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飢えては食を択ばず
※子猫時代




 あれはなんだろうか。
 サッチはぼんやりそんなことを考えながら、甲板の端で腕を組みつつ座っている『兄弟』と、その目がにらみつけた先にいる小さな生き物を眺めた。
 あの小さな生き物は、少し前に今とても厳しい顔をしている『兄弟』が拾ってきた子猫だ。
 死んでいるのかと思ったら噛み付いてきたんだと言って笑ったマルコは、自分が拾った子猫にナマエと名付けて、分かりにくいながらもかなり可愛がっている。
 そのマルコが、どうしてか今はとても厳しい顔をして子猫を見下ろしているのだ。
 あまり暴れたりもしない大人しい子猫であるナマエは、マルコのおかしな雰囲気が分かるのか、しょぼんと耳まで垂らして大人しくマルコの前に座っている。
 一体なんだ。何があってああなっているんだ。
 己の好奇心に負けて、サッチはそろそろとマルコとナマエのいるほうへと近づいた。

「いいかよい、ナマエ」

 すぐ傍にあった荷物の影に隠れながら窺ったサッチに気付いた様子も無く、腕組をしたマルコが唸るように囁く。
 みあ、とそれへ返事をしたナマエは、相変わらず賢い猫だった。サッチは猫と一緒に過ごすのはナマエが初めてだが、普通の動物はああも空気を呼んだタイミングで鳴き声を零さないことくらい知っている。
 サッチが片手でつかめるくらいに小さな頭をしたナマエが、ちらりとマルコを見上げたのがサッチの視界に入った。

「こういう無茶をしてたら、命がいくらあってもたりねェだろい」

「みい」

 言い放つマルコへ、またもナマエが返事をする。
 高くて可愛らしいその声は、まるでごめんなさいと謝ってでもいるように情けなかった。

「おれは能力者なんだ、お前が海にでも落ちたらもう助けられねェよい。海王類に食われちまいたいのか?」

「みー」

「大体、あんな高さから落ちたらお前は死んじまうだろい」

 ぱたたたと尻尾を左右に振ったナマエに、更にマルコが小言を言っている。
 漏れ聞こえた話に、どうやらナマエがマルコの服に潜り込んだのがそもそもの発端らしいと、サッチは理解した。
 ナマエがマルコの服に潜り込んでいるのは何時ものことだ。拾われたことを理解しているのだろう、ナマエはこの船の上の誰よりマルコに懐いている。
 そういえば、今日マルコは明日あたりに着くという島の偵察をすると言って不死鳥の姿で空を飛んでいた。
 どうも、そうやって飛び立ったマルコの服にいつものように小さなナマエが潜り込んでいて、危うく落下するところだったらしい。
 恐ろしい話だ。サッチはふるりと身を震わせた。
 サッチや他のクルーだって、マルコが飛ぶほど高い場所から落ちてしまったら無事で済むかは分からない。あんな幼い子猫がそんな目に遭ってしまったら、マルコの言う通り命がいくつあっても足りないだろう。
 だがしかし、それはそれとして。
 遠くを見るようにそれていたサッチの視線が、もう一度マルコとナマエを見やる。
 しょんぼりと尾も耳も垂らした子猫を厳しい顔で見下ろして腕を組んで座っている海賊と言うのは、なんともシュールな光景だ。
 まだいくつかの小言を告げていたマルコは、やがてため息を零してから、ナマエ、と子猫の名前を呼んだ。
 にい、と鳴き声を零して、子猫がぴくぴくと耳を揺らす。

「反省したかい」

「み!」

 猫に問いかけるには少々おかしな言葉を受けて、賢いナマエはぴんと尾を立てて返事をした。
 それを見下ろし、よしと頷いたマルコの視線が、そのままサッチのほうへと向けられる。

「そろそろ出て来いよい」

「あ、バレてた?」

「体隠してリーゼント隠さずってのは間抜けすぎると思わねェかい?」

 どうやら、サッチの魂がサッチの居場所をマルコへ伝えていたらしい。
 何か真剣に叱ってるからよォ、とへらりと笑って荷物の陰から出てきたサッチに、みい! と高く声を上げたナマエがぴょんと立ち上がった。
 まだまだ小さく短い足をぱたぱた動かしてサッチへ近付き、ぴょんと飛びついてきたその体がサッチの足にがしりとしがみ付く。爪を立てているらしく、服を突き刺したそれがちくちくとした小さな痛みをサッチへ与えた。
 痛い痛いとそれに笑って悲鳴を上げながら、サッチは甲板へ来た目的であるものを片手で持ち上げ、ナマエの前でそれを揺らす。
 天日干しされた魚の揺れにあわせて、ナマエの目と尾もゆらゆらと揺れた。

「ほらナマエ、今日の飯だぞー」

 言い放ったサッチに、みい! とまたも声を上げてから、ナマエがサッチの足から飛び上がる。
 がぶりと干し魚に噛み付いて、ぶらぶら小さな体を揺らしたナマエに笑ったサッチが魚ごと子猫を下へ降ろすと、自分の体ほどもある魚を噛んだままでナマエはずりずりとマルコのほうへと移動した。
 座ったままのマルコに背中を向けてから座り込み、がぶがぶと噛み応えのありそうな干物を齧る。

「それ、今度着く島の特産品なんだろ? ナマエが気に入ったみたいで良かったなーマルコ」

「ナマエは何でも食うだろい」

 偵察ついでに少しの食料品を買い込んできたマルコへサッチが言えば、マルコは軽く肩を竦める。
 興味の無さそうな顔をしているマルコを見やったサッチは、そんな風に言ったってどうせナマエのためにたくさん買うくせに、と小さく笑った。
 分かりにくいが、マルコはこの小さな猫をとても可愛がっているのだ。多分、この船の誰の部屋より、マルコの部屋にある猫の玩具が一番上等で大量だろう。

「これよりでかいのもあったけどなァ。あれは今日の昼にみんなで食うってよ」

「あんまりでかいの持ってくると、ナマエの腹が破れちまうよい」

 呆れた顔をしたマルコに、こいつ際限なく食うもんなァ、とサッチが笑う。
 元々食い意地が張っているのか、ナマエはとてもよく食べる子猫だった。
 ついでに言えば、食べ物に対する執着もとても強い。
 腹をまんまるにしてもまだ皿に残ったものを食べようとしたナマエから慌てて皿を取上げたサッチは、思い切り引っかかれてとても痛い思いをした。

「まあ、大きくなったらもう少し落ち着くだろい」

 短い足で干物を押さえつけながらかぶりつくナマエの様子に、仕方無さそうに笑ったマルコの手がひょいと伸びる。

「腹いっぱい食って、さっさとでかくなれよい」

 そんなことを言いながら食事中のナマエの頭を撫でたマルコの手に、ナマエの尾がするりと絡んだ。
 甘えるようなそんな自分の様子にも気付いていないのか、ナマエは必死の形相で魚を齧っている。どうやら、干されていただけあって硬いらしい。
 それからしばらくの間、マルコとサッチは二人で笑って、あぎあぎと干し魚に噛み付くナマエを見ていた。
 数年後、ナマエが猫と言うには規格外な大きさになり、ついでに言えば食い意地は大して変わらないことなど、当然ながら二人は知らなかったのだった。



end


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