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よい仲の小いさかい
※シャンクス登場



「お?」

 目の端をすっと横切った大きな生き物に、シャンクスは小さく声を漏らした。
 久しぶりに辿り着いた島の町で、『逆側の港町に『白鯨の船』が来ている』という噂を聞いたのはつい数時間前のことだ。
 それが、シャンクスが慕っていた『海賊王』と肩を並べていたあの海賊の一団であろうことは間違いない。
 だったら挨拶をしに行こうと勝手に決めた赤髪の二つ名を持つ海賊は、仲間たちに酒の買い付けを任せて、先に移動してやろうと足を動かしていたところだった。
 すぐ戻ってくるから待っていろというようなことをベックマンに言われたような気もするが、自由な海賊であるシャンクスをそんな言葉で引き止めたりできないことくらい、これまでの付き合いでも分かっていることだろうから問題ない。
 そして町を出て、逆側の港町へと伸びる一本の道を歩いていたシャンクスの視線を捉えたのは、見渡しのいい草原を歩く一匹の獣だった。
 ぴんとたった三角の耳に、ネコ科の動物特有の姿をした獣が、のんびりと歩いている。

「ん? ……トラがいるなんて話は聞いてなかったがなァ?」

 危ない生き物はいない平和な島だと島民は言っていたが、と首を傾げたシャンクスの声に気が付いたように、ぴたりと獣が動きを止める。
 ぴくぴくと耳を動かしたその獣が顔をシャンクスの方へ向けて、トラというには少々精悍さに欠けるその顔つきに、おやとシャンクスも眉を動かした。
 大きさがおかしいが、もしやあれは猫だろうか。
 さすがグランドラインだ、と訳も分からぬ納得をしている間に、大型猫がその足をシャンクスの方へと向ける。
 触り心地のよさそうな尻尾をわずかに伸ばしながら近寄ってきた相手にシャンクスが瞬きをしている間に、ぐるるる、と喉を鳴らしたその猫が頭を軽くシャンクスの足へと擦り付けた。

「お! お前なつっこいな!」

 その様子に笑ってから、屈みこんだシャンクスの手がわしゃりと猫の頭を撫でる。
 大きな頭を撫でられて、目を細めた猫はさらに気持ちよさそうに声を漏らした。
 わはははとそれに笑ってシャンクスの手が頭から離れようとすると、ばっと動いた右の前足がシャンクスの手を掴まえる。
 鋭い爪を持っていそうだがそれをしまった可愛らしい前足でシャンクスの手を捉えた猫に、遊んでほしいのかとさらに笑いつつシャンクスの指がそっと猫の首のあたりを探った。

「首輪はしてねェな。お前、誰かに飼われてるのか?」

「なあん」

 これだけ人になついている獣が野良のわけがないだろうと呟いたシャンクスへ、猫が返事をするように鳴き声を零す。
 よしよしと首のあたりを探っていた手で顎を撫でると、嬉しそうに目を細めた猫がぺろりとシャンクスの手を舐めた。
 されるがままになりながら、シャンクスが口を動かす。

「お前、名前なんてェんだ?」

「にゃあ」

「この島に住んでるのか」

「にゃーあ」

「おれか? おれは海賊で、向こうの町に船を置いてきてる。シャンクスだ」

「なあん」

 会話などできる筈もないと言うのに、口を動かすシャンクスに猫は律儀に返事を寄越した。
 まるで人の言葉が分かるかのようだ。
 お前賢いなあとその頭をもう一度撫でてやると、猫の前足がシャンクスの手を解放した。
 そのかわりのように、猫の体全体がシャンクスへぐりぐりと擦り付けられる。
 ぐるんぐるんと周囲をまわるようにされて、触り心地のいい毛並がシャンクスの足をくすぐった。

「おいおい、くすぐってェって」

 それに笑いながら立ち上がって、シャンクスは改めて大型の猫を見下ろした。

「おれァ今から用事があって向こうに行くんだが、お前も来るか?」

 尋ねつつ道のかなたを指差すと、シャンクスを見上げて座り込んだ猫が、少しばかり首を傾げる。
 ぴくぴくと耳を動かしてシャンクスの言葉を聞こうとしている様子を見てから、白ひげに会いに行くんだ、とシャンクスは囁いた。
 獣が『白ひげ』と聞いて誰かを思い浮かべるわけもないが、ここで別れるには何となく惜しく感じたのだ。
 もしも飼い主がいないのなら、船に連れて帰ってもいい。
 そのためには、今は逃さず連れて歩くべきだろう。
 不死鳥マルコ辺りは嫌がるかもしれないが、白ひげは、シャンクスが動物と同伴で訪れようとも後でクルー達が押しかけてこようとも笑って許すに決まっている。
 かの海賊は、かつてのシャンクスの『船長』と同様におおらかだ。
 シャンクスの言葉を聞いた猫はぱちりと瞬きをして、にゃあ、と鳴き声を出して応える。
 そうかそうかとそれに頷き、今ベックがいなくて良かったなァ、と何とも酷いことをシャンクスは考えた。
 ベックマンがいたら確実に反対されていただろう。
 『むやみに動物を拾うな』と怒られるのは、猫を船に積んだ後でいいのだ。







 残念なことに、シャンクスは猫を諦めなくてはならないようだった。
 どうやら、シャンクスが連れて行った『猫』は白ひげ海賊団の飼い猫であったらしい。

「…………なんでお前がナマエと一緒なんだよい」

「なあん」

 何故シャンクスがそれを把握したのかというと、訝しげな顔をした不死鳥マルコがシャンクスの聞きなれない名前を呼んで、それにシャンクスの側に居た猫が返事を返したからだ。

「お前、ナマエってェのか」

 思わずシャンクスが傍らを見下ろして声を掛けると、にゃあ、と鳴き声を零した猫がとてとてと足を動かす。
 その身がそのままマルコの側に寄り添って、先ほど道端でシャンクスにやったようにすりすりとその体を擦り付けた。
 他に何人かのクルーがシャンクスを警戒するように姿を見せているというのに、ナマエという名前らしい猫はそちらには見向きもしていない。
 ぴんと立てられたその尻尾に、なるほど、とシャンクスは声を漏らした。

「マルコの飼い猫か」

 それなら話は早いと、シャンクスの笑顔がマルコへ向けられる。

「マルコ、そのナマエと一緒におれと」

「行かねェよい」

 挨拶のようなシャンクスの言葉に心底いやそうに言葉を吐いてから、マルコの視線がちらりと自分の足元にまとわりつく猫を見下ろした。
 それに気付いて、ぐるるると喉を鳴らしながら動きを止めたナマエが、マルコの顔を仰ぎ見る。

「…………」

「にゃあ?」

 どうしたの、と問いたげな鳴き声を漏らされたと言うのに、それに対して何の反応もせずに、マルコはふいと顔を逸らしてシャンクスの前から離れて行ってしまった。
 いつの間にやら甲板に出てきている白ひげが、どうしてかグララララと笑っている。
 もうじき酒が来るから今日はここで騒がせてくれとそちらへ言葉を投げてから、シャンクスは他のクルーに見張られているのも気にせずに、そっとマルコに取り残された大きな獣へと近寄った。
 先ほどまで嬉しげにぴんと立っていた尻尾が、しおしおとへたれてその体にくるりと巻き付いている。

「よしよしナマエ、そう落ち込むな」

「…………なあん」

 頭を撫でて慰めてやったシャンクスに返事を寄越したナマエは、やはり随分と賢い猫のようだった。







 ようやくベックマンの率いる仲間達がモビーディック号へとたどり着き、夕暮れ時から始まった宴は夜になっても当然ながら続いていた。
 ルウ相手に何人かの白ひげクルーが食事の速さを競っているのを横目に見やって、シャンクスを見やったベックマンが呆れた顔をする。

「…………またどっかでむやみに拾ってきたんじゃあないだろうな」

「拾ってないぞ、こいつはここの猫だ。なあナマエ」

「なあん」

 今にも『返してきなさい』と言いそうなベックマンへ反論して、シャンクスの手がよしよしと傍らの猫の頭を撫でた。
 あれからずっと、ナマエはシャンクスのそばから離れては戻ってくる、というのを繰り返していた。
 仕方なさそうに笑った四番隊のリーゼントのクルーが、ナマエ用だという食事の乗った皿を置いていったのは仕方の無いことだろう。
 すでにその上はぺろりときれいに片付いていて、時々面白がったクルーが置いていく料理もすでにない。
 ルウといい勝負なんじゃないのかとそれに笑っていたクルーは、今はすでに白ひげクルーとの酒飲み勝負に敗退して甲板に沈んでいるようだ。
 すでに満腹らしい様子のナマエはごろりとシャンクスの横に伏せていて、その大きい頭がシャンクスの膝の横にあった。
 そして、目はちらちらと彷徨っているものの、三角の耳はしっかりと、シャンクスから少し離れたところに座って酒を飲んでいる白ひげと、その傍らにいる不死鳥マルコに向けられている。
 猫の様子に笑ってから視線を動かすと、何とも言えない顔をしているベックマンの顔がシャンクスの視界に入った。

「ん? どうした、ベック」

「…………久しぶりに、悪い顔をしてるところを見たと思ってな」

「おいおい、そんな顔してるか?」

「鏡を見たらいい」

 タバコの煙を吐き出して言い放つベックマンに、シャンクスは心外だとばかりにわざとらしく眉を寄せた。
 けれども、ベックマンの言う『悪い顔』になる心当たりは確かにあるので、それ以上は文句も言わずにグラスを捕まえる。
 中身を舐めつつちらりと見やれば、こちらを見ていた不死鳥マルコと視線がぶつかった。
 じとりと睨まれて、にまりと微笑みながらグラスを歯で噛んで支え、空いた手で傍らの猫の頭をわざとらしく撫でる。
 顔をしかめたマルコがぷいと顔を逸らしたのを見てから、シャンクスは猫から手を離してグラスを持ち直した。
 そのまま中身を飲み干せば、隣でため息を零したベックマンが、仕方なさそうにシャンクスのグラスに酒を注ぐ。

「お頭、ほどほどにしてくれ」

「攫ってけねェんだから、こんくらいいいだろう」

 寄越された言葉に微笑みつつ、なあ、とシャンクスは傍らのナマエへ声を掛けた。
 なあん、とそれへ律儀に返事をして、猫の視線がシャンクスを見上げる。
 何とも頭がよろしいこの猫は、どうやらこの白ひげ海賊団の飼い猫であり、もはや家族の一人でもあるらしい。
 そうであれば、たとえ海賊の本分が略奪だったとしても、シャンクスがその手でこの猫を攫って行くのは不可能だ。
 猫自身の意思であればまた違うだろうが、基本的に、『家族』を害するものを白ひげは許さない。
 そして、シャンクスがそれを知っているということを分かっているからこそ、他のクルーはシャンクスが猫を可愛がっても大して気にした様子がないのだ。
 唯一の例外は、今も笑っている白ひげの隣で仏頂面をしている不死鳥マルコくらいなものだ。
 気に入らないなら奪い返しに来ればいいというのに、どうやらシャンクスに近付きたくないマルコにはそれもできないらしい。

「マルコ、こっち来ねえかなァ」

「それでまた口説くのか。何とかしろと睨まれるおれの身にもなってくれ」

 酒がまわって楽しく笑うシャンクスの横で、うんざりとした様子でベックマンが呟く。
 可哀想にと相棒を慰めてやってから、グラスを置いて猫の頭を撫でた心優しいシャンクスの横で、にゃあんと猫が一鳴きした。


 どうにも耐えられなくなったらしいマルコが、酔いに任せて不死鳥の姿でナマエを『遊び』に誘いに来たのは、それからしばらく後のことだ。
 何とも激しい遊び方に白ひげのクルー達が呆れた顔をし、初めて見たシャンクスの仲間たちが困惑している横で、シャンクスは身を丸めて大笑いをしていた。



end


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