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水遊び
※主人公はほんのりトリップ主(無知識)
※偉大なる航路ご都合主義



 この世界には、相変わらず不思議が満ちている。

「……一年氷って、こういう意味でしたっけ」

「何言ってんだよい、急に」

 古い帆を使って作った影の中で、ちゃぷりと水をはじく大きなタライの傍で唸った俺に、不思議そうにしながら言葉が寄越された。
 見やった先には椅子に座って小さめのタライへ足を入れた海賊がいて、ぱたりと仰いだ手元の扇がその体にぬるい風を送っている。
 青い火の鳥が描かれた扇子なんて向かいの誰かさんのためにあるような気がするが、あえて自分で選んだとも思えないので、きっと誰かが贈ったものだろう。
 いやだって、と言葉を零しつつ、俺は片手を動かした。
 タライに満ちた綺麗な蒸留水をかき混ぜるようにやると、ちゃぷちゃぷと水面に波が起きて、それに揺れた『氷』がこつりとタライの壁にぶつかった。
 角を丸く削ったそれは、ぷかぷかと水に浮いて揺蕩う物体で、そちらから漂う冷気が水をしっかり冷やしている。
 濡れた表面が甲板に反射してくる太陽に照らされててらりと光る、それはどこの誰がどう見ても、紛うことなく氷だった。
 問題は、ここ一週間、冷凍庫に入っていたわけでもないのにずっと同じ姿だという事実だ。

「一年氷は一年氷だろい」

 今年は手に入って良かったよいと言葉を零して笑った相手の前で、俺は冷えすぎた自ら手を出しつつ首を傾げた。
 この『一年氷』という奴は、その名の通り一年かけて溶けていく氷であるらしい。
 夏島の海域に入ったこの炎天下の下で甲板に放置しようが、それこそ火に投げ入れようがなくならないという意味の分からなさだ。
 溶けないゆえに角の加工はとても丁寧に行われて、削り屑ですら船内で有効活用されている。
 もちろん口の中でも溶けないので、くれぐれも食べてはいけないという注意事項込みで俺にも配られた。
 もともとの大きさもずいぶんなものだったから、しばらくの夏島は快適に過ごせそうだ、というのが『兄貴分』達から聞いた話だ。
 冷房扱いされているそれのおかげで、確かにじっとり暑かったこの海域の夜に寝るのもつらくなくなったが、しかしやはり不思議は不思議だ。
 『この世界』に来てからもう二年は経つのに、相変わらずこうやっておかしなものに遭遇している。

「相変わらず変なことを気にする奴だよい」

 軽く笑ったマルコ隊長が、そこでひょいと足を自分の使っていたタライから出した。
 水をじゃばりと零した様子に、ぬるくなっちゃいましたか、と声を掛ける。
 一年氷は少しの水ならすぐキンキンに冷やしてしまうので、大きめのタライで冷やした水を小さめのタライに入れて使うのが通例らしい。
 特に悪魔の実の能力者は、あまり大きいタライだと浸かるだけでぐったりするんだとマルコ隊長自身が言っていた。

「新しく入れましょうか」

 言葉と共に大きめのタライを傾けようとすると、いや、と言葉を零したマルコ隊長が中身を失った小さなそれをそのまま伏せた。
 濡れた足を甲板に置き、椅子から立ち上がって、俺が寄り添う大きめのタライの傍に屈みこむ。
 伸ばした手が水の中を泳ぐ一年氷を捕まえて、つるりと滑るそれを持ち上げる。
 水からあがったそれはやはりどう見てもただの氷だが、昨日も一昨日もその前もこの大きさだった。

「よっと」

 軽い掛け声とともに、マルコ隊長がぽいと一年氷を放り投げる。
 俺達のいる影から飛び出し、放物線を描いて太陽から注ぐ光を直接弾きながら飛んでいったそれは、見事に少しだけ離れていた場所にあった別のタライの中へと着水した。
 中に張られていた水がばしゃりと跳ねて、太陽に照らされた甲板の上にしぶきが飛ぶ。
 それでもすぐに乾くんだろうそれを眺めてから、俺はマルコ隊長のほうへと視線を戻した。

「もう休憩終わりにするんですか?」

 『暑くてやってられねェから涼みに行くよい』と言って、船内を出てきたのはマルコ隊長だった。
 それなら一番氷が集められている食堂に行くのかと思ったらこの炎天下の下で、まあ一応影は作られているところに陣取ったけれども、結局やったことと言えば水浴びでもなく足水だ。
 確かに少し風はあるが、もう少し涼しい場所はいくらでもあったんじゃないだろうか。
 気温で温まってきた片手をもう一度冷え切ったタライの水の中に入れつつ見やっていると、まあこんなもんだろい、と言葉を零したマルコ隊長もその両手をタライの中へと入れた。

「もうちっとしたら夕飯だ。今日は甲板で酒盛りだから、でけェ一年氷の殆どが船倉で酒を冷やすのに使われてんだよい」

「あ、そうなんですか」

 そういえば、今日は宴だとかそんな噂を聞いた気がする。
 夏島でいい酒が手に入ったのかもしれない。俺にはあまりアルコールの良し悪しは分からないが、多分いつも通りとんでもない度数の奴だろう。

「じゃあ、俺もそろそろ手伝いに行かないと」

 言葉を零しつつ、俺はもう少しだけと水を片手でかき混ぜた。
 いつもの仕事に厨房周りの手伝いが足されたのは、今月に入ってからのことだ。
 料理が得意なクルーが数人他船に出てしまっているためのことで、手先が器用な俺以外の何人かも似たようなことになっている。
 今日はどれくらい皿を洗うんだろうかと考えていると、ちゃんと貰ったやつ持ってけよい、とマルコ隊長が言葉を寄越した。
 貰ったやつ、というのが何のことかは分かっているので、俺もしっかりと頷く。

「はい、熱中症対策は万全ですよ」

「そんなこといって、この間倒れかけてたのはどこのどいつだ」
 
 きりっと顔を引き締めた俺に対して、マルコ隊長がそんな酷いことを言う。
 しかしあれは、厨房がもはやサウナのようだったのだ。
 暑くて気持ち悪くなって水を飲めていなくて、これはまずいと自己判断して休憩を貰って、キッチンを離れたところでよろめいた俺を捕まえて医務室へ引き摺っていったのは、確かに目の前のこの人だった。
 しかしあれは、一年氷なんていう不思議氷がモビーディック号に来る前の話だ。
 絶対に溶けない氷の欠片たちは、布袋に詰めて首回りや太い血管が通っているあたりにつけておくととても冷たくて涼しい。

「今は大丈夫です。ちゃんと涼しくなるようにしてますし、水も飲んでます。あと塩も」

 加減が分からなかった最初のころとは違うのだと胸を張った俺に対して、へえ、と声を漏らしたマルコ隊長がタライから片手をあげた。
 握った拳が目の前に差し出されて、なんだろうかと戸惑った俺の顔の前で、ぱっとそれが開かれる。

「わぶっ」

 弾かれた冷たい水が思い切り顔を打ち、慌てて後ろに引いて顔を腕で拭った俺に対して、マルコ隊長の方から笑い声が漏れた。

「しかたねェ、信用してやるのも『兄貴』の役目だからねい」

 人に突然水をはじいてきた酷い『兄貴分』が、そんな風に言ってにやにやと笑っている。

「なんてことするんですか、もう!」

「暑ィとこに行く『弟分』を涼しくさせてやってんだよい」

「方法がおかしい!」

 非難の声を上げて、俺は思い切りタライの水を前へ向けてはね上げた。
 しかし俺の行動など予想していたらしいマルコ隊長は素早くそれを避けてしまい、俺が跳ね飛ばした冷水がむなしく甲板を叩く。

「おいおい、『兄貴』に水をかけようなんざとんでもねェ弟だよい」

 こいつはお仕置きが必要だと笑ったマルコ隊長が両手をタライへ入れてきたのに、それは理不尽ですよと悲鳴を上げる。
 結局その後何度か水をかけられて、仕返しの殆どをよけられて、俺の体はすっかりずぶぬれで冷やされてしまった。
 しかし、誰かさんの特徴的な頭を濡らして髪をへたりと弱らせることには成功したので、これは引き分けということでもいいと思う。



end


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