市長の供述
※W7編中
「アイスバーグのばーか」
現れたナマエが寄越した言葉に、アイスバーグは苦笑した。
ベッドに座ったアイスバーグの横に腰掛けたナマエは、呆れた顔をしてアイスバーグを眺めている。
「アイスバーグの馬鹿。大莫迦。愚か者」
語彙の足りない罵りを並べるナマエに、悪かった、とアイスバーグは小さく呟く。
どうしてナマエがこんなにもアイスバーグを詰っているのかを、アイスバーグは知っている。
アイスバーグが撃たれて、さらには大怪我をしているからだ。
ぐるぐると巻かれた包帯も痛々しい市長を相手に、ナマエの目は剣呑さを帯びていた。
「だから言ったろ、着てくれって」
「ンマー、まさか本当に必要になるとは思わなかった」
つい先日、ナマエに贈られた防弾チョッキは、アイスバーグの自室にあるクローゼットに大事に保管されている。
市長なんだからこういうものも必要だと思うんだ、なんて物騒なことを言っていたナマエを見やり、アイスバーグは肩を竦めた。
もう、と呟いて、ナマエは痛ましげにアイスバーグを見やる。
「痛いか?」
「痛み止めを貰ったからな。今のところは平気だ」
あっさりとそう答えて、アイスバーグは背中をベッドヘッドに寄せたクッションへ預ける。
そうか、とナマエは頷いて、その口が小さくため息を零した。
「……俺は何の役にも立たないな」
小さな声がそんな風に部屋に響いて、アイスバーグは軽く首を傾げる。
ナマエは、何かを思いつめたような顔をしていた。
いくら友人が襲撃を受けたとは言え、アイスバーグの用心棒と言う立場なわけでも無いナマエが、何故そんな顔をするのか。
よく分からないでいるアイスバーグの傍で、でも、とナマエは呟いた。
「アイスバーグが無事なら、それでいいや」
言い放って小さく笑ったナマエのその弱々しい顔に、アイスバーグは少しばかり眉を寄せた。
アイスバーグを襲撃した事件は、まだ何も収まっていない。
相手の目的のものをアイスバーグは渡していないのだから、再び襲撃される可能性は、まだまだ十分にある。
それに気付いているから、ガレーラの職人達はアイスバーグが苦笑いしてしまうほどの厳戒態勢を敷いているのだ。
今だって、扉の前にはパウリーにルッチ、カク、タイルストン、ルルが椅子を置いて番をしている。
ちらりと見やった窓の外はもうじき夜が来ることを示していて、アイスバーグは軽くため息を零した。
「ナマエ」
「ん? どうかしたか」
名前を呼べば、ナマエはすぐに返事を寄越す。
それを聞いて彼へ視線を戻したアイスバーグは、努めていつもの調子で言葉を零した。
「こんな日だ、今日はもう帰ったほうがいい。道中は気をつけてな」
「断る」
だというのに、きっぱりとナマエがそんなことを言う。
ぱちりと瞬きをして、今言われた言葉を理解したアイスバーグは、少しばかりその顔を顰めた。
「…………何をふざけたことを」
「いやだ」
「ンマー、子供か」
呆れた声を零すアイスバーグに、大丈夫だから、とナマエが言う。
何が大丈夫なものかと、アイスバーグの口からはもう一度ため息が漏れた。
「いいかナマエ、おれは狙われてるんだ」
「知ってる」
子供を諭すような声を出したアイスバーグへ、ナマエは頷く。
「それで、多分絶対助かるだろうなっていうのも、知ってる。だってアイスバーグだもんな」
全幅の信頼を寄せる声を出しながら、けれどもナマエの顔はどこか苦しそうに見えた。
思わずその顔を見つめてしまったアイスバーグの傍で、ナマエが落ち込んだように言葉を紡ぐ。
「だけどさ……だって俺、何の役にも立たなかったろ」
囁いたナマエに、あれは俺が着てなかったのが悪いんだ、とアイスバーグは慰めるように言った。
事実、ナマエが贈ってきたあの防具を着込んでいたなら、もしかしたらもう少し傷は浅かったかもしれない。少なくとも、腹を撃たれても何とかなっただろう。
こうまで落ち込ませてしまうなら着ておけばよかった、と後悔したアイスバーグの横で、ナマエは言葉を紡ぐ。
「政府に喧嘩売ってるようなもんだし……そのうち大怪我するだろうって、分かってたのに」
落ちた言葉に、アイスバーグはふいとナマエから目を逸らした。
「酷い言い草だな、ナマエ」
「事実だろ?」
顔を背けたアイスバーグを気にした様子も無く、ナマエがそんなことを言う。
はっきりと犯人を政府の人間だと確信しているようなその様子に、アイスバーグは誰もいない空間を見やった。
ナマエが来る少し前、屋敷へ侵入して職人たちを騒がせた麦わらの海賊は、確かその辺りに立っていた。
「……政府の奴らが犯人だとは決まってない。一緒にいたのは『ニコ・ロビン』だ」
本当にあの海賊が、自分の命を狙っていたのかは分からない。もしもそうなら、あの海賊達も政府と繋がっているか、もしくは政府と同じものが目的なのか、それすらも分からない。
それでも、ニコ・ロビンという名の悪魔があの海賊の一味であるというのは事実だった。
「だとしたら、犯人は麦わらの一味である可能性もある」
だからこそそう言い放ったアイスバーグへ、ナマエは反論も肯定もしなかった。
ただその代わりのように小さく息を吸い込んで、それから明るく響く声でアイスバーグへ語りかける。
「……あのさ、アイスバーグ」
優しげなその声にアイスバーグが改めて視線を向けると、ナマエは少し苦しげなまま、けれども優しい顔をしてそこに座っていた。
「こうして見て分かったんだけど、俺は自分で思ってたより、アイスバーグがそんな大怪我をしたのがショックだったみたいなんだ」
今だって泣きそうだよ、と優しく言う相手に、アイスバーグは眉を寄せる。
ナマエは、アイスバーグが誰を好きなのかをまるで理解していない。
もちろん、もしも理解していたら、アイスバーグへそんな優しい台詞を吐くこともないだろう。
いつか抱えている想いが沈んでいくのを待とうとすら思っているというのに、ナマエは相変わらずこんなことばかりを言って、アイスバーグを落ち着かなくさせる。
自分の心を誤魔化すように三度目のため息を零して、アイスバーグは呟いた。
「……ンマー、ありがたい友情だが、お前が泣いたってどうにもならん」
「まあ、そうだよな。だから泣かないけど。その代わり、守ることにしたから」
「……は」
少し冷たくも聞こえただろうアイスバーグの言葉を気にした様子も無く言い放ったナマエに、アイスバーグの口から少しばかり間抜けな声が漏れた。
思わず、と言った風に、目を丸くしたアイスバーグはナマエの顔を見つめる。
ナマエは先ほどと同じ優しげな顔のまま、椅子に座ってアイスバーグのことを見つめ返した。
「大丈夫、俺がアイスバーグを守るよ」
きっぱりとしたその言葉に、アイスバーグの眉間の皺が深くなる。
「………………戦えもしないナマエがここにいても、仕方ねェだろう。外にはパウリーやルッチ達もいるんだぞ」
言い放ち、アイスバーグは寝室の扉のほうを指差した。
その向こうには、ガレーラの職人の中でも随分と腕の立つ職長が五人座っているはずだ。
彼らの強さは、ウォーターセブンに住む人間なら誰だって知っている。
移民であるナマエだってそうだろうと思って見つめれば、分かってるよ、とナマエはしっかり頷いた。
それでも自分の言葉を撤回するつもりはないらしいナマエへ、お前よりカリファのほうが強いんじゃないのか、とアイスバーグの口からはガレーラの職人が聞けば傷付いてしまいそうな言葉が出た。
けれども、ナマエはまるで当然のことのように小さく笑って、こくりと頷く。
「そりゃそうだよ。だってカリファだろう?」
女性と比較されて、しかも自分を下に見られたというのにへこたれないナマエに、アイスバーグは小さく舌打ちをした。
ここにいればどうなるのか、ナマエはまるで分かっていない。
もしも相手がアイスバーグのわずかな予想の通り『CP9』であったなら、その強さは職人達を凌ぐ可能性すらある。だとすれば、その前ではナマエなど赤子も同然だ。
アイスバーグは体が満足に動かないのだから、ナマエを守ってやることすら出来ない。
「……いいから、帰れ」
「いやだ」
拳を握って言葉を投げたアイスバーグへ、ナマエが答える。
もう一度その問答を繰り返して、苛立ったアイスバーグは焦りのままに声を張り上げた。
「……ここにいたら、お前まで怪我をしかねないだろうが!」
声を張った所為で受けた傷が痛んだが、気にせずアイスバーグは目の前の相手を睨みつけた。
叩きつけられた言葉を受けてなお、表情を変えないナマエはその視線を見つめ返して、こくりともう一度頷いた。
「分かってる」
「いいや、分かってねェ! お前は……お前は、目の前で、自分の大事なモンが傷付くのがどんだけ痛ェことかッ!」
例え殺されたとしても、アイスバーグは政府に求めているものを渡したり、在り処を教えるつもりなど無い。
けれども自分の選択にナマエを巻き込んで、怪我をさせたり、ましてや死なせてしまったりなどすればと思えば、アイスバーグの背中はひんやりと冷えた。
もしも今が本調子だったなら、今すぐ感情のままに立ち上がってナマエを寝室から追い出しているところだ。
パウリーか誰かを呼ぶか、と少しだけ考えて、だが追い出してもナマエは戻ってくるだろうという結論に達して選択を諦める。納得していないナマエは屋敷へ戻ってくるだろう。ナマエは時折、妙に頑固だ。
なす術も無くナマエを睨むアイスバーグへ、分かってるじゃないかアイスバーグ、とナマエが囁いた。
「俺は、お前が痛い思いをするのがいやなんだよ」
あっさりと言い放つ言葉は『友情』から出ていると分かっているから、喜べばいいのか違うのかすら、アイスバーグには判断がつかなかった。
窓の外は夕暮れになり始めている。
もうじき夜が来る。
アクアラグナが来る今日は、雨も風も強く、恐らくは月も出ない。闇にまぎれて襲撃するには絶好の機会だ。
早くナマエを諦めさせて帰らせなければと、ぐるぐるとそんなことばかりを考えたアイスバーグは、最後の手段しか手元に残っていないと気が付いて力を入れていた拳を解いた。
そうして、改めてナマエの顔を見つめる。
視線を向けられて、ナマエは無防備に首を傾げた。
いつもの様子に、アイスバーグの口元に思わず自嘲が浮かぶ。
けれども、ナマエのこの様子では、自分から『ここにいたくない』という選択をさせなければ、職人に頼んで追い出しても何度だって屋敷へ戻ってくるだろう。
下手をすれば、襲撃犯とはち合わせてしまうかもしれない。
ナマエの命と自分の気持ちなど、秤にかければどちらへ傾くかなんて簡単なことだった。
「……ナマエ、ちょっとこっちに寄れ」
言い放ってナマエを手招けば、不思議そうな顔をしたナマエが椅子から立ち上がり、ベッドに座っているアイスバーグへ近付くために身を乗り出してくる。
まるで警戒心のないその顔で、こうか? と尋ねてくる相手へ頷いて、アイスバーグはナマエの襟を思い切り捕まえた。
驚いて身を引こうとしたナマエに構わず、その体を自分のほうへと引き寄せて、近付いてきたその顔にある唇に噛み付くように口付ける。
「んむ!?」
驚いたように目を丸くして硬直したナマエに構わず、雰囲気も無くその口腔を好きなように蹂躙して、アイスバーグはナマエを解放した。
引き寄せられた時の格好のままで固まっていたナマエが、ずるずると後退し、先ほど立ち上がったばかりの椅子へ座り込む。
驚いたまま目を見開いているナマエを見やってから、アイスバーグはふいとそちらから目を逸らした。
やがて嫌悪に歪んでいくナマエの顔を見ていられない自分の卑怯さには吐き気もするが、今はナマエを屋敷から追い出せればそれでいいのだ。
「……アイスバーグ?」
「おれがお前を大事だって言ってんのは、こういう意味だ、ナマエ」
顔を向けぬままで言い放ったアイスバーグに、ナマエが息を飲んだ気配がする。
もう今までどおりにはなれないのだから、全部言ってしまおうと、アイスバーグは言葉を続けた。
「おれは、お前を友達だなんて思っちゃいなかった。お前は全然気付いちゃいなかったが、随分前からな。一応言っておくが、冗談でも何でもない。おれはお前が好きだ、そういう意味で」
はっきりきっぱりと言い切ってから、アイスバーグは背中を真後ろのクッションに預けた。
今までずっと言わないでいたことを言った所為か、少しばかりすっきりとしている。
けれどもそのわずかな爽快感は、ナマエのことを諦めるまでの間にただの切なさに変わるんだろうと分かっていたから、やっぱりアイスバーグはナマエのほうを見ることが出来なかった。
「どうだ、ナマエ。気持ち悪ィだろう。分かったらさっさとここを出てけ」
だからその代わりにそう言葉を放って、ナマエからの反応を待つ。
けれど、アイスバーグの予想とは違い、一分経って二分経って三分経っても、椅子から人の立ち上がる気配はしなかった。
おかしい、と眉を寄せて、けれどもナマエのほうを見やる勇気の出ないアイスバーグがただそのままの姿勢で待っていると、やがて五分以上たったころに、ようやくナマエが小さく声を漏らした。
「……お前、なんてことしてくれるんだ、アイスバーグ」
言いながら椅子を立ち上がった気配に、アイスバーグは安堵と共に肩を竦める。
「……何だ、まさかその年で初めてだったなんて言う気か? そいつはいい冥土の土産が出来た」
「そんなわけがあるか! 縁起でもないことも言うな! じゃなくて!」
ナマエが大きな声を出したのと同時に、ぎし、とベッドがわずかに軋む。
ナマエがまたも身を乗り出して来ているのだと気付いて、アイスバーグは顔を逸らしたままで顔を顰めた。
「じゃなくて、何だ。気分が悪くなったなら謝るから、さっさと行け」
「誰が出て行くか! この馬鹿!」
アイスバーグへ向かって言い放ち、こっち向け、と声を上げたナマエの手がアイスバーグの腕を掴む。
ぐっと腕を引かれて、舌打ちしたアイスバーグはそこでようやくナマエのほうへ視線を向けた。
苛立ちでか顔を紅潮させたナマエを見やり、もう一回やってやろうか、と脅しをかければ、眉を寄せたナマエが口を動かす。
「すればいい! 別にいやじゃなかったからなッ」
「…………は?」
そうして紡がれた言葉に、アイスバーグは目を丸くした。
戸惑いをない交ぜにした視線を送られて、ぐっとアイスバーグの腕を掴んだまま、ナマエが少しばかり目を伏せる。
そこにある表情は、アイスバーグがよく知るものにとてもよく似ていた。
けれども、今のこの状態で、先ほどアイスバーグにされた仕打ちを考えれば、そんな表情をナマエが浮かべるはずがない。
そう考えたいのに、恥らうように目を伏せたままで言い放ったナマエの言葉が、アイスバーグの思考を邪魔する。
「……今初めて気付いたんだぞ。どう責任取るつもりだ、アイスバーグ」
「…………ンマー……そいつは……とんだ誤算だ」
顔を赤らめたままで寄越された言葉とその意味に、アイスバーグは自分の作戦の失敗を悟った。
それはとてつもなく喜ばしい結果を伴ってはいたが、だったらもう少し雰囲気のある時に言いたかった、とロマンチストな後悔をしてしまったのは、騒動が全部終わってガレーラを立て直しながらのことだった。
end
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