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かまっちゃう



 ナマエと言う名前の海兵がいる。
 元々、彼は一般海兵が救助した遭難者だった。
 哀れなことに帰る場所を無くしたと言う彼は、斡旋所でいくつか回された職種の中からどうしてか海軍文官を選んで、今は大将黄猿の直属の部下だ。

『部下の拾ったもんなら、上が責任を持ってやらないとねェ〜』

 そんな風に言って笑ったボルサリーノが、ナマエと言う名の彼を気に入っているということを、クザンは知っている。
 そして、その好意が殆ど相手に伝わっていないということもだ。

「…………あー…………手伝う?」

「いえ、お気遣いなく」

 海軍本部の廊下の一角で、足を止めたクザンが見下ろした先でそう答えたのは、屈みこんで散乱していた書類を両手で集めているナマエだった。
 どうやら思い切り転んだらしい彼を見下ろし、そう? とクザンが軽く首を傾げている間に、手馴れた様子で書類を集めた彼が両手でそれを持ちながら立ち上がる。
 ぴんと背を伸ばしたナマエの視界を遮る書類の塔に、クザンは軽く眉を寄せた。

「何それ、急ぎなの? 何度か分けたほうが良かったんじゃない?」

「早く持ってきて欲しいと承りましたので」

「……それじゃあ、せめて代車でも借りてきたら?」

 どう考えても前が見えないじゃないの、と続いたクザンの言葉に、全部出払ってたんです、とナマエは答えた。

「第三書庫がこの間ボヤ騒ぎを起こしたそうで、重要資料の運搬に使われているそうです」

「へェ、そうなの?」

「噂によると、書庫で怠けていた誰かを見つけた海兵の方が怒りのあまり能力を使ったという話ですが」

「…………あー……」

 何となく何が原因か把握して、昼寝しているところをサカズキにたたき起こされた覚えのあるクザンは軽く頭を掻いた。

「……それじゃ、手伝うよ」

「いえ、お気持ちだけで。第二書庫からここまでは問題なく進みましたし、後はボルサリーノ大将の執務室へ向かうだけなので」

 クザンへそう言い返して、両手で書類を支えたままのナマエがそのままゆるりと歩き出す。
 その右足が少しばかり引き摺られているのを見やって、ため息を零したクザンの手がひょいとナマエの抱えている書類の束を半分程取上げた。

「あ」

「いーからいーから。おれもどうせボルサリーノに会いに行くところだったし」

 言い放ち、ほら行くよ、とクザンが促すと、書類を顎の下までで留められるようになったナマエが、戸惑った顔をしてから少し置いて頷いた。
 ありがとうございます、なんて呟いてから足を動かしたナマエを見やり、横に並んだクザンの足が、ナマエの歩みにあわせて動く。
 クザンの見下ろした先で、少し緊張した面持ちで足を動かしているナマエの顔には、白くて薄いガーゼがぺたりと貼られていた。
 それも腕に巻かれた包帯も、体術訓練によるものだということをクザンは知っている。
 ナマエは随分平和な場所で暮らしていたらしく、余りにも弱かった。
 海兵である以上、ある程度の強さはなくてはならない。
 責任を持つといったボルサリーノは、ナマエが倒れないぎりぎりの課題をナマエへ与えていると聞いている。
 伝え聞くそれはクザンがボルサリーノの部下であったなら走って逃げ出したくなるような内容ばかりだったが、貧弱なくせに妙に真面目なナマエは、大人しくそれに従っているらしい。
 それでもあまり身になっていないようであるのは、元が余りにも貧弱な所為だろうか。
 そんなことを考えながらしばらくナマエの隣を歩いたクザンは、ふと先日のことを思い出してその口を開いた。

「そういやナマエ、ボルサリーノの間抜けな格好、見た?」

「え?」

「ほら、この間の」

 言葉を紡いだクザンに、隣をゆっくりと歩きながらナマエが目を瞬かせる。
 全く把握していない様子に、ん? とクザンは声を漏らした。

「小さくなってたボルサリーノ、会わなかった?」

 ベガパンクの実験の結果で間抜けにも幼い姿になったボルサリーノは、暇だからナマエに会ってくると言っていたはずだが、遭遇しなかったのだろうか。
 不思議そうな顔になったクザンへ、ああ、とナマエは呟いた。
 そのまま少しその顔を青ざめさせたナマエに、クザンは首を傾げる。

「どうかした?」

「……いえ」

 問いかけてみても、ナマエはただ小さくそう呟くだけだった。
 酷い無理難題を与えるボルサリーノに呆れて、それを黙々とこなすナマエに呆れたクザンが『そんなにいじめるなら引き取ろうか』と言えば怒って蹴りを放つボルサリーノは、明らかにナマエを気に入っている。
 可愛がってもいるはずなのだが、やることもなすことも酷いことこの上無く、クザンから見ても明らかにナマエへその好意が伝わっている様子が無かった。
 少し青ざめた顔になったナマエに、どうやら先日もボルサリーノの趣味の悪い遊びに付き合わされたのだろうと判断して、クザンはやれやれと肩を竦めた。
 哀れな海兵をそれ以上追及することは放棄して、他の方向へ話を投げる。

「そういえば、あの実験、成功したら全盛期のときの若さで止められるようになるかもしれないんだと」

「……そうなんですか、それはすごい実験ですね」

「ねェ。例えばガープさんが若い頃に戻っちまったら、とんでもなく強い中将の出来上がりだ。まァ、ガープさんはそういうの嫌いそうだけどさァ」

「オォ〜、楽しそうだねェ〜」

 クザンの言葉を受けて頷いたナマエへクザンが更にそう続けたとき、投げられた声にナマエの体が強張った。
 歩みを止めたナマエを置いて数歩先を歩いたクザンが、声がしたほうへ視線を向ける。
 あともう少しで辿り着くところだった大将黄猿の執務室の前に、黄色いスーツの海兵が、そっと扉を閉ざす格好をして立っていた。
 あまり機嫌の良くないその様子に笑いたくなったのを我慢して、クザンはわざとらしく首を傾げる。

「あらら、部屋に居るって聞いてたんだけど、どっか出かけるの? ボルサリーノ」

 声を掛けつつ近寄れば、それを受けてちらりとクザンの手元を見やったボルサリーノが、サングラスの向こうで少しばかり目を細めた。

「……おつかいの帰りが遅いからねェ〜、迎えに行ってやろうかと思ってさァ」

 そんな風に囁いたボルサリーノに、慌てたような靴音がクザンの後ろから響いた。少しリズムがおかしいそれは、右足を軽く引き摺ったナマエのそれに他ならない。

「遅れて申し訳ありませんでした、ボルサリーノ大将」

「たったこれだけでこんなに遅れるんならァ、一から鍛え直しだねェ〜」

 ナマエへそんな酷いことを言い放ち、クザンの横に並んだボルサリーノの手がナマエへと伸びる。
 クザンの手と比べても遜色ない大きさのそれがナマエが抱えていた書類を奪い取って、それを追うように両手を伸ばしたナマエの頭をもう片手が掴み、ぐるりと無理やりその体を逆へ向けさせた。
 左足を軸に回転させられて、戸惑った様子で足を動かしたナマエが、そのまま少しばかりたたらを踏む。

「とっとと飯に出て、あと五十分したらこの資料の仕分け始めなさいねェ」

「申し訳ありませんボルサリーノ大将、自分は午後から戦闘訓練の予定では、」

「そんな足で訓練に混じられても迷惑だからねェ、治ったら日数分倍ってことで免除してあげるよォ」

 慌てて振り向いたナマエへボルサリーノがそう言うと、ナマエは眉を寄せ、困惑とも迷惑そうとも言えない顔をした。
 それでもそれ以上反論はせずに、分かりました、とだけ答えてそのまま大将二人に背中を向ける。
 青年が微妙な表情をしたのは、ボルサリーノが冗談を冗談で済ませないことが多々ある海兵だと知っているからだろう。軽く足を引き摺りながら歩いていくその様子を見送って、クザンは開いた手をひらひらと振った。
 隣のボルサリーノがそれを視界に納めて、ゆっくりとその顔をクザンへ向ける。

「……それで、クザンは何の用だァい?」

 寄越された少しばかり低い声と問いかけに、小さく笑ったクザンの手が持っていた書類をボルサリーノの片手にあった書類の山の上へと重ねておいた。
 ナマエが両手で運んでいた量を片手で支えて、ボルサリーノの目がクザンを見つめる。

「別に? ボルサリーノが優しくしないから、おれが優しくしてただけ」

 答えて、一歩二歩と先へ進んだクザンの手がボルサリーノの執務室の扉を開いた。
 はいどうぞ、とドアマンよろしく佇んだクザンを見やって、ボルサリーノがため息を零す。

「別に、優しくしてないつもりもないけどねェ〜」

「いやいや、嘘は良くないねェ海兵が」

 明らかな嘘に呆れた顔をしたクザンに、嘘なんて吐いてないよォ、とボルサリーノが答えた。

「結果としてそうなってるだけでェ……」

「あらら、質が悪い」

「オォ〜、酷いこと言うねェ」

 思わず呟いたクザンへわざとらしく傷付いた顔をして、ボルサリーノはクザンが開いた扉から執務室へと入り込んだ。
 それを見送りながら、扉の外から執務室の中を覗き込んだクザンが、軽く首を傾げて言葉を紡いだ。

「それじゃ、どういうつもりであんなことしてんの?」

 放られたクザンの言葉に、ボルサリーノの手が執務机へ資料を置いた。
 ゆっくりとその体が振り返って、サングラスの向こうからその目がクザンを見やる。

「……別に、クザンには関係ないだろォ〜?」

「………………まァ、そうだけどね」

 ボルサリーノの顔に浮かんだ不機嫌な笑顔に、少しばかり面倒になってしまったクザンはそう頷いて、じゃあねと言葉を放って扉を閉じた。
 もはや用事の無くなってしまった大将黄猿の執務室を離れて、来た道を戻るように足を動かしながら、やれやれとその肩が竦められる。

「…………あーあ……面倒くせェ」

 ボルサリーノはナマエを気に入っている。
 けれどもその好意の表現は捻じ曲がっていて、今いち相手に伝わっている様子が無い。
 そして、それが分かっていても自分のやり方を変えるつもりがないらしい。
 あまりに哀れなナマエを思えばため息が漏れるが、ボルサリーノを怒らせてまで助けてやるほどの気概がだらけきった正義を背負うクザンにあるわけもなかった。
 何だかよく働いたような気がする。
 よし昼寝に行こうと心に決めて足を動かしたクザンが、中庭で寝ているところを見つかって怒鳴られたのは、それから一時間ほど後のことだった。



end


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