誕生日企画2015
澄み渡った青空が、随分と眩い。
「……ふあ」
大きくあくびをしたマルコは、それからいつにもまして眠たげな目を軽く擦った。
ここ数日、書類やそのほかの雑務に追われてうまく眠れない日々を過ごしているからか、その目元にはうっすらと隈が出来ている。
大丈夫かお前と気遣ってくれた『家族』に大丈夫だからさっさと寄越せと唸って取り上げた書類も、ようやく先ほど仕上がったところだ。
あまり書類仕事を好まない『家族』達の中でそれを統括することの多いマルコにとっては時折あるような事態だが、それを話しても分からないだろう相手が心配をしたせいで、モビーディック号は今無人島に停泊する格好になっていた。
青々とした緑の生い茂る島は食料品にも恵まれているようで、今日と明日は『家族』達がその補給にひた走ることになっている。
『だけどお前は寝てろよ! ナマエが可哀想だろ!』
きりりと目をつり上げて言葉を放ったドレッドヘアの兄弟分を思い出し、仕方ねえなァ、なんて声を漏らして、マルコの手が自分の首裏へと添えられる。
そこでざばりと大きな水音が放たれ、それと共に大きな何かが水の中からモビーディック号を覗き込むように飛び上がった。
「ぐるる」
「ようナマエ、今日は朝から早いねい」
小さく唸りながら甲板を見下ろして来た海王類に、慌てふためくことなくマルコが言葉を放つ。
それを聞いてさらに喉を鳴らした相手は、マルコがナマエと名付けた海王類だった。
マルコの上で卵から孵り、それからはずっとマルコ達の『家族』として共にこのグランドラインの大海原を進んでいるのだ。
ある日まるで何かに閃いたように聞きわけが良くなった相手が、モビーディック号のふちにその顔を軽く乗せる。
わずかに揺れた船に笑い、マルコはそちらへと近付いて、目の前にある顔を軽く撫でた。
「それをやるとおれが怒られんだよい、ナマエ」
あまり長い間体を支えていられないらしいナマエが、マルコ達の様子を見ようとモビーディック号へもたれかかれば、さすがのモビーもその巨体を傾がせる。
転覆させるような真似をしないとマルコ達が分かっていても、テーブルの上に置かれている皿やその他までが踏ん張れるわけではないのだ。
マルコとしては気にしないが、さすがに何度もその目の前で叱られるのはまずいだろうと言葉を放てば、るるる、と鳴き声を零したナマエが顎をモビーディック号から離した。
それを見てマルコが更に海の方へと近寄れば、モビーディックからも少しだけ体を離したナマエが、海の中へとその体を沈める。
間近になったその目がじっとマルコを見つめて、窺うようにひくりと鼻が動いた。
気遣わしげなその眼差しに、そんなに心配しなくても大丈夫だよい、とマルコが言葉を紡いでみても、海王類にはどうにも伝わらない。
マルコが眠れなくなったり体調を崩すと、ナマエがとても心配そうな顔をするようになったのは、随分と前からの話だ。
普段なら聞き分けが良い筈の海王類が、マルコの為にとあれこれと生き物を狩ってきたり、マルコがいないことを確かめるようにずっと甲板の上を覗き込み続けて、体が乾いて怪我をしたりするのである。
それを聞かされてから、以前よりもマルコは休憩を多く取るようになったが、最近は少しばかり以前のような無茶をしてしまった。
結果としてモビーディック号が数日の休息をとれることとなったのだから良かったのかもしれないが、寝ていろと唸ったサッチの怖い顔を思い出して、マルコがわずかに笑う。
その様子を見ていたナマエが、ちろりとその長い舌をわずかに口の端に零した。
「……るる、まァ、る」
「何だよい、ナマエ」
人を呼んできた海王類へ、マルコがそんな風に声を掛ける。
それを聞き、一度、二度と瞬きをした後で、海王類ががぱりとその大きな口を開いた。
舌を奥へ引っ込めて、口腔に大きな隙間を作ったまま、人間など簡単に美味しく頂けるだろうその牙を晒されて、マルコは目を丸くする。
威嚇するように大きな口を開いたまま、ナマエはじっとしている。
るるるるとわずかに喉の奥から鳴き声が聞こえてくるくらいだ。
空腹の時だってやりはしない様子をしばらく眺めてから、海王類が何を求めているかに思い当たったマルコは、ひょいと見張り台の方を振り向いた。
恐らくはマルコとナマエの様子を眺めていたのだろうクルーが、マルコの視線に気付いて軽く手を振る。
「ちっと出かけてくるから、後はよろしく頼むよい」
そちらへ向けて声を張り上げてから、マルコの足がモビーディック号の縁へと掛かり、そしてその体はそのまま海王類の口の中へと消えた。
※
ナマエがマルコを海の中のどこかへ連れていくのは、初めてのことではない。
昨年は何度か、綺麗に透ける貝殻の中へとマルコを閉じ込め、海の生き物が泳ぐ速度で水の中を連れ回された。
マルコはナマエが自分に危害を加えないと確信しているし、ナマエだって自分が信じられていることを知っているだろう。
だからこそ全てを任せたマルコがナマエによって連れ込まれたのは、海の中からしか入ることが出来ないような海底洞窟だった。
空気があるそこへと吐き出されて、マルコはきょろりと周囲を見回す。
「……へえ、こいつァすげェよい」
光るコケが生えているらしく、うっすらとその広さを確認することが出来た。
ともに生えているいくつかの花々が、ぷくりとシャボンに似たものを吐き出してはそれをはじけさせる。
その傍にいるほど息がしやすい現状からして、それがマルコに必要な酸素を吐き出しているのだと言うことは、マルコにもすぐに分かった。
気圧が高いような感覚もないので、余った空気はどこかからか抜け出していっているのだろう。
「ぐるるる」
「ん? もっと奥だって?」
低く唸ってきた傍らの海王類に笑いながら、マルコの足が洞窟の奥へと向かう。
洞窟の中には深い水路が伸びていて、体の大きなナマエもマルコと同じように並んで移動を開始した。
そうして奥地にあったものに、マルコがぱちりと目を丸くする。
「……何だよい、これは」
思わずそんな風に呟いてしまったのは、奥の随分と広い場所に、大きな酒樽が運び込まれていたからだった。
自然に流れ着いたものでないことは、真新しい樽の様子ですぐに分かる。
戸惑いながらも近付いて、マルコの手が酒樽を開く。
きちんと防水対策がされていたらしい中身は濡れておらず、マルコの手がまず取りだしたのは、何処かで見た覚えのあるクッションだった。
「…………」
それからタオルケット数枚、柔らかな枕まで入っていたそれを見たマルコの手に、樽の内側に貼りつけられていたらしい紙が触れる。
ぺり、と音を立てて剥がれたそれを取り出して、マルコは少し薄暗いそこで紙の表に記された文字を確認した。
『ナマエが怖いくらい心配してるから、ナマエの前で昼寝でもしとけ。場所はナマエに任せたから』
そんな言葉を記した文字は、マルコが良く知る『家族』のものだ。
しかも末尾には『誕生日おめでとう』だなんて言葉が記されていて、そういえば今日は自分の誕生日だった、とマルコは遅ればせながら気が付いた。
しばらくそれを眺めた後で、マルコの目が海王類の方へと向けられる。
「……お前が運んだのかよい、ナマエ」
「るるるるる」
問われた言葉に、ナマエが鳴いて返事を寄越す。
そんな相手に軽くため息を吐いてから、仕方ねェなァ、とマルコは軽く笑った。
『場所』を任されてこんな海底洞窟を探してくるナマエも、海王類にそんなことを任せる兄弟達も、どことなく一般常識とはずれている。
しかし、そんな彼らを受け入れられるマルコに、それを指摘することが出来るはずもない。
その手がいくつかのクッションを放り、それからその上に一番厚手のタオルケットを広げた。
その上でごろりとケットの上へと転がり、申し訳程度に自分の体の上へとタオルケットをもう一枚広げる。
頭の下に枕を置いて横向きになり、すっかり眠る体勢の整ったマルコは、その状態でもう一度ナマエを見やった。
「それじゃあおれは寝るから、昼頃になったら起こしてくれよい」
海王類に言うには心もとない言葉を向けて笑ったマルコへ、ぐるるるとナマエが答える。
その体がじゃぶりと水の中へと沈んでいって、それを見送ったマルコは、随分と静かなそこでそっと目を閉じた。
元よりあまり明るくない洞窟の中では、目を閉じれば暗闇が広がるばかりだ。
今から騒がしくなるだろう船内よりは確かに眠りやすいだろうなと、そんなことを考えたマルコの耳に、ふと小さな小さな音が響いてくる。
つい先ほどまで聞いていた鳴き声によく似たそれは、まるで歌うように調子をつけながら、水底から伝わって届いているようだった。
そのことに気付いて腹の底に生じたくすぐったさに、くくくとマルコが目を閉じたままで笑い声を零す。
「海王類の子守唄とは、随分と貴重な誕生日プレゼントだねい」
呟いた自分の声もすぐに聞こえなくなって、まるで遠くから聞こえるその音に引き込まれるように、マルコはすっかりと眠りの淵へと落ちていく。
ナマエに起こされた時には随分とすっきりとしていて、目を覚ましたマルコが礼を言った時、海王類は嬉しげにその目を細めていた。
end
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