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海の呪い
※実は無知識転生主(あまり関係ない)
※主人公はがっつりサイファーポールでルッチの同僚



 ナマエからは海の匂いがする。

「ん? あ、長官の『お出かけ』についてったから?」

 ルッチの発言へそんな風に言葉を零して、男は自分の腕を鼻に近付けた。
 すん、と獣染みた動きで息を吸い込み、わかんねェや、と明るい笑みがその顔に浮かぶ。

「そうか」

 それを見やってから短く言い放ち、ルッチはふいと男から目を逸らした。
 ルッチの私室であるその部屋では、部屋の片隅に置かれた止まり木に、先ほどルッチとともに帰還した白い鳩が止まっている。
 長官の『気紛れ』に連れ回されて護衛を任されるサイファーポールは、大体その顔触れが変わらない。
 戦闘力と任務遂行に対する評価の高いルッチと同じく、目敏く護衛対象の人命を優先して甘やかすナマエもその中に含まれていた。
 ルッチは今しがた別の任務を終えて戻ったところで、その間に長官が気紛れを起こしたというのなら、間違いなくナマエがそれに付いて出かけたことだろう。
 新しい海列車を気にしていた長官のことだからそれに乗りに行ったのだと考えれば、潮の香りを感じたのだって仕方のないことだ。
 頭の中ではそう理解しているものの、そういうことではないのだということも、ルッチは理解していた。
 帰りの船で作成してきた報告書に不備が無いかを確認するルッチの耳に、扉を叩く音が響く。
 控えめなそれに反応したのは部屋の主より扉に近かったナマエであり、勝手に扉を開けてしまったナマエは、一分も使わずに扉を閉ざした。

「ルッチさま、コーヒーが入りましたよー」

 扉の前で給仕から受け取ったらしいカートを押して、ナマエがルッチのほうへと近寄ってくる。
 ふわりと漂うそれはルッチが好む豆のそれで、優秀な給仕がカートの上に二客のカップを用意してあるのがルッチの目に映りこんだ。
 すぐそばには水の満たされた小皿があり、それに気付いた白い鳩が休んでいた止まり木を飛び立ってカートへと舞い降りる。
 驚くでも慌てるでもなく、水を飲み始めたハットリを微笑んで見やってから、ナマエはそのままルッチの鳩とともにルッチのそばまで移動した。

「お前の部屋に来るといい豆のが出るよなァ」

 これ好きだ、なんて言いながらルッチの手の近くにコーヒーを用意したナマエが、もう一つのカップに口をつける。
 なんとも嬉しげで穏やかな顔をしたナマエは、そうしているとまるで諜報員とは思えないどこにでもいそうな顔をしている。
 もとより諜報員らしさを得た諜報員などまるで諜報員らしくないのだから当然だが、あまりにも普通過ぎるその顔がいいんだと言ったのは、果たして誰だったか。
 それなりに実力があるくせにそれすら滲ませないナマエは、ルッチやジャブラたちには多少劣るものの、間違いなくサイファーポールの人間だった。
 ただし、彼は悪魔の実を口にしたことも、それを求めたこともない。

「今日は何をして海へ落ちた?」

 報告書に不備がないことを確認し終えて、コーヒーを口にしながら尋ねたルッチへ、あれ、とナマエが声を漏らした。

「口止めしたのに何で知ってるんだ」

「ただ『頼む』だけは口止めとも言えねェだろうが」

 報告などはどこからも上がっていないが、ルッチは表情も変えずにそう答えた。
 どうせまたいつものように『内緒で頼むよ』と笑いかけ、ともに警護していた下っ端に頼んだのだろうサイファーポールの『ドジな男』が、軽く頭を掻く。
 海に近い場所に出かけたとき、ナマエはよく海へと落ちる。
 ふと姿を消しては体を濡らして現れる仲間をルッチは知っているし、またやっちゃったよ、と困ったように笑いながらも自分のそれを自覚しているナマエはさっさと着替えてしまう。
 あまりにもよくやるものだから『ナマエに悪魔の実を食わせるのはドジが治ってからだ』と長官直々に決定が下されて、最近では悪魔の実が回されそうになることすらなくなった。

「今日はさ、海列車を正面側から見たいって言った長官が思い切り足を滑らせて、助けようとしたら俺が逆に」

「月歩を使え」

「慌てて使ったら海面が近すぎて、しかも高波が来てな!」

 一回沈んだんだぜとあっけらかんと笑って言い放つ男に、ルッチは視線すら向けずにコーヒーの香るため息を零した。
 泳ぐのがうまくなったと言って笑っているナマエが、いろんな人間の目の前で起こす『ドジ』の殆どが巧みな演技であることにルッチが気付いたのは、ずいぶんと早い段階だった。
 いくら何でもそれだけのドジを踏んでいては、訓練の最中に生き残れない。
 しかしナマエはもはや立派なサイファーポールであり、最初にそのドジが露呈したのはルッチかナマエのどちらかに悪魔の実が渡るらしいという噂が聞こえた頃だった。
 要人の護衛という役目を担っていたルッチとナマエは、同じ船に乗っていた。
 あの日、ナマエはルッチの目の前で荒れた夜の海に落ちていった。
 座礁した船から新しい船へ護衛対象を移動させている最中に襲い掛かってきた荒波から、要人を庇った結果だった。
 悲鳴すらも聞こえなかったその一瞬のことを、ルッチははっきりと覚えている。
 海に落ちても死ななかったナマエが自力で生還できたのは、諜報員としての訓練の賜物だろう。
 ナマエが生きて帰るまでの間に、仕事を完璧に終わらせたルッチの目の前には『褒賞』が用意され、そしてそれをルッチが口にした後にナマエは戻った。

『初めて見たけど海の中ってめちゃくちゃ綺麗だったぜ! 死ぬかと思ったけど!』

 楽しそうな顔でそんな風に言い放ったナマエは、ルッチが得た力を知って驚いた後、良かったなと笑っていた。

『悪魔の実かァ、うーん……俺はいいかな。泳げなくなるんだろ?』

 そしてそんな風に言い放ったナマエが海というものに呪われてしまったのだと、ルッチは知った。
 外へ出向く任務を率先して受け、隙があれば海へと入る。
 偉大なる航路は海水浴には決して向いたものではないはずだが、恐ろしい生き物に追われようがあれた海の中だろうが、ナマエは満足そうだ。
 体に潮の香りが染みついてしまっているので、本人に隠そうという意思がないときはどうにもならない。
 ルッチ達が海に落ちたら助けられた方がいいから、なんていうナマエの言葉に『確かに』と頷いたのは鼻の長い年下の同僚だが、ナマエのその言葉はただのお為ごかしだ。
 悪魔の実の能力者は海に嫌われる。
 そして、ナマエは海に魅入られている。
 すなわちこの男は、ただ単に、愛した美しい海に厭われたくないのである。
 もしもサイファーポールの人間でなかったら船乗りか、いっそ海賊にでもなっていたのではないだろうか。
 そうして忌まわしい海が、あの日のように、ルッチの目の前からナマエという男を浚っていってしまうのだ。
 馬鹿なことを考えて、それを打ち消すように手にしていた書類を机の上に放ったルッチが、カップの中身を軽く揺らした。

「相変わらずの間抜けだな」

「ひどいなァ、ルッチ」

 表情すら変えずに言葉を零したルッチのそばで、ナマエはあいかわらずおだやかな顔をして笑っている。
 それにわずかな苛立ちを感じて舌打ちを零したルッチのすぐ近くで、水を飲み終えたらしいハットリが、わずかな鳴き声を漏らした。


end


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