クザンと海兵の勘違い
※NOTトリップ主は海兵さん
「青雉殿」
「はいよ」
「貴方の部隊はあちらの艦だとお伺いしておりますが」
困惑をその顔に張り付けて、ナマエは甲板の上で寝椅子に寝そべる海軍大将へ尋ねた。
相手が唐突に現れてすぐに示した敬礼は既に『堅苦しい』と言われたために解かれており、ナマエと同じことをしていた同僚達も仕事をこなしながら少々遠巻きにナマエとそのすぐそばに転がる男を窺っている。
『あちら』の言葉と共に彼方の海を指で示したナマエを、アイマスクを押し上げて晒された片目が見上げた。
「そうは言うけど、毛布持ってきてくれてんじゃねェの」
どことなくおかしそうに言われて、『この海域は冷えますから』とナマエは答える。
その両手が持っているのは大きめの毛布で、今先ほどナマエが艦内から持ち出してきたものだった。
今度の演習は冬島の海域で行うものであり、ちょうどその界隈は極寒の真冬であるという話なのだ。
周囲の海兵達も装いを冬島仕様のものに変更しており、いくら氷結人間でもスーツを着込んだだけの相手を眠らせるわけにはいかないだろう、と言うのがナマエの判断だった。
「ここで眠るならお貸ししますが、できれば艦へ戻られることをお勧めします。屋内の方が温かいですよ」
「なんならこっちの艦内に入れてくれてもいいけど?」
「さすがに中将の胃が心配です」
時たま海軍大将が参加してくることのあるこの演習で、こうしてこの氷結人間がナマエの部隊の乗っている軍艦へやってくることはしばしばあることだった。
ナマエの直属は海軍大将黄猿であり、ナマエの上官から『どうにかしてくれ』と言う直訴もあったのだが、どっちつかずの海軍大将は『好きにさせときなよォ〜』と笑うばかりである。
気を使ってばかりの上官は今日も少し青い顔をしており、それでも本来ならこの海軍大将の横に控えて部下達が粗相をしないよう気を配る役目を担っているが、今は艦内で昼食休憩中だった。
毎回二人に給仕をしていたために海軍大将に慣れていたナマエが、休憩の間の代理を頼まれたと言うことは上司からの信頼の表れだろうが、気遣い屋の上司がナマエは心配だ。
「あららら。別におれァわがままも言ってねえのに、酷ェ言われようだ」
「『様子を見に来た』と言いながら、すでに仮眠の姿勢でいらっしゃる」
『充分わがままだと思います』と言葉を落とし、ナマエはため息とともに毛布を広げた。
広げたそれを寝そべる相手へと掛ければ、柔らかく触れてきた毛布に大将青雉がわずかに身じろぐ。
その手がアイマスクを降ろし、まさしく眠る姿勢に入った相手を、ナマエは見下ろした。
本当に、目の前の相手はよくナマエの部隊が乗る軍艦へと現れる。
ひょうひょうとした顔で『来ちゃった』と言ってみたり、『様子を見に来たら疲れた』と言ってみたり、本当に適当な理由でしばらくの滞在を求めて、好きにして帰っていく。
その度に青い顔をしている上官を思い出してみると、何とも目の前の相手が気の毒だった。
「……うちの中将は妻子を愛していらっしゃいますので、お早めに諦めたほうがよろしいですよ」
「んん?!」
小さな助言を口から漏らしたナマエの前で、まだ寝入っていなかったらしい海軍大将からおかしな声が上がる。
それとほぼ同時にその長身が寝椅子の上に起き上がり、慌てた様子でその手が再びアイマスクを押し上げた。
「ちょいと、今のどういう意味」
「申し訳ありません、出過ぎたことを」
「いや、そうじゃなくて」
「自分に偏見はありませんので」
どうしても女性より男性の方が多い海軍内では、時たま聞く話だ。
そうでなくてもたまたま恋した相手が同性であることくらい、充分にありえる話だとナマエは思っている。何せナマエ自身もそうなのだから、恐らくはそれほど少なくないことなのだ。
言い切ったナマエの前で、秘密を暴かれた海軍大将が目を白黒させている。
困惑と戸惑いを浮かべたその顔は『なぜ分かったのか』と尋ねているかのようで、それを見やったナマエは珍しくその口元に笑みを浮かべた。
ナマエの上官をどれだけ困らせると分かっていても、大将青雉はこうやって会いに来る。
一途とも健気ともいえるそれらに『可愛らしい』と思ったのが、恐らくは一番初めだった。
ナマエが代わることで上官を逃がすことも出来るが、それが数回に一回になるよう気遣っているのも、憐れなこの人に幸福を感じてもらいたいがためのことだった。
上官のことは心配だが、しかし恋なんて言う恐ろしいものに囚われてしまっているのはこの海軍大将もナマエも同じだ。
上官と二人だけにした後、満ち足りたらしい相手が給仕をしているナマエにすらその笑顔を振りまいてくれるのだから、それを見たいという自己中心的な思いで行動するナマエもまた、恐らくは上官を苦しめる一因である。
しかし、叶わない思いをいつまでも抱いているのは、お互いに苦しいものではないだろうか。
「青雉殿なら、独身相手ならどのような方でも選り取り見取りでしょう」
女性とでも結婚してくれたら、ついにはナマエの恋も死んでくれるに違いない。
そんな思いで言葉を紡いだナマエの前で、どうしてだか海軍大将青雉がその目を眇める。
敵対する相手を見たかのような眼差しに戸惑い、どうしたのかと尋ねようとしたナマエへ向けて、彼は唇を動かした。
「……本当に?」
「え?」
「独身なら『誰』でも、相手してくれるって?」
『お前は本当にそう思ってるのか』と、いつになく冷えた声がナマエの耳に刺さる。
放たれる言葉の真意が読み取れないものの、ナマエは一つ頷いた。
ナマエの目の前にいるのは、海軍大将青雉だ。
地位もあれば名誉もあり、強さも折り紙付きである。
もしもナマエの上官が移り気だったなら、これだけの相手にあれだけ懐かれてしまえば、あっさりと心変わりしていたかもしれない。
そうなれば妻子があまりにも憐れであるので、上官の一途で誠実なところを誇るべきだろう。そしてきっと、目の前の相手もそういうところへ惹かれたに違いない。
「へえ……」
ナマエの返事を見て、大将青雉が低く声を漏らす。
何かを思案するようにその瞳が揺れて、それからすぐにナマエを貫く視線が寄越された。
「じゃあ、お前」
「…………はい?」
「お前にするから。独身でしょうや」
吐き捨てるように放られた言葉に、ナマエの目が瞬きを繰り返した。
戸惑いがそのまま顔に現れたらしいナマエを放っておいて、鼻を鳴らした海軍大将の背中が再び寝椅子へと倒れ込む。
毛布を頭へ引き上げて、まるごとその身を隠してしまった相手の傍で、ナマエは一度首を傾げた。
どういう意味だったのかを考え込むナマエの傍で、大将青雉はもはや身動きの一つもしない。しかし苛立っている気配を感じるので、恐らくは狸寝入りを決め込むつもりなのだろう。
それが分かっているから、『あの』、とナマエは寝椅子の上の毛布の塊へ向けて声を掛けた。
「それは自分を、中将の代わりにしてくださるということでしょうか」
そうだというのなら、それは何という悪魔のような申し出だろう。
胸が痛む苦しさと、ふつりと湧き出る喜びが、同時にナマエを苛んでいる。
たとえ相手の申し出が『誰でもいい』と言う自暴自棄な考えから出たものであったとしても、それはそのままナマエの恋を叶えるものなのだ。
後は、本気で相手がナマエへ好意を抱いてくれたなら完璧だった。
「それでは、自分を好いていただけるよう、尽力させていただきます」
降って湧いた幸運を逃すまいと、片手にゆるく拳を握って言い放ったナマエへ向けて、毛布の向こうから声がする。
「……その前に、おれを好きになる努力からすれば?」
くぐもった声で寄越された言葉に、『それはとても難しいのではないか』とナマエは思った。
何せナマエは目の前の相手がどこの誰より好きなのだから、これ以上好きになることなど、出来る気がしない。
それでも、相手が求めるならどうにかしてみせなくては、男の矜持にかかわる。
「尽力します」
だからこそナマエはそう答えたのだが、どうにも答え方を間違えていたらしい。
そう気付いたのは演習から戻ったひと月ほど後、『嘘でしょおれのこと好きなの』と目を丸くしてから、困惑と戸惑いとわずかな喜びをにじませた相手の発言を聞いてからのこと。
思い込みと勘違いとは、かくも恐ろしいものである。
end
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