独占欲 (1/2)
※主人公は無知識トリップ系主人公で記憶もない
※捏造過多注意
イチジがその人間を目にとめたのは、たまたま落ちていたそれが、随分と戦場に似つかわしくない姿をしていたからだった。
どこに不発弾が残っているかも分からないような場所で、その青年は倒れていた。
最初イチジはそれをただの死体だと思っていて、しかしあまりにも綺麗な死体であったために、その原因を確かめようと近寄ったのだ。
民から搾り取った血税で軍勢を雇い入れた貧しい国の住人にしては身ぎれいで、苦労など知らない手足をしている。衣類に損傷はなく、外傷もなければ、吐血などをした様子もない。
顔立ちはいたって普通だ。年齢は、イチジと同じか、少し下だろうか。
『……あ……?』
『生きているのか』
傍に佇んだイチジの気配を感じたのか、身じろいだその人間に、イチジがサングラスの内側から改めてその視線を向ける。
ゆっくりと起き上がり、青年がイチジへその視線を向ける。
不思議そうにイチジを見上げるその眼差しはまるで物を知らぬ動物のようで、あまりにも戦争の場にふさわしくない。イチジはわずかに瞬きをした。
『あの……すみません、ここどこですか……?』
そんな愚かなことを言った青年は、イチジがその目で確かめた限り、ただの弱々しい人間でしかなかった。
そして、イチジの観察眼で導き出された答えを裏付けるかのように、軟弱なその青年は記憶すらもどこかに落としてしまっていた。
青年が衣類以外で唯一所持していた財布の中身は見慣れぬ紙幣と貨幣と小さなカードで、そこに記されていた文字を見る限り、青年はナマエという名前らしい。
『なんでここにいるかも分からなくて……イチジ様に拾ってもらえてよかったです』
医師の診察を受け、帰ってきたナマエはそう告げて、『恩返しがしたい』と言葉を続けた。
イチジには理解不能な話だが、助けられた『恩』とやらを感じているらしい。
イチジは戦場に落ちていた生き物を拾っただけで、ジェルマに何らかの利益を生み出したわけでもない。
確かにあの場にいたら軟弱なナマエは遅かれ早かれ死んでいたかもしれないが、全ては仮定の話だ。
『おれにはどうでもいい話だ』
だからそうすっぱりと言い放ったイチジに、名前すら落としてきた青年は非難の声すらも上げなかった。
どうでもいいからと放り投げたナマエの処遇は、何故だかその姿勢をジェルマの王へ認められて取り計らわれ、数か月の見習いを経て、やがてイチジの傍仕えとなった。
改造手術は受けなかったらしい。
もとより、見た目からして貧弱な人間だ。
兵として作られたイチジ達の配下とは比べ物にならないほど薄っぺらな体は、恐らく肉壁にもなれないだろうから、資源の無駄でしかない。改造を行わないと定めた国王の判断は正しい。
「お帰りなさいませ、イチジ様」
部屋へ入ると、清掃を行っていたナマエがぱっと顔を上げてイチジの名前を呼ぶ。
それはナマエがイチジの傍仕えとなってからよくある光景で、イチジは気にせずその腰を柔らかなソファへ落ち着ける。
もとより清掃を行う使用人は他にいたが、そのどれよりも細かく作業を行っていると見えるナマエは、どうやらそう言った仕事を好むらしい。
「お早いお戻りですね」
「おれが早く帰ることに不満があるのか?」
「いえ! お茶をすぐに用意します」
手元の道具を片付けながら言われて視線を向けると、ナマエは『笑顔』をイチジの方へと向けていた。
『感情』という無駄なものを使って生み出されるその表情は、ナマエがイチジへよく向けるものだ。
それを見るたびに脳の端をわずかに爪で掻かれる気分になるのは、イチジへその表情を向ける人間が殆どおらず、一番古い記憶の中にある相手がすでにいないからだろうか。
不愉快とは言わないが、無視も出来ないおかしな感覚を手繰り寄せようとしてふつりと糸を失い、イチジの背中がソファの背もたれへ押し付けられる。
「コーヒー」
「はい、ではコーヒーをご用意します」
短い言葉を放つだけでイチジの注文を受けたナマエは、ぱたぱたと駆け足で部屋を出て行った。すぐにカートを押して戻るだろう背中を見送って、イチジの手が目元を隠していたサングラスを外す。
改造を受けて性能を高めた瞳が、部屋の中の明るさと鮮やかさをその視界へ引き込んだ。
眩さがその目を眇めさせ、絞られた視界が、離れた場所にある壁に置かれた油絵の隆起を映す。
『これ、すごくきれいですねえ!』
瞳を輝かせながらそう言って、ナマエがそこへ飾ったものだった。
一般的な『人間』が美しいと述べるらしいその絵画は、先日父親から贈られたものだ。
王族であるなら芸術も分からねばならぬと言われ、イチジはひとまず美術品の価値を確かめる方法を覚えた。
筆致や素材、題材、大きさ、そして何よりその作者が著名であるかどうかが、美術品の金額を定める手段になる。
改造を受けたジェルマの王子に覚えられぬものなどあるはずもない。
ニジやヨンジと共に幾度か絵画の金額を当てる遊びもして、流動のある市場価格とは言え大きく外すようなことも無かった。
だから目利きをすることが任務として与えられたなら、イチジにはそれを充分にこなすだけの力がある。
しかし、それと、絵画の『美しさ』を認識できるかどうかは、また別の話だ。
「……」
イチジの目が、太陽と海と空を描いた絵画を見つめる。
青と橙とそれ以外を混ぜた絵の具の塊が、イチジの視線をただ無感情に見つめ返していた。
※
ナマエは基本的に、他の使用人達と同様に扱われる。
つまりは夜は自分の部屋へ戻るということで、呼びつけられない限りは仕事に出てくることもない。非力なただの『人間』では、見張りの役にも立たないからだ。
だからこそ、夜間の訓練を終えたイチジは、自分の視界の端に移った人影にその歩みを止めた。
あとは自室へ戻るというだけの道中、見上げたバルコニーに、見張りとは思えない小さな人影があったからだ。
夜間でも昼間と同じほど鮮やかに周囲を認識できるイチジの目は、それを『ナマエ』だと確認した。
そう思った時にはつま先をそちらへ向けていたのは、本来自室で眠っているだろう時刻に出歩く青年に、不信感を抱いたからだ。
「何をしている?」
だからたどり着いた先にいた青年へ、そう声を掛けた。
背中を向けて佇む相手は誰がどう見てもナマエで、しかしイチジが声を掛けても、反応は無かった。
そのことに沸いた苛立ちは、幼い頃に身近にいた誰かのことを思い出させる。
短く舌打ちを零し、イチジは相手へと近寄った。
伸ばした手が細い肩を掴む。
「わっ!」
ぐいと引っ張ると、そのことに驚いたらしい青年がびくりと跳ねた。
慌てたように振り向いた顔が、あれ、と間抜けに目を瞬かせる。
「イ、イチジ様? あれ?」
驚きと戸惑いを浮かべた顔がきょろきょろと周囲を見回して、鼓動を落ち着けるようにその片手が自分の胸へと当てられた。
「何をしている?」
先程投げたのと同じ問いを向けながら、イチジの手がナマエの肩を逃がす。
そうして見つめた先で、ええと、と声を漏らしたナマエが、自分の足元へ視線を向けた。
何となく同じ方へ視線を向けたイチジが、わずかに眉を顰める。不衛生なことに、ナマエは素足だった。自室から靴も履かずに出てきたのだろう。
愚かな相手へため息を零したイチジの傍で、しばらく自分のつま先を見つめた青年が、イチジの方へその顔を向けなおす。
「ちょっと、散歩に出かけてました」
眠れなくて、と続いた言葉に、イチジは目の前の顔を見つめた。
へらりと浮かんだ笑みはいつも向けられるものに似ているが、どことなく違う。
しかしどこが違うのか、二つ並べてみなくては判別がつかない。
「眠れないのなら、薬でも処方させろ」
「少し眠れないだけで薬飲むのはちょっと、なんていうか、体に悪くないですか?」
「改造も受けていない人間だと、睡眠時間を満足に得られない方が体調を崩すと聞いた覚えがあるな」
いつだったか、イチジがニジやヨンジと共に行軍した時の話だ。
イチジ達は全く平気だったが、同行していた医師達は疲労の濃い顔をしていた。
横で見ていて辟易するほどの顔に尋ねたら、そんな答えが返ったのだ。
だったら眠ってればいいだろうと哂ったが、イチジ達の体の調節を預かる医師達はそのままイチジ達の行軍へ着いてきた。
その間の能率がとても悪かったので、学習したイチジ達は、行軍中の兵や同行者達の『睡眠時間』を管理するようにしている。
城にいる間は気にしたこともなかったが、もしや、傍仕えであるナマエのそれは、イチジが管理すべきものなのか。
わずらわしさがイチジの眉間へ皺を刻んだが、気付いた様子もないナマエは、たまにですから、とかなんだとか、イチジに対して言い訳をした。
重ねる言葉すらうるさく、イチジの左手がすっと持ち上がる。
「だからあの……イチジ様?」
「寝ろ」
戸惑いを浮かべた青年へ短く告げて、片手を素早く動かす。
正確に首裏を打ったそれはナマエへ脳震盪を起こさせて、うめき声すらも上げなかった青年は、イチジの狙い通りにそのまま気を失った。
屋外で眠ったらそれはそれで体調を崩すだろう軟弱な傍仕えを室内へ運んでやったのは、イチジの気まぐれだ。
しかし、翌日何故だかレイジュから非難を受けたので、どうやらこれは脆弱な『人間』に行ってはならない手段であるらしい。
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