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真夏日

「オォ〜、ナマエじゃないかァ、奇遇だねェ〜……」

 唐突に落ちた言葉に、体がぎしりと軋んだのが分かった。
 最近、青雉すら来ないから全く油断していた。
 というかもう俺には飽きたんだと思っていたのに、そうでもなかったらしい。
 後ろにある威圧感を感じつつ、ゆっくりと後ろを振り返る。

「…………オ元気ソウデスネ、大将」

 どうにか言葉を搾り出して相手を見上げると、俺の二倍以上は上背のある目に優しくないストライプスーツの俺に優しくない俺の元上司がそこにいた。
 両手をポケットに入れたまま、少しばかり身をかがめられて、思わず足を一歩引く。
 今日は久しぶりに立ち寄った島での買出しだ。
 当番は俺や他のクルー達だけど、マルコが付き合ってくれているので、プチデート気分を満喫中でもある。
 マルコに早く帰ってきて欲しいが、今帰ってくると確実にこの目の前の相手との喧嘩になるだろう。
 黄猿は早く帰ってくれ。
 俺の思いも空しく、立ち去る気配を見せない黄猿が首を傾げた。

「酷い顔してんじゃないかァ、寝不足かいィ?」

 俺の顔が強張ってるからそんなことを言うのか。
 だとしたら確実に黄猿の所為だと言いたいところだが、マルコやサッチ達にも昨日似たようなことを言われたので、俺はへらりと誤魔化すように笑うことにした。
 酒の買い付けにいったマルコを待っている間、隠れるように入り込んだ軒下の影の向こうには、じりじりと大地を焦がす太陽が降り注いでいる。
 周囲の熱気も、もはや体温より高い温度なのではないかと思えるほどだ。風が吹いてもまったく涼しさを感じない。
 夏島と呼ばれる気候のこの島は、ここ数日が一年で一番暑い盛りらしい。
 運悪くその時期にここへ辿り着いてしまったモビーディック号は、俺が今までに感じたことの無いような暑さに見舞われている。
 そして、なんとも悲しい上に当然の話だが、この世界にはエアコンというものが存在しないのだ。
 そう気付いて絶望したのはまだ記憶に新しい。
 暑すぎてうまく眠れないなんて初めてだが、別に経験したくもなかった。幸いなことに明後日にはこの島を出るらしいから、それまでの辛抱だ。
 太陽に焦がされる日向のほうを見やったままの俺の視線を追いかけて、同じようにそちらを見やった黄猿が、どうかしたかい、なんて台詞を寄越す。
 そういえば、この人のスーツはいつもと全く変わっていないが、もしや暑さとかを感じない超人だったんだろうか。
 返事のかわりに視線を戻して、俺は少し顔を顰めた。
 見ているだけで暑苦しい。

「……暑くないんですか、大将」

「まァ、夏島だからねェ〜」

 俺の言葉に、返事になるようなならないような言葉を放った黄猿は、いつものように涼しげな顔をしている。
 夏島だからなんだ。俺が聞きたいのはそのスーツを着ていて暑くないのかどうかということだ。
 そうは思ったがまさかそんな風に聞くことは出来ないので、そうですか、と相槌だけを打つことにする。
 もしかしたら、黄猿は暑さを感じないのかもしれない。さすがロギア系悪魔の実の光人間、俺の常識では考えられない体のつくりをしている。
 俺がそんな失礼なことを考えているとは知らないだろう黄猿が、こちらへと視線を戻して、あァ〜、と呆れたような声を出した。

「バテちまったのかいィ」

 相変わらず軟弱だねェ、とまで言われて、俺はそっと超人から目を逸らす。
 マルコだってこの暑さにはうんざりした顔をしていたんだ、俺は一般的だと思う。
 さて、そろそろ鬼ごっこが始まるだろうか。
 一歩足を引いて、目の前からの攻撃を避けられるよう注意を払うようにした。
 暑いから走りたくなんて無いが、超人のこの大将殿には通用しないだろう。マルコには後で置いていったことを謝るとして、モビーディック号までは少し距離があるから、死ぬほど疲れるに違いない。無事に帰れたら海に飛び込もう。
 そういえば、大将青雉でいいから釣ってこいとサッチに言われたのは昨日だった気がする。うん、青雉ならまだ良かったかもしれない。
 俺の様子をしげしげ観察していた黄猿が、仕方無さそうに笑った気配がした。
 それと同時に右手がひょいとポケットから出てきて、こちらへと向かって伸びてくる。
 最初の一撃は指銃かと身を引こうとした俺は、目の前で止まった拳に視線を集中させていたが、軽く上下にそれを振られて瞬きをした。

「ほら、ナマエ、手ェ出しなよォ〜」

「え?」

 さっさとしなと言いたげに言葉を寄越されて、思わず従う。
 両手を出した俺の手の上で黄猿の拳がぱらりと解けて、ちゃりんと音を立てて落ちてきたのはベリー硬貨だった。
 何だこれはと目を瞬かせている間に、あっさりと黄猿の手が引っ込んでいく。

「今日はわっしも、ナマエに構ってるほど暇じゃないからねェ〜」

 仕事で近く寄っただけだからねェ、なんて黄猿は言うが、だったら俺に話しかけずにその仕事に向かったほうがよかったんじゃないだろうか。
 いや、それより、どうして俺は今この人からベリーをもらったんだろうか。

「……あの、大将?」

「それで冷たいモンでも食ったらいいよォ」

 そんな風に言い放って、黄猿が俺に背中を向ける。
 じゃあねェ、なんて手を振って歩いていってしまった上背のある元上司は、そのまま道の向こうに姿を消してしまった。

「…………ええ?」

 一体、なんだったんだろうか。
 よく分からないまま、今与えられたベリーをもう一度見下ろしてみる。
 子供の小遣い程度の金額だが、島のあちこちで売られている氷菓子を二人分買うにはちょうどよさそうな金額だ。後で買おうなんてマルコと話したことが思い出される。
 しばらくベリーを見つめた俺は、硬貨に罪は無いのだと言う判断を下し、とりあえず一番近くの店で氷菓子を購入することにした。だってとにかく暑いのだ。何かで涼を取りたい。

「ナマエ? 何してんだよい」

 何人か並んでいた客の後ろに並んで、あと一人で俺の番が来るというところで、横から声を掛けられる。
 視線を向ければ、俺の待ち人であるマルコが、首を傾げて横に立っていた。
 いいタイミングだ。

「マルコ隊長、どっちがいいですか?」

 二種類のフレーバーが書かれた看板を指差して尋ねると、どっちでもいいよい、と答えてきたので、前の客が終わったのを見やってから店主に片方ずつを注文する。
 すぐに用意された氷菓子を受け取ってベリーを支払って、列を離れた俺は片方をマルコのほうへと差し出した。

「どうぞ」

「ああ、ありがとよい」

 俺からそれを受け取って、その場から歩き出しつつマルコが笑う。

「待ち切れなかったかい、待たせちまって悪かったねい」

 言いながらぺろりと手に持ったものを舐めたマルコに、俺も同じように足を動かしながら氷菓子を舐めた。

「いや、そこでお小遣いもらったんで、使おうかと思ったんです」

 観光客狙いらしい氷菓子は全体的に割高で、偶然だろうが黄猿からもらったベリーは二人分でぴったりだった。
 そういえば、お礼を言いそびれてしまった気がする。今度会ったら、追いかけられる前に一応言っておこう。俺は礼節をわきまえる日本人なのだ。
 そんなことを考えた俺の横で、マルコが首を傾げる。

「小遣い? ナマエ、誰からもらったんだよい?」

 不思議そうなマルコの声に、日陰を選んで歩きながら俺は答えた。

「ボルサリーノ大将にもらいました。なぜか」

 そういえば、あの人はここに来るまでポケットで小銭をちゃりちゃり言わせていたんだろうか。
 ポケットに穴が開くから財布を使ったほうがいいと思う。
 俺の言葉に、マルコが横で首を傾げる。
 
「…………今日は追いかけられなかったのかい?」

「あ、はい」

 とても不思議そうなその声に、俺はこくりと頷いた。
 暇じゃなかったらしいです、と答えてみると、いつものは暇つぶしだったのかよい、とマルコがうんざりした顔をする。
 そこまでは考えが至らなかった。そういえば確かにそういうことになる。
 なんと言うことだ、俺は暇つぶしの道具だったということか。
 暇つぶしで人を死にそうなほど追い掛け回すのはやめて欲しい。切実に。
 少し遠い目をした俺の横で、マルコがため息を吐いた。

「それじゃ結局、何しにきたんだよい、あのおっさん」

「さあ…………」

 落ちた呟きに、氷菓子を舐めながら首を傾げることしか、俺には出来なかった。



end


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