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ワン・ツー
※主人公はNOT異世界トリップ主



 おれの人生というものは、平凡なようでいてなかなかに波乱万丈だ。

『今度こそ平和な村でのんびり暮らしたいもんだなァ』

 しみじみ呟いたおれの横で、急に何の話だと声が返る。
 見やった先にいたのはおれがこの島に流れ着いた数日後にやってきた漂流者で、鋭いまなざしがじろりとこちらを睨みつけていた。

『ここから帰ったらの話だよ』

 なんの癖なのか、上向きに開いた掌の端で頬のあたりを軽くこする様子に笑って、そんな風に口にする。
 いつものように海の上を旅していたはずが、嵐に見舞われて無人島に流れ着くなんて随分な不幸だ。
 すぐ後に流れてきたあと一人のおかげで退屈はしないし、物知りな相手に言われるがままにやっていたら暮らしは少しばかり快適になった。
 人を使うのが上手いから、きっと誰かの上司だろう。
 力も強いし、動きも素早い。ナイフでも使わせたらとても素晴らしい腕前だろうから、賞金稼ぎだとか、または悪い職業で食っているのかもしれない。
 残念ながら物腰が堅気じゃないので海兵という可能性は感じないし、こんな状況で相手の仕事を気にしたって仕方がないから、聞いたことはない。

『どこがいいかなァ』

 編めと言われた縄を編みながら、そんなことを口にする。
 覚えのある島は、大体どこも平和だった。時たま海賊が現れたり山賊が暴れたりもするが、それだけだ。
 南の海を経由して訪れたが、東の海は静かで平和だという噂は本当だったらしい。
 来た航路を戻ってもいいが、どうせなら新しい島を選びたいなと考えたおれの耳に、シロップ村、と短く声が届いた。
 おや、と見やれば、おれに縄を編ませておいて一人快適に食後の一服を楽しんでいた誰かさんが、少しだけ何かを考えるようにしてからもう一度同じ言葉を繰り返す。

『……シロップ村?』

 聞いたことのない村だった。甘そうな名前だ。
 不思議に感じて首を傾げるおれの前で、前から目をつけていた、ととても村民が聞いたら震えあがりそうな言葉を零した相手が、ゆらりと指を動かす。
 指先を見せびらかすような動きだが、それで目立つのは怪しくうごめく堅そうな指だけだ。
 とにかくそこを目指しておけ、と言葉を寄越されて、よく分からないものの、一つ頷く。
 数日も一緒にいれば、この遭難者が気難しい男なのは理解できることだった。
 自分の言葉は曲げないし、何より頭がいい。おれが考え付かない方法で食料を確保させたのもあと数日で海へ出せるだろう船を作る『設計図』を考えたのもこの男で、ついていけば間違いなさそうだと感じさせる何かを持っていた。
 もしも海賊だったなら配下に入れてくれと頼んでみたいところだが、海賊になったら平和に暮らせそうにないので、やっぱりやめだ。

『わかったよ、』

 了承の言葉を吐いて、その名前を呼ぶ。
 確かに口から出たはずなのに、それはどうしてかおれの耳には届かなかった。







 ボゥ、と深く響く汽笛の音で目が覚めた。

「んあ……」

 軽く目をこすり、それから時計を確認する。
 ちょうどいい時間だということを見てから荷物を肩にかけ直して、そのまま椅子から立ち上がった。
 船旅の間使っていた個室は小さく、ベッドも堅かったが、数日も使っていれば愛着も湧く。
 だからこそ船を降りる前にと軽く片づけをしていたのだが、終わらせて島への到着を待っている間に眠り込んでいたらしい。
 何か夢を見たような気がするが、まるで何も思い出せない。
 口元が情けないことになっていないかを片手を当てて確認して、問題ないと判断してからタラップへ向かうために部屋を出る。
 おれと同じく船に乗っていた何人かとすれ違い、顔見知りになった数人に挨拶をしながらタラップへ向かうと、すでに船から降りる人間で少しばかり列が出来ていた。
 行商人がほとんどだが、おれと似たような軽装の人間もいる。旅行者だろうかとその背中を眺めてから、ふむ、と小さく声を漏らした。

「『シロップ村』ねェ……」

 呟くそれは、事前に調べた情報によれば、港のある村から少し離れた場所にあるらしい。
 おれの記憶には少しばかりの欠落があって、おそらくはその間に耳にしたのだろう単語だ。
 船に乗って、嵐に遭い、遭難してどうにか生き延びて人里のある島へとたどり着いた。
 嵐に遭った直後くらいから、おれ自身の意識が戻ったのは島の診療所でのことで、発見者によればおれは砂浜に倒れていたらしい。横に木片があったから、それに捕まって流れ着いたんだろうと言われた。よくも無事だったもんだ。
 そして、遭難していた最中の記憶は全くないのに、何故だか『シロップ村』という単語を知っていた。
 どうして行ったこともない島の行ったこともない村の名前を知ったのかは分からないが、あてもなく旅をするよりはと設けた目的の終着点だ。
 一年もかけたことだし、何か面白いことでもあればいいな、と考えつつ、船長がアナウンスするのを待つ。
 やがて船は無事に入港を果たして、列が動き出した。







 港は賑やかで、島は平穏そのものと言った雰囲気だった。
 『シロップ村』の方向を聞けば島民が快く教えてくれて、適当に食料を買い込んでからそちらへ向かう。
 道を歩いているときにも猛獣が襲ってくる気配もなく、山賊が颯爽と現れる様子もない。
 東の海らしい平穏さを感じて、しばらくここで過ごしてもいいんじゃないか、と考えたところで村へとたどり着いた。

「……ここがシロップ村……で合ってるか?」

 看板でもないかと、きょろきょろと周囲を見回す。
 随分と大きな屋敷が奥にあって、そこから延びる大きな道沿いに、いくつも民家が建ち並んでいる。家と家には十分なスペースがあるし、歩く人たちものんびりとしている。
 平和そのものと言った様子を眺めて、やっぱり看板が見つからなかったので、おれはとりあえず適当な店へと近寄ることにした。パン屋だ。
 黒いスーツ姿なんていう、少し見た目がこの村にそぐわない客を応対している店主が、釣銭を渡しながらおれの姿に気が付いて、あれまあ、と目を丸くする。
 よそ者が珍しいんだろう相手に笑いかけて、すみません、と声を掛けながら店先に足を踏み入れた。

「少しお伺いしたいんですが、ここはシロップ村で合ってますか?」

 尋ねると、もちろんだという返事が寄越される。
 そのままどこの島の人間だ観光で来たのか珍しいと言葉を重ねられて、最後は良い島だからゆっくりしていきなさいと締めくくられた。
 宿屋はと尋ねると隣町にしかないという返事が寄越されたので、どうやら本当に旅行者などは来ない場所らしい。
 そうなると、例えばここで働いて稼ぎながら過ごす、というのは難しそうだ。

「ありがとうございます」

 礼を言いながらパンを買って、とりあえずどこかで食べようと踵を返した。
 パン屋を離れながら、その途中で佇んでいた黒い影に気付いて足を止め、あれ、と目を瞬かせる。
 あの背格好は、さきほどパン屋で買い物をしていた客のものだ。
 もしかしてまだパン屋に用があって、おれが横から入った形になってしまったんだろうか。
 それは悪かった、と思いながら見つめると、おれの方を見ていた相手がわずかに目を細めた。
 開いた片手を上向きにして、掌の端で掛けた眼鏡を押し上げる。

「?」

 変な癖だなと思うのと同時に、どこかで見たような気持ちになった。
 けれども、あんな癖のある人間なんて、おれは知らない。

「旅行者の方ですか」

 戸惑いながら見ていると、おれへ向けて言葉が投げられた。
 友好的に微笑んで近寄ってきた相手に戸惑いながらも、はいと返事をする。

「これは珍しい。大概の旅行者は、皆となり町で過ごしますから」

「そうみたいですね……宿もないと聞きましたし」

 となり町までそう離れてもいないことだし、宿をとって出直すしかなさそうだ。
 おれの言葉に、そうなんですよ、と相手が頷く。
 黒い髪を丁寧に後ろへ撫でつけた男は、なんとも残念そうに眉を下げた。

「平和でのどかな良い村なのですが、貴方のように訪れてくださる人間は少ないので、宿泊施設をやっていては食べていけないのが現状です。村の人間なら自宅を持っていますからね……食事処ならあるのですが」

 言葉を重ねられて、そうなんですか、とあいまいに相槌を打った。
 なんでそんな話をするんだろうと思って眺めていると、なので、と言葉を重ねた男がこちらへ微笑みかけてくる。

「旅行者がいらっしゃるのは本当に珍しい。ぜひとも、この村のすばらしさをお伝えしたい」

「えっと……」

「もしも貴方が、この島での滞在を希望されるのであれば、私はいくつか仕事を紹介できるのではないかと思います。この村のものと、となり町のものとで」

 ここでの場合は泊まる場所をどこかで借りなくてはなりませんが、と言葉を重ねられて、急な提案に『はあ』と間抜けな声が出た。
 その間にこちらを見ていた相手の目がわずかに細められて、まるで猫のような鋭い視線に瞬きをする。
 何故だか、その視線を知っているような気がする。
 声も、顔も、名前ですら知らないはずの目の前の男に対する既視感が募って、あの、と思わず口が動いた。

「おれと、会ったことありませんか?」

 まるで下手なナンパの台詞のようなそれに、ぱち、と目の前の相手が瞬きをする。
 メガネの向こうのそれが改めておれを見つめて、それから先ほどと同じ癖でズレた眼鏡を直した男は、微笑んだままで返事を寄越した。

「いいえ、私は初めてお会いしましたが……どこかで似たような誰かを見かけたのでは?」

 よくある顔ですから、と言葉を重ねて、その片手がスーツの胸元へと寄せられた。

「初めまして、私はクラハドールと申します。お名前をお伺いしても?」

「あ、ナマエです。初めまして」

 丁寧にお辞儀をしながら寄越された名乗りに、合わせて自分の名を名乗った。
 ナマエさん、と確かめるように呼ばれてなんとなくくすぐったいのは、『さん』付けで呼ばれることなんてそんなにないからだろうか。

「どうぞよろしく」

 穏やかな声音でつづられた言葉に、よろしくと返して、おれはクラハドールと名乗った男にそのまま村の中を案内された。
 村の奥に見えた一番大きな屋敷の使用人だったらしいクラハドールに強く推されて、その屋敷の下働きという職に就いたのは、それから数日後のこと。
 クラハドールという名前の男の正体を『思い出した』のは、それからさらに二年ほど後のことだ。


end


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