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バスティーユと誕生日
※主人公は海兵さん(notトリップ)
※微妙に身体的欠損の表現があります注意



 軍艦から見やった外は、しんしんと雪の降り積もる冬島だった。

「……寒いわけだよ……」

 唸りつつ、きゅっと肩を竦める。
 次の補給地が冬島だとは聞いていたが、まさかここまで雪が降り積もっているとは思わなかった。真冬にぶち当たってしまったのかもしれない。
 冷え切った右手の甲を左の掌で軽く撫でつつ、ブーツの踵で通路を弾きながら歩く。
 マフラーは島で買うか、と考えが至ったのは、甲板に出た時だった。
 ただの呼吸で吐いた息すら盛大に白く濁り、吸い込むだけで肺が痛くなるような空気の中に溶けていく。
 甲板にもうっすらと雪が降り積もり始めていて、できれば外出許可が出るまで居たくない場所だったが、甲板の端にいた一人の背中を見たおれはすぐさま甲板へと足を踏み出していた。

「バスティーユ中将!」

「ん? ナマエか」

 雪の中でも決して見失わないような鮮やかな髪を背中に流して、顔の一部を仮面で隠したおれの大事な上官殿が、おれの名を呼んで振り向いた。
 そして、こちらを確かめてすぐに漏れたため息が、白く濁ってその深さを伝えてくる。

「お前ェは、まァたそんな恰好だらァか」

 言葉と共にて招きされて、変ですかね、とそちらへ近寄りながら自分の格好を見下ろす。
 両足はきちんと雪国用のブーツだし、着込んだスーツも海軍将校らしく仕立てたものだ。羽織ったコートはいつも通りで、色合いがおかしなことはないと思う。
 首を傾げつつ中将の傍で足を止めると、おれより随分と上背のある中将がその身をかがめて、大きな手がこちらへ伸ばされた。

「なんでまたネクタイが解けてんだらァ」

「あ、昨日、うっかり」

 いつもは輪のまま残しておいて頭を突っ込んで締めるのだが、解いてしまったせいでそうできなかった一本を掴んだ中将が、大きなその手で器用におれのネクタイを締め始めた。
 少し顔を逸らして邪魔をしないようにしながら、ありがとうございます、と目の前の上官へ声を掛ける。
 おうとそれへ返事をしながら、丁寧にネクタイを整えてくれた中将が、おれを見下ろしたままで首を傾げた。

「マフラーはどうしたんだらァ」

「持ってくるの忘れちゃって、島で買おうかと」

「島で?」

「手袋も買いたいですし」

「あァ……」

 おれの発言で、おれが昨日自前の手袋を駄目にしたことを思い出したのか、中将が低く声を漏らした。
 その視線がおれの手元へ落ちたのを感じたので、できるだけ自然なしぐさを心がけて両手を自分の後ろへ隠す。
 別に自分の手を恥ずかしいとは思わないが、おれの手を見るたび目の前の相手がなんとも言えない雰囲気になるので、それに配慮した結果だった。
 両手合わせて四本しか満足な指が無い、更に言うなら自前の指は親指の二本しかないおれの両手には、どうにか再生した不格好な人差し指達と、動かすのには不向きな義指が三本ずつついている。
 海の屑と名高い海賊からの『尋問』の結果で、すなわち捕まったおれの不手際がそもそもの原因なのだが、おれの上官であるこの人はそれを自分の責任だと感じているらしい。
 体のあちこちに仕込んだ武器のおかげでまともに戦えるし、何ならあの日をきっかけに覇気も少しばかり体得できて、両目も舌も腕も足も命もある。
 だから気にしなくていいと伝えても、今一つ伝わらない。
 そんな中将の為にもと、いつもはきちんと特別な手袋をして素手が見えないようにしているのだが、昨日の海賊達との交戦でうっかり両手の手袋を破いてしまった。
 包帯を巻いて隠すか聞かれて、大事な資源をそんなことに使っても仕方ないと軍医に断ったのだが、巻いていた方が良かったかもしれない。

「えーっと……それで中将、今日の外出許可なんですけど」

「仕方のねェ奴だらァ」

 何時から出かけていいか聞こうとしたらそんな言葉が落とされ、それから何かが軽く頭の上に乗せられた。
 驚いて片手を自分の頭へ寄せたおれの前で、屈んでいた中将がひょいと背中を伸ばす。
 間違いなく中将が置いただろうものを指二本で掴み、それを自分の目の前へと移動せたおれは、くるりとひっくり返した自分の手の上にあるものを見て、ぱちりと目を瞬かせた。

「…………手袋?」

 少し厚手の、冬島専用と思わしき一双が、おれの掌に乗っている。
 真新しいそれはおれの体にちょうど良い大きさで、つまり中将には小さすぎるものだ。

「あれ、これくれるんですか?」

 戸惑いつつしげしげとそれを眺めて、それから目の前の相手を見上げて尋ねると、おれには小さすぎるんだらァと中将が返事をした。
 たまたま小さいサイズを持っていて、ちょうどよかったからとおれにくれたんだろうか。
 そんな風に考えてはみたものの、もう片方の手も使って手袋をつまみ上げて見てから、そうではないとなんとなく理解する。
 親指以外の四本が、しっかりとお互いを縫い合わせてあるからだ。
 それはおれがよく注文を付ける縫い方で、しかも明らかに職人に頼んだと分かる出来だった。
 すなわちこれは、中将がおれの為に選び、何なら直しを入れさせて持ってきたものだということだ。

「……中将」

「知らんだらァ」

「いや、知らんじゃないですよ」

 今回の遠征は一週間も前から始まっているのに、今日の今まで自分の部屋にこれを置いていたんだろう相手を見上げると、中将がそっぽを向いた。
 子供ですかとそれに笑って、両手で改めて手袋を挟み込む。

「すごく嬉しいです。ありがとうございます」

 なんでこれをくれたんだか分からないが、とてもありがたい贈り物だ。
 早速つけようと考えて、一双のうちの片方を顎で挟んで、もう片方の手でもそもそと手袋をいじる。
 人間、人差し指と親指があれば大概のことは何とかなるものだが、自分の意思で動かない義指をきちんと通すのはなかなか難しい。
 それでも少し時間をかけて片手につけ終えると、中将が何故だかまたため息を零した。

「時間がかかりすぎだらァ」

 言葉と共に伸びてきた手が、おれが顎と体で挟んでいたもう片方を奪い去る。
 そのことで顔を上げたおれの左手が掴まれて、ぐいと少しばかり引っ張り上げられた。
 背中を丸めた中将がおれの手に手袋を装着していくのを、何となく見守る。
 痛みなんて感じない強さでしっかりとボタンまでつけられて、何となく感心した。

「中将って、人の世話を焼くの上手ですよね」

 体も大きいし、部下の多い海軍中将だというのに、この人は意外と世話好きだ。
 まあそうでなかったら、いくら責任を感じているとは言っても、部下のネクタイまで締めたりしないだろう。
 女性だったら嫁に貰いたいという男連中が長蛇の列を作りそうだと考えて、しかし許さん、と眉を寄せる。おれ達の中将を娶りたいなんて言うならば、まずはおれ達を倒せる男でなくてはならない。話はそれからだ。
 想像上の馬の骨に目を眇めたおれを見下ろし、少し不思議そうに首を傾げた中将が、おれの手を逃がしながら口を動かした。

「ナマエは自分のことに構わなすぎだらァ」

「いや、構ってますよ? 手袋だってちゃんと買いにいく予定でしたし」

「今日の日付も忘れてる口で言うだらァか?」

「今日の?」

 背中を伸ばした中将を見上げて、どういう意味だ、と目を瞬かせる。
 今日は〇月だ。それは間違いない。
 しかし海の上では日付なんて曖昧になるもので、出発日から動かない指と他で日付を数えたおれは、導き出された◇日という日付に、中将の言葉の意味を知った。
 今日は〇月◇日。
 すなわち、おれの誕生日だ。
 とすると、この手袋はまさか。

「やっと思い出しただらァか」

 戸惑いと、それからふつりと湧いた喜びと共に見上げた先で、やれやれと中将が肩を竦めている。
 ただの部下に誕生日プレゼントなんてものを用意してくれるこの人は、やはりとてつもなく良い人だった。


end


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