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 ざばり、と傍らで大きく水音が鳴る。
 それを聞いて視線をそちらへ向けたマルコは、モビーディック号のすぐ傍らで海上に体を持ち上げている海王類を発見して、わずかにその目を細めた。
 本来の船乗りや海賊にはあり得ない反応だが、その海王類が他とは区別される存在であることを、マルコも他のクルー達も、そして恐らくはその海王類自身も知っているのだ。

「ナマエ、どうしたんだよい」

 穏やかにその名を紡いで近寄ったマルコに、ぐるるる、とナマエと呼ばれた海王類が唸り声を零した。
 その体がさらにモビーディック号へと近寄って、その口に咥えていたものがぼとりと甲板へ落とされる。
 びちりとそこで跳ねたものを見やってから、魚? とマルコの口が言葉を紡いだ。

「るる、るう」

「また、随分でけェのを掴まえたねい」

 水の無い場所で必死に跳ねる魚を持ち上げて、自分の体の半分ほどを超える大きさのそれにマルコが笑う。
 遠目でそれに気付いたらしい甲板上のマルコの『家族』達が、またか、と笑っているのがわずかに聞こえる。
 ここ最近、ナマエはマルコの下へこうやって魚を運んでくるようになった。
 丸々と太ったそれらは随分とうまそうではあるが、別に毎日運んで来いとマルコが命じたわけでも無いというのにだ。
 マルコの目がもう一度海王類の方を見やって、ほら、とその手がそちらへ向けて今掴んだ魚を差し出した。

「お前が食え。まだちゃんと怪我治ってねェだろい」

 言葉を放ち、微笑んだままのマルコの目がナマエの額を確認する。
 先日、モビーディック号と他の海賊団の争いに参戦したナマエは、自身の大暴れの代償としてその体にいくつもの傷を負っていた。
 ナミュール達の持ち帰った薬でどうにかその傷は塞がっているものの、まだ完治しているとはいいがたい見た目をしている。
 泳ぐ度に水圧を受けるからか、特にその額の傷は痛々しく、マルコの方へ向けているナマエの顔の中でわずかに赤く染まりながら存在していた。
 ほら、と跳ねる魚を捕まえたままで言葉を零すマルコに、るるるる、とナマエがうなりを零す。
 それはどことなく不満げに聞こえるもので、マルコは軽く首を傾げた。

「何だよい」

 尋ねたマルコへじっと視線を注いでから、ナマエの体がモビーディック号へとさらに乗り出してくる。
 前足を船にかけてのその行為に、停泊しているモビーディック号が大きく揺れた。
 甲板のあちこちにいたクルー達が短く野太い声を上げて、ついでにマルコを非難するような文句を言う。
 それらには聞かなかったふりをして、寄ってきた口先に魚を押し付けようとしたマルコは、しかしナマエが口を閉じたままでぐいと魚を押しやったのを見て、おや、と目を丸くした。
 自分の方へと押すようにされた元気な魚をちらりと見やってから、仕方なさそうにその口がため息を零す。
 その目がすぐに甲板の上を見やり、視線に気付いて顔を上げた見張りの一人へ向けて、その腕がぽいと魚を放り投げた。

「ビスタ、この魚半分にしちまってくれよい」

 ついでに言葉も放り投げれば、わかった、とあっさり頷いたモビーディック号の剣士の一人が、抜いた刃を一閃する。
 空中でその攻撃により跳ね返されて、ナマエが咥えて運んできた魚がマルコの方へと押し戻された。
 帰ってきたそれをマルコが両手で受け取って、頭と尾をそれぞれ掴んで持ち直す。
 美しく真っ二つとなったそれらを、赤身と骨を覗かせる断面図を上にして持ち直し、ありがとよい、とビスタへ礼を放ってから、マルコの視線がナマエを見やった。

「これならいいだろい。ほら、ナマエ」

 言ってやりながら、マルコの手が身の大きかった頭側をナマエへ向けて差し出す。
 ぐい、と口先に押し付けるようにすると、モビーディック号に乗り出したままだったナマエがぱちりと瞬きをして、それからそっと口を開いた。
 口の中へと魚の半分を押し込んでから、手を離したマルコが残りの半分を軽く振る。

「こっちはサッチに渡しとくから、お前はそっちを食えよい」

 そうして放たれたマルコの言葉に、ぐるるる、とナマエが小さく声を漏らした。
 ゆらりと動いたその体が海側へと戻り、それを見やったマルコがひょいとモビーディック号の縁に飛び上がる。
 佇んで見下ろした先で、体の殆どすべてを海の中へ戻したナマエが、頭だけを水面に覗かせてちらりとその目でマルコを見上げた。

「……何、不満そうな顔してんだよい」

「るる、る……」

 呟いたマルコに、水面を揺らしながら小さく唸って、ナマエはそのまま海の中へ姿を消した。







「そりゃお前、ナマエはマルコに食わせたかっただけだろ」

 皿をマルコの前へ置いて、コックコートのリーゼントがそんな風に言葉を放った。
 料理の乗ったそれを見やってから、何でだよい、とマルコが尋ねる。
 時刻は昼前、宣言通りナマエからの魚の半分をサッチへ届けたマルコは、早めの昼食をとっていた。
 先ほどの魚が調理された料理が、白い皿の上でてらりと光る。
 自分も早めに昼食をとろうとしているらしく、マルコの隣のクルーにも皿を出した後で、サッチもマルコの向かいに自分の皿を置いて腰を下ろした。

「お前の為に獲ってきたからだろ。お前の誕生日の時だって、馬鹿みてェにでけェ魚を取ってきてたじゃねェか」

 こーんな、と両手を広げて笑ったサッチに、そうそう、とマルコの隣に座っているクルーが声を漏らす。
 その手がひょいとフォークを掴まえて、皿の上の魚料理へと突き立てられた。

「本当ならあの時くらいでかいのを獲ってきたいんじゃない?」

 怪我してなかったらだけどさァ、と言葉を漏らしつつ、料理を口に運んだハルタが笑う。
 その笑みをちらりと見やり、それから正面のサッチを改めて見て、フォークを手にしたマルコは首を傾げた。

「……何だ、おれは養われてんのかい?」

 食糧をわざわざ運びに来るだなんて、飢えていると勘違いされているのではないだろうか。
 不思議そうなマルコの言葉に、『なぜ最近のナマエはマルコへ魚を運んでくるのか』という軽い相談を受けたサッチが、そうじゃねェだろ、と言葉を紡ぐ。

「ほら、あー、あれだ。猫とかは獲物持って帰ってくるらしいじゃねェか」

「あれって狩りの仕方を教えてるらしいよ。この間の島でお姉さんが言ってたけど」

 サッチの言葉にハルタが続けて、それを聞いたマルコが軽く眉を寄せる。
 その目がちらりと皿の上の魚を確認し、ふるりと軽く頭が横に振られた。

「いくらおれでも、魚は狩れねえよい」

 陸上や空中の獣なら何とかなるだろうが、海の中の生物をどうにかするだなんてこと、その身を炎と共に変容させるマルコにできるはずもない。
 釣りならその限りではないだろうが、もしもナマエがそれを求めているのなら、釣りなどでは対応できることでも無いだろう。
 まあ、マルコは能力者だしね、と頷いたハルタを見やり、いくらなんでもそれはねェんじゃねェのか、とサッチが反論する。

「燃えてる鳥を水に沈めたらまずいことくらい分か……」

 そしてそのまま言葉を途中で区切り、あ、と声を漏らしたサッチへ、皿の上の物にフォークを刺したマルコが視線を向ける。
 料理を口に運びながら、どうかしたのか、と窺うマルコの横で、どうしたの、とハルタがその口を動かした。
 もぐもぐと口を動かしながらの不明瞭なそれをきちんと聞き取ったらしく、もしかするとよ、と言葉を零したサッチが、マルコとハルタの方へわずかに身を傾がせる。

「ナマエの奴、繁殖期なんじゃねェか?」

「繁殖期ィ?」

 寄越された言葉に、ごくんと口の中の物を飲みこんだハルタが目を瞬かせる。
 そうそう、とそれへ頷くサッチのリーゼントがわずかに揺れて、その顔に楽しげな笑みが浮かんだ。

「ほら、よく聞くだろ、雌に貢いで相手に選んでもらおうとする鳥とか」

「………………」

 微笑みながら放たれた言葉に、マルコの顔が険しさに染まる。
 その手で料理を食べ進みながら、テーブルの下で持ち上げられた足が、だん、と強く音を立ててサッチの足を踏みつけ、いで! とサッチの口から悲鳴が漏れた。
 それに構わず、更にぐりぐりとマルコの足が床との間にサッチのつま先を挟み込む。

「マルコ、いてェ! すごくいてェ!」

「サッチ、それはもう仕方ないから甘んじて受けたほうがいいよ……」

 逃れようとしてどうにもならぬまま、末端を圧迫されるという恐るべき攻撃に身を震わせるサッチへ向けて、ハルタが優しく言葉を放った。
 それから、そのままその手が食事を再開するのを見やり、まさかの裏切り!? とサッチが悲しげな声を上げる。
 それには構わず更なる圧力を掛けながら、舐めた口ききやがって、とマルコは険しい顔のままで唸り声を零した。

「誰が鳥だよい。大体、ナマエはまだガキだ……っと」

 言葉を放ちつつさらにぐりぐりと足を動かしたマルコの体ごと、ぐらり、と不意に船体が大きく揺れる。
 強い衝撃にテーブルの上の皿とグラスが落ちるのをどうにか防いで、マルコはぱちりと瞬きをした。
 同じように皿とグラスを持ち上げていたハルタやサッチと、それぞれ口にフォークを咥えたままで視線を交わしたところで、マルコー! と通路から声が飛んでくる。
 テーブルの上に皿を戻し、皿の上にフォークを落としてから立ち上がったマルコが、食堂から通路の方へと顔を覗かせた。
 通路を駆けていたラクヨウが、マルコの顔に気付いてさらにその足をあわただしく動かす。

「マルコ!」

「どうかしたのかよい」

「どうかしたのかじゃねェよ! お前、アレどうにかしろって!」

 慌てた様子で言いながら、マルコの前でようやく足を止めて、ラクヨウは通路の彼方をびしりと指差した。
 そちらは、甲板の方へと続く方角だ。
 『アレ』? と首を傾げたマルコへ向けて、ラクヨウが拳を握って言い放った。

「ナマエに決まってんだろ!」

 寄越された海王類の名前に、マルコの目がぱちりと瞬いた。







 広いモビーディック号の甲板の半分を埋めているのは、びちびちと跳ねる魚達の群れだった。
 海水に濡れた甲板の上でうごめくそれらを見回して、マルコの目がぱちりと瞬く。
 ジョズより二回りほど大きいかと思われる一匹がその群れの中でも目立っていて、どうやらそれが甲板へ放られたのが先ほどの衝撃だったらしい、と気が付いた。
 その目がしばらくうごめく魚達を見やってから、そのままゆるりと海の方へと視線を向ける。

「…………ナマエ、お前何してんだよい」

 尋ねたマルコに、視線を受け止めた海王類がぐるると唸った。
 マルコが甲板を去った後、ナマエはどこからともなくこの魚達を狩っては運んできたらしい。
 最初は微笑ましく見て何も言わなかったクルー達も、さすがに甲板を半分も埋めるとなれば困り顔だ。
 マルコについてきてその惨状を目の当たりにしたサッチは、ハルタと共に手伝いを呼びに船内へと戻ってしまった。
 残されたマルコの両手が炎の翼へと変容し、ばさりと羽ばたいてモビーディック号の端まで移動する。
 マルコが寄ってきたのを見て身を引き、海上に出ていた体の半分を海に沈め直した海王類が、船の縁に足を置いたマルコをじっと見上げた。

「るる、るるる」

「……傷が開いたらどうすんだよい」

 大人しくしてろと言ったろい、と呆れた声を零しながら、ナマエとの視線の高さを合わせるようにマルコがその場に屈みこむ。
 不安定な場所だというのに大して気にした様子も無いマルコに、ぐるるる、とナマエの口からは心配そうなうなりが漏れた。
 それを気にせず、じっとナマエを見つめて、それから相変わらずの甲板を見やったマルコが、やがてその口からため息を漏らす。
 その顔が改めてナマエの方へと向けられ、とても真剣な眼差しが海王類へと注がれた。

「…………ナマエ、大事な話がある」

「……まァる?」

 不思議そうに、ナマエが不明瞭にマルコの名前を紡ぐ。
 一風変わった海王類であるナマエが、唯一紡げる人語はそれだった。
 不明瞭ではあるが、一生懸命練習してその単語を口にできるようになったことを、マルコはもちろん知っている。
 だからこそ、とても真面目な顔で、マルコは口を動かした。

「おれは雄だから、お前の気持ちには応えらんねえよい」

「る」

 心苦しいが、言わなくてはならないことだろう。
 そう考えてのマルコの発言に、どうしてかナマエは唸りすら途中で止めてしまった。
 賢い海王類たるナマエは、どうやらマルコの言葉をきちんと理解したらしい。
 ぱちぱちと戸惑うようにその目を瞬かせるナマエとマルコの近くには、他の『家族』は誰もいなかった。
 もしもその会話が聞こえていたら、サッチあたりが笑って『女だったら応えてたのかよ』と茶化したかもしれないが、いないのだから仕方ない。
 だからこんなことしなくていい、と甲板を指差して告げたマルコの前で、更に瞬いたナマエの体が、ずるりと海中へと沈み込む。
 やがて海面に顎を乗せるような格好になって、ナマエが下からマルコを見上げた。
 立ち上がってそれを見下ろし、マルコが真剣な顔で言葉を紡いだ。

「だからお前は大人しくして、さっさと怪我を治せ。こんなことばかりやってると、いつまでたっても怪我が治んねえだろい」

「る、るるるる」

 そうして告げたマルコの言葉に、やや置いてからナマエが応えるようにうなりを零す。
 それは何とも不満げな響きを持っていて、それを聞いたマルコが肩を竦めた。

「…………おれが心配するから、さっさと治せっつってんだよい」

 ナマエの怪我は、もとはと言えばマルコが油断したせいでついたも同然のものだ。
 マルコが海に沈められなければナマエは怒りもしなかっただろうし、そうなれば白ひげ海賊団と他の海賊団の争いに飛び込むことなく、打ち砕いた敵船でその身を傷つけもしなかっただろう。
 早く元通りの姿になってほしいとマルコは思っていると言うのに、ナマエが大人しくしていなければ治りは遅れるばかりだ。
 マルコの言葉をきちんと聞いて、ふしゅう、とナマエが息を吐いた。
 海面をわずかに揺らすそれにマルコが笑えば、やや置いてから仕方なさそうに覗かせた舌先を揺らして、ナマエが鳴き声を零す。

「……まァ、る」

「何だよい、ナマエ」

 不明瞭な呼び声にマルコが返事をすると、それを聞いてナマエがぐるるると満足げに唸る。
 分かってくれたようだ、とそれを聞いて確信し、笑みを深めたマルコの目が、ナマエの額にある傷を確認した。
 どうにか塞がってはいるものの、まだ完全に治りきっていないその傷跡は痛々しく、触ることすら躊躇うような色合いを持っている。
 もうしばらくしたら薬を塗ってやろうと心に決めて、マルコの口が言葉を落とした。

「とくにその頭の上はおれの特等席なんだから、さっさと治せよい」

「ぐる…………」

 聞こえたらしいナマエが零した小さな唸り声は、まるで『乗るなよ』と言っているようにも思えたが、マルコはひとまずそれを無視することにした。



end


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