本日貸切中
※記憶有り転生トリップ主人公
この世界が『ワンピース』の世界だと気が付いたのは、恥ずかしながら三歳の頃の話だ。
頭の中に『前世』の記憶がある俺は、そこで読んだ『ワンピース』という漫画でこの世界のことを知っていた。
何でって、世界政府に海軍に海賊に海王類、手配書。ついでに言えば悪魔の実の能力者。どれも俺が知っている『前』の世界では一般的に聞くことのない単語だったのだ。
一時期はもしや全部『自分の妄想』なんじゃないかとまで考えたが、『海賊王』が処刑されたニュースによってそれすら否定されたのが、確か十二の時。
仕方なく開き直った俺が、この世界で生まれ直した体が『漫画』や『アニメ』で見たような動きができるようになっていると気付いてから、目指したのは『前世』と同じ『料理人』だった。
食材を輪切りにして跳ね飛ばしたそれをボウルにきちんと収めるだとか、放った皿が割れることなく片付くだとか、見たことも無い食材が食べたことも無いくらいにうまいとか、一口食べれば同じ料理を自分で作ることができるとか、さすがに『ワンピース』の世界はファンタジーだ。
そして今日も、店で出す料理の新規開拓のため、港市場へと出かけたわけだが。
「……いや、俺が先だった」
「何言ってんだ、おれが先に声かけたって。なあ親父!」
初めて見る巨大魚を買い付けようとしたら、フランスパンのようにリーゼントを立てた男に割り込みをされた。
親父、と呼びかけられた店主は、そっちで決めてくれと苦笑いをして、他の客の対応に戻っている。
その様子にため息を零してから、俺はリーゼント男に視線を戻した。
「どう考えても俺のほうが早かった。初めて扱う食材なんだ、譲ってくれ」
「初めて!? お前エレファントホンマグロを初めて捌くってか?! ダメダメ、こんないい魚をそんな奴には渡せねーよ」
「誰にだって初めての時はある。今が俺のその時なんだ」
拳を握って力説してみたが、いやいやとリーゼント男は首を横に振るばかりだ。
どうやら、この象みたいな鼻とひれの巨大魚は、随分と『いい』魚らしい。
そういえば、エレファントホンマグロと言う名前は『読んだ』ことがある気がする。とても美味いとか言っていなかっただろうか。
「おれはこれをオヤジに食わせるって決めたんだよ。だから駄目。おれに譲れ」
「初めて見る食材だから扱ってみたいんだ。俺に譲ってくれ」
「い・や・だ!」
ぷんと頬まで膨らまされてしまった。いい年した男がやっても可愛いとは全く思えないが、それにしても頑固な男だ。
呆れて見つめる俺を睨むリーゼントの男にため息をつくものの、どうやら珍しい魚らしいこれは、今を逃したらまたしばらくは手に入らないに違いない。だとすれば、俺にだって譲るつもりは無いのだ。
エレファントホンマグロなんていう名前の魚の傍でしばし二人でにらみ合っていると、あのよ、と横から声が掛かった。
リーゼント男と共にそちらを見やれば、何人かの客を応対していた店主が、肩をすくめる。
「お前さん達、二人で買ってくれればいいんじゃねェか」
言われた言葉に、俺はぱちりと瞬きをした。
そんな俺に節くれだった指を向けて、店主が続ける。
「そっちの兄ちゃんはこいつを捌きたい。んで、そっちの兄ちゃんはこいつを食わせたい相手がいる。だけどこいつは一匹だ」
言葉の後半でリーゼント男と巨大魚に指先を向けてから、ほらな、と笑った店主が俺とリーゼント男へ向かって右掌を差し出した。
「一緒に買って一緒に料理して、一緒に食っちまえばいい」
さっさと買って帰っとくれよと続けた店主の顔は笑っていたが、その目はどうにも笑っているようには見えなかった。
どうやら、店の前で騒いでいた俺達二人が迷惑だったらしい。
※
結局、二人でベリーを半分ずつ払って、エレファントホンマグロはそのまま俺の店へと運び込まれた。
俺は魚を捌けるならどちらでも構わないが、見ず知らずの奴を船へ連れて行けるか、なんて唸ったリーゼント男への配慮だ。
ドアの外側に本日休業中のボードを置いて、二人だけでキッチンへと入る。
「……へえ、結構な店だな」
店内を眺めて、そんな風に言った男はサッチと名乗った。
服装から見ても分かる通り、どうやら料理人らしい。船と言う発言からして、どこかの船乗りを兼業しているかもしれない。
「それはどうも」
返事をしつつ、巨大魚をまな板の上に置く。
改めて、その魚をしげしげと眺めた後で包丁を手にすると、店の内装を眺めていたサッチがそれに気付いてこちらへと近寄ってきた。
「あ、鼻は捨てんなよ。そこが一番美味いんだ」
「分かった」
頷いて、包丁を入れる。
さすがにマグロというだけあって随分と皮が厚いが、この間研ぎ師に出したばかりの包丁はするすると巨大魚を解体した。
時々横から声を掛けてくるサッチのアドバイスも半々で応えつつ、丁寧に解体し終えてから、ふうと息を吐く。
初めてのわりに、美味くできたんじゃないだろうか。
満足な俺の前で、案外早かったな、とサッチが感心したように口を動かす。
「あまり他の魚と変わらなかった」
「おま……だったら素直におれへ譲っとけよ、マジで……」
「いい経験にはなった」
呆れたようなサッチへそう言い返しながら、手を洗ってフライパンを取り出す。
「どうした?」
「持って帰るんだろう? 火は通したほうがいいだろうし、台無しにはしないから心配無い。……多分」
「ぜんっぜん安心できねェ!」
料理しようとフライパンを火に掛けた俺に、呆れた声を上げたサッチがキッチンへと侵入してきた。
まあ、元々俺がばたばたと動き回れるように広めに作ってあるキッチンなので、人が一人増えたところでどうということもない。
「手は洗ったほうがいいと思うぞ」
「当たり前だろうが!」
優しく勧めただけなのに、どうしてか怒られてしまった。
何かとこだわりのある男らしい手洗い後のサッチに料理を任せて、こまごまとしたものを手伝ってやることにする。
どうやらソテーを作るつもりらしいので、そのための調味料を出してやった。更には煮付け、フライと大量の切り身を全て使うつもりらしいサッチに合わせて他の食材も刻んだりして提供してやりながら、出来上がった料理を持ち帰り用の容器へ入れて片付けていく。
「っと、よし、次はソースだ」
「これ使うか?」
「ん? 何だこれ」
「うちの『秘伝』のソースだ」
「へェ! そんなの使っていいのか?」
「俺が一昨日開発したばかりだから構わない」
「どこが『秘伝』だ!」
求めていたから出してやったのに、サッチはどうしてかばしんと俺の背中を叩いた。とても痛い。
非難がましく見やれば、呆れた顔をしながらもソースを小匙に少しとって舐めて、それからその目がぱちりと瞬きをする。
しばしの沈黙の後、サッチの手がソースを料理の上へと掛けた。
どうやらお眼鏡にかなったらしい。
しばらくリーゼント込みでその顔を眺めていると、やや置いてから、うまかった、とサッチが呟いた。
「まだ俺しか食べたことが無いんだが、魚には合いそうか?」
「おお、合うと思うぜ」
「それなら良かった」
尋ねてみたところ笑って返事を寄越されたので、こくりと頷いておく。
甘めのソースにしたんだが、これなら店にも出せそうだ。
それからもいくらか料理をして、結局エレファントホンマグロの影も形もなくなったのは、俺がサッチを伴って店へ戻ってから数時間した頃のことだった。
誰もいない店内のテーブルには、どどんと持ち帰り用の容器が並んでいる。零さないようにもって帰るだけでも大変そうだ。
「本当に全部貰っていいのか?」
尋ねられて、ああ、と頷く。
出来上がった料理はそれぞれ味見をしたが、エレファントホンマグロは本当に『いい』魚だった。また今度見かけたら、次は客に出せるようにしっかり買おう。
「『オヤジ』さんにしっかり食べてもらってくれ」
俺の返事に、何か悪いな、と言って笑ったサッチが、容器を丁寧に包む。
どうやら船に帰るらしいサッチを店の外まで送り出して、午後は店内の大掃除でもしようかと考えた俺の前で、歩き出そうとしていた足を止めたサッチが振り返った。
「そうだ、ナマエ、お前の店、予約はできるか?」
「? ああ」
「それじゃ、デリバリーは?」
「……テイクアウトなら。もしくは、出張してそこで作って構わないなら」
この店は俺とウェイトレスのバイト一人だ。運ぶにしても、量が多いと時間が掛かる。
俺の答えに、そうかと言って笑ったサッチが、伸ばした手で軽く俺の肩を叩いた。
「それじゃあ、明日の夜、『家族』を連れてくるから予約させてくれ」
「『家族』? ああ、『オヤジ』さんか」
「いやァ、オヤジはこの店には入れねェなァ」
俺の言葉にサッチがそんなことを言う。
そんなに入りづらい外観をしているだろうかと自分の店を振り返った俺に、まあ気にすんなよ、と言葉を述べたサッチが俺の肩から手を離した。
「お前の料理、きっと美味いから楽しみにしてるぜ!」
何だ、きっとって。
そう言ってやりたかったのに、じゃあな、と言葉を置いて歩き出したサッチに言葉を投げることもできないまま、俺は店の前でサッチの背中を見送ることになってしまった。
あれだけの量を持っているというのに、まったく体をふらつかせる様子が無い。さすが、『ワンピース』の世界の人間だ。
リーゼントの彼の姿が見えなくなるまで待ってから、店へ戻ろうとして、ふと気が付く。
「…………『家族』って言うのは、何人だ?」
嫁と子供なら数人で済むだろうが、父親と暮らしているようなあの発言からして、母親や兄弟も一緒に来たりするんだろうか。
確認を怠った自分にため息を零しつつ、仕方が無いので一度店内へ入ってからマジックを入手し、ドアに下げた本日休業中のホワイトボードを捕まえて、休業中の下に文字を記す。
「……まあ、これでよし」
明日の日付と『貸切』の文字をきちんと確認してから、改めてそれをドアに下げた俺は、そのまま店内へと戻ることにした。
とりあえず今日はきちんと掃除をして、明日は朝から食材を買いに行ったほうがよさそうだ。余った分は翌日に回せるよう、日持ちするものを買おう。
※
そんなことを考えた日の翌日、ご来店なさったサッチの強面の『家族』の面々に、俺は今日を貸切にした自分の選択を褒め称えたい気分になった。
まったく気付かなかったが、どうやらサッチは、かの有名な『白ひげ海賊団』の人間だったらしい。
『ワンピース』の記憶が随分褪せてきているからか、それともサッチの出番が少なかったからかは分からないが、全く覚えがない。
「…………」
「ん? どうした?」
「……いや、別に」
『漫画』のようにテロップが見えるわけではないのだから、いっそ名札でもつけていてくれたら良かったのにと思ったのは、初めてだった。
end
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