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紳士的な海賊流儀
※マルコ逆トリップ
※無知識な教授主人公




 マルコは海賊である。

「ナマエ、飯食えよい」

 部屋の入り口からマルコがそう声を掛けると、んん、と生返事が寄越される。
 既に声を掛けるのは五回目だ。
 ため息を吐いたマルコは、取り決めの通り部屋へと足を踏み込み、いくつかの書類束を跨ぎ越えてから部屋の大体中央に座り込んでいる男へと近付いた。

「ナマエ。飯が冷めるだろい」

 そう声を掛けて手を伸ばし、彼が読んでいた本を捕まえる。
 ひょいとそれを取上げると、あ、と声を漏らした男がその顔を上げた。
 玩具を急に取上げられた子供のようなその顔を見下ろして、本の背の上部に取り付けられていた紐をしおりにしてから本を閉じたマルコは、顎で部屋の外を示した。

「飯」

 更に言葉を繰り返せば、そこでようやく、ああ、とナマエが声を漏らす。

「もうそんな時間か」

 そうしてそんな風に呟いた相手に、マルコは軽くため息を吐いた。
 もう、などとナマエは言うが、今は夜で、朝から活動しているナマエがその口に食事を運ぶのは今の時間が初めてだ。
 『熱中しているとよく食事を取るのを忘れるから』と言ったナマエに、二回までは見逃すが三回目は何が何でも食べさせる、という約束をマルコがして、もう一ヶ月近くが経つ。
 すでに三日も連続して一日一食で過ごしているナマエは、どうやら最近また何か没頭するものが出来たらしい。

「いい匂いがするな」

 くん、と犬のように鼻を鳴らしたナマエへ、適当に作っただけだよい、とマルコは答えた。
 言葉の通り、マルコの料理は大所帯の海賊らしく大雑把なものだ。けれども、それに対してナマエが文句を言ったことは一度もない。
 のそりと立ち上がったナマエが、マルコの横をすり抜けて、自分が置いた書類の束を跨ぎながら部屋を出て行く。
 手近なテーブルに本を置いてからそれを追いかけて、マルコも共に部屋を出た。
 リビングへ向かうその背中を追い越してキッチンまで移動し、盛り付けてあった皿を二人分運ぶ。

「ほらよい」

「ありがとう」

 礼を言いながら椅子に座ったナマエは、自分の前に置かれた皿を見下ろして、いただきますと行儀よく言葉を零してからいつもように食事を始めた。
 その向かいに腰を下ろして、マルコも同じように食事を始める。
 マルコがこの『世界』へ来て、もう一ヶ月が経つ。
 突然知らない世界へと訪れる格好となってしまい、困惑したマルコがいたのはこの家の庭だった。
 そして、最初に遭遇したのが今マルコの向かいに座っている男だ。
 どうもマルコが虚空から現れるその様子を見ていたらしいナマエは、今思えば珍しく驚いた顔をしていたが、窓際に仰向けで倒れている男の姿にマルコも驚いた。
 話によれば、空腹過ぎて身動きもとりたくなくなっていたらしい。その言葉を肯定するように、寝転びながら本を読んでいたらしいナマエの腹は盛大に音を立てていた。
 だったら何か食えばいいだろうと言って家に押し入る形になったマルコが、とりあえず見つけた食料を適当に調理して家主に振る舞ったのが、一緒に食事をするようになった一番初めだ。
 マルコの手料理によって空腹を満たしたナマエは、未だ現状に困惑していたマルコへ矢継ぎ早に質問をし、いい加減にしろこっちはどうやって帰ればいいのかもわからねェんだと怒鳴ったマルコに、だったら帰れるまでうちで観察させてくれと申し出てきたのだ。
 行く宛ても無かったのでその申し出はマルコにとってもありがたく、『ダイガクキョージュ』なのだというナマエの家に転がり込むことになった。
 そして、観察するといいながらマルコを放っておく男の横で、することが無さ過ぎて暇だったマルコは、何となくナマエの世話を焼くことになった。マルコは海賊だが、恩義には報いるべきだと知っているのである。
 そう甲斐甲斐しいものでもないが、特に気を配って行っているのが食事の用意だった。
 何故なら、先述の通りナマエが自分の食事をないがしろにする人間だったからだ。
 一番最初のときに『温かい料理なんて久しぶりだ』と呟いたナマエの言葉とうっすら埃すら積もっていたキッチンの様子から見ても、ナマエが料理を殆どしないで過ごしていたことは明白だった。
 食事は体の資本である。
 海賊のマルコだってそのくらいは分かっているというのに、学者先生であるナマエがそれを知らぬはずが無いだろう。
 じとりとマルコが見つめた先で、くるくると器用に大量のパスタをフォークで巻いたナマエが、それを一口で口へ押し込んでからマルコの視線を見返す。

「ふぉうかひたは、マフホ」

「……食いながら話すない」

「む」

 もごもご口を動かしたナマエへマルコが注意すると、大人しく頷いたナマエはもぐもぐと口の中身の咀嚼に勤しみだした。せっせと口を動かすその様子からして、空腹だったことは間違い無さそうだ。
 何かに夢中になったナマエは食事を忘れる。
 空腹すぎて気付いたら寝ていたこともあるとナマエは笑っていたが、それは気絶していたんじゃないのかとマルコは聞けなかった。
 もしもマルコがこの世界から帰ってしまったら、ナマエは一体どうなるのだろうか。
 ダイガクとやらに出て講義をすることもあるようだが、ここ最近の様子から見て、家にこもることも少なくは無いようだ。
 あまり人も訪ねてこないこの家で、一人でうっかり餓死したりなどすれば、と想像してしまうと笑えない。
 今までどうやって生きてきたんだと問いたいところだ。

「で、どうかしたか、マルコ」

 マルコが眉間に皺を寄せている間に、口の中身を飲み込んだらしいナマエが仕切りなおしたように言葉を紡いだ。
 それを受けて、どうもこうもねェよい、と呟いたマルコも乱暴にフォークでパスタを巻く。

「この間の話、考えてみたかよい」

「この間の? ……ああ」

 言われてマルコとの会話を思い出したらしいナマエが、軽く首を傾げる。

「断らなかったか?」

 そうして寄越された言葉に、マルコはじとりと目の前の顔を見据えた。

「だから、何で断るんだよい」

「いや、だからどうして俺がお前の世界へ行くことになってるんだ」

 ナマエがとても不思議そうな顔をする。
 ここ最近、マルコの体には『前兆』のようなものがあった。
 どうやら、元の世界に残してきた『家族』達が、マルコを元の世界へ取り戻すためになんだかんだと試してくれているらしい。
 もう少しだけ我慢してろよな、と霞が掛かった視界の向こうから言われたのは三日ほど前の話だ。
 ナマエにも話してはいるが、恐らくもうじき、マルコは元の世界へ『帰る』。
 そうして、何度目かの『前兆』で手にしていた鍋をうっかりと先に元の世界へ落としてきた経験から、こちらの世界から何かを持っていくことは可能なようだとも知っている。
 だったら、この目の前の男を連れて行きたいとマルコは思った。
 だからこそ誘っているというのに、毎回毎回、ナマエは拒否を口にする。

「向こうには、こっちじゃ見られねェようなもんがたくさんあるよい。電伝虫見てみてェっつってたろい」

「まあ確かに、電子機器にあたる端末が生物で補われているという状況はとてつもなく気になるが」

「海王類もいる」

「確かにメガロドン級かそれ以上というのはこの目で確認してみたいものではあるが」

「おれ以外の悪魔の実の能力者だって見れるよい」

「前に言っていたロギア系とパラミシア系か。確かに興味はあるが」

 重ねられるマルコの言葉に頷きながら、ナマエの手がくるくるとパスタを巻く。

「だが、行ったら帰ってこられないかもしれないだろう」

 そう告げてぱくりと口へパスタの塊を押し込んだナマエに、マルコもパスタを口へ運んで唇を閉じた。
 確かにナマエの言う通り、マルコの世界へ一緒に行ったとして、ナマエがこの『世界』へ帰れる可能性はとても低い。
 何せ、どうしてマルコがここへ来たのかもわからないのだ。
 向こうでマルコを取り戻そうとどうにかしている『家族』達だって、改めてマルコをこの世界へ送り出す方法など知らないだろう。
 ましてやナマエをこちらの世界へ引き戻してくれるような『家族』がいないということは、ここ一ヶ月のナマエとの付き合いでも分かっていることだ。
 大体、そこまで深い仲の相手がいるのなら、餓えたまま転がっていたりはしない。
 だからこそ、口の中身を飲み込んだマルコはあえて訊ねた。

「帰れなくて、何か困るのかよい」

 問いかけに、むぐむぐと口を動かしながら、ナマエが眉を寄せる。
 眼鏡の向こうのその目が何かを考えるように軽く揺らいで、ごくりと口の中身を飲み込んでからううんと唸ったナマエは、軽くため息を吐いた。

「……しまった、何も無かった」

「だろい」

 困ったように呟くナマエに、勝利を確信してマルコは頷く。
 けれどもまたしてもその眉間に皺が寄せられたのは、だがいやだ、とナマエが呟いたからだった。
 なぜそうも嫌がるのかとマルコが視線を向けた先で、マルコの炒めたパスタをもう一度フォークへ巻きながら、ナマエが首を傾げる。

「むしろ、マルコこそ何故俺を連れて行きたがるんだ。俺はただの日本人で、しがない大学教授だ。お前の求めるものなんて、何も持っていない」

 言い放つナマエの目が、窺うようにマルコを見やる。
 確かに、ナマエはどう見ても戦える体格ではない。
 この『ニホン』という国は平和らしく、武器だって携帯していないし体術に長けているわけでもない。
 この『世界』では頭の良い人間のようだが、その常識は全てこちらの『世界』のものであって、マルコのいた『世界』では役に立つかどうかすらも分からない。
 それほど若くも無いのだから、向こうの世界にすぐ馴染むのにだって時間が掛かるだろう。
 だが、少なくとも一つ、マルコにとってはとても重要な利点があるのだ。
 それを全く分かっていない様子のナマエに、マルコは軽くため息を零した。

「おれの理由よりお前の理由だろい。ナマエ、お前別にダイガクキョージュってのにも未練ねェだろい」

「何を言うんだ。俺は意外とまじめに教授やってるんだが」

「まじめな先生は一週間も家にこもらねェよい」

「む」

 きっぱりと言い放ったマルコの前で、ナマエが小さく唸りつつパスタを口へ運ぶ。
 手を止めない様子から見て、やはり空腹だったのだろう。
 それを眺めながら、マルコは食事中に行儀悪く頬杖をついた。
 そのままパスタの乗った皿を眺め、それからもう一度ちらりとナマエを見やって、仕方ねェな、と言葉を零す。
 どうやっても頷かないというのなら、マルコだって奥の手を出すまでだ。

「おれについてくるんなら、何日かに一回はあっちの姿でくっついててやるよい」

「……む」

 マルコの言うあっちの姿とは、すなわちトリトリの実によるマルコのゾオン形態のことだ。
 炎を纏った幻想的な不死鳥の姿を初めて見た時から、自分がその姿になるたびにナマエが瞳を輝かせていたことをマルコは知っている。
 どうやらこのキョージュ殿は、思ったよりも動物が好きであるらしい。
 もしくは、熱の無い炎に包まれた不死鳥の姿に学術的興味を引かれるのかもしれない。
 どちらにしたって、マルコにとってはナマエを自分のほうへ傾ける材料でしかない。
 マルコの言葉に、どうやら悩み始めたらしいナマエはフォークを口に咥えたままで動きを止めてしまった。
 その様子を眺めながら、マルコは先にパスタを食べ進める。
 ナマエを連れていけるなら、マルコは何の心配もなくもとの世界へ帰ることが出来る。
 この頭が良いくせに自分の体に無頓着な男を放っていくなんて、マルコの繊細な胃に穴が開いてしまいそうだ。

「…………」

 だが、もしもこれでも頷かないなら、もう有無を言わさず攫って行った方がいいのかもしれない。
 そんな風に考えたマルコは、結局のところ、恩人に対しても容赦なく海賊だった。



end


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