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幼少エースと幽霊さん
※子ASL注意
※主人公はNOTトリップ主



 はあ、はあ、とこぼす息が、寒くもないのにわずかに煙る。
 必死になって走り、はた、と気配に気付いてすぐそばにあった木陰に身を寄せたエースは、そろりと影から向こうを覗いた。
 赤い光を零した大きくて黒い何かが、ゆるりと木陰を通り過ぎる。
 目の部分になっている光が周囲をくるりと照らすさまは、まるで何かを探しているかのようだ。
 いや、実際『あれ』らは何かを、すなわちエースを探している。
 冷や汗がこぼれ、体をむしばむ冷気とは違うおぞ気に歯をかみしめながら息を殺したエースは、やがて黒い『それ』らが離れていくのを見送ってから、強張っていた体から少しだけ力を抜いた。

「なんなんだ、ここ……!」

 小さく声を漏らし、顎を伝い落ちていた汗をぬぐう。
 兄弟達と共に森へと入ったのは、いつも通りのはずだった。
 けれども森の奥へと足を踏み込んだところで、どうしてだか見知らぬ場所がエースを迎え入れたのだ。
 おかしいのはすぐ近くにいたはずの『兄弟』達がどこにも見当たらなくなっていたことで、探しても呼んでも現れない。
 それどころか騒ぐエースに引き寄せられるように『あれ』らが近寄ってきて、何かの防衛本能が『向き合って戦ってはならない』と告げ、エースはその魔の手から逃れるように逃げ出していた。
 帰り道を探しているが、何処にも見知ったものが見当たらない。
 時間がどれほど経ったのか、いつの間にか森の中は薄暗くなっていて、そろそろ夜なのだろうということをエースに告げている。
 兄弟達が心配だった。
 先に帰りつけているならいいが、そうでなければエースと同じくこの森のどこかをさ迷っていることになる。
 早く探さないと、と焦りに急かされ、一度息を吸い込んでから木の陰を離れようとしたところで、ぱきり、と何かが枝を踏んだ音が耳に届く。

「お?」

 ついで聞こえた声に驚き、素早く後ろを振り向いたエースが目にしたのは、どう見ても人間だった。
 凡庸な顔立ちに、よくある服装で、エースのすぐ近くに立っている。
 どうしてだかその頭の上には麦わら帽子が乗っていて、こんな日差しも届かない森の中で役に立つのかと言う疑問がわずかに浮かんだ。

「どうした、坊主」

 迷子か、なんて言い放ってにかりと笑った男が、ずかずかとエースの方へと近付いてくる。
 相手の動きを警戒しながらも、エースがなんとなくその前から逃げ出さなかったのは、恐らくは数時間ぶりに見る『人間』だからだった。
 もしかしたら、人のいる場所が近いのかもしれない。
 兄弟たちのいる可能性もあるのではないかと考えを巡らせたエースの傍で足を止め、じっとエースを見下ろした男は、どうしてだか目の前で首を傾げた。

「んー? ……あー……」

 何かを思い返すように瞳をさ迷わせ、それからもう一度エースを見つめた男の口が、『似てるな』と呟く。
 意味が分からずにエースが眉を寄せると、少しだけ身を屈めた男が、坊主、とエースへ向けて言葉を零した。

「名前は?」

「………………なんで、お前に名乗らなきゃならねェんだ」

 なんとも唐突な言葉に、警戒心を新たにしたエースの手が拳を握る。
 走っているうちに武器すら落としてしまったが、目の前の男に負けるつもりは無かった。確かにエースはまだ子供と呼ばれる年齢だが、そこいらの大人よりはよほど場数を踏んでいる。
 エースの様子に『そんなに警戒するなよ』と笑って、男がその片手を自分の胸元へ添える。

「あれだ、おれはナマエってんだ。元海賊の」

「もと……?」

 それはつまり、今は海賊ではないという意味なのか。
 海の脱落者を見つめ、怪訝そうな顔をしただろうエースの前で、ナマエと名乗った男はまだ微笑んでいる。
 力の抜けそうなその顔を見つめているうち、とっていた構えを少しだけ緩めたエースは、相手を見据えて言葉を紡いだ。

「……いつまで海賊だったんだよ」

「そうだな、もう五年くらい前になるかな、海賊じゃなくなったのは」

「五年……」

 エースからすれば途方もなく長い時間に思えるが、目の前の男にとってはどうなのだろうか。
 見たところ健康で、五体満足だ。
 年齢はエースよりはずいぶん上だが、ダダンやガープほどでもないだろう。
 まだまだ海賊としてやっていけたんじゃないのか、とその様子を観察していたエースの口から、何となくの言葉が漏れる。

「ゴールド・ロジャーは知ってるか?」

「ロジャー?」

 ぽつりと落ちた言葉は取り返せず、エースのそれを耳にした相手が少しばかり目を丸くした。
 エースの知る大人の殆どは、ロジャーと言う名の今はもう死んだ海賊を恨んでいる。
 その顔に嘲りが浮かんだらと考えて、もう一度拳を握りしめたエースの前で、どうしてだか目の前の男の顔に先ほどよりもはっきりとした微笑みが浮かんだ。

「知ってる。そりゃあ知ってるとも」

 嬉しそうに、どうしてだか誇らしげに、ナマエという名の元海賊が言う。

「偉大なる海賊王の名前だ」

 あまりにもあっさりとそんな風に言うから、エースは思わず握りしめた拳を相手へ向けて突き出していた。

「何が偉大だ、あんな奴!」

 憤りというよりは衝動に近いそれを込めて放った拳が、男の掌であっさりといなされる。
 それが気に入らずもう一度拳を放とうとしたら、男の手がエースの腕を捕まえた。
 ひんやりとした大きな手の感触に、蹴ろうとした足も掴まれる。

「放せよ!」

「なんだってんだ、急に…………ああ、そうか、分かった」

 もがくエースを捕まえたまま、少しばかり怪訝そうな顔をしたナマエという名の男は、やがて何かに気付いたようにそう言葉を落とした。
 その目がもう一度じっくりとエースを見て、唇が言葉を吐き出す。

「アンか、エースか」

「!?」

「エースだろ、坊主の名前」

 謎解きにうまい回答を見つけた子供の様な顔で言葉を落とされて、エースはその目を大きく見開いた。
 どうして、と尋ねたいが言葉が見つからず、相手の顔を見つめる。
 どう見ても見知らぬはずの男が、『エース』の名前を知っているのが何故なのかなんて、まるで分からない。
 けれども勝手に満足そうな顔をした男は、一人で勝手に頷いて、ぱっとエースの腕と足を解放した。
 驚いてたたらを踏んだエースを他所に、ぱんぱん、と軽く手を払った男が周囲を確認する。

「さて、そろそろやばいか。行くぞ、エース」

 言葉と共に一方を片手の親指で示されて、エースは顔をしかめた。
 まるでついて来いと言いたげなその顔に、『誰がついていくか』と言う意思を示すために両足に力を込める。
 エースの様子を見たナマエは、わずかにその目を細めてから、ひょいとその頭から麦わら帽子を外した。

「意地張ってどうするんだ。帰りたいだろ?」

 お前を待っている人がいるんだろうと、寄越された言葉にエースがぐっと拳を握る。
 脳裏に過ったのは二人の兄弟の姿で、ゆるりと周囲を見回したエースは、そのまま視線をナマエへ戻した。

「……帰らねえ」

「え? どうして」

「おれの兄弟が、まだ見つかってねえんだ」

 サボは心配ないかもしれないが、弟はまだまだ頼りない奴だ。
 エースと同じように森の中を迷っているなら、と考えてまたも過った焦りをその顔に浮かべたエースに、ああなるほど、と男が呟く。
 その目が何かを探すように周囲を見回して、じゃあこっちだ、と一方を指差した。

「大体みんなあっちに来るようになってる」

「みんな?」

「お前みたいに、紛れ込んだ連中は」

 だから大丈夫だとよく分からない言葉を口にして、伸びてきたナマエの手がエースの頭へ麦わら帽子を乗せた。
 驚いて外そうとするも、上からぐっと押さえつけられる。

「ほら行くぞ。これもかぶっとけ、ちゃんと化けてなきゃバレちまうから」

 帽子のつばの向こう側から声がして、『なんだよ』と声を漏らしつつも手を下ろす。
 元海賊の大人なんて、警戒しなくてはならない対象で間違いないはずなのに、どうにもこの男は調子の狂う相手だ。
 エースが帽子を外さないと分かったのか、一度軽くエースの背中を叩いて歩くことを促したナマエは、まるでエースを先導するように足を動かした。
 なんとなくその横に並びながら、自分の視界をわずかにふさぐ麦わら帽子を睨みつける。
 あまり触ったことがないが、なんとなく、エースの弟がいつも頭の後ろに下げている奴に似ていた。

「そういや、さっき兄弟って言ってたな。兄弟がいるのか?」

「…………いる」

 横から世間話のように言葉を放られて、ぶっきらぼうにそちらへ返す。
 血のつながりはないが、それ以外のもっと大事なつながりを持った兄弟は、エースの大事な『もの』だ。
 早く会いたいと考えたところで、エースの視界に黒い影がわずかに入り込む。
 先ほど逃げ惑った相手と同じものだと気付き、身を竦めて足を止めたエースが見つめた先で、黒くて大きなそれは、エースやナマエの前方できょろきょろと周囲を見回した。
 その赤い光を零す瞳がエース達の方を見やり、そして何故かたじろぐ。
 そのまま慌てたように逃げていく黒い影にエースがぽかんと口を開けると、あっはっは、とナマエが明るく笑った。

「おれが知ってるその帽子の『持ち主』は、そりゃあもう強い人なんだ。それで化けてるうちは、アイツらも襲ってこねえよ」

 やっつけられちゃうからなと言葉を落として、ナマエの手が麦わら帽子の上からぽんぽんとエースの頭を叩く。
 ちらりと見やった帽子のつばは誰がどう見てもただの麦わら帽子だというのに、一体どんな恐ろしい者に化けていることになっているのか。
 戸惑いつつ、『ふうん』と小さく声を漏らしたエースは、ナマエが歩き出したのに合わせて再び歩き出した。
 さく、さくと小さく音を立てて足で枯れ葉や草を踏みながら、ナマエが示していた方向へ向けて歩いていく。
 周りには動物の気配すらないのに、あの黒い何かは時々現れては逃げていった。

「……ここ、何なんだ」

 しばらく歩き続けて、やはり見慣れない森しか続かない事実に眉を寄せたエースが疑問を零す。
 それを受けて、『そいつはまた哲学的な質問だ』と訳の分からないことを言った男が、そのうえで言葉を続けた。

「ひとつ言えることがあるとすりゃ、今日がハロウィンだってことかな」

「はろうぃん」

「ああ、知らねえか。南の海には習慣がないんだったか?」

 さらりと落ちてきた言葉に、エースが帽子の下で首を傾げる。

「南? ここは東の海だろ」

 エースはコルボ山に住んでいるのだ。
 何を言っているんだと尋ねるために顔を上げて、麦わら帽子の下からナマエのほうを伺う。
 エースの言葉に少しばかり押し黙り、『なるほど』とよく分からない納得の声を零した男は、それから軽く肩を竦めた。

「まあ、ハロウィンってのはつまり、アイツらみたいなのが出てきたり、こうやってお前みたいなのが紛れ込んできたりするんだよ」

「よくわからねえ」

「そりゃそうか。悪いな、うまく説明できなくて」

 『よく副船長にも怒られたなァ』と懐かしむように言葉を落として、男の手がごそりと自分のポケットを探る。
 何をしているのかと視線を向けていたら、エースの方へ視線を落とした男がにまりと笑った。

「でも、ハロウィンてのも悪いことばかりじゃねえさ」

「?」

「ちょっと言ってみろよ。トリック・オア・トリートって」

 言葉をねだり、エースの方へとその手が軽く差し出される。

「とり……?」

「トリック、オア、トリート」

 意味不明な言葉にエースがもごりと舌を動かすと、先導するようにナマエの方からおなじ呪文が紡がれた。
 それを受け、エースの口がはっきりと言葉を落とす。

「トリック、おあ、とりーと」

「はい、どうぞ」

 エースの言葉にぱっとナマエの手が開かれ、ぽろりと落ちてきた包みを思わずエースが掴む。
 引き寄せて確認したそれは、エースの手で簡単に握りこめるほど小さな包みだった。
 見たことのある包み紙は、確かキャンディのものだった筈だ。

「……なんで飴なんだよ」

 訳が分からず、とりあえず手元のものを握りこんで唸ったエースに、『お菓子をおねだりできる日だってこった』とナマエが笑う。

「あーっと、兄弟は何人だって?」

「ふたり」

「じゃあ、あと二つな」

 言葉と共にもう二つキャンディを寄越されて、エースの手がそれをしっかりと掴まえる。
 包み紙同士が触れて、かさりとわずかな音を立てた。

「ちゃーんと山分けしろよ」

「独り占めなんてガキみたいなことしねェ」

「そいつァオトナだなァ」

 横から寄越された言葉にぷんと顔を逸らすと、ナマエのほうからくすくすと笑いが寄越される。
 何だかそれが気に入らず、麦わら帽子を深くかぶって顔を隠そうとしたエースは、ふと目の前の道に見覚えがあることに気が付いた。
 思わず帽子を押し上げて首の後ろへ下げ、少しだけ前に走り出る。
 目の前の木に記した小さな目印は、エースが兄弟達と共に刻んだものだ。
 空を見上げ、それからもう一度周囲を確認して、やはり見覚えがあるという事実に、エースの顔がわずかに綻ぶ。

「なあ、ここ、」

 だからこそ言葉を零して後ろを振り向いたエースは、そこに誰もいないという事実に驚いて目を瞠った。

「…………ナマエ?」

 名乗られた男の名前を呼んで、きょろりと周囲を確認する。
 しかしどこにも、先ほどまで横を歩いていた男の姿はない。
 それどころか、紐で首に掛かっていたはずの帽子すら忽然とその姿を消していた。
 片手で思わず自分の首をたどり、確かにあったはずの紐の感触がないという事実に、エースの眉間にしわが寄る。
 幻覚か何かの類かとも一瞬疑ったが、そんなはずはないだろう。
 エースが握りしめた片手の中には、三つのキャンディがちゃんと残っているのだ。

「なんだってんだ、これ……」

「エース! やっと見つけた!」

 訳が分からず、思わずそう呟いたエースの耳を、焦りの滲んだ声が打った。
 驚き見やれば、がさがさと茂みをかき分けて出てきた二人分の小さな人影が、そのままエースの傍へと近寄ってくる。

「えーず! 何じでんだよごんなどごで!」

「怪我でもして動けなくなってるのかと思った! 大丈夫そうだな」

 大きな声を上げて飛びついてきた弟にそのまましがみ付かれて、同じように近寄ってきた兄弟に体は大丈夫かと確認された。
 一緒に森に入ったのにエースだけがいなくなったのだと言われても、エースにはやっぱり訳が分からない。
 結局その日の『不思議』な出来事は解決できないまま、ひとまず三人で一粒ずつのキャンディを食べた。
 それからしばらく後、古びた海賊の手配書に見覚えのある名前を見つけたが、五年以上前に処刑されたというその男があの日の不思議な男だったのかは、エースには判断できないことだった。


end


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