若クザンと上司と優越感
※NOTトリップ主は海兵さん
「ナマエ中将」
クザンがそう呼びかけると、ナマエはわずかに目元を綻ばせる。
あまり表情の動かない強面だが、彼があまり怒ったりはしないことを、クザンは知っていた。
悪を退けるべき存在である海軍へと入り、他よりいくらか抜きんでていたらしいクザンは、同期達を置いて上へと進むことになった。
そうして配属されたのは『怖い』と噂の部隊で、ナマエとはその部隊を率いる中将の名前だ。
危険な地域へ派遣されることの多いそこでは、怖ろしい頻度で人が入れ替わっていく。
半年も経たぬうちに古株になってしまったクザンは、片手に持っていた書類をひょいと相手へ差し出した。
「どうぞ」
そこの廊下で使いの海兵から奪い取ってきた書類を揺らせば、『置いておけ』と短い返事が寄越される。
それと共に執務机の端が軽く叩かれたので、クザンは大人しくそれに従った。
そうして、近寄りながらじっと、机に向かっている上官の顔を見る。
言葉が少なく、表情がほとんど変わらず、体格も良くて強いナマエと言う名の海兵は、相変わらず子供と相対しただけで泣かれそうな怖い顔をしていた。
目つきからして、今すぐ海賊でも殴りに行きたそうな殺伐とした色を宿して見える。
ナマエの扱う言葉は部下に対しては特に厳しいものがほとんどで、言うことを聞かない部下を殴り飛ばしただとか、生意気な部下を一番危険な配備につかせるだとか、海賊の四肢を折り砕いて捕縛するのが趣味だとか、おかしな噂が事欠かない。
先日、部下を𠮟責しているときの様子ときたら、別に怒られてもいないクザンまでなんとなく背中を伸ばしてしまったものだった。
こなす任務もきつく上官が怖いとなれば、隊から逃げていく海兵が多いのももっともである。
しかしクザンには今のところ、ここから逃げるつもりはない。
「……クザン?」
『どうした』と言いたげに視線が向けられて、注いでいたクザンの視線と絡み合った。
寄越された視線にわずかな微笑みを向けて、『なんでもありませんよ』と答えたクザンは、置いた書類からそっと手を離した。
「おれこの後訓練なんで、それが終わったらコーヒーでも淹れてきますよ」
「…………」
「ちゃんと砂糖とミルクもいれてくるんで」
もの言いたげに寄越された視線へ先どって言葉を続ければ、鷹揚にナマエが頷く。
強面の誰かさんは、意外と甘いものが好きだ。
可愛い小さな生き物も好きで、町の警邏中、子供に泣かれるたびに一人でショックを受けている。
逆にその顔に似合うような苦いものやからいものは苦手で、本人曰く酒もあまり得意では無いらしい。
顔つきや目つきは生まれつきで、別に加虐の趣味もない。
海賊を殴り殺すよりも捕縛して更生させたいという、何とも真っ当な考えを持っている。手段は時々非道だと非難されたりもしているが、当人にそのつもりはないのだ。
部下を激しく叱責していたのだって、先走ったクザンの同僚が危うく怪我をするところで、今後も同じような目に遭うのではないかと心配したからだった。
クザンがそのことに気付いたのは本当に偶然で、そしてクザンの知る限り、ナマエがそういう海兵だと知っている人間は他にいない。
そのことにクザンがわずかな優越感を抱いていることも、どこの誰だって知りはしないことだ。
「それから、今晩飯でも一緒にどうですか」
微笑んだままでクザンがそう尋ねると、ナマエの眉間にわずかな皺が寄った。
『また集るつもりか』と問いが寄越されて、『そんなこと言ってないじゃねェですか』とクザンは答えた。
「むしろ逆ですよ、この前も奢られたし、今日はおれが奢りますって」
「部下の稼ぎで飯が食えるか」
馬鹿馬鹿しいとばかりに言葉を落としたナマエが、じろりとクザンをねめつけた。
鋭い視線が突き刺さるが、どこ吹く風でクザンが微笑むと、やがてナマエの口がため息を落とす。
「……油を売っていないで、迅速に行動しろ」
そうしてそんな風に言い放ち、七時半だ、と時刻の指定が寄越された事実に、クザンは素早く敬礼した。
この分では戻ってきたときには店が予約されていて、もしかしたら料金も前払いされているかもしれない。
しかしまあ、ナマエがそうしたいと言うのなら、部下であるクザンはそれに従うまでのことだ。
ナマエという海兵は案外、懐けば可愛がってくれるのである。
end
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