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恋の奈落
※主人公はトリップ系海兵(有知識だけどそれほど意味はない)
※名無しオリキャラ注意(後輩)



 性別だとか年齢だとか、そう言ったことを度外視した相手を好きになった。

『お前さん、大丈夫か?』

 振り向いて尋ねられた時、言葉すら出せないままこくりと頷いたら、まるで俺を安心させるようににかりと笑ったその表情が決め手だった。
 ひらりとはためく正義のコートも圧倒的なその強さも、自信にあふれた堂々と佇むその姿もなんのてらいもない笑顔も、何もかもがまるでヒーローのようで、最初は憧れかと思ったが、それ以上の感情だった。
 気付いたのは『海軍』に保護され彼が『誰』なのか知った後のことで、かなうはずもない恋だ。
 それでも、右も左も分からぬ場所で、目の前に迫った分かりやすい命の危険から俺を救ってくれたのは、背中に正義を持つあの人だった。
 あの日あの瞬間に俺を助けて振り向いた相手が安心させるようににかりと笑ったから、俺はこうしてここにいる。
 『吊り橋効果ってやつだろう?』だの『錯覚じゃないのか』だのと心配そうに言ってくる友人もいるが、もしそうだったとしても、どうしようもない。
 恋とは落ちるものであって、そこから這い上がる術は残されていないのだ。

「中将、なんでそう元帥を怒らせちゃうんですか」

 眉を下げて、とりあえず積まれた書類を抱えて運びながら声を掛ける。
 わしゃァ悪くないわい、と言わんばかりの不満顔で執務机に向かっている我が上官殿は、むっと口を尖らせた。

「センゴクの奴が怒りっぽいのがいかん」

「またそんなことをおっしゃって」

 いつも通り過ぎる相手にため息をつきながら、俺は抱えていた書類を相手の机の上へと置いた。
 うず高く積まれた書類群達は、つい先ほど運び込まれてきた報告書だ。
 元帥のところへ行ってくる、と言って出かけていたから、多分また、『働け!』と怒られて元帥の元を追い出されてきたんだろう。
 努力して努力してようやく『副官』になってから知ったことだが、この人は書類仕事が嫌いだ。

「この辺が急ぎです」

「ん」

 期日の迫ったものを一番前に寄せると、しぶしぶと言ったふうに頷いた中将がその手を動かした。
 ぺらりと紙をめくり、つまらなそうに書面を眺める相手を見やってから、とりあえずは自分の机へ戻る。

「少し届け物に行ってきます」

 言葉を放りながら引き出しを開いて一昨日買ってきた箱を掴みだすと、俺の仕草に気付いたらしい部屋の主が『届け物?』と首を傾げた。

「わしはまだどの書類も仕上げとらんぞ」

「はい、お茶も淹れてきますから頑張ってください」

 寄越された言葉に頷きながら微笑むと、俺の方を見たガープ中将がこちらを軽く手招く。
 その動きを見てすぐに相手へ近寄ると、椅子に座ったままでぐい、と体を前に倒した中将が俺の持っているものを覗き込むようにした。

「なんじゃ、センゴクへの賄賂か?」

「違います、差し入れです」

 包みからしてセンゴク元帥が贔屓にしている菓子店のものだと分かったのか、怪訝そうにしながら寄越された言葉に、俺は慌てて首を横へ振った。
 センゴク元帥のことだから、きっと今頃ぷりぷりと怒りながら仕事をしているに違いないのだ。
 お茶請けを差し入れすれば副官がお茶を出す機会にもなるだろうし、怒りを鎮めてほしいというのが本音だった。
 いつも通り派手に怒られたのならガープ中将が怒らせたのは周知の事実だろうし、中将は気にしないが、怒っている元帥に報告に行く他の海兵が可哀想だ。
 巡り巡って中将への心証が悪くなることだけは避けたいので、つまり元帥には早めに機嫌を直してもらいたい。
 俺の打算が読めたのか、ふむ、と声を漏らしたガープ中将が、ひょいと俺から箱を取り上げる。
 表と裏を確認してから、その手が軽く箱を上下に振った。

「いーや、やっぱり賄賂じゃな」

「そんなことありませんって」

 きっぱりと言い切る相手に手を伸ばして、奪われたばかりの箱を取り返した。
 少し包みに皴が寄ってしまったのを軽く伸ばしてから、ふと自分の方を見ている双眸に気付く。
 じっと見つめるガープ中将に首を傾げて、あの、と声を漏らした。

「どうかなさいましたか」

「わしのは?」

「え? ないです」

 寄越された問いかけに素直に答えると、がくりとガープ中将が肩を落とした。
 明らかに気落ちしたと分かる様子に、え、と慌てて包みを持ち直す。

「あの、これおかきなんですが、おかきが食べたかったんですか?」

 いつもなら、ガープ中将がおいしく食べているのは煎餅の方だ。
 そちらはちゃんと用意してあるのだが、もしや今日の気分はおかきだったのだろうか。
 それなら買いに走らねばと言葉を並べると、おかきかどうかが問題じゃないわい、と言葉が寄越される。

「わしの分が無いのが問題だと言うとる」

「…………中将のは別でちゃんと買ってありますよ。煎餅ですけど」

 子供みたいなことを言いだす相手に、今度はこちらががくりと肩を落とした。
 俺とは逆にパッと顔をあげたガープ中将が、本当か、と嬉しそうな顔をする。
 眩いそれに目を細めて、俺は微笑みを浮かべた。

「本当ですよ。この前、中将がおいしいって言ってた店のです」

「ほォ、あの店か!」

「はい、だから、とりあえずそこの書類から片付けましょう」

 そうしたら一旦休憩にしましょうね、と続けると、分かった、と嬉しそうな顔のままで中将は頷いた。
 俺より年上でもはや孫だっているような年齢なのに、そんな風に可愛いことをするのは本当にどうかと思うのだが、当人には自覚がないのはいつものことである。







 ガープ中将を執務室へ残して、センゴク元帥のところまでの届け物をして、給湯室へ寄る。
 用意されているコーヒーではなくお茶を淹れて、それから執務室へ戻るのに、それほどの時間はかからなかった。
 しかしながら、室内には人の気配がなく、そのことにため息を漏らす。

「また出かけてる……」

 執務机に向かっていた姿がもはや欠片もない。
 なんてことだと息を漏らしつつ机へと近づくと、俺が『急ぎ』だと言った書類束の上にペーパーウェイトが乗せられていた。
 お茶を乗せたトレイと交代で持ち上げたその書類束だけは、どうやら処理が終わっているようだ。
 『急ぎ』だけじゃなくて他のものも終わらせてもらいたかったのだが、仕方がない。
 センゴク元帥のところからは追い出されたばかりなので、同じところにはいないだろう。
 書類を届けるついでに回収して来ようと考えて、俺は再び執務室を後にした。
 可能性のありそうなところを覗きながら書類を届けて、最後に一番あり得そうだった場所へと近付く。
 途中から聞こえだした大きな物音や怒号じみた海兵たちの声に、俺は自分の予想が合っていたことを知った。

「あ! ナマエさん!」

 土埃の立つ訓練場の端から顔を覗かせると、目ざとく俺を見つけた海兵の一人がこちらへと駆け寄ってくる。
 あれ何とかしてください、と言い放った後輩の彼が指さした先には、訓練場の真ん中で暴れている人影があった。
 新兵や他の海兵たちをちぎっては投げているのは、誰がどう見ても俺の上官であるガープ中将だ。
 表情だけを見ればとても楽しげで、まるで子供と本気の遊びをしているかのように微笑ましいが、周りの海兵たちの表情を見ればどれだけそこで暴れまわっているのかが分かる。大の大人があんなに空高く放り投げられて、よく無事に着地出来るものだ。

「今日も元気だなァ」

「『元気だなァ』じゃないですよ!」

 しみじみ呟いた俺の肩をすぱんと叩いて、何とかしてください、ともう一度後輩が言葉を繰り返した。
 そんなことを言われても、文官の俺がガープ中将を止めることなんて出来るはずもない。
 止められるとすれば訓練場の端で笑っている教官殿か、先ほど差し入れを渡してきた元帥殿くらいじゃないだろうか。
 俺の言いたいことが伝わったのか、ちらりと見やった先の後輩が、俺を睨んで強くこぶしを握る。

「ナマエさんの買ってきたおやつを美味しく食べるためだって張り切ってるんですよ、あの人!」

 だからナマエさんに責任がありますと言葉を続けられて、俺は思わず瞬きをした。
 ちらり、といまだに海兵たちの相手をしているガープ中将を見やり、それからまた傍らの後輩へ視線を戻す。

「……本当にそんなことを?」

 見つめながら尋ねると、俺の両眼を見つめ返した後輩が眉を寄せて頷いた。
 とても真剣な顔だ。嘘を吐いているとは思えない。

「か……」

 思わず口から漏れそうになった言葉を飲み込んで、片手を口元に当てた。
 それから後輩の視線から逃れるように顔を逸らして、誰もいない逆側へ視線を向ける。

「……言っときますけど、中将をそんな簡単に『可愛い』って言うの、ナマエさんくらいですよ」

 明らかに呆れた声が耳に届いたが、俺はまだその一言は口にしていない筈だ。
 どうにも、俺は顔に出やすいのかもしれない。
 いやしかし、いまだにガープ中将にこの胸の内の想いは気付かれていないのだから、ある程度のポーカーフェイスはできているだろう。そうでなかったら、いつまでも副官として傍においてはもらえない筈だ。

「別にそんなことは言っていない」

 一度、二度と深呼吸をしてから視線を戻して、後輩へ向けて言葉を放つ。
 俺の言葉に、何故だか後輩は呆れたような顔をした。

「ナマエ!」

 『先輩』を敬わない失礼な相手に言葉を並べようとしたところで、大きく響いた呼び声に気付いてすぐさま顔を訓練場の方へと向ける。
 背筋すら伸ばして見やった先では、俺に気付いたらしいガープ中将が大きく手を振っていた。

「お前もやってくか!」

 言葉と共に片腕が一薙ぎにされて、中将の傍の海兵がそれを慌てて避けてしりもちをつく。
 周りの海兵たちはばて始めているようだが、中将はまだまだ元気そうだ。

「俺は遠慮しておきます」

 そのままずかずかと近寄ってきた相手を見上げて答えながら、その頬に土汚れが付いているのに気付いてポケットを探った。
 出てきたハンカチを差し出して自分の右頬を指差すと、近寄ってきたガープ中将が少しばかり首を傾げてから、俺から受け取ったハンカチを俺の右頬に押し付ける。

「いや、俺じゃないですよ。中将の顔の方です」

「ん? おお、わしか」

 ぐりぐり頬をこすられて慌ててその手を押しとどめると、なるほどと頷いたガープ中将が自分の頬を片手の甲で擦った。俺がハンカチを渡した意味がまるで無い。
 手の甲についた汚れを見て、こりゃしまったな、と慌てた様子でその手が自分の羽織っていたコートを脱ぐ。
 少し土埃のついたそれが軽く上下に揺らして汚れを払い落され、そのまま俺の方へと向けられた。

「参加せんなら、しばらく持っとれ」

 ほれ、と言い放ったその手がコートを放したので、慌てて両手でそれを受け取る。
 裾が大地へ着かないようにと両手を使って抱え込んでから、俺は改めて中将を見上げた。

「中将、書類が溜まってますが」

「急ぎの分は終わらせとったじゃろう」

 言葉を並べながら、丁寧にたたんだハンカチをコートの上に乗せて、にかりと中将が笑う。

「せっかくうまいものを喰うんなら、腹を減らさんとな!」

 ぐっと拳を握り、当然のことだというようにそんな風に言い放ってから、中将の視線が俺の側へと向けられた。

「ナマエと知り合いか?」

「え?!」

 急に話しかけられて驚いたのか、後輩の方から慌てたような声が漏れる。
 しばらく同じ隊にいた後輩です、とそちらの紹介をするために俺が言葉を並べると、そうか、と頷いたガープ中将の手が後輩の方へと伸びた。
 お前さんもサボっとらんで参加せんか、と言葉を並べられてしまった後輩が、中将にその背中を叩かれて訓練場へと連れ去られて行く。
 縋るように向けられた視線に軽く片手を振って返すと、あきらめたように後輩はこちらから視線を逸らした。

「……よっと」

 ガープ中将が戻ってきたことに慌てている海兵たちを眺めつつ、コートの上に乗せられたハンカチを片付けてから、とりあえずコートを畳みなおす。
 少し土汚れが付いてしまっているので、執務室に戻ったら汚れを落とす必要があるだろう。海軍将校のコートは、はっきりと白さを示したものであるほうがいい。
 本当はあの背中を飾っていた方が良いに決まっているが、背中にコートがあろうがなかろうが、ガープ中将が素晴らしい海兵であることに違いはなかった。

「腹を減らさないと、だって……」

 先ほど聞いた言葉を思い出して、なんとなくにやけそうになって口を一生懸命引き結ぶ。
 執務室から離れたいだけで本気ではないだろうが、本当にあんな理由を持ち出しているだなんて、全く子供みたいな人だ。
 可愛い、なんて言葉が頭を回るが、口から出してしまわないように必死に堪える。
 俺が恋に落ちて、もう数年は経つ。
 いまだに他の誰より輝いて見えるあたり、俺の上官はとてつもなく罪深い人間だ。
 そんなことを考えつつ、どうにか暴れまわる誰かさんのいる訓練場を見やる。
 他がバテたせいかあの後輩が随分と構われていて、そこについては少しばかり羨ましいくらいだ。
 しかしまあ、俺にはそこまでの体力がないので、取って代わりたいと思っても無理な話である。

「ふう……待たせたのう!」

 しばらくのち、さすがに満足したらしいガープ中将が戻ってきて、またこちらへ向けてにかりと笑った。
 目をつぶしそうなほどまぶしいそれを見上げて、お疲れさまでした、と答えた俺もまた微笑みを浮かべる。
 この距離のまま一緒にいられるなら、這い上がれなくたって構いやしないのだ。



end


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