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掌中の珠 (1/3)
※男子→猫転生シリーズから大型猫主と白ひげ海賊団



 ナマエがまどろみから意識を覚醒させたのは、早朝のことだった。
 船の中の一部屋には窓もなく、遠い場所で人の歩く音や波音がしているのを拾い、ナマエの耳がぴくりと動く。
 一般的な猫よりも随分と大柄なその体躯は一人用のベッドの上にあって、ナマエがその四足で踏みしめて乱したシーツがぐしゃぐしゃのままその体の下敷きになっていた。
 営巣する鳥のように丸く乱した毛布の中に体の半分ほどが入っていて、外側に出ている自分の体がひんやりしているのを感じたナマエの口が、みゃあ、と誰にともなく鳴き声を零す。
 冬島が近付き、船はどこもかしこもひんやりとしている。日当たりの悪い場所ならそれも倍増だ。
 人だったなら眉を寄せているだろう不満げな目のままで、大柄な猫はもぞりと身じろぎ、体の残りを毛布の中へと押し込んだ。
 部屋の主は不在なので、そこに置かれているシーツも毛布もナマエのものだ。毛布の中に満ちた自分とそれ以外の匂いを嗅いで、ナマエは毛布の中で改めて身を丸める。
 部屋に入ればすぐにどこにナマエがいるのか分かるだろうふくらみの中で、『猫』はしばらく大人しくした後、やや置いて大きめのため息を零した。
 それから、なあん、と毛布の下で鳴き声が漏れる。
 つい先ほどまで身を丸めた猫の形に膨らんでいたそれの端から覗いていた尾がするりと毛布の下へと引き込まれ、その代わりにむくり、と毛布が盛り上がった。
 まるでベッドの上に座り込んだ『人間』がいるようなそのふくらみの中で、中身がもぞりもぞと少しばかり身じろぎ、そうして自身が押し上げて開いた毛布の端から入り込んだ空気に、ふるり、と小さく震える。

「…………さむ」

 ぽそり、と部屋の主ではない誰かの声がして、それと同時に毛布がぺしょりと縮んだ。
 先ほど毛布の下へ隠れていった尻尾が改めて毛布の端から飛び出し、伏せた格好の大きな猫が、シーツの上を這って毛布を抜け出しベッドを降りる。
 肉球に触れた床の冷たさにぶわりと毛をわずかに立たせてから、ナマエはそのまま部屋の中を見回した。
 明かりのない薄暗い室内でも、猫の目はしっかりと通路側のわずかな明かりを取り込んで、部屋の主が昨晩出かけた時のありさまを捉えている。

『ちっと出かけてくるよい。寒ィから、お前はここで大人しくしてろい』

 そんな風に言ったマルコは、いつもより幾分あわただしく用意をして部屋を出て行ってしまった。
 乱雑に放られた資料も衣類もそのままで、それでもがしがしと頭を軽く撫でていった大きな掌を思い出し、なあん、とナマエは鳴き声を漏らす。
 まるで部屋の主を呼ぶような鳴き声だが、当然ながらナマエ以外の誰の耳にも届かない。
 小さく鳴き声を零して、長い尾をだらりと垂らしたナマエは、それからのそりと動き始めた。
 自分がぐしゃぐしゃにしたベッドへと飛び乗り、出来る限りを持ってシーツのしわを伸ばし、じわじわと冷たくなりつつある毛布を端へ寄せる。
 部屋の主が放っていた衣類や資料にも前足を伸ばして整えようとする姿は、まるで『掃除』でもしているかのようだ。

「…………にゃっ」

 大きな体で部屋のあちこちを弄り回し、己のしたことに満足したらしいナマエが鳴き声を漏らす。
 そこでぴくりと耳が動き、ついでに空気を嗅ぐようにその鼻がひくりと動いて、両目がくるりと部屋の扉の方へと向けられた。
 部屋の外には当然誰もいないが、ナマエが目を覚ました時より外の様子が騒がしくなっている。どうやら、他のクルー達の活動時間にもなったようだ。
 そう把握して、なあん、と部屋の中へ向けて鳴き声を漏らした大きな体の猫は、器用に扉を開けて部屋を出て行った。







 ひんやりとした通路を歩き、ナマエがまず一番初めに向かったのは食堂だった。
 他のどこより活気があるように思えるそこへ足を踏み入れれば、ナマエの姿に気付いた厨房の男が、お、と声を漏らして手を止める。

「よーナマエ、飯にするか」

「なあん」

 寄越された言葉にナマエが返事をすると、ちょっと待ってろよと笑った彼は平たい皿へ食事を盛り付け始めた。
 それが自分の食事であると正しく理解して、ナマエの足もいつもの定位置へと向かう。
 他のクルー達の通行の邪魔にならないよう、食堂の端まで進むと、いつもナマエが座る位置には少し古びた毛布が敷かれていた。
 板張りの床よりは温かなそれへ足を乗せて、踏み心地を確かめたナマエが、わずかに喉を鳴らす。
 その状態でそっと座り込み、それからきょろりと周囲を見回した。
 けれども目的のものを見つけられなかったのか、わずかに持ち上がっていた尾をしょんぼりと降ろして、その目がそっと周囲から目の前の床へと戻される。
 そこへ、ずい、と大きめの皿が割り込んだ。

「ほらよ。一応冷ましてっけど、まだちっと熱いかもしれねェから気を付けろよー」

 冷え切った空気へ白い湯気を零す料理を運んで、そんな風に言って笑った男が軽くナマエの頭を撫でる。
 ぽんぽん、と最後に叩いて終わらせてから去っていく相手をちらりと見送って、にゃあ、と小さく鳴き声を零したナマエが料理へ顔を近付けた。
 ナマエの食欲に合わせてか、随分な量が盛られているそれへ舌を伸ばして、熱いそれにわずかにその身がびくりと震える。
 しかし、それでも諦めるつもりはないのか、熱さと戦いながら一口二口と料理を口にしたところで、ナマエの尻尾が持ち上がった。
 耳までぴんと尖らせながら、がつがつと食事を続けるナマエの耳に、とたとたと軽い足音が聞こえてくる。

「今日もいい食いっぷりだねェ、ナマエ」

 そしてそんな風に言いながら、誰かがナマエの傍らに座り込んだ。
 食事をしているナマエの方へもたれかかってくる相手に気付きながらも、ナマエは食事を止めたりはしない。
 大きな舌で丁寧に料理を掬い取り、皿をきれいにしたところでようやくその目を向けると、ナマエの傍に座り込んだ相手が自分の膝の上に皿の乗ったトレイを置いて食事をしているところだった。
 丸いスプーンで掬い取って口に運ばれていくそれは、ナマエの皿に入っていたものによく似ているが、匂いが少し違う。それも当然で、恐らくナマエの食事は当番がナマエの為にだけ作ってくれているものなのだ。
 それが分かっているからこそ、分けてくれと強請ることなく、じっと視線を注いでいるナマエの横で、スプーンを咥えた彼が笑う。

「どうしたの、ナマエ。まだ足んないの?」

 おれのは分けちゃダメって言われてるんだよ、なんて言いながら、伸びて来た手が軽くナマエの頭を撫でる。
 にゃあん、と鳴き声を零してから、頭を撫でられた仕返しをするように、ナマエの尻尾がくるりと曲げられて自分にもたれかかっている彼の肩を軽く撫でた。
 それにくすぐったそうに笑ってから、仕方ないなあ、なんて言葉を口にした彼が、ひょいと自分のトレイの上から料理を一つ摘み上げる。
 指先にあるそれは、小さめのチキンのようだ。

「これなら大丈夫じゃないかな。ほら。よく噛みなね」

「にゃ」

 言葉と共に差し出されて、鳴き声を漏らしたナマエの顔がそちらへ向く。
 別に強請った覚えはないが、くれると言うものを貰わないでいる必要はないだろう。
 そう判断したナマエが、舌先に触れたそれを舐めるように奪い取ったところで、あ! と大きめの声が放たれた。

「こらハルタ、それ骨付きだったろーが!」

 そんな風に言いながら、料理の乗ったトレイを片手にどかどかと足音を鳴らして近寄ってきた男が、色々な食材の匂いのするコックコートもそのままに眉を寄せてナマエともう一人を見下ろす。

「だって、ナマエがまだ足りなそうな顔してるんだもん」

 寄越された言葉に肩を竦めて『ハルタ』が答えると、せめて骨はとってやれってんだよと言葉を放った男が屈みこんだ。
 その手がナマエの方へ伸びて来たのを見て、ナマエが慌てて体を引く。もたれていた『ハルタ』が少し体勢を崩して声を上げたが、口に入れた食料を奪われるかもしれないという状況で、そちらへ気を使っている余裕はない。

「んな」

 鳴き声を零して相手を見つめ、ついでにぴしぴしと尾で毛布を叩きながら、ナマエは口の中身を噛みしめた。
 ばき、ごりと物騒な音を立てて咀嚼を始めた猫に、げ、とナマエの方へ手を伸ばしていた男が声を漏らす。

「諦めなってサッチ。ナマエから飯取り上げようなんてことできるわけないじゃん」

 肩を竦めて言いながら、ナマエの傍に座り込んだままの『ハルタ』が改めてスプーンを口に運んだ。
 もごもごと口を動かしてから、ごくりとそれを飲みこんで、まだがりがりと大人しく口の中身を食んでいるナマエを見やる。

「何度かあげたことあるけど大丈夫だったし、大丈夫だよ」

「…………お前、マルコがいたらやらなかったろ」

「うん」

「……はー……」

 寄越された言葉にため息を零して、『サッチ』が仕方なさそうにその場に座り込んだ。
 『ハルタ』がしているようにその足の上にトレイを置いて、その手がスプーンを軽く掴む。
 どうやら彼もまた、ここで食事をするつもりらしい。
 そう把握して、かなり細かく噛んだ口の中身をごくりと飲みこんでから、ナマエは不思議そうに瞬きをした。
 『ハルタ』も『サッチ』も、普段なら他のクルー達と同じように椅子に座ってテーブルで食事をとっている筈だ。
 それがどうして、わざわざ床に座り込む格好で食事をしているのか。

「……なあん」

 よく分からないものの、そのまま座り込んでは寒いだろうと判断して、ナマエがもぞもぞとその場から動く。
 敷布となっている古びた毛布の一番端まで移動すると、小さいながらもあと一人程度なら座ることのできそうな隙間が出来た。
 それを確認して、にゃあ、と鳴き声を漏らせば、ナマエの鳴き声と行動で意図を理解したらしい『サッチ』が、お、と声を漏らしてからナマエの傍へと移動してくる。

「ありがとよ、ナマエ。お隣り失礼しまァす」

「ヤダなァ、このおねーちゃんむさっくるしー」

「何だとこの野郎」

 けらけら笑う『ハルタ』を小突きつつ、『サッチ』がスプーンを口に咥えて、礼をするように改めてナマエの頭を撫でる。
 毛並みを整えるようなその動きにごろごろと喉を鳴らして、ナマエがぐるりと身を丸めるような姿で毛布に横たわったまま視線を向けると、手を離した『サッチ』が食事を続けた。
 一口、二口と料理を口に運び、それからちらりとその目がナマエを見下ろす。

「にゃあ?」

 どうかしたのかと言いたげにナマエが鳴き声を漏らすと、やや置いて、はあ、と彼は大げさにため息を零した。
 それから、その手がトレイに乗せたままの皿の上へと伸びて、何かをごそごそといじり始める。
 そうして、ほんの数分を置いてナマエの方へと差し出されたのは、『ハルタ』がナマエに与えたのと同じ鶏肉だった。
 先ほどの肉との違いは、それから骨が外れていると言うことだろうか。

「ほら。こんだけだからな、ナマエ」

「……サッチも結構甘いよね、ナマエに」

 優しげな顔をした海賊の向こうで『ハルタ』が呆れたような声を出している。
 それに『サッチ』が何かを言い返したが、ナマエにとっては関係の無いことなので、ナマエはただその手から鶏肉をさらって大人しく頂いたのだった。





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