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へんなこといっしょ


「ねェ、最近困ってること無いかしら」

 あまりにも唐突な問いかけに、レイリーは目を瞬かせた。
 いつものように訪れたぼったくりバーで、レイリーに酒を出したシャクヤクは、いつもと変わらぬ笑顔すら浮かべている。
 何の話だとレイリーが首を傾げると、少し真剣な面持ちに変わった彼女はレイリーの向かいに腰掛けた。

「ナマエちゃんのことよ」

 囁くように言われて、ナマエと言う名前の青年がレイリーの脳裏に浮かぶ。
 ナマエと言うのはレイリーとシャクヤクの共通の知人だ。
 元はレイリーが助けた遭難者で、どこまでもまとわり着いて付いてくる彼をこのバーへつれて来たのもレイリーだった。
 無法地帯だから一人で行かないようにと言い聞かせはしたが、何度もレイリーと共にここへ来ていたナマエと、シャクヤクは随分打ち解けていたような気がする。
 だというのに、どうして今、声を潜めて心配そうな面持ちをされなくてはならないのだろうか。
 よく分からず戸惑うレイリーの前で、分かってないのね、とため息を零したシャクヤクが唇を動かす。

「ほら、あの子の……アレよ」

 寄越された言葉に、レイリーはただ瞬きをした。







 今日もシャボンディ諸島の天気は良好だ。
 澄み渡る青空を確認したレイリーの足元で、むぎゅう、と小さく声が漏れた。
 おや、とわざとらしく声を零しながら、体勢もそのままにレイリーが自分の足元を見下ろす。
 踏み出した靴底の下敷きになった体を軽くひねって、そこにいた彼がレイリーを見上げた。

「レイさん、おはようございます」

「おはようナマエ」

 いつものように朗らかな挨拶を寄越す相手へそう言葉を紡ぎつつ、レイリーがようやく彼の背中を踏みつけていた足をどかす。
 それにあわせて起き上がったナマエは、慣れた動作でひょいと立ち上がった。
 軽く汚れてしまっているその服から汚れを払ってやりながら、レイリーはナマエの顔を見やって笑う。

「踏んでしまって悪かったね」

「何となくわざと踏んだような気もしますけど、むしろありがとうございます!」

「喜んでくれたなら何よりだ」

 どうやら今日も、ナマエは絶好調であるらしい。
 相変わらずの彼へ頷いて、手を離したレイリーはふと首を傾げた。
 今は早朝、いつもならナマエとは遭遇しない時間帯だ。
 彼の気配に気付いて珍しいと思いながら近付いてきたが、こんな時間に歩き回っているということは、もしや昨日の日雇い仕事は夜勤だったのだろうか。
 仕事帰りかい、と尋ねたレイリーに、はい、とナマエが予想通りの返事を寄越す。

「それじゃあ、この後の時間は暇なのかね?」

「はい! ……あ、昼前になったらシャボンディパークの清掃のバイトが入ってるんであと四時間くらいですけど」

 レイリーの言葉にまたも元気よく頷いて、それから自分の時計を見やったナマエは、三時間と二十三分進んでいるその時計を確認してから言葉の後半を紡いだ。
 寄越された答えに、レイリーが軽く首を傾げる。

「……今日は夜勤だったといっていなかったかな?」

「夜勤でしたよ!」

 にっこりと笑うナマエの顔には、一片の曇りも無い。
 どうやら嘘を言っているわけではないらしい青年の顔は、よく見ると少しくたびれているようだった。
 やれやれとため息を零して、レイリーの手が軽くナマエの肩を叩く。

「体を壊すぞ、程ほどにしておいたほうがいい」

 寄越された言葉に、ナマエがふるりと体を震わせた。
 どうしたのかとレイリーが見やれば、瞳をきらきらと輝かせたナマエが、その視線をレイリーに注いでいる。

「レイさんが……心配してくれた……!」

「おや、しまった」

「しまったって! レイさん素敵!」

 大きく声を上げたナマエが両手を広げようとするのと、レイリーの手がそれを軽い仕草で押さえつけたのは殆ど同時だった。
 覇気なんて言葉も知らないだろうナマエは少し戸惑ったような顔をしているが、さすがにレイリーも往来で男に抱きつかれる趣味は無い。
 ナマエは少し趣味のおかしな青年である。
 レイリーへ向かって世迷言を並べて、最近ではよく行動でもそれを示してくるようになった。
 それを受けたり受け流したり止めさせたりするのは、ナマエと遭遇した際のレイリーの行動パターンの一つとなりつつある。

「まったく……往来でこんな年寄りに抱きついてどうするんだね」

「興奮します」

 ため息を吐いたレイリーに、ナマエはきっぱりそう言い放った。
 往来で興奮されても困るよ、とそれへ笑ってから、レイリーはすぐにナマエから手を離した。

「しかし……そうか、今からまた仕事なんだったら、こんなところで引き止めていても仕方ないな。少しでも眠ったほうがいいだろう」

「大丈夫です、寝てましたから、さっきまで」

 家まで送っていこうか、と尋ねようとしたレイリーを気にした様子もなく、ナマエがあっさりそう言葉を紡ぐ。
 あまりにもあっさりとした言葉に、レイリーは軽く首を傾げた。

「……どこで?」

 尋ねたレイリーに、ここで、と答えながらナマエが自分の足元を指差す。
 そこは、つい先ほどまでナマエが寝転んで同化していた場所だ。
 レイリーが倒れているナマエを発見したとき、同じようにレイリーを見たナマエはすぐにわざとらしく目を閉じたからあえて寝転んでいると思っていたのだが、もしや違ったのかと、レイリーの眉間には皺が寄った。

「…………まさかとは思うが、君は行き倒れていたのかね」

「レイさんの気配で目が覚めました。レイさんすごい」

 寄越されたナマエの言葉は、レイリーの発言を肯定するに足るものだった。
 やや置いて、レイリーの口からため息が漏れる。
 呆れたようなそれに、ナマエが少し慌てたように『大丈夫ですから』と口にした。
 行き倒れるほど疲労していて、大丈夫も何も無いだろう。

「何か欲しいものがあるのか?」

 せめて手を貸してやろうかと思って尋ねたレイリーに、ナマエはすぐさま答えを寄越した。

「レイさんが!」

 そしていつもの世迷言である内容に、今はそういう話をしているんじゃないだろう、とレイリーは呟く。
 どうやら、ナマエは『欲しいもの』を口にしたくないらしい。
 それならそれで構わないが、友人であると認識している少しおかしな彼が倒れるほど疲れているとなると、レイリーとしても放っておくわけには行かないだろう。

「…………ほら、せめてそこの店にでも入って一休みしてから仕事に行きなさい。コーヒーでよければ奢ってあげよう」

 言葉と共に少し離れた場所にあるカフェを指差すと、あ、と声を漏らしたナマエがレイリーが指差しているのとは逆の方向を指で示した。

「あっちの店が良いです」

 言われて、レイリーの視線がそちらへ向けられる。
 ナマエの指差す方向には、確かにカフェがある。
 しかし、今レイリーが行こうと話した店と、値段やグレードがそれほど変わる店でもなかったはずだ。
 何故だろうと不思議そうな顔になったレイリーへ、ナマエがとても喜ばしいことのように拳を握って答えた。

「最近、あそこの店主と仲良くなりました!」

「ん?」

「レイさんの使った食器は買い取らせてもらえる手筈が整っています。さあ行きましょう」

「断るとしよう」

 意気込んだナマエに、微笑んだレイリーは最初に自分が示した店のほうへと歩き出した。
 ショックを受けたような顔をして、ナマエがわざとらしくその場に崩れ落ちる。

「ひどい……! でもそんなレイさんも好き……!」

 寄越された声にちらりと振り返ったレイリーは、芝居がかった様子でさめざめと泣き真似をしているナマエに軽くため息を吐いた。
 ナマエは少しおかしな青年だ。
 けれども、そのおかしな言動にも、もう随分と慣れてしまったような気がする。
 今だって、彼を立ち上がらせる方法をレイリーはすでに知っているのだ。

「馬鹿なことを言っていないで、こっちへおいで」

 足を止めて声を投げたレイリーに、はあい、と返事をしてすぐにナマエは立ち上がった。
 案の定、涙のあとの一つも無い顔ですぐにレイリーの横に並んだナマエは、何が楽しいのかにこにこと笑ってすらいる。

『ほら、最近、ナマエちゃんのやってることがエスカレートしてきているじゃない?』

 ふとレイリーの耳に甦ったのは、つい最近シャクヤクに言われた言葉だった。
 そうだろうか、と少し考えてみるが、ナマエがレイリーの使ったものをどんなものであれ欲しがるのも、時間が許す限りついてこようとするのも、レイリーが気付かないふりをすれば下手な尾行をしてくるのも、往来で世迷言を叫んだり抱きつこうとしたりしてくるのも、いつものことだ。
 ナマエはおかしな青年だ。
 命の危機から救ったレイリーに不毛な恋をして、世迷言を口にしながらレイリーに付きまとう。
 そして、レイリーのことを殆ど知らず、『レイさん』とレイリーが教えた名を呼ぶだけの青年である癖をして、好きだ大好きだ愛している、などと言うのだ。

「…………別に、迷惑を掛けられているとも思わないがね」

 記憶の中のシャクヤクへ、あの時と同じように呟いたレイリーに、ナマエが不思議そうな顔をする。

「レイさん?」

「何でもないさ」

 どうしたのかと問われてそう返事をして、レイリーはとりあえずナマエをつれてカフェへと足を踏み入れた。




end


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