笑う門には福来る
※『男子→猫転生シリーズ』から、仔猫とそうでない主人公とマルコ隊長
ナマエと言うのは、マルコが拾ってきた仔猫の名前だ。
誤って通りすがりの海賊の足にかじりつくほど飢えていたらしい猫を哀れに思い、食事を与えてついでに風呂にも入れたら、猫の方がモビーディック号を気に入ってしまったらしい。
拾ったものには責任をとることにしたマルコの部屋が、ナマエの寝床のある場所だった。
「…………何してんだよい、ナマエ」
古い毛布を木箱に入れて作られた仔猫の寝床を覗き込んで、マルコが思わず声を漏らす。
それが聞こえたらしい仔猫は、みい、と鳴き声を上げてぱたりと耳を動かした。
小さな仔猫の体に巻き付いているのは、なんともカラフルな色合いのリボンだった。
箱の中でもぞもぞと動いているのは聞こえていたので、何を遊んでいるのかと思って覗き込んでみたらこれである。
「どっから持ってきたんだい」
尋ねながら、屈みこんだマルコの手が、仔猫に絡むリボンに触れた。
こんなにも絡みついていては体を動かしにくいだろうという気遣いから、リボンを外してやろうとしたマルコの指に、たし、と小さな肉球が触れる。
「ん?」
声を漏らして見下ろした先で、仔猫がぐいぐいとマルコの手を押しやっていた。
拒絶を表すようなその動きに、マルコが軽く首を傾げる。
「……外してほしくねえのかい」
「みい」
猫相手に尋ねたマルコに、賢い仔猫が返事を寄越した。
しかしそれが肯定なのか否定なのかは、マルコには分からない。
どうしたものかと思いながらとりあえず手をひっこめると、マルコの目の前でまたナマエがもぞもぞと動き出した。
全身に絡んでいるリボンの一部から頭を引き抜いたり押し込んだりするその様子は、遊んでいるとは思えない真剣さだ。
よく見ればナマエの下には何やら箱のような物があり、リボンは元々それについていたものだったらしい。
何の上に乗っているんだとその様子を眺めていたマルコの前で、ようやくリボンから脱出したナマエが、ふうと人間臭い仕草で息を吐く。
それから、尾を立てて体を沈み込ませ、自分の下にあったものを全身を使って押し上げた。
「み!」
箱の下から寄越された鳴き声に、受け取れと言われていると判断して、マルコの手がひょいとその箱を受け取る。
先ほどナマエの体に巻き付いていたリボンが、何の偶然かいびつに結びこまれていた。包装紙が少し皺を寄っているのは、ナマエが上にいたからだろう。
「何だよい、これは」
「みい」
問いかけたマルコに鳴き声を零して、今度はナマエが木箱から這い出てくる。
近寄ってきた小さな体が膝によじ登るのを片手で掴まえて、立ち上がったマルコは猫を抱えたままで足を動かした。
先ほどまで座っていた椅子へと戻り、猫とリボンのついた箱を両方とも海図を退かした机の上へと置く。
あまり机の上に上げることはないからか、ナマエは戸惑った様子で周囲を見回して、それから大人しくマルコの前で腰を落ち着けた。
「開けるよい」
わざわざナマエへと宣言してから、マルコの手がするりとリボンの端を引く。
緩かった結び目は簡単に解け、そうしてマルコが包装紙を剥ぐと、中からは小さな箱とメッセージカードが姿を現した。
質素なカードをつまみ、それを裏返したマルコの口が、なるほど、と言葉を零す。
「イゾウからかよい」
『誕生日おめでとう ナマエに預けとくよ』と書かれた文字の下にはマルコの『兄弟』の名前があった。
どうやらこの箱は、マルコの誕生日プレゼントだったようだ。
どうしてそれをイゾウがナマエへ預けたのかは分からないが、恐らくナマエは素直にこれを部屋まで運んできたのだろう、とマルコは考えた。
マルコが拾ったナマエと言う名前の猫は、幼いながらに賢い仔猫だった。
時々無茶をやらかすが、基本的には大人しく隅にいる。つけた名前もすぐに覚えたし、酷い悪戯だってやったことがない。
全てとは言わないが、まるで人の言葉を理解したかのように言いつけを守るナマエを見やり、マルコの手がその小さな頭を撫でた。
「持ってきてくれたんだねい、ありがとよい、ナマエ」
持ち上げた箱は軽いが、その大きさはナマエの体ほどもある。
仔猫には重労働だっただろうと思えば後で贈り主に抗議の一つもしたいところだが、まずは仔猫を労うのが先だ。
マルコの言葉にナマエが目を細めて、動いた尾が自分の頭を撫でるマルコの手に添えられる。
するりと指を撫でるそれにくすぐったいとマルコが笑うと、ナマエの尾がくるりとマルコの指の一つに絡みついた。
「みい」
満足げに寄越された鳴き声に、マルコの口にも笑みが浮かんだ。
※
のし、と体に重みを受けて、マルコの意識が浮上する。
「なあん」
「ん……ナマエ?」
寝起きの掠れた声で呼びながら目を開くと、マルコの顔を上から覗き込む大きな猫の双眸があった。
ぺち、とマルコの顔に触れて来た大きなその前足を受け止めてから、仕方なくマルコがむくりと起き上がる。
「ああ……寝ちまったのかい」
昨晩の酒盛りで酒を過ごしたらしく、マルコが寝ていたのは甲板だった。
他にも何人か同じように気持ちよさげに寝息を立てていて、これは二日酔いの連中が煩そうだ、とまだ酒の抜けていない頭でぼんやり考える。
今日はマルコの『誕生日』で、その前祝だと一番隊の連中が騒ぎながら酒を食らっていたのだ。転がる酒瓶の量が、飲んだ酒の多さを物語っている。
「……そろそろ部屋に戻るかねい」
まだ夜明け前らしい空を見上げて呟きながら、マルコが片手でまだ中身の入っている酒瓶を掴まえる。
マルコの傍らに座り込んだナマエは、ごろごろと喉を鳴らしながらマルコの体に寄り添っていた。
小さかったマルコの飼い猫は、もう随分と大きくなった。
どう考えても規格外で、ひょっとしたら虎か何かの亜種だったのではないかと思うほどの図体だ。
もたれがいのあるその体にマルコが体を押し付けると、ナマエがそれを受け入れる。
人を起こした癖に拒絶しないナマエにマルコが笑ったところで、その体に何かが押し付けられた。
ん、と声を漏らして見やったマルコの手に、ナマエの前足が何かを押し付けている。
それはナース達が好みそうな可愛らしいリボンをあしらった箱で、何だよい、と呟いてそれを拾い上げてから、マルコは先ほどまで見ていた夢を思い出した。
「また誰かから預かってきたのかい、ナマエ」
「なあん」
尋ねたマルコに、ナマエが返事を寄越す。
肯定とも否定とも取れないその鳴き声に、勝手に『肯定』だと解釈して、マルコは軽く息を吐いた。
マルコが拾ったナマエと言う猫は、賢い猫だった。
食事が絡まなければ基本的に怒ったり暴れたりすることも無く、静かにモビーディック号の上で飼い猫をやっている。
そのおかげでか、クルー達もナマエを家族として扱い、あれこれと用事を言いつけることがあった。
体が大きくなってからは、荷物の運搬の頭数に入れられることもあるようになった。部屋の名前を憶えているのか、どこそこへもっていけと言われた場合は、まず間違いなくそこまで運んでいく。
新入りのクルーが『さすがマルコさんの猫!』と目を輝かせていたが、ナマエが賢いのは元からなのだ。
マルコの片手で頭が掴めてしまうような小さな頃だって、イゾウからの贈り物を預かって届けていた。
そういえば、あの後マルコが礼を言いがてら抗議した時、贈り主が『ナマエが持っていくと言ったんだから仕方ないじゃないか』と笑っていたことを思い出し、マルコはちらりと傍らを見やる。
「……にゃあ?」
寄越された視線を受け止めて、ナマエが不思議そうに鳴き声を零した。
どうかしたのかと問いかけるその眼差しに、しばらくその顔を眺めてから、何でもねえよい、とマルコが呟く。
そして手元の『贈り物』を膝の上に落とし、少しだけ腕を伸ばしてから、放置されていた皿の上からつまみを一つ掴まえた。
「ほら、ナマエ。食えよい」
運んできてくれた礼だ、と言葉を続けてマルコが差し出せば、ナマエの口がマルコの指からから揚げを攫って行く。
ついでにざらざらとした舌に指を舐められて、くすぐったいとマルコが笑った。
それから手を引っ込めて、先程掴まえていた酒瓶に口をつけ、温い中身をそのまま飲みこむ。
普段なら迎え酒なんてことはしないが、今日は特別だ。誕生日の『家族』は基本的に一日、何の雑用も受け持たないことになっている。
酒瓶を降ろし、さて、と言葉を落としてから、マルコがひょいと立ち上がった。
「残りは部屋で飲むか。ナマエも戻るかい」
「なあん」
問われたナマエが返事を寄越しながら立ち上がって、マルコの隣にそのまま並ぶ。
歩き出したマルコに付き従う猫を見おろし、機嫌よく笑ったマルコはそのまま甲板を後にした。
戻った部屋の中で酔ったマルコの枕にされても、やはりナマエは嫌がりも暴れもしなかった。
end
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