わるいひとのあまいあく (1/2)
※『わるいひとシリーズ』から
※微妙に有知識な小学生男児だった主人公とドンキホーテファミリー
※ワンピースの世界の公用語が英語という捏造があります
ナマエが『ドフラミンゴのもの』になって変わったことは、たくさんある。
あれもこれもと数えていったら両手と両足の指を使っても足りないくらいで、そう伝えるとドフラミンゴはとても楽しそうに『フフフ』と笑ってくれた。
幸せなひと時を思い出し、それから両手で目の前の相手を持ち上げて、あれ、とナマエが眼を丸くする。
「シュガー、また軽くなった?」
「……女に向かってそんな発言する? バカなの?」
機嫌悪く言葉を放ち、じろりとナマエが持ち上げた少女がナマエのことを睨みつける。
寄越された言葉に首を傾げつつ、ナマエは自分が抱えた相手をそのまま運んだ。
「『重い』は言っちゃいけないって言われたけど、『軽い』もダメ?」
いつだったか、うっかりと言ってしまってジョーラに注意されたのを思い出しての問いかけに、両脇の下から掴まれて持ち上げられている少女は答えない。
そのまま運んでひょいと置いた先は柔らかなクッションを積まれた一人掛けソファの上で、一度背もたれに埋もれるように置いた後でくるりとひっくり返すと、いたい、と不満げな悲鳴が漏れた。
ごめんね、とそれに謝りつつ、楽に座れるように姿勢を整えさせて、零れた柔らかなぬいぐるみ達を元の場所へと戻す。
左右に愛らしい人形たちを積まれた彼女は、誰がどう見ても可愛らしい少女である。
ふんわりとしたスカートから揃えて伸ばされた両足が両方とも包帯に覆われていなかったなら、本当にただ可愛いだけだったに違いない。
「ご苦労様」
膝の上に気に入りのグレープが入った籠を乗せて、仏頂面のシュガーがそう言葉を放つ。
うん、とそれへ答えながら周りに広げられていた小さなテーブルやそれ以外を彼女の手の届く方へと移動させて、荷物を運んだナマエが、あれ、とまたも首を傾げる。
シュガーが怪我をすることは頻繁ではないが、本当に時たま起こりえることだった。
彼女の得た悪魔の実の能力は凶悪だが、彼女自身は可愛らしい少女だ。もちろん戦えるだけの力は備えているが、それでも小さく、か弱いことには変わりない。
その世話を任される、ということはナマエにも時たまあることで、今日もまたそれだった。
治療はきちんと行われており、幹部数人とナマエの主が『報復』に出ている。きっと夜には戻るだろう。
「どうかした?」
自分の手を見下ろして首を傾げるナマエへ向けて、ソファへ座った少女が尋ねる。
その言葉を受け、首を傾げたままでナマエは答えた。
「なんだか、机も軽いみたい」
この小さなテーブルは前も運んだ覚えがあるが、もっと重かったような記憶がある。
新しい木材に変わったんだろうか、と見知ったはずの調度品を見やったナマエの耳に、はあ、とため息の音が届いた。
それを追うように視線を戻せば、頬杖をついたシュガーが呆れの混じった眼差しをナマエへと向けている。
「毎日誰かとじゃれあってて、そうならないわけがないでしょ」
「『そう』?」
「背だって伸びたみたいだし、そういうものよ」
いつまでも子供でいられると思ったのと、昔と変わらない声の紡いだ言葉が呆れを隠しもしないままで寄越される。
放たれたそれにぱちりと瞬きをして、もう一度自分の手元を見下ろしたナマエは、そうか、とひとりで頷いた。
ここへきて、すでに数年が経つ。
直し続けている首輪は二つ目のままだが、渡される衣類はすでに何度か大きさが変わっている。
だから確かに体は少し大きくなったのだろうと思ってはいたが、ナマエはどうやら、いくらかの筋力を手に入れているらしい。
「俺……強くなってる?」
「そうかもね。でも私の方が強いに決まってるの、思い上がらないで」
少し荒れた手を握りしめて尋ねたナマエへ、嘲笑すら交えたシュガーがそう応え、その背中がソファの背もたれへと沈んだ。
ふかふかのぬいぐるみに寄り添われながら、両足が不自由なままの彼女が、顎を逸らしていくらか見下すような視線を寄越す。
「分かったら、次からはもっと優しく丁寧に運びなさいよ」
じとりと睨みながらのその発言に、どうやらシュガーはさっきの運搬方法が不満だったらしいと、ナマエは理解した。
※
「ウハハハハ! そいつァ、まァ、お前が悪い」
棒を片手に言葉を寄越されて、相手へ手元の棒を向けながら、そういうものなのかとナマエが首を傾げる。
今日の午後は、久しぶりにディアマンテとの手合わせだった。
ドンキホーテ・ドフラミンゴのペットとなってからもはや数年が経ち、いつからだったかは覚えていないが、いつの間にやらナマエの日常にくみこまれていた実技の一つだ。
ナマエの体が脆いことをみんなが知っているからか、酷いことをされたことはない。
「でも、運んでって言われたから運んだのに?」
「荷物みたいに運ばれるのがイヤだったんだろ、小さいなりでも女だからな」
言葉を返しつつ、ひらり、とディアマンテの腕が揺れる。
それと同時にまるで風ではためく旗のようにその手にあった棒の形が変わり、陽炎のようにゆらゆらと揺れた。
その状態のままで前へと突き出されたものを、ナマエの手が自分の手にある棍棒でそれを受ける。
ゆらりと揺れた棒はナマエの武器をすりぬけるように外れたが、顔を狙ったそれを眼で追いかけたナマエの体が傾き、正面からの突きを避けた。そしてナマエの髪をかすめたところで、ひらひらと揺れていた棒が元の姿を取り戻す。
それをすぐさま手で跳ねのけると、手は使うなっつっただろうが、と棒を動かしたディアマンテの方が言葉を放つ。
「刀の刃でも同じことをするつもりか? 覇気も使えねェ腕が半分になるぞ」
「ごめん」
唸る相手へそう返してもう一度手元の棒を構え直し、ナマエの眼が上背のある男を見上げた。
棍棒の先を刀のように相手へ向ければ、よし、と相手が頷く。
もう一度、とゆらりと棒を揺らした相手へ、でも、と先ほど湧いた疑問がナマエの口をついた。
「俺、シュガーをどうやって運んだらいい?」
確かにナマエは成長してはいるが、まだまだまわりの大人に背丈は追いつかない。
例えばドフラミンゴほどの背丈があったなら片腕で抱き上げたりすることも可能だろうが、恐らくそれは難しいし、自分がシュガーを抱き上げるなら、足を動かさなくてはならない。
怪我をしている足でしがみ付けと言うのは可哀想だ。
眉を寄せたナマエの言葉に、そりゃあお前、とディアマンテが返事をした。
「もっとまともな抱き上げ方があるだろ? 女の喜ぶようなよ」
「例えばどんな?」
やってみて、と棒を片手に両手を差し出すと、それを見下ろしたディアマンテがわずかに眉間へ皴を寄せる。
「おいおい止せ、おれァ男を抱く趣味はねェ」
「ちょっと抱っこするだけなのに?」
「何度言われようが同じだ、『先生』なら他にもいるじゃねェか」
「天才のディアマンテ先生に教えてほしいのに」
「そこまで言うなら仕方ない」
言葉と共にぽいと棒を放り捨てた男が、そのままひょいとナマエの体を持ち上げた。驚いた拍子に落ちた棒が、カランと床の上で弾んで音を立てる。
片手を背中側に、片手を両足の太ももの下あたりへ添えられて、男の腕の上であおむけにされる。そうして、宙に浮かんだ自分の足先を見やったナマエが、ぱちぱちと瞬きをした。
「おーおー、一丁前にでかくなりやがって」
重さを確かめるようにゆらゆらと上下に揺らしてから、ディアマンテが殆ど真上からナマエの顔を覗き込む。
「どうだ?」
「……なんか、落ちそう」
背中と足を支えられたまま、あおむけにされているのだ。
ナマエの手がそっとディアマンテの服を掴んでいるので少なくともひらひらと翻られたりはしないだろうが、いつ落とすもディアマンテの意志一つである。
不安定な尻の下にもぞりと身じろいだナマエの傍で、ウハハハ、と楽しげに笑い声を零したディアマンテがぱっと手を放す。
高さのある場所から落とされて、慌てて受け身を取ったナマエは、ころんと床を転がってからすぐに体を起こした。
「ひどいと思う」
「なんだ、落としてほしいって言う催促かと思ったぜ」
両手をひらひらと揺らしてそう言葉を放たれて、そんなわけないじゃないか、とナマエは眉を寄せた。
けれどもそれから、先ほどの自分の姿勢を思い出して、そっと両手で架空の誰かを持ち上げてみる。
「……運びやすそう?」
「まァ、女を運ぶにゃァちょうど良い」
ディアマンテの発言に、うん、とナマエは頷いた。
先ほどの姿勢で運んだなら、確かにシュガーの言うように丁寧に運べたに違いない。何せ、一度ソファへ乗せてからひっくり返す手間がない。
ふむ、と一つ考えて、もう一度両手を動かしたナマエは、ちらりとディアマンテを見やった。
「自分より大きい人でも運べるかな?」
「どうだろうな、持ち上げられるだけの筋力がありゃァ出来るだろうが……なんだ、今度はベビー5でも運ぶ気か?」
それともモネか、ジョーラかと面白がるように言葉を紡いだディアマンテに見下ろされて、あのね、とナマエが言葉を放つ。
「ドフラミンゴ」
「…………おいやめろ」
想像しちまったじゃねェか、と唸る相手に、ぱちくりとナマエは数回瞬きをした。
※
「やめて、きたない。死んで」
「べへへへへ!」
じろりと睨んだシュガーが言い放ち、それを聞いたトレーボルが楽しそうに笑った。
仲が良さそうなやり取りを聞きつつ、ナマエの手がぎゅっと力を込める。
頑張っているのが分かっているからか、シュガーもその手をそっとナマエの肩口へ添えていた。
「んねー、んねー、やっぱり落っことさないようにベタベタチェーンを使え〜?」
「しつこい。ナマエにはどうせ通じないくせに」
先ほどの自分の提案を繰り返してくる相手に、シュガーが言い返す。
そうしてそのまま、傷を負った足を揺らして、ナマエも頑張りなさいよ、と言葉を投げられた。
「うん」
それへ返事をしつつ、ナマエもしっかり両腕に力を込める。
つい先ほど、『報復』に出ていた仲間達が戻ったという連絡があった。
戦利品を眺めつつの夕食の宴の用意が始まって、ナマエも世話係としてシュガーを広間へ連れていく為に働いている。
ディアマンテに教わった通りに抱き上げると、腕の中の見た目だけは幼い彼女も機嫌がよくなったようだが、シュガーの部屋から広間までは思ったより距離があった。
途中で出くわしたトレーボルが追い抜きもせず後ろからついてきているのも、もしナマエがシュガーを落としてしまったら、と考えているからだろう。シュガーの能力を考えれば、彼女が不慮の事故でこれ以上の怪我をするのは当然避けたいことだ。
「べへへへ、もう少しだ、頑張れナマエ」
「うん……!」
「ちょっと、私が重いみたいじゃない」
激励に気合いを入れたナマエにたいして、眦を釣り上げた少女が文句を言っている。グレープの匂いがしみついた指がナマエの頬をぐにりとひっぱり、なかなか痛い。
それでもそのままシュガーを抱き上げて歩いたナマエは、無事に広間へと辿り着いた。
先ほど用意された柔らかな椅子へと彼女を運んで、そっとそこへ座らせる。
今回は痛がらせることもなく、無事に仕事を終えたナマエに、いいじゃない、と座る位置を自分で調整したシュガーがわずかな微笑みを浮かべた。
「今回は及第点よ。ご苦労様、ナマエ」
そうして寄越された労いの言葉に、つまり最初に部屋で椅子へ運んだ時は合格してもいなかったのかと気付いてしまったナマエは、少しばかり照れて頭を掻いた。
それから、シュガーの椅子をそっとテーブルの方へと寄せて、彼女が食事をしやすいように世話をする。
最後にグレープの籠も近くへ寄せれば、一旦は仕事も終了だ。
「よォ、ナマエ。頑張ってるじゃねェか」
よし、と額ににじんだ汗をぬぐったナマエの耳に、聞きなれた声が届いた。
それを受けて視線を向ければ、いつもの場所に座った大男が、にやりと笑って手招きをしている。
「ドフラミンゴ!」
ぱたぱたとそちらへ近寄り、お帰りなさい、と声を掛けると、タダイマといつものように返事がもらえた。
見たところ、ドフラミンゴは怪我の一つもしてはいないようだ。
そのことにほっと息を零したナマエの後ろ襟が、ひょいと伸びてきた大きな手によって掴まれる。
ぐいと引っ張り上げられた体がそのままドフラミンゴの膝に乗り、いつもと同じそれにナマエはとりあえず両足をそろえた。
ドフラミンゴの体は大きく、少しは大きくなったはずのナマエの両足は、膝に乗せられてしまうと床にもつかない。
それでも、前よりは近くなったその顔を見上げていると、それを見下ろしたドフラミンゴが引き寄せたグラスをナマエへと手渡した。
ガラスのグラスの内側を満たしているのは、大体こういうときにナマエへと振舞われる果実ジュースだ。
「シュガーに酷いことした人達、やっつけた?」
「あァ、当然だ。おれ達が『家族』を傷つけた連中を逃がすわけがねェだろう?」
同じように足を潰してやった、と食卓の前でなんとも不穏なことを言い放つドフラミンゴに、ふうん、とナマエが相槌を打つ。
ドフラミンゴの元に来てから数年、最初の頃よりもドフラミンゴのやることを知る機会が多くなったが、ナマエはもともと、ドンキホーテ・ドフラミンゴが『悪い』方の人間なのだと知っている。
『良い王』としてドレスローザに君臨していても、きっとその根底にあるのは『悪い』考えなのだ。
しかしそれでも、ドフラミンゴが『家族』と呼ぶ仲間達を大事にしているのは本当で、ひょっとしたらその端っこに自分もひっかけてもらえているかもしれない。
浮かんだ考えは図々しく、けれどもそう想像するだけでなんだかこそばゆかった。
打ち消すようにグラスへ口を付けたナマエを膝にのせたまま、フッフッフ、とドフラミンゴが機嫌よく笑う。
そこでベビー5達が食事を運んできて、今日の宴が始まった。
※
『じゃあね』とか、そんな一言も無かった。
ただいつものように、きちんと着替えて化粧をした彼女は、ナマエへ一瞥もくれずに部屋を出て行った。
ぼんやりとそれを見送り、あったものを口にして学校へ行って、家へと帰る。
薄暗い家の中でぼんやりとテレビを見ながら、次の日の昼まで待っても誰も帰らなかった家の中で、置いて行かれたのかな、といういくらかの理解をしたのは覚えている。
袋が開いていたせいで硬くなってしまった食パンを一枚かじって、ぼんやりしてから学校へ行く準備をした。
給食の時間は過ぎてしまったし、学校へ行く必要なんて別に無かった。遅刻したことを怒られるかもしれない。それでも、ただ何となく準備をした。
たまに遊ぼうと誘ってくれる相手はいたけど、もしそう誘われたらどうやって断ろうかなとか、そんなことを考えながらのろのろと手を動かしていた気がする。
人と遊ぶのはとてもお腹がすくことで、家にある食べ物は限られているから、できればあまり体は動かしたくない。
学校が終わったら、近所の古本屋へ行こう、なんてことも考えた。静かだし、人はいるし、誰も子供のことなんて気にしないし、時間が潰せる。
家でじっとしていたっていいのに、出かけて、帰りには寄り道をしようと考えたのは、どうしてか。
さっきパンを食べたばかりなのにまるでお腹が空いているみたいに体の中がきゅうっとして、なんだか体に力が入らなくて、ランドセルを閉じる自分の動きがとても鈍い。
あの頃のナマエには、まるで分からない気持ちだ。
けれども、今だったらそれが何なのか分かる。
あの頃の自分は、きっと、とても寂しかったのだ。
※
→
戻る |
小説ページTOPへ