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貴方に首ったけ
※短編『天国と地獄』と同設定




 この世界にどう考えても日本式の『バレンタインデー』と『ホワイトデー』があるのは、やっぱりこの世界が『漫画』の世界だからなんだろうか。
 そんなことを俺がぼんやり考えたのは、店先で小さめの包みを買いながらのことだった。
 一か月前までは所狭しとチョコレートを並べていた店頭には、今はたくさんの菓子類が並んでいる。
 可愛らしくラッピングまでされたそれらのうち、一番端に置かれていたキャンディの包みとベリーを引き換えて、それをそのまま片手に歩く。
 俺のようにお菓子を買う男性がちらほらと見えるのは、すなわち今日がそれを今月のうちで一番必要とする日だからだ。
 俺がキャンディを買ったのだって、その為である。

『すまないが、消費に付き合ってくれるか』

 先月、困ったような顔で言った誰かさんは、自分の手元に来た『義理』の詰まった包みの中身を、俺に分けてくれたのだ。
 横流しのチョコレートでも嬉しかっただなんてどうかしていると自分でも思うが、嬉しかったんだから仕方ない。
 海軍本部の中であちこちの部署から配られたという紙袋の中には自分がこっそりと用意した小さいチョコレートの包みだって混ぜたから、多分あれはあの人が食べてくれたと思う。
 ひょっとしたら俺に分けたみたいに誰かに分けた中に入ったかもしれないが、そう思うことは自由だろう。
 とにかく、俺は先月あの人からチョコレートを貰ったのだから、『ホワイトデー』に『お返し』をする権利がある筈だ。
 さすがに日本のテレビでやっていたような『贈り物の意味合い』までは浸透していないようだから、俺があの人へキャンディを渡したってきっと誰も咎めない。
 ひょっとしたら今日は会えないかもしれないが、キャンディなら保存だって聞くから、何日か後に渡しても大丈夫だろう。
 少し恥ずかしげに菓子類の入った包みを手に取る彼らをちらりと眺めて、それから何となく向かいの店にあったものへと視線を滑らせ、足を止める。
 少しだけ考えて、俺はすぐにそちらの店へと足を運んだ。
 往来から見える位置に吊るされていたネクタイをじっと眺めて、頭の中に浮かんだ顔の下に添えてみる。

「……右から二番目、かな……」

 似合いそうだと考えて、それからすぐにネクタイから目を逸らした。
 男物の衣類の前に俺が立っていることに何の違和感もないだろう、店員は俺を気にせず他の商品を整理している。
 その様子を確認してから、俺はちらりと手元を見下ろした。
 先ほど購入したキャンディは、本当に小さな包みだった。
 『義理』だと言う話のあのチョコレートは、もっと値の張るところの包みだった気がする。
 さすがにこんなお菓子一包みでは釣り合わないか。

「すみません、あの」

 そこまで考えて、俺はもう一つの贈り物を用意することにした。







 俺がモモンガさんに会えたのは、『ホワイトデー』と世間様で騒がれている日付の翌日だった。
 のどかな公園のベンチに座っていた俺の前を、あの人が通りかかったのだ。

「モモンガさん」

 思わず声を掛けた俺に気付いて、モモンガさんはすぐに足を止めてくれた。

「ナマエか」

 ちょうど良かった、なんてことを言いながら近寄ってきた相手に首を傾げる俺の傍に、モモンガさんが座る。
 俺の荷物が間にあるから、モモンガさんが座ったのは俺より少し離れたところで、失敗したと俺はすぐに気が付いた。
 寄り添って座ってくれるとは思えないが、荷物が俺の足元にあったなら、もう少しくらい近くに座ってくれた筈だ。
 荷物の中に『贈り物』が入っているからと、ベンチの上に置くんじゃなかった。

「お久しぶりですね」

 自分の失態に内心で舌を打ちながら、とりあえずはいつものように言葉を投げる。
 それに対して頷いたモモンガさんは、どうやらまた、マリンフォードから離れていたらしかった。
 肩書のある分、あちこちへ出なくてはいけないらしいモモンガさんは、本当に忙しそうだ。顔だって少し疲れているように見える。
 お疲れ様ですとそれを労ってから、俺はふと、モモンガさんがコートを着ていないことに気が付いた。
 俺には一体どういう原理なのかも分からないが、何があろうとも羽織った肩から落ちないあのコートが見当たらない。

「今日はお休みなんですか?」

 ひょっとして、と言葉を投げると、ああ、とモモンガさんが一つ頷く。

「今朝戻ったところで数日間の休暇を言い渡されてな。報告書の提出も終わって、今から帰宅だ」

「そうだったんですか……」

 今はまだ午前中だが、もうすぐ昼時だ。
 報告書と言うのがどういうものだったのかは分からないが、声を掛けなければ、モモンガさんはすぐにでも家へ帰れていたに違いない。
 眉を寄せた俺の顔を見やって、モモンガさんが軽く笑う。

「何、少し休んでから戻ろうと思っていたところだ。そう気にしなくていい」

 どうやら、俺の考えなんて筒抜けだったらしい。
 優しげに寄越された言葉に分かりましたと頷いてから、俺はそっとベンチから立ち上がった。
 モモンガさんが気を使ってくれるのは嬉しいし、ずっと横にいてあれこれと話をしていたいくらいだけど、俺のそんな都合にモモンガさんを付き合わせるわけにもいかない。
 そして傍にいればどうしたって話しかけずにはいられないのだから、ここは退散した方がよさそうだ。

「けど、やっぱり少し顔色悪いですよ。今日は早めに休んでくださいね」

 俺もそろそろ行かなくちゃ、なんて言いながらベンチに置きっぱなしだった鞄へと手を伸ばして、それをそのまま肩に掛ける。
 それから、すぐにその中に手を入れて、中から目的のものを取り出した。

「はい、これ」

「ん?」

「どうぞ」

 言葉と共に差し出した物を、モモンガさんがその手で受け取る。
 小さなキャンディの包みと、それから丁寧に畳まれたネクタイの入った包みだ。
 戸惑うその顔へ『お返し』ですと告げて、俺はそのまま笑顔を向けた。

「ほら、先月、チョコレート分けて貰ったじゃないですか」

 たくさん貰ったと言う義理チョコの一箱を示して告げた俺に、なるほど、と頷いたモモンガさんがネクタイの方の包みをしげしげと眺める。
 外側から中身が少しばかり見える包みだから、その中身がネクタイであることはすぐに分かったのだろう。
 少しだけ不思議そうにして、モモンガさんが軽く首を傾げた。

「『ホワイトデー』というのは、菓子類を贈ることが多いと聞いていたんだが」

「そうだと思いますよ」

 そのあたりは、『バレンタインデー』と共に『日本』の行事と同じだ。
 それはオマケです、と言葉を続けると、モモンガさんは更に不思議そうな顔をした。

「……あのチョコレートも、私が買ってきたものでは無かったんだが……」

「モモンガさんが貰ったんだから、あのチョコレートはモモンガさんのだったじゃないですか。それを分けて貰ったんだから、俺がお返しするのはモモンガさんにですよ」

 目の前の相手を言いくるめるように言葉を綴ってから、俺は軽く肩を竦める。

「それに、俺はネクタイしませんし、モモンガさんに似合いそうだなって思って買いましたから、着けてくれた方が嬉しいです」

 町中をよく歩いている一般的な海兵と違い、いくらかの肩書を持っているのだと言うモモンガさんは、スーツ姿にあのコートを羽織っていることが多い。
 今日だってしっかりとスーツを着ていて、その首元にはネクタイがきちんと着けられていた。
 こんな町中で、その首に巻くものを贈っているという事実は少し恥ずかしいような気もするけど、『この世界』に俺がテレビで見たような『贈り物の意味』なんて存在しないんだから、恥じらうようなことでも無いんだと自分に言い聞かせることにする。
 俺の言葉に、ふむ、と声を漏らしてから、モモンガさんはひとまず俺の渡した『お返し』を受け取ってくれることにしたようだった。
 それをそのままスーツの内側へと仕舞って、そこから何かを掴みだす。

「私も君に渡すものがある」

「え?」

 そんな風に言いながら差し出されたものに、ぱちり、と目を瞬かせる。
 戸惑う俺を気にした様子もなく、受け取ってくれと更に突き出されて、俺はモモンガさんが持っているそれを受け取った。
 小さな包みの内側で、何かが少しばかり音を立てる。
 簡素な紙袋の内側から漂った甘い匂いに、その中身がどうやら食べ物であるらしいと言うことは分かった。

「あの……?」

「土産だ」

 今回の遠征の補給先で見かけた珍しい菓子だ、と続いた言葉に、そうなんですか、と小さく呟く。
 それでも、今まで『土産』なんて渡されたことも無いのに、と戸惑ったままでいると、ベンチに座ったままのモモンガさんが軽く笑った。

「先月、ナマエからもチョコレートを受け取ったからな」

「へ」

 そうしてあっさりと放たれたそれに、俺の口から間抜けな声が漏れた。
 ぶわ、と背中に汗をかいた気がする。
 身動きもとれずに凝視する俺の前で、モモンガさんは軽く笑ったままだった。

「『バレンタイン』というのは女性から異性にチョコレートを渡すのが主流であると聞いていたが、友人間でのやりとりもあるらしいな」

 どうやらこの世界にも『友チョコ』とやらは存在するらしい、とモモンガさんの言葉を聞いた俺の頭が隅っこでそんなどうでもいいことを考えているが、俺の口からは『はあ』としか声が出ない。
 だってまさか、気付かれていたなんて思わなかったのだ。
 そしてそんな俺を見やり、モモンガさんは軽く首を傾げた。

「メッセージカードも無かったから、誰かから預かったものでは無くナマエが私に用意したものだと思ったんだが、違ったか?」

 勘違いをしてしまったか、と少し申し訳なさそうに寄越された言葉に、俺は反射的に首を横に振った。

「いえ! あの、あってます……けど」

「そうか、良かった」

 ひとまずそう返した俺の前で、モモンガさんが笑みを深める。
 穏やかすぎるその顔には色恋沙汰なんて一かけらも見当たらず、俺はそっと手の上の紙袋を自分の方へと引き寄せた。
 分かってる。
 モモンガさんは、俺が『友人』宛に用意したチョコレートへのお返しを持ってきてくれたのだ。
 俺と同じ性別で、俺より年上のこの人は、俺が自分へどんな感情を向けているのかも知らないで、俺のことを友人扱いしてくれている。
 そんなこと分かってるけど、それでも、手の上の小さな包みが尊いものであることには変わりない。
 へら、と口元が緩むのを押さえられず、俺はだらしなく笑った口元をそっと片手で隠した。

「……お土産なんて、初めてもらった気がします」

「そうだったか? そんなに喜んでくれるのなら、また次も何か用意してくるか」

 そっと顔を逸らした俺の前で、モモンガさんがそんなのんきなことを言っている。
 しかし、その言葉の後ろに『毎回島を経由するわけではないから海で狩った生き物でも構わないなら』と続いたので、いえ、とすぐさまその優しい心遣いを辞退した。
 何を狩ってくるつもりなのかは分からないが、例えば生魚を用意されても俺はそれをさばけないので無駄になるだけだ。

「お土産も嬉しいですけど、それより、モモンガさんが無事に帰って来てくれるほうが嬉しいので」

 誤魔化すようにそう言いながらちらりと視線を向けると、俺の言葉に少しばかりの瞬きをしたモモンガさんが、珍しく声を立てて笑う。

「何だ、欲の無い男だな」

 楽しそうに、ひょっとしたら俺の見間違いでなかったらどこか嬉しそうに放たれた言葉に、掌の内側で小さく声を漏らした。

「……俺は欲深い男ですよ」

 だってモモンガさんのためを思うなら、こんな感情を抱いている自分なんて離れたほうがいいに決まってるのだ。
 それでもこうやって関わって、『友人』としてでも好かれたいと考えて、傍で見つめていられることを喜ぶんだから、俺は十分自分の欲望に忠実だ。
 小さな俺の呟きが聞こえなかったのか、モモンガさんが『ん?』と聞き返すように声を漏らす。
 それには堪えず、俺はだらしなくなっていた口元をどうにか引き締めて、そっと手を降ろした。
 それと共にモモンガさんの方へと顔を向け直して、それより、と言葉を落とす。

「そろそろお昼ご飯の時間じゃないですか?」

 公園の端に置かれた時計を指差して言うと、ああそうだな、と答えたモモンガさんが立ち上がる。
 俺よりずいぶん大きい相手を見上げると、その目がちらりとこちらを見下ろした。

「この後の都合を後回しにしてくれるなら、ナマエも一緒にどうだ?」

 もう少し話がしたいと誘われて、軽く目を見開く。
 また顔がゆるみそうになったが、そこはどうにか堪えて、大丈夫ですよ、と偉そうに言葉を零した。

「それじゃあ、最近俺がよく行く店をご案内します」

「それは楽しみだ」

 俺の言葉にモモンガさんが笑って、俺が歩き出した方向へとその足が向けられる。
 どんな店なのか尋ねられて、それへ返事をしながら歩く道中は、とても楽しくて。
 そして、食事中に自分のネクタイを汚してしまったモモンガさんが、俺が渡したネクタイを食後に目の前で着けてくれた時にはもう、今日で自分は死んでしまうんじゃないかと思うくらいには嬉しくて幸せだった。



end


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