嬉しい。
 だから、そちらを見たまま微笑んで言うと、ハイルディンがにやりとその口元に笑みを浮かべた。
 その片手が動き、甲板に置かれていたハイルディンのつまみが持ち上げられる。ちなみにつまみは、派遣先の島を出る直前にハイルディンがわし掴んで仕留めた怪鳥の丸焼きだ。

「これも食うか」

「え? いや、でかすぎるからちょっと……」

「そのままかぶり付け」

 さあ食え、とばかりに巨大な鶏肉を顔の前へ寄せられて、困りながらも、仕方なく一口。
 できるだけ大きな口を開けて齧ったというのに、これっぽっちしか食べられねェのか小さな口だなと言われてしまったのは、まことに遺憾である。


end


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