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はじまりの手前
※白ひげ入りする前の主人公と海軍大将赤犬




 ナマエという男について、サカズキはほんの少ししか知らない。
 ある日海軍に『保護』されることを願い出た天涯孤独のその男は、『正義』を背負うことを望み、海軍の中でも誰より苛烈な絶対的正義を実行する赤犬の部隊への配属を希望した。
 戦いを知らないその身は貧弱だったが、他の誰よりも努力をして体を鍛えるナマエの鬼気迫るその雰囲気に、サカズキが目をかけてやるようになったのも当然の流れだった。
 サカズキが目をかけてやることにより、わかりやすい嫉妬や羨望の対象ともなったナマエは他の海兵からも強く当たられているようだが、それによって目の前の課題がどれほど酷いものとなろうとも、ナマエは決して弱音を吐かない。
 血反吐を吐こうとも、無様に這いつくばろうとも努力を怠らぬその意思の強さは、恐らくサカズキの部下達の中でも随一だろう。
 クザンからは『もう少し優しくしてやんなさいや』と呆れを寄越され、ボルサリーノからは『あんまり入れ込みすぎないよォにねェ〜』と忠告まで寄越されたが、余計な世話と言うものだ。
 ナマエはサカズキの部下であり、他の大将よりもナマエのことを知っているのはサカズキだった。
 ただ、それすらほんの一握りであるというだけのことだ。

「ナマエ」

「はい」

 戦闘訓練で手足すら動かせないほど無様に疲弊しきったナマエを見下ろしてサカズキが声を掛ければ、ナマエからはすぐさま返事が放たれる。
 あおむけに倒れたナマエの目がまっすぐにサカズキを見上げて、さっさと立たんかい、とそちらへ言葉を投げながら、サカズキは己の両手をポケットへとしまい込んだ。
 まだ、ナマエはサカズキにとっては能力を使わずあしらえるほど弱かった。
 恐らく海軍にはいるまで戦闘など自主的に行ってこなかったのだろうと分かるその貧弱さで、けれどもナマエは決してあきらめずにその両手両足を動かしてサカズキに噛みつく努力をした。
 大怪我をさせては後の訓練に影響が出るだろうと考えたサカズキが手加減をしてやったので、骨などは折れていないだろうが、体力を使い果たしたナマエの口からは浅い呼吸が漏れている。
 砂まみれの痣だらけで転がったまま、はい、と答えたナマエがどうにか起き上がる努力をしているが、中々うまく行かないようだ。
 それを見下ろしながら、サカズキは口を動かす。

「今日の午後は、わしに付き合え」

「は、い……? あの、サカズキ大将の午後の執務はボルサリーノ大将の部隊への襲撃演習では無かったでしょうか」

 寄越されたサカズキの言葉に、今だ起き上がれず地に倒れたまま、ナマエが少しばかり首を傾げる。
 黒い髪が地面を擦る音を立てて、それを聞きながらそうだとサカズキは頷いた。
 つい先日、ボルサリーノの方から提案された演習だ。
 部下達に襲撃に対する咄嗟の行動を学ばせたいと言う、何とも涙ぐましい上司の心遣いである。
 当然、襲われる方の部下には何の通達もしておらず、話が漏れないよう襲撃者も単身か、伴うにしても数名のみとすることも取り決めた。
 これがうまく行けば、次はボルサリーノがクザンの部隊を、クザンがサカズキの部隊を襲撃すると決まっている。クザンにはまだ話していないが、すでに決定事項だ。
 最近ではサカズキの副官の一人として書類仕事を手伝うようになったナマエは、きちんとそのことを覚えていたらしい。
 あの書類を読んだのは、サカズキやボルサリーノ以外にはナマエだけだ。

「単身乗り込むより、部下でも伴った方が箔がつくじゃろうが。それに、相手がわしだけじゃあどうにもできんけェのォ」

「……ああ成るほど、足手まといは居たほうがいいですね、相手側は」

 そこをつけば何とかなりますし、と頷いて、そこでようやくナマエが起き上がった。
 まだふらつく上体を支えて、そのままどうにか震える足で立ち上がり、自分の服の汚れを申し訳程度に払い落す。
 背中は砂だらけだが気にした様子も無く、ナマエはくるりとサカズキを振り返った。

「了解しました。力の限りお供します」

 言い放つその目は、まっすぐにサカズキのことを見上げている。
 貧弱でひ弱なナマエは、けれどいつだってそうだった。
 海賊や、時には他の海兵達ですら目を逸らすような正義を背負ったサカズキを、まるでそこから得るものがあるとでもいうように正面からまっすぐに見上げてくる。
 どれだけサカズキに打ちのめされようとも、体中に痣を作ろうともそれは変わらない。
 ナマエが海軍へと入った理由をサカズキは知らないが、恐らくは海の屑に何かをされたのだろう、というのがサカズキの見解だった。
 もしもそうなら、これだけ強さを求めることにも説明が付く。
 全く、『入れ込みすぎるな』など、ボルサリーノも無茶なことを言う。

「まあ、おどれがやられたら仇はとっちゃるけェ、好きなように動け」

「いえ、俺が捕まったら降伏してくださらないと、俺がお供した意味が無くなるのではないでしょうか」

「人質なんぞ取りよるなら、相応の報復はうけるもんじゃろが」

「……そう、ですね?」

 サカズキの言葉に騙されて、ナマエが首を傾げながら頷く。
 分かったらさっさと治療して飯を食ってこい、と言い放ち、サカズキは顎で食堂や医務室のある建物の方を示した。
 先ほど部隊訓練の時間が終わったので、今は昼食時だ。
 少し時間が経っているので、食堂の人間もまばらになり始めていることだろう。
 医務室の常連であるナマエが、大体の場合は食堂を利用していることくらいは、サカズキだって把握している。

「二時半にわしの部屋へ来い」
 
 サカズキが言い放てば、はい、とナマエが頷く。
 その足がまだふらつきながら食堂のある方へと向けられて、まだサカズキを見上げていたナマエが、少しばかりの微笑みを浮かべた。

「それでは大将、また四十七分後に」

 相変わらず正確に時間を把握しているらしい男の言葉に、おうとサカズキが頷けば、ふらりと歩き出したナマエがサカズキに背中を向ける。
 時間はそれほど無いが、きっとどこかで仮眠もとってからくるだろう。
 以前、演習場の端で仮眠中のナマエを踏んでしまったことを思い出し、サカズキが口を動かす。

「寝るんなら、せめて誰も来ん場所を選ぶようにせえよ」

 投げられたサカズキの言葉に、足を止めたナマエが振り返る。
 その手が海軍式の敬礼を放ち、そうしてまた彼は建物へ向けて歩き出した。
 まだその背に正義も背負わない貧弱な海兵を見送ってから、ふん、とサカズキは小さく笑う。
 ナマエという名前の男のことを、サカズキは殆ど知らない。
 ただ分かるのは、ひたすらに強くなることを求める貧弱な男であるということと、自ら希望してサカズキの部隊へ配属されたということだ。
 食の好みや癖、時間を把握する特技や決めた時間に起きられる体質であること程度は把握している。その貧弱さも、機転が利くところも、少々仕事を抱え込むきらいがあることもだ。
 それだけ分かれば充分だと思う気持ちに、しかしいつかは聞き出してやろうと言う考えも過る。
 同族として傷を舐め合いたいわけでも、同胞として手を取り合いたいわけでも無いが、何も語らずひたすら強さを求めるナマエの手助けをしてやるためにも、何となくそれは必要なことであるような気がした。
 もしもナマエが海の屑にひどい目に遭わされていて、その復讐のために強さを求めているとしよう。
 ならば、彼が実戦へと出るようになった時にその海賊団が現存していたなら、サカズキがその討伐を彼の任務として組んでやっても構わない。
 サカズキの立場なら、万に一つの失敗も無いよう、精鋭達と同じ部隊を組ませることだってできるだろう。
 別に、過去を清算させてやりたいなどと言った優しげな気持ちでは無い。
 憎しみも生きていく上では必要な感情だとサカズキは知っているし、ナマエがあのどちらかと言えば穏やかな顔の下にそれを隠していると言うのなら、それを死なせろとは言わない。
 ただ、ナマエが語るなら、サカズキだってそれなりの対応をする。それだけの話だ。
 己を正当化するようにそう思考を回してから、サカズキの手が帽子のつばを掴み、軽く帽子の位置を直す。
 それからばさりとコートを翻してナマエに背中を向け、執務室へ向けてその足が動き始めた。
 お互いに背中を向けて、ただ歩くサカズキの口元には、ほんの少しだけの笑みが浮かんでいる。
 ナマエという名前の男のことを、サカズキは殆ど知らない。



「俺の正義は貴方の正義とは違いました。本当は、ずっと」



 だから、いつか、そうやって真っ向から否定されることなど、考えもしなかったのだ。




end


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