意を用いた結果
白ひげ海賊団のクルーは、ナースを除けばそのすべてが四皇『白ひげ』の『息子』となったものたちだ。
白ひげを『オヤジ』と呼んで慕う彼らはみな『兄弟』で『家族』である。
それが分かっていながらも、マルコは先日『弟分』となった男のことが気に入らなくて仕方なかった。
「ようマルコ、またやってるのか」
近寄ってきたビスタが笑いながら声を掛けてきて、うるせえよい、とそれへ返事をしたマルコは両手を組んで壁に背中を預けた。
その視線が向けられた先には、運んできた荷物を倉庫に片付けている男の姿がある。
引き締まった体に随分な力を蓄えているらしい彼は、目下マルコの『気に入らない男』として認定されているナマエだった。
一時は『次期大将として大将赤犬に育てられているのでは』とまで噂されていた、元は海軍に在籍していた男だ。
それがどうしてか急に退役して、そうしてそのまままっすぐに白ひげの下へとやってきた。
四皇の首を狙ってのことかと殺気だったマルコ達へ『この船へ乗せてくれ』と頼んできた男は、念願かなって今は白ひげ海賊団の1クルーだ。
そこそこ人好きのする性格であるらしく、クルー達の殆どは、もうすでにナマエのことを『家族』として受け入れている。
マルコの傍らからマルコと同じ方向を見やったビスタもそのうちの一人で、ははあ、と声を漏らした彼が軽く肩を竦めた。
「あいつもよく働くなァ。さっきは甲板の掃除をしていたんだが」
「そりゃあもともと新入りの仕事だろい。新入りがやるのは当然だよい」
「その前は一番隊の洗濯を手伝っていたし、確か今朝は厨房に入って四番隊と一緒になって皿を洗ってたな」
おれが見かけた限りの話だが、と言って笑うビスタに、マルコは眉間に皺を寄せる。
ナマエを警戒するマルコを見かけると、大体の隊長格達は今のビスタのように『ナマエのこと』をマルコへ話してくる。
そんなに警戒しなくてもあいつは大丈夫だろうと、そう言いたいのだろうと言うことはマルコにも分かっていた。
だが、それに納得するかどうかというのはまた別の話だ。
ナマエには謎が多すぎた。
この船へ来た理由は『誰か』に出会う為で、この船に乗りたいと口にしたのはその『誰か』を守りたいからだという。
だというのに、その『誰か』が誰なのか口を割らない。
海軍を退役した理由についても同様だ。
おかげで船内では やれ大将赤犬の苛烈な『正義』についていけなくなっただの、やれ海軍と白ひげ海賊団の交戦中にエドワード・ニューゲートの男気に惚れただのといった噂が絶えない。
所持していた武器をマルコが全て取り上げても平然としているし、今のようにマルコがあからさまに見張っていても気にした様子もない。
目があえば会釈すらしてくる始末だ。
まるで常に時間を数えているかのように体内時計が正確で、モビーディック号内でのクルー達の全体の動きを何となく把握している節がある。
当然ながら白ひげの所在も常に把握しているらしく、その手は今のところ常に白ひげ海賊団を守るために使われているが、これから先どうなるかは分からない。
四皇と呼ばれるマルコ達の敬愛する『オヤジ』は、その身丈に見合った懐の深さを持つ海賊だ。
かの船長が『ナマエを受け入れる』と言って許すのなら、マルコはその分までナマエを警戒する必要がある。
ナマエは不審な男だ。
だからこそ、『家族』を守るためにマルコは彼を警戒するのだ。
何も言わずナマエを見やるマルコの様子に、やれやれとビスタが軽く息を吐いた。
その手がぽんと軽くマルコの肩を叩いて、それからその足がゆっくりと前へ踏み出し、ナマエがいるのとは反対側に向けて進みだす。
「まァ、ほどほどにしておけよ」
「…………わかってんだよい」
離れていくビスタに放たれた言葉へマルコがそう返事をしたところで、その視線を向けられていた先のナマエが最後の荷物を倉庫へと運び終えた。
ついでに先ほど倉庫から持ち出していた荷台も中へと片付けて、マルコに殆ど背中を向けたまま、何かを思い出しながら数えるようなしぐさをする。
やや置いてこくりと頷き、もはや何の用事も無くなったはずの倉庫へとその足が踏み込んでいった。
それを見て、マルコはぴくりと眉を動かす。
ぱたんと扉が閉じられたのを確認してから、その足はビスタが去って行ったのとは逆の方向へと踏み出した。
大して時間をおかず、一歩、二歩と気配を消して倉庫へ近付いて、先ほど中へと入って行った男が出てこないことを確認する。
「…………?」
この倉庫は、ただの衣料品が運ばれた場所であるはずだ。
ナース達が使う場所は別にあるが、大所帯の白ひげ海賊団に置いては随分な人数が出入りする場所である。
置かれているものも殆ど衣類やタオルやシーツと言った類のもので、それを取って出るのに時間がかかる場所でもなければ、何か『不審な行動』をするにも適切ではない。第一鍵すらついていないのだ。
一体中で何をしているのか、とマルコがそこまで考えたところで、ばたん、と中から何かが倒れるような物音がした。
あまり大きくは無かったものの、明らかに人ほどの大きさのものが落ちた音だ。
驚いて扉に手を伸ばしたマルコの手が、そこをそのまま開いて中へと入り込む。
「……! ナマエ!?」
そうして、少し埃っぽい床に倒れ込んでいる男の姿に、マルコは思わずその傍へと駆け寄った。
後ろでぱたんと扉が閉じる音を聞きながら、うつぶせの状態だったナマエの体をごろりとあおむけにする。
「おい、起きろよい、ナマエ!」
声を掛けながら、マルコの手がぱちりとその頬を叩く。
ナマエの顔には少し疲れが出ているように見えて、目を閉じたままの彼にマルコの口からは舌打ちが漏れた。
倒れてしまうほどの無理をしていたのだろうか。
思えば、マルコが見張っている間、ナマエがぼんやりとしていたことなど数えるほどもない。
新入りなのだから当然だろうとマルコは気にしてもいなかったが、先ほどのビスタが言っていた内容の半分は、マルコが把握していないものだった。
もしもビスタが言っていた以上の仕事量をこなしていたのだとすると、ナマエは一体他のクルーの何人分の仕事をこなしていたことになるのか。
相手が気に入らないがゆえに気を配りもしなかったが、そんなことを考えてしまったマルコの眉間に皺が寄り、その手がナマエの首筋に触れる。
指先に感じる脈拍は正常のそれのようだが、マルコにそれ以上詳しいことは分からない。
医務室へ運ぶのが妥当だと判断して、その手がナマエの頭の後ろに滑り込む。
そのまま助け起こそうとしたマルコの動きが止まったのは、力を入れた腕を、がしりと掴まれたからだった。
「っ?!」
「…………ん?」
驚き目を丸くしたマルコを、ゆるりと目を開いたナマエが見上げる。
倒れていたにしては随分とはっきりとした視線をマルコへ注いでから、ナマエはぐいとマルコの腕を自分から引き剥がすようにした。
「おい、動くなよい。今医務室に、」
「寝てた、だけだから」
運んでやるから、と続けようとしたマルコの言葉を、ナマエが遮る。
は、と思わず声を漏らしたマルコの前で、その手から脱出することに成功したナマエが改めて床の上に頭を起き、死体がやるように両手を自分の腹の上で軽く組んだ。
「ごめん、寝るから、300秒だけ放置してくれ……」
そんな風に囁いて、その目がそのまま閉ざされる。
すう、と小さく息を吐き出した相手に、は、とマルコはもう一度声を漏らした。
あまり掃き掃除もされていない汚れた床の上に横たわっているナマエは、どうやら本人の自己申告通り寝入っているようだ。
こんな場所で、本気で仮眠をとっているつもりなのか。
300秒、と彼は言ったが、いくら体内時計が正確な人間であるとは言え、もしや本気でその時間で目を覚ますつもりなのだろうか。
「……意味が、わからねェよい」
思わずマルコが呟いたのも、もはや仕方の無いことだった。
※
本人の申告した時間が過ぎたら医務室へ担いで行こう、と決めたマルコが胸の内で数えて、約五分後。
ほぼ正確に目を覚ましたナマエは、短時間で随分とすっきりとした顔をしてから起き上がり、軽く伸びをした。
マルコが尋ねたところによれば、昨晩の睡眠時間が随分と短かったらしい。
さすがに一日中張り付いていたわけでもないマルコは当然ながらそれを把握してはおらず、一体何が原因でそんなことになったのだ、と重ねて聞いたマルコへナマエが答えたのは、何とも膨大な仕事量だった。
マルコが一番隊の『新入り』であるナマエへ回した仕事の、およそ10倍ほどある。
どうやら、あちこちから頼まれるがままに受け取って、自分で処理をしていたらしい。
それでは睡眠時間が短くなるのも当然だ。
「……何してんだよい、お前は」
「いや、働いているだけだったんだが……」
思わず呟いたマルコに、ナマエが軽く頭を掻く。
少し困ったようなその顔に舌打ちをして、マルコはじとりと男を見下ろした。
「仮眠するなら部屋に戻ってからにしろ」
「戻る時間がもったいないかと思ったんだが」
海軍ではよくやっていたし、とも続いた言葉に、ここは海軍じゃねェだろい、とマルコは呆れた声を出す。
海軍大将赤犬がナマエにどういう教育を施してきていたのかは知らないが、こんな仮眠の取り方すら日常茶飯事だったのだとすれば、ナマエが海軍を退役したのも仕方の無いことでは無いだろうか。
むしろ、今までよく体が持ったものだ。
呆れたマルコの視線を受け止めて、でも次からはそうすることにしよう、と答えて、ナマエは肩を竦める。
汚い床に座り込んだままのナマエを見下ろして、マルコの口からはため息が漏れる。
マルコが目の前にしている男は、マルコの『気に入らない』男だ。
言うことなすこと不審なことこの上無く、マルコが警戒するに値する存在だ。
そんなことわかりきったことだと言うのに、あまりにもその顔が『普通』に見えて、もしかしたらそう悪いやつでもないのかもしれないと、そんなことをちらりと考える。
これが演技だったら恐ろしいことだとマルコが見下ろした先で、ナマエが軽く首を傾げた。
「マルコ?」
どうしたんだ、と尋ねられて、なんでもねえよいと返事を落とす。
そういえば、彼とこんなに会話をしたのは今日が初めてだったかもしれない。
ふとそんなことに気が付いて、マルコは眉間に皺を寄せた。
遠くからその動向を見張ることはあっても、マルコは基本的にナマエへ寄り付かないようにしていた。
ナマエが『敵であるかどうか』を見極めるには、その方がいいと思ったからだ。
だから、その声で名前を呼ばれたことも、思えば両手の指にも満たない回数しかない。
今さらなことに気が付いたマルコの前で、そういえば、とナマエが言葉を紡いだ。
「こんなに話したの初めてだな」
そんな風に呟いて、マルコを見上げる男の顔に少しばかりの笑みが浮かぶ。
それを見下ろしてぱちりと瞬きをしてから、マルコは不自然にならないように気を配ってその目を逸らした。
「……そうだねい」
穏やかな視線を向けられて、何だかくすぐったいような感覚を得てしまったのは、恐らくマルコの気のせいに違いない。
end
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