愛のうた
※主人公はついこの間まで海兵さんでした
※戦争編後(原作通り)
「クザンたーいしょー」
「……ナマエ」
呼びかけた俺に、目の前の相手はため息を吐いた。
俺よりずいぶん高い場所から見下ろしてきた視線が俺の顔を撫でて、憎たらしいほどの身長を持った相手を俺も見上げる。
「もう大将じゃないつってんでしょうが」
俺を見下ろしてそう言われて、そうですね、と俺は頷いた。
いつもの青いシャツと白いベストと時々羽織っていたコートを置いて、肩書きを捨てた目の前のこの人は、海軍すら辞めて一般人に戻った。
元海軍最高戦力の一人というのが一般人と呼べるのかは置いておいて、とにかく普通の立場に落ち着いた。
癖のついた髪を帽子で押さえつけてサングラスをかけて、くたびれたコートを着込んで大きめの鞄まで持ったその姿は、どちらかと言うと放浪者だ。
「でも、クザン大将じゃないですか」
見上げてそう言いながら、俺は自分の持っている鞄を背負いなおした。
海軍を辞めてグランドラインを旅すると言った目の前の相手へ、俺もついていきます! と声を上げたのはこの人がそう言った三秒後のことだ。
俺の発言に目を丸くしたあの顔は傑作だった。
まるで、俺がそんなこと言うはずもないと思っていたかのようだった。
そんなわけがないのに。
俺が知っている時間軸まで、世界はもう進んでしまった。
戦争が起きてエースが死んでしまって、白ひげも死んだ。
助けたいと足掻いたつもりだったけど、海軍の立場でめちゃくちゃに弱い普通な俺はそれを助けることが出来なかった。
そして結局、あれからもずるずると海軍にいた。
今、ルフィ達は修行中のはずだ。
俺が知っているのは、せいぜい再結成した麦わら海賊団が魚人島に行って戦うことくらい。
大将をやめたこの人が、どこで何をしているのかも知らない。
だから、ついていくしか無いと思ったのだ。
「だから、大将じゃないっての」
俺の言葉にその口からため息を吐いて、俺へむいていた視線がふいと逸らされた。
それを見て、同じほうを俺も見やる。
大きく汽笛を上げて、こちらへ走ってくるのは海列車だ。
一人だったらどこまでだって自転車で行ってしまうだろうに、まだ海列車に乗ったことがないと言った俺の為に切符まで買ってくれた。案外、俺の元上司は元部下に甘く出来ている。
行き先をウォーターセブンと記した切符を片手で握り、俺は近付いてくる海列車を見やった。
「……ナマエはさ」
波に浮かぶ線路を辿る海列車を眺めていたら、ふいにぽつりと声が落ちる。
呼ばれたから視線を向けると、海列車を眺めたまま、まるで独り言のように目の前の相手が言葉を紡いだ。
「海軍辞めたら、海賊になると思ってたんだけど」
「え」
寄越された衝撃的な言葉に、思わず周囲を確認する。
昼下がりのホームには人影が無い。退役した大将青雉を静かに送り出すために貸切になっているんだと聞いた。確実に金の無駄遣いだと思う。
それはともかく、人影が全く無いのを確認して、どうにか安堵の息を吐いた。
「クザン大将、怖いこと言わないでくださいよ。そんな発言が赤犬た……元帥の耳に入ったら、疑惑の芽は摘み取る派のあの人に俺殺されますよ」
「だから、大将じゃねェって。だってほら……あー……アレだ」
そしてとりあえずそう抗議すると、軽く頭をかいた目の前のその人が、それでようやくその視線をこちらへ戻す。
「ナマエ、処刑の時に泣いてたじゃない」
さらりと言われて、目を丸くする。
泣いたと言えば、泣いた。
確かに泣いた。
だって俺は全部を知っていたのに、離れた場所でもなくあの戦争の最中にいたのに、結局エースも白ひげも助けられなかった。
別に知り合いってわけでもないけど、もしも俺が知っている通りに進むならそうなるんだとわかっていた未来を、変えることが出来なかった。
エースが死んで白ひげが死んで他にもかなりたくさんの人が死んで、いろんな人が悲しんだ。
何にも出来なかった自分の情けなさが悔しくて、それはもう泣いた。
ただし隠れてだ。
涙が溢れているところを万が一赤犬に見られたらあらぬ疑いをかけられかねないし、何より泣き顔を人目に晒す趣味はなかったから、こっそり隠れて一人で泣いた。
悔し涙が止まらなかったおかげで、コビーの主張もシャンクスの登場も見られなかった。
あの時、確かに俺は一人だったはずだ。
なのに、一体どこから見たというのか。
「…………見たんですか」
「見た見た。もォばっちり」
尋ねてみればこくこく頷かれて、なんだか恥ずかしくなってその顔をじとりと睨む。
新社会人とは言え成人しているのに、男が泣くところを見られるなんて恥ずかしい。
恥じ入る俺を気にした様子も無く、俺の元上司は肩を竦めた。
「ナマエがポートガス・D・エースとどう繋がってるかは知らねェけど、死を悼める相手を殺した海軍に、ずっと居るだろうとは思っちゃいなかった。だから、そのうち海軍を辞めて、奴と同じ海賊になるんだと思ったのに」
ついてくるとはねェ、と呟かれて、むっと眉間にしわを寄せる。
「いいよって言ったじゃないですか」
ついていきますと主張した俺を了承したくせに、今更この人は何を言っているんだ。
まさか、何となく言っただけか。普段が適当なこの人のことだ、ありえそうで困る。
思わず伸ばした手で目の前にあった腕を掴むと、その腕の主が、そりゃね、と呟いた。
「ついてくるっつーんなら、つれてくよ」
さらりと落ちた、その台詞には聞き覚えがある。
突然この知ってるようで知らない世界に来てしまった俺が危ない目にあった時に助けてくれて、行くあてもなく途方に暮れた俺を見下ろしたヒーローが言ったのと同じ台詞だ。
青いシャツで白いベストだったヒーローの言葉に、俺は大きく頷いて、ついていきますと声を上げたのだ。
あの時も確か、見上げた先にあった顔は、今みたいに少しだけ笑っていた気がする。
「クザン大将……」
「だーから。大将じゃないって。何べん言えば分かるの、お前」
思わず呼びかけた俺へ呆れたようにそう言って、大きな手がひょいと動いた。
掴んでいた袖を引かれて、思わず前へ足を踏み出す。
大きく汽笛の音がして、海列車がホームへと滑り込んできた。
「さ、行くか」
「あ、はい」
言って歩き出した目の前の相手から手を放して、その背中を追いかける。
見慣れた正義も宿っていないその背中は、何だかまるで知らない相手のそれだった。
俺は、この世界を知っていて、でももう知らない。
俺が知っている時間軸までは、もう進んでしまった。
今、ルフィ達は修行中のはずだ。
俺が知っているのは、せいぜい再結成した麦わら海賊団が魚人島に行って戦うことくらい。
大将をやめたこの人が、どこで何をしているのかも知らない。
もし知っていたら、海軍にいてその動向を確認したり、やることを手伝ったり出来たのかもしれない。
けど、俺はこの人の行方を知らなかった。
だから、海軍を辞めるのだと聞いたあの時、それならついていくしか無いと思ったのだ。
「…………クザンさんがどっかに行くなら、ついてくに決まってるじゃないですか」
波の音にまぎれそうなくらい小さく、目の前の背中へ声を掛けた。
多分聞こえなかったんだろう。返事はないまま、先に乗り込んだ相手の後を追いかけて、俺も海列車へと乗り込む。
二人の乗客を乗せた海列車が大きく警笛を鳴らして、そうしてゆっくりと海の上を走り始めた。
後ろへと流れていく海軍本部を見やって、そういえばそのうちあそこは本部じゃなくなるんだったっけか、と思い出す。確か赤犬は、海軍本部を新世界へ据えたはずだ。
ぼんやり窓の外を眺めていたら、いつの間にか傍らの存在がいなくなっていて、慌てて車両内を見回した。
立ち尽くした俺を置いてボックスシートに座っている姿を発見して、すぐさまそちらへ移動する。
「座るなら、せめて一声掛けようとか思わないんですか」
「まァまァ、いいじゃないの」
「よくないですよ。全くもう」
文句を言いながら斜め向かいに座ってその顔を見やって、俺は少しばかり首を傾げた。
何故だか、さっきより妙に機嫌がよさそうだ。
海列車が好きだったんだろうか。
「どうかしましたか?」
「いや、あー……ほら、アレだ」
「どれですか」
何かを示すように指を立てられても、内容の伴わない台詞ではまったく分からない。
怪訝そうな顔をしているだろう俺を前に、俺の元上司は答えを言わず、何故だかとても嬉しそうに笑っている。
海列車が大きく汽笛を上げて、俺ともう一人を乗せて海原を駆け抜けていった。
end
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