寒い日のぬくもり
※猫転生主
※なんとなくサッチ
ひやり、と冷たい空気が吹き抜けて、サッチはぶるりと体を震わせた。
薄手のコックコート越しに自分の腕を抱き、大きなその掌でごしごしとこすり上げる。
「さっぶ! ……次は冬島か?!」
「昨日言われただろい」
なんてこったと甲板の上で悲鳴を上げたサッチの後ろで、そんな風に声がした。
それからぼすりと頭に何かが放り投げられて、床へ落ちる前にそれを片手で捕まえる。
掌に触れたそれは古びた上着で、柔らかなそれを広げたサッチはありがたくそれを着ているものの上から掛けた。
「ありがとなァ、マルコ」
そうして笑顔で振り向いたその目が、あれ、と丸くなる。
それを見やったマルコのほうは、どうしたんだよい、と怪訝そうな顔をした。
しかし、その顔をしたいのは、むしろサッチのほうである。
「どうしたんだ、その恰好」
どちらかと言えば薄着を好み、胸に大きな刺青を刺してからは上着の前すら開けることが多くなっていた兄弟分が、あたたかそうな上着を着込んでいる。
前の合わせはしっかりと閉じられて、下にも何枚か着込んでいるのか胸元が少し膨らんですらいた。
確かに急に寒くなってきたが、サッチのように一枚着込めばまだまだ耐えられるような気温だ。
まるで寒がりに見えるそれに首を傾げたサッチに対し、ため息を零したマルコの片腕が持ち上がる。
恐らく『家族』からおさがりを受けたのだろうその服は着古したもので大きく、その手は指の付け根近くまで袖口に収まっていた。
そのうちの一本の指が、ひょい、と自分の胸元を指差した。
そのことに目を瞬かせてから近寄ったサッチが、促されるままにマルコのほうへと近づいて、その胸元を注視する。
「……ん? ナマエ?」
そうして、サッチを誘導するように胸元に触れたマルコが引っ張った上着の内側に、見慣れるようになった子猫の毛皮を発見した。
できた隙間から入り込んだ空気が冷たかったのか、みう、と小さな抗議が上がる。
それを聞いてすぐに自分の胸元をその手で押さえて、マルコの口がため息を零した。
「朝はそんなに寒くなかったってのに、朝から人の服ん中に入り込んでみいみい騒いでたんだよい」
「ははあ、なるほど」
そうしてそれを見かねた誰かがマルコに様々な上着を着せたらしいと、サッチは把握した。
胸元が他より少し着ぶくれて見えるのは、ナマエがそのあたりで落ち着ける何かを下に着こまされているからだろう。ちらりと見えたのはサッシュベルトだった気がするので、スリングのようになっているのかもしれない。
「猫ってのァ寒がりだって言うもんなァ」
冬自体初めてなのかもな、と続けたサッチに、そうかもねい、とマルコは答えた。
その懐で温まっている小さな子猫は、サッチの向かいに立つ海賊が、とある島で連れて帰ってきた猫だった。
食い意地が張った幼い小さな生き物がいまだにモビーディック号に乗っているのは、どうやっても子猫が船を降りなかったからだ。
マルコはその猫に『ナマエ』と名付けて、サッチの目から見てもまあ分かりやすいほど可愛がっている。
そしてそれがわかるのか、仔猫もマルコに一番懐いていた。
「こいつあったけェから、おれにゃあちっと暑ィくらいだよい」
やれやれと言葉を零してくるマルコに、別にいいだろ、とサッチは笑った。
「次は冬島なんだし、どんどん寒くなるだろ。もう少し厚着してもいいんじゃねェのか」
「あんまり着るとナマエが苦しいんじゃねェかよい」
「でかいの着るんなら平気じゃねェの?」
今も少しマルコの体格には大きな上着を着ているようだが、白ひげ海賊団にはサッチやマルコより体の大きな海賊も数多い。その筆頭は船長たるエドワード・ニューゲートだ。
オヤジのなんてどうだよと笑ったサッチに、マルコがとてもあきれた顔をする。
「馬鹿言ってんじゃねェよい」
ため息交じりの一言に、名案だと思ったのになァ、とサッチは胸の中だけで呟いた。
※
そんな何年も昔の、懐かしい日のことを、サッチは思い出していた。
「お前はいつも通りあったけェなァ、ナマエ」
「……なあん」
冬島の海域に入って、そろそろ数日が経つ。
なんだか少しばかりいやそうな鳴き声を零しつつ、サッチの腕の中で虎と見間違えそうなほど大きな猫がおとなしくしている。
すくすくと成長した元仔猫のナマエの毛皮越しの温かさに癒されつつ、よしよしとサッチは礼のようにその背中を撫でた。
一人と一匹が揃って体を包んでいるのは毛布ではなく、とある海賊からの『おさがり』だ。
しばらく前の島で新しい上着を新調したからと、猫に自分の上着を与えてグラグラと笑っていた偉大なる海賊は気前のいい男だった。
最初はナマエだけがくるまっていたそれにサッチが侵入したのは、つい先ほどまでの船倉での点検作業ですっかり体が冷えてしまったからだ。
適当に酒でもひっかけてしまおうかとも思ったが、もう数時間もすれば見張りの時間がやってくる。
さすがにまずいだろうと考えて、温かい茶を淹れるかと船内を移動したところで、食堂の隅で温まっているナマエを発見したのである。
寒い日にサッチがナマエにかまうのはいつものことで、ときどき家族のほうからあきれた視線を向けられているが、誰もやめろとは言ってこない。
近寄ってきた弟分が渡してくれた温かなお茶で体の内側はある程度温まっているが、それはそれ、これはこれだった。
「にゃあ」
「んー、もう少し」
「……にゃあん」
ふう、となんとも人間臭く息を漏らした巨大な猫が、サッチの腕に体を抱かれたまま、わずかに尻尾を揺らす。
どうしてもいやなら逃げ出すだろうが、温かな上着から出たくはないらしい、ということはサッチにも分かった。
ナマエは猫らしくさむがりなのだ。
そして、マルコほどではないがとてもよく懐いているエドワード・ニューゲートの匂いがする上着ともなれば、手放したいはずもないだろう。
もちろんそれはサッチにも分かっているので、あと五分だけだから、と猫には分からないだろう言葉を零して、背中を撫でていた手を滑らせて軽くその顎下をくすぐる。
ぐるるる、と仕方なさそうに喉を鳴らしたナマエの耳が、そのあとで何かに気付いたようにぴくりと動いた。
「なあん」
鳴き声を零し、先ほどまでは確固たる意志を持って座っていた体を立ち上がらせて、獣の滑らかな毛皮がするりとサッチの手元からすり抜けていく。
ありゃ、と声を漏らしたサッチが見やれば、ナマエがむかっていく先に、食堂へと入ってくる海賊の姿があった。
「ん? どうしたんだよい、ナマエ」
足元に近づいてきて、いつになくにゃあにゃあと話しかける大きな猫に、足を止めたマルコが首を傾げる。
それから原因を探すように動いた視線がサッチを見つけ、その眉間に少しばかりのしわが寄った。
それに気付いて片手を振って笑いつつ、サッチがひょいと立ち上がる。
残念だが、あと五分を待たずして、至福の時間は終わりを告げてしまったらしい。
その手が取り残された上着を持ち上げて、そのままマルコとナマエのほうへと近寄った。
「なに、猫から被りもんを奪ってんだ」
「いやいや共用してたって。なァ、ナマエ」
「……にゃ!」
言葉を返して近寄ったサッチとマルコの足元で、猫が短く鳴き声を零す。
なんとも否定の意味が宿っていそうなそれに、ごめん、悪かったって、とサッチが謝るも、同じような鳴き声がまたしても返された。
どうやら、ナマエはすっかり機嫌を損ねているらしい。
まるで人間のような態度のそれに笑い、サッチの手がマルコの背中を押した。
触れた背中は冷たく、先ほどまで甲板あたりにいたのだろうということを思わせた。
さすがにいつもより少しは着込んでいるが、動きやすさを重視したのだろうマルコの恰好は、サッチに言わせれば寒そうなことこの上ない。
「なんだってんだよい」
「いいからいいから、ほら座れって」
怪訝そうな声を零したマルコを促し、椅子に座らせてから、サッチは先ほど自分が奪う形になってしまった大きな上着を広げた。
くるりとそのままそれを、椅子の背もたれも含んでマルコの体にくるりと巻き付ける。
大きすぎる上着はすっかり床までを覆ってしまい、みゃあともなあともつかぬ鳴き声を零したナマエがその足元に体を突っ込んだ。
尻から下は出ているのだが、そのまま落ち着くつもりなのか、床にその体が座り込む。
恐らくナマエの残りはその足にまとわりついているのだろう、くすぐってェと足元へ文句を言うマルコをよそに、サッチの手がもう一度マルコの背中のあたりを叩いた。
「あったまる飲み物出してやるよ。ナマエ借りた礼な」
「別に貸してやった覚えはないんだけどねい……大体、貸し借りするもんじゃねェだろい」
「まーまー、いいじゃねェか。ナマエも、ミルクでも飲むか? 特別な」
正論を寄越してきた相手に適当に返して、サッチの声がマルコの足元のほうへと掛けられる。
出せば出すだけ食べて飲むナマエの食事を制限するのはサッチやほかの食料を扱うクルーの仕事だが、ミルクくらいならいいだろう。寒いから、少し温めてやるといいかもしれない。
意味を理解しているのかどうかも分からないが、上着に包まれた内側から鳴き声が返ってきたので、よしと頷いたサッチはそのままマルコ達のそばを離れた。
途中で先ほど置き去りにしてしまった自分が使ったカップを拾い上げて、カウンター向こうのシンクへと入り込むかと考える。
洗い物をしていた兄弟が手を出してきたのでありがたくカップを受け渡し、先ほど勝手に請け負った飲み物を用意してやりながら、その目がちらりと離れてきた一人と一匹のほうを見やった。
テーブルがあるのでナマエがなにをしているのかは分からないが、持ち上がった尻尾の先がわずかに見え、それを追いかけるようにして足元を見下ろしたマルコが、少しばかり笑って何かを言っている。
その様子が分かったので、サッチは少しだけ時間をかけて、あたたかな飲み物を用意した。
「うまいかーナマエ?」
「なあん」
今度は体の後ろ半分をマルコと同じ上着の下に収めたまま、鳴き声を零したナマエの舌が皿に満たされたミルクをなめる。
ぬるく調節したミルクを出しただけですっかり機嫌のよくなったナマエは、どうやらサッチの所業を許してくれたようだった。
end
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