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けぶる紫陽花
※無知識転生主は輪廻転生中で現在十代前半



「ナマエは愚かな男だ」

 ため息を零した誰かさんが俺へとそんな言葉を口にするのは、いつものことだった。
 それは大体が二人きりでいる時で、今日もまた同じだ。
 レイさんの家の開いた窓の外が真っ暗なのはシャボンディ諸島に夜が訪れているためで、今夜はあいにくの雨模様だった。
 今夜の雨は妙に細かく、音すら少なく降り注いで、煙るように窓の向こう側で景色と闇の境界を滲ませている。

「どうしたの、レイさん」

 尋ねて、俺はテーブルに懐いたままで相手を見上げた。
 レイさんの前には酒瓶とグラスがあって、その中身は半分ほど減っているが、まだ酔いの回る時間には早い。それでも同じ問答がしたいらしい相手へ誘いを掛ければ、俺の言葉を聞いたレイさんの目がこちらを見た。

「また年寄りの『いつもの』が始まったと思っているだろう」

「うーん、レイさんの『いつもの』が始まったなァ、とは思ってるけど」

 確かにレイさんは俺より年上だが、その程度で目の前の相手を年寄り扱いするわけもない。何せレイさんは俺より年上で俺より強くたくましく、この世で生きていくすべに長けた大人だった。
 対する俺の体と来たら、手足も短く肌もまろく、いくらかハードな状況を送った『今度』の人生なんて本当に短いものだ。
 どこからどう見たって子供の俺を『男』と呼んだレイさんは、もう一度物憂げなため息を零した。
 酒の香るそれを見上げてから片手を伸ばすと、俺が触れる前に酒瓶が遠ざけられる。

「あ」

「お前にはまだ早い」

 そんな常識的なことを言い放たれて、少しくらいいいじゃん、と声を漏らしてから軽く笑った。

「レイさんの意地悪は今に始まったことじゃないけどさ」

「ナマエのその小さな体には強すぎる酒なのでね。どうしてもというなら、次からは子供向けのものを用意しよう」

「子供扱い! 恋人になんてひどい仕打ち!」

 悲鳴じみた声を上げてわざとらしく机に顔を伏せると、全く、とレイさんが言葉を漏らす。
 呆れの滲んだ声音だが、否定の言葉は寄越されなかった。
 だって、俺がレイさんの恋人なのは事実だからだ。
 祖父と孫か曽孫くらいの年の差があるが、ハードモードで人生を再開した販売奴隷の俺が助けてくれたレイさんに猛烈なアタックを開始して、そんな俺にレイさんがうっかりと絆された形である。
 最初は子供のままごとかと笑っていたが、俺が『何度か生まれ変わった』人間であることを話してそれに納得されてからは、多少の大人扱いをされるようになった。
 それでもやっぱり今の俺の体は子供のものそのものなので、気遣われるのは仕方ない。
 むしろ、気を遣われているという事実がなんとなくくすぐったい気もする。
 だってそれは、大事にされてるってことなのだ。

「俺はこんなにレイさんが好きなのにさァ」

「知っている。だから愚かだと言っているんだ」

 あっさりとそう言い放って、レイさんの指が皿の上に転がっていたナッツをつまみ上げた。
 そのまま口に運ぼうとしているそれに気付いて素早く体を起こし、テーブルに乗り上げて相手の指に食いつく。
 俺の動きなんてお見通しだったレイさんはまるで驚かず、ナッツを奪いとった拍子に触れた俺の舌がその指に掴まれた。

「えう」

「食べたいなら自分で口に入れたらどうなんだ」

「ん、レイさんが持ってるやつが美味しそう」

 すぐに逃がされた舌でそう言葉を転がして、そのままテーブルの上へと座る。
 行儀の悪い俺を叱るでもなく、仕方なさそうにこちらを見やったレイさんが頬杖をついた。
 テーブルに座った俺が見下ろした先で、こちらを見上げたレイさんの唇が言葉を零す。

「こんな年寄りに手を出して。私が生きているうちに若い誰かに目移りでもしたら、私が何をするかも分からないぞ」

 さらりとそんな風に寄越された言葉は、紡がれる音は違えど、何度かレイさんに言われたことだった。
 年齢差を考えたらどう考えても俺を置いて行ってしまうレイさんは、それまでは俺のことを独り占めにしたいと考えてくれるくらいには、どうやら俺に絆されてくれているらしい。
 けれどもまだまだ、どうにも俺という人間に対する理解が足りていない気がする。

「心変わりなんてするわけないだろ」

 仕方のない恋人にそういってから、俺はひょいと相手のほうへ手を伸ばした。
 触れる俺の手から逃げ出さないのは、レイさんがこちらを受け入れてくれているからだと知っている。
 レイさんの本当の名前はシルバーズ・レイリーと言って、かの『海賊王』の片腕だった海賊だ。
 それは当人から聞いた話でもあるし、今より前の人生で、港で働いていた老いた『俺』が目にした海賊王の傍らに立っていた『レイリー』を、俺は覚えている。
 海賊王相手に笑っている『レイリー』に目を奪われて、民間人だった俺が営んでいた露店で買い物をしてあの日の『俺』が生まれ育った島をいい島だと言ったときには、『俺』は『レイリー』に好意を抱いていた。
 けれどもあの『俺』はとても年老いていて、若い海賊に声を掛けたりあわよくばそう言った意味で親しくなることなんて、夢のまた夢だった。
 だからこそ、次の人生でこの愛しの海賊に助けられた時、これは逃がしてはならない機会だと分かったのだ。
 この体に生まれる前から好きだったよなんて、そんなよくよく考えると怖いような発言はまだしたことがないが、これだけしつこく好きな俺が、ほかに目を奪われることなんてあるはずもない。

「死ぬまでずっとレイさんが好きだよ」

「私が息絶えるまでそう言い続けるなら、まあ満足してやらないこともないが」

「やだなァ、俺が死ぬまでに決まってるだろ」

 言葉とともに体を寄せて、子供にやるように額へ唇を押し付けた。
 そうして体を離して見やれば、レイさんは何やら難しい顔をしている。

「……若者を、そこまで縛り付けるつもりはないんだがね」

 困ったような声を作って、眉を寄せて、じっとこちらを見て嘘を探す疑り深い眼差しの内側に他の感情があると分かるのは、俺が中身だけでも『大人』だからだろうか。
 嬉しいなら嬉しいって言ってくれたらいいのにとも思うけど、そこもまた可愛いところだ。

「俺がしつこいの、知ってるのに?」

「ああ……それは、確かに」

「踏んだガムみたいにずぅっとくっついてるから、まあ諦めて」

「なんとも酷い例えだ」

 仮にも恋人が言う言葉かねと、レイさんが笑う。
 あの日海賊王のそばで笑っているときに似た輝きに目を細めて、俺は愛しの海賊の額へもう一度口づけた。
 唇にキスもそろそろ許してくれてもいいのに、子供でしかない見た目の間は手を出したくないなんて、俺の恋人は意外と良心的な海賊さんだ。



end


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