コブラと誕生日
※主人公は無知識トリップ主で移民で元奴隷
太陽が傾き、今日もまた夜が来る。
相変わらず、日本では見られないような美しい星空が真上を陣取っていて、美しさを取り込むようにゆっくりと息を吸い込んだ。
砂漠の国の夜は冷える。
きちんと服を着込んだまま、俺が座っているのは一つの店の前だった。
少し前に開けたばかりの小さな店は小売店で、一階の奥は倉庫と生活のための部屋、二階は俺の寝床になっている。
夜から明け方まで開けている店なので、これからが長い時間だ。
砂漠を歩くのは夜からが多いためか、買い忘れたものを買うために店を探す人間もそれなりにいる。そう気付いてから考えた結果、俺が開いた店である。
昼間からやっている店はあちこちがもう閉められていて、うちの店からの明かりがわずかに道を照らしている。
人がいることを示すために店先に出た俺がやっているのは、頼まれていた籠の補修作業だ。手習いした方法で丁寧に織り込んで、籠を直していく。
「せいが出るな」
食べ物を入れるのにちょうど良さそうな籠を一つ直し終え、おかしなところが無いか確認していたらそんな風に声を掛けられて、俺はふと手を止めた。
「国王様」
顔を上げれば予想通り、この国の為政者の顔がある。
相変わらず一人でふらりと近寄ってくる相手に少しだけ周囲を見回した俺は、こちらを見ている人影も見つけてほっと息を吐いた。あのシルエットは、多分護衛隊長さんだ。
「今日はどうなさったんですか」
「なに、これほど星の美しい夜だ。ふらりと散歩に出るのも悪くない」
尋ねた俺へ今日の言い訳を口にして、国王様はひょいと俺が座っている長椅子へ腰を落ち着けた。
お召し物が汚れますよと言いたかったが、前に言っても笑い飛ばされたのを思い出して口を噤む。
黒髪に静かな瞳を持ったこの国の王族は、随分と国民との距離が近い。
聞けば王女様も都のあちこちを走り回っているというし、そんなものなのかもしれないが、俺の知っている権力者の像とはずいぶん違う。
けれども、この人があちこちに出歩く人でなかったら、俺だって助かっていなかったかもしれない命だ。
「最近はどうだ?」
「そうですね、ちょっとずつ店も知られてきたかなと。そう言えばこの間、ユバへ商品を届けに行くんだって大きい荷台を引いた業者さんがいましたよ」
随分発展してきてるみたいですねと世間話を零すと、そうだな、と相槌が寄越された。
「あそこはアラバスタの交差点の一つだ。そこが栄えるなら、何より民の為になろう」
一度視察に行かなくてはなと言葉を続けられて、そこは俺に言わないでくださいよ、と思わず笑う。
国王様が視察に行くだなんて大ごとだ。準備もしなくちゃならないし、危険が伴うから情報の管理も必要だろう。
「俺が悪い人に話しちゃったらどうするんですか」
「己でそう進言する者は、そのようなことはしないものだ」
俺からの言葉をあっさりと聞き流し、その目がちらりとこちらを見た。
籠を側へ置き直しながらそれを見返すと、こちらを見下ろす相手が静かに唇を動かす。
「アルバーナでの暮らしは慣れたか?」
「はい、おかげさまで」
寄こされた言葉はいつもと同じで、だから俺も、同じように言葉を返した。
ここはアルバーナと呼ばれる都で、アラバスタと言う国の中にある。
村や町の合間はほとんどが砂漠で、人々の服装から見てもエジプトだとかそう言った国柄に見えたが、そうではないということを俺は知っていた。
だってここは、俺が生まれて育った世界じゃない。
それを思い知ったのは、訳も分からぬ場所に出て捕まり、売られて、飼われている間のことだった。
五年ほど前、生きるも死ぬも主人の機嫌次第だった地獄から逃げ出して、出来るだけ遠くへ逃げようと密航を繰り返した。
どこまで行こうとも見知らぬ場所ばかりの世界に絶望して、苦しくてたまらなくて、それでも生きていたかった。
そんな俺が今こうして真っ当な人生を送れるようになったのは、アラバスタにたどり着いて彷徨い、夜盗でも何でもやって生きなければと考えて狙った行きずりの相手が身なりの良いこの人だったからだ。
何故国王様が護衛から離れて歩いていたのか分からないが、弱り切った俺がこの人や駆け付けた護衛に勝てるわけもなく、俺はあっさりと倒された。
囚われて、何故だか手当てをされ、目を覚ましたら上等な城の中。
そしてまともな食事を与えられ、身の上を聞かれた。
横腹に刻まれた焼き印は人間以下の烙印で、多分、手当てをした人間には見られた筈だ。
けれどもこの島には奴隷なんて見当たらないから、きっと誰もその意味を知らない。
さすがに自分が人間以下の扱いをされていたことは話したくなかったから、適当にごまかして語った俺を、この人は追及しなかった。
『そうか。……すまなかった』
まるで自分が悪いことをしたかのように謝られて、何故だか衣食住をいくらか世話された。
もしかしたら何かを勘違いしているんじゃないかとも思ったが、真っ当な人生を送れるようになって今更それを取り上げられるのはお断りなので、俺もそれを追求しなかった。
「ああ、そうだ。今日は良いものを持ってきた」
もうずいぶん前のことを思い出していた俺の横で、わざとらしく手を叩いた国王様がそんな風に言葉を零す。
そうしてそれから、ずっと小脇に抱えていたものをひょいと持ち上げて差し出され、俺は口からため息を漏らした。
「国王様、この前もそんなことおっしゃって物持ってきてましたけど」
「そうだったか?」
「そうですよ。ちゃんとお断りしたでしょう」
気にかけてくれているのは分かるが、あれこれと貢がれるのは遠慮したいものだ。
貰えるものはなんだって貰ってもいいかもしれないが、構えた住居は小さくて狭く、いろんなものを置いておくスペースは無いし、そこまで良くしてもらうのは流石に心苦しい。
未遂とは言え盗賊そのものの行動をして、あっさりと解放された上に首都で暮らすことを許されたというだけでも相当な恩赦だというのに。
「そうだったな、君は抜け目ないが謙虚な男だ。『なんでもない日に物はもらえない』だったか」
俺のこの前の断り文句を口にして、だから今日持ってきたんだと楽しむように言葉が寄越される。
意味が分からず眉を寄せると、今日は〇月◇日だろう、と国王様は言い放った。
「君の生まれた日だ」
「そう……でしたっけ……」
そんな風に言われて、戸惑いながら言葉を零した。
確かに、〇月◇日は俺の誕生日だ。
けれどもこの世界は俺が認識する『日付』とどうにもずれているようだったし、家にはカレンダーすらない。基本的に毎日店は開いているし、遠出をしたり休みたいときは休みの看板を立てる。
何よりサンディ島には季節感があまりないから、ふと思い出して暦を確認したときに『こんなに時間が経ったのか』と感慨深くなる程度のことだ。
「なんと、自分の誕生日を忘れておったのか」
「いや、日付はちゃんと覚えてますよ。国王様が知ってるのだって、前に俺が話したからでしょう」
ただ今日だとは思いませんでしたと正直に答えると、ふむ、と声を漏らした国王様の手が軽く自分の顎を撫でる。
そうしてそれから、その手が持っていた大きな包みがぽいと俺の膝の上へ放られた。
ふかりと柔らかなそれが転がって落ちそうなのに気付いて、慌てて両手で捕まえる。
「なんですか、これ」
「良い睡眠には良い枕が必要だ。新しく仕立てたものだが、腕利きの針子がいるのでな」
ぜひ使ってくれと言葉を寄こされて、俺は目を瞬かせた。
触った感触からして、確かに包みの中身は枕のようだ。
やわらかいそれを抑えたまま、どういう意味だと視線を戻すと、こちらを見つめる相手にかち合う。
「……また眠れておらんのだろう?」
「…………」
いたわるようなその視線に、言い返せずに口を噤んだ。
夜、暗い中で目を閉じていると、嫌なことを思い出す。
時間が経てば遠くなっていくはずの記憶は、ナイフで掻いても消せなかった焼き印と同様に、五年たっても頭の端にこびりついたままだ。
暗闇の中で目を閉じてしまって、次に目を開ける保証はない。
昼間の明るいうちの方がまだ眠りやすいと気付いてから、店の営業時間は夜から明け方に切り替わった。明るくて物音も多いせいで眠りは浅いが、夜よりはましだ。
他の店からあぶれた客を捕まえるためだと説明はしていたけど、どうやらこの人には通じていなかったらしい。
何がどうして、国王様にここまで同情されるのかが分からない。
「……別に、昼間は寝てますよ」
「その共にしてほしいのだ。肌触りも良いぞ」
諭すようにそんな風に言われて、俺はごそりと包みを開いた。
送り主の前で開封した贈り物は、確かに傍らの相手の言う通りの枕だった。
大きいので、抱えて眠ってもいいかもしれない。申告の通り、手触りもいい。
「抱き枕にもちょうど良いですね」
「なるほど。ナマエにはそうかもしれんな」
「今俺のこと小さいっておっしゃいました?」
聞き捨てならない台詞にじろりと傍らを見やると、そのようなことはない、と国王様が答えた。
ここまで良くしてくれる理由が分からないが、しかしそれでも、わざわざ贈ってくれた誕生日プレゼントを突き返すような真似は、さすがに出来ない。
二回目のため息を零しながら、辿るように枕へ指を滑らせて、するりと淵を撫でていったところで、ふと指先に違和感を得て手を止める。
「?」
枕の端の縫い目が、他よりも少し荒れた個所があった。
糸の始末が悪いそこは、他の完璧な縫い目と比べると随分拙い。
『腕の良い針子』が作ったんじゃないのか、と考え、まさか、と思い至ってから視線をもう一度国王様へと向けた。
俺が贈り物を受け取ったことで安心したのか、こちらから視線を外した国王様は、楽しげに城でのことを話している。
辿るようにその顔から肩、腕へと視線を滑らせた俺は、上等な服の袖口から出ている手の指先へとたどり着いた。
よく見たら、片手の人差し指にだけ、小さく怪我の手当てがされている。例えば、針仕事に不慣れな人が傷を作るような場所だ。
自分の予想を裏付けるような証拠にわずかに目を見開いた俺は、それから勤めて自然な動作を心がけて国王様から目を逸らした。
ほんの少し触っただけで、あとは誰かに任せたのかもしれないが、少なくともこの枕は、ネフェルタリ・コブラの手が加わったものなのかもしれない。恐れ多いことこの上ない。
「さて、次に君へ贈るものは、暦にしようと思うのだが」
「カレンダーくらいうちにもあります。使ってないだけです。それに、物を貰ったからには、次に贈るのは俺の方じゃないですか?」
「見返りが欲しくて贈り物をしたわけではない。それは君の生まれた日を祝うためのものだ」
「それなら言葉だけでもいいと思うんですよ」
言われた言葉に言い返していたら、なんと、と声を漏らした国王様がこちらを向いた気配がした。
顔は向けないまま、ちらりと側を見やれば、少しだけ驚いた顔をしていた相手が、星と月に照らされた場所で微笑みをその口に刻む。
「まだ言っていなかったな。誕生日おめでとう、ナマエ」
それからそんな風に優しい声音で言葉を紡ぐから、どうも、と小さく声を漏らすことしかできない。
どうしてこんなに俺のことを構ってくれるのかも分からないが、とりあえず、次にこの人が来るまでに何か贈り物を考えておかなくてはならないだろう。
何を渡してもありがとうと言いそうな人の横で三回目のため息を零した俺に、国王様が声を零して笑った。
end
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