- ナノ -
TOP小説メモレス

クロコダイルと椅子
※NOTトリップ主人公が若干М注意




 おれはオットマンである。
 オットマンというのは背もたれのない小さめの椅子のことで、つまりはよくソファの横に備え付けられたりしている足蹴にされるあれだ。
 もちろん、無機物に芽生えた自我ではない。おれの生物としての分類は『人間』で間違いない。
 だがしかし、今のおれはオットマンである。

「おいナマエ、動くな」

 低い声で唸られて、申し訳ありません、とそちらへ返事をした。
 両手両足を床につけ、力を入れて体を支えたままの状態で、どうにか顔だけを声がした方へ向ける。
 高貴なソファに座った男が、おれの上にその足を乗せていた。
 ソファに座る男の名前はサー・クロコダイル。
 いわゆる一人の王下七武海で、我がアラバスタの英雄だ。
 民間人にはいい顔を見せるはずの彼がどうしておれにこんなふるまいをするのかについては長くなるので置いておくにしても、もともとの海賊としての顔を見せる彼に、顔がゆるむのを止められない。
 別に踏まれるのが気持ちいいわけではない。クロコダイルは俺より大柄であるので、足も当然重たいのだ。しかし、こんな風に扱うのはおれだけなのである。

「何をニヤニヤしていやがる」

 ソファに背中を預けて、先ほどオールサンデーが落ち込んだ書類に目を通していたクロコダイルが、こちらへ視線を向けて囁いた。
 口の端に噛まれた葉巻からは独特の匂いを纏った煙が上がり、揺れながら空気へ溶けていく。

「いえ、何でもありません」

「それなら職務を全うしろ。こっち見てんじゃねェよ」

 体が傾いてるぞと唸って、クロコダイルが軽く足を動かした。
 確かに、おれがクロコダイルの方を見ようと首をひねっているせいで体が少し傾いている。
 慌てて顔の向きを直してから、四肢へ力を入れ直す。
 しかし、この体勢だと、おれの視界に入るのはせいぜいこの執務室の扉くらいだった。
 オールサンデーのような『能力』があればクロコダイルを鑑賞し放題なのだが、おれは残念ながら一般的な平民男性なので難しい。

「あの……あおむけになってはいけませんでしょうか」

 せめて顔を上に向ければクロコダイルを眺められるようになるか、と考えて尋ねたおれに、ああ? とクロコダイルが声を漏らした。
 その足が俺の背中の上で動いて、硬い靴の踵で軽く腰を踏まれる。

「何だ、直接腹を踏まれたいってのか」

「あ、いえ、そういうことではなく」

「仰向けになってもこの高さを保てるんなら好きにしろ」

 言葉と共に、紙のこすれる音がした。どうやらクロコダイルが、次の書類へと突入したらしい。
 四つん這いになっているこの体勢と同じ高さになるためには、あおむけになった俺はブリッジの体勢をとる必要がある。
 少し考えて、自分の体力のなさをよくよく自覚しているおれは、首を左右に振った。
 せめてもう少し筋力をつけてからじゃないと、早々に崩れてしまってクロコダイルを怒らせてしまいそうだ。

「……申し訳ありませんでした、諦めます」

 大人しく呟いたおれに足を乗せたままで、クハハハ、とクロコダイルが笑いを零した。
 それと共に、数時間ぶりにその足がおれの背中の上から降ろされる。
 すぐそばに落ち着いた靴底が立てた音に顔を向けると、クロコダイルが書類を手にしてソファから立ち上がるところだった。
 少し屈んだ状態の段階で伸ばされた鉤爪に軽く服を引っかけられて、おれも慌てて立ち上がる。少しでも反応が遅れれば服が破けてしまうのだが、今回は切っ先で穴が開いた程度で済んだようだ。

「お出かけですか?」

 立ち上がり、自分より背の高い相手を見上げて尋ねた。
 片手に書類を手にしたまま、ああ、と声を漏らして、クロコダイルの口が煙を零す。

「面倒な客がカジノに通ってるようだからな。馬鹿共の期待には答えてやらねェと」

 呟きつつ書類を睨むクロコダイルに、よく分からないままでなるほどと頷いた。
 おれの返事に、クロコダイルが少しだけ面白がる様子を見せる。

「なんだ、理解できたってェのか?」

「いえ」

「ただの知ったかぶりか」

 相変わらずだな、と言って笑うクロコダイルの鉤爪が、そこでようやくおれから離れた。
 アラバスタで『英雄』をやっているくせに、クロコダイルは恐ろしい海賊だ。
 少なくともおれはそれを知っているし、むしろ他の連中がどうしてそれに気付かないのか不思議で仕方ない。
 自分を称える人間を見る時の目を見れば、すぐに分かることじゃないか。
 それに気付いてすぐにクロコダイルに近付くと決めたおれが、数か月も掛けて今こうしてクロコダイルに構われるようになっても、周りは誰も気付かない。クロコダイルが周囲の人間に向けて浮かべるその目は、鋭く冷たいのに。
 背中に震えが走るような眼差しを思い浮かべたおれの横で、は、とクロコダイルが息を吐く。

「何を思い出してそんな顔してるのかしらねェが、だらしねェ顔だ」

 囁くように言いながら、先端に鉤爪のついた手がおれの顔に触れて、その切っ先がおれの頬を軽くひっかいた。
 クロコダイルのこの義手は、手の代わりであり武器なので、その先端はとても鋭く、頬にわずかな痛みを感じる。きっと、軽く傷がついてしまったことだろう。
 おれの顔を見下ろして満足げに笑ってから、クロコダイルはおれからその鉤爪を離した。

「ソレが治るまでには戻ってやる。大人しく待っていろ」

 そしてそんな風に言い放ち、そのままおれに背中を向ける。
 歩き出した彼がこの『アジト』の一つから出ていくのを見送って、行ってらっしゃいませ、と声を投げたおれは、一人残された部屋でそっと自分の頬に手を触れた。
 指がぬるりと滑って、手を離した先に赤い色を確認する。血が出ているようだ。
 ここからレインベースまでは、そんなに離れた場所じゃない。クロコダイルの言葉に嘘が無かったなら、きっとクロコダイルはすぐに帰ってくるだろう。

「……腹筋でもしておくか」

 とりあえずもう少し筋力をつけて、その足を支えている間も顔が眺められるよう努力しよう。
 そう心に誓ったおれは、とりあえずクロコダイルが戻ってくるまでの間、筋力トレーニングに力を尽くすことにした。
 帰ってきたクロコダイルは、まるでおれがそうすることを予想していたかのように笑って、おれの腹を踏みつけた。



end


戻る | 小説ページTOPへ