アーティキュレーション
※注意!※
海王類の子供=異世界トリップ主人公(有知識)
たとえば。
たとえば、俺の意識が宿ったのが卵の中でのことだったなら、まだ分かる。
人間のくせに卵がどうのとか言っているのは頭がおかしいような気もするが、実際俺の体はどう考えても卵とかそういう物から生まれるべき姿形なのだから仕方ない。
だが、まったくそういうことは無かった。
ふと気が付くまで俺は確実に人間であった筈なのに、気付いた時にはこの体になっていた。
というよりも、どうして自分がここにこうしているのか分からないままだ。
じゃぶりと水から顔を出して、彼方の夕陽を眺めてたそがれる。
何度見ても、偉大なる海に沈む太陽は綺麗だ。俺が知っている夕陽と何も変わらない。
「ナマエ、何してんだよい」
そんなことを考えていたら頭の上から声が落ちてきて、ついでに軽い何かがとんと俺の頭の上に乗った。
視線を上へと向けてみれば、俺を見下ろして笑っている男が、軽く首を傾げている。
水平線へ倒れていく太陽の輝きを受けたその笑顔もその姿も、ほとんどオレンジ色に染まっていた。
それを見上げながら、があ、ともぐう、ともつかない鳴き声を零して体を水面から持ち上げる。
どうしていつも、泳げもしないくせに海面に頭しか出していない俺の上まで降りてくるんだろうか。
すぐそばにあった船まで背伸びをしてその手すりみたいなところに頭を乗せると、少しばかり船体が揺れたようだった。
俺が頭を乗せても転覆しないのは、この船が随分と大きくて、俺が将来的に大きくなるべき姿よりまだ随分と小さいからだ。
甲板にいた何人かが慌てたようにたたらを踏んでから、俺の方を見やる。
「おいマルコ! ナマエにそれさせんなつってんだろ!」
「おれは別にやれと言ってねェよい。なァ、ナマエ?」
リーゼントのクルーからの非難の声に、俺の頭から甲板へ降り立った人間が俺の方を振り返った。
笑っている相手に、ぐるると小さく唸っておく。
それを受けた彼の手が伸びてきて、俺の目と鼻の間を軽く撫でる。なんとも気持ちがいいのでそのままにして、俺は視線を相手へ注いだ。
見下ろした先にいるのは、誰がどう見たって確実に、漫画『ワンピース』の不死鳥マルコだった。
パイナップルだかバナナだかみたいな髪形も、胸に宿した誇りの入れ墨も、その話し方も、体が火の鳥に変化することも、そのすべてがマルコが『マルコ』であると示している。
ついでに言えば俺がまだ頭を乗せて懐いている船は誰がどう見てもモビーディック号で、潮風に翻るジョリーロジャーは白ひげ海賊団のものだった。
ある日目を覚ましたら、俺はこの世界にいた。
しかも体は人間の物ではなくて、いわゆる『海王類』のものだった。
なんで人間じゃないのかと動揺した俺が海面でじたばたしていたところで、「何暴れてんだよいナマエ」と声を掛けてきたのは空飛ぶマルコだ。
なんとこの俺の『体』は、不死鳥マルコが所属している白ひげ海賊団の一員であったらしい。
何度か盗み聞いた話を統合するに、『俺』の卵を拾ってうっかり手元で孵化させて、懐かれてしまったマルコが俺に『ナマエ』と名付けたようだ。
どうして人間の時と同じ名前であるのかは、まったく分からない。
何より俺にはマルコが『俺』を構ってくれたらしい『小さな頃』の記憶が全くなくて、けれども言語が違うためにそれを訴えることすらできなかった。
いっそ夢であればよかったのにとも思うが、寝ても起きても食事をとっても、元の世界では目覚めない。
それどころか、人間だった時の自分が死んでしまったような気がしてきて困ったので、最近は深く考えないようにしている。
どれだけ記憶を探っても漫画『ワンピース』の白ひげ海賊団が海王類を飼っていた覚えはないのだが、どういうことなのだろうか。
それすら分からないまま、俺は今日もモビーディック号のそばを泳いでいた。
大きな海王類が襲ってきても頑張って戦うし、マルコや他のクルー達が助けてくれることもある。
食事だって一緒にとることがあるし、船が島に辿り着いた時は陸に上がれなくて少し寂しいけど、帰ってきたマルコや他のクルー達があれこれと話して聞かせてくれるから我慢できた。
俺はこのまま、世にも珍しい『海賊団』の構成員である海王類として生きていくしか無いんだろう、と漠然と考え始めたのは、この体になってしまってから一か月ほど経った先週のことだ。
だとすれば、頑張らなくてはならないことが一つある。
「ぐるる、るァあ、あ」
「ん? どうしたよい、ナマエ」
唸るように声を漏らした俺に、撫でる手を止めたマルコが不思議そうな声を出した。
残念に思いながらも、俺はそのまま何度か同じように唸り声を漏らす。
俺の様子を不審がってか、甲板に広がっていた何人かのクルーも、マルコと同じような顔をしながら俺の方へと近寄ってきた。
「また唸っているのか」
「威嚇してる……ってのとも、また違うみてェだよなァ」
「マルコ、ナマエの奴、どこか具合悪いんじゃないの?」
心配そうにしながらそんな風に言葉を寄越してくる彼らもまた、いい『家族』だ。
そんな彼らとマルコを見やって、俺は渾身の力を込めて声を吐き出した。
「る、ァ、ああ……ァ、る」
「ナマエ?」
「ゥ、……ァ、まァ、るゥ……」
ここ最近の特訓の成果もあって、普段口から出てこない音がちゃんと出てきたが、結びの一音が出ないまま息を吐き終えてしまった。
失敗したか、と口を閉じて、誤魔化すようにべろりと口を舌で舐める。
それからちらりと見やると、マルコが目を丸くしていた。
驚いたような顔をしているマルコを見るのは珍しいので、それを眺めてから、届かない手の代わりに伸ばした舌先でぺろりとその頬を舐めてみる。
俺からの接触で我に返ったのか、はっ、と息を漏らしたマルコが、それからどうしてかすぐさま俺へ向けていた視線を集まってきていたクルー達に向けた。
「おい、聞いたかよい!」
「……ああ、聞いたぜ……!」
マルコからの問いかけに、最初に答えたのはサッチだった。
ぐっと拳を握りしめたサッチの横で、ビスタが自分の顎を軽く撫でている。撫でるなら俺の顎にすればいいのに。
「こいつは驚いた……ナマエは人間の言葉をよく理解している海王類だとは思ったが、まさかな……」
「すっごいすっごい! よしナマエ、次は『ハルタ』! 『ハルタ』って言ってみなよ!」
ビスタの斜め前で声を上げたハルタが近づいてきて、がしりと俺の顔を掴む。
そうは言われても、『マルコ』すら満足に言えないのに無理じゃないだろうか。
「おいハルタ、ナマエが困ってんだろい。自主的に呼ぶようになるまで我慢してろい!」
そんなことを言いながら、マルコが困惑していた俺からハルタをべりっと引き剥がす。
そのうえで、さっきのように俺の顔を撫でてくれて、気持ちよさに目を細めながら視線を向ければ、どこか嬉しそうな顔をしたマルコがそこにいた。
喜んでくれたなら、特訓をした甲斐があると言うものだ。
俺がこの『体』の持ち主となってから明らかに様子がおかしくなっただろうに、それでも構わず『家族』として迎えてくれたのだから、俺だって『家族』と話くらいしたい。
モビーディック号の下に広がる海底の様子だとか、ごくたまに見かける夢のようにきれいな人魚のことだとか、海の中から見上げる光景だとか。
陸に上がることなどできない俺に陸の話をしてくれるマルコや他のクルー達へ、俺がこの体で見た海の中のことを話したい。
いつか来るだろう未来へ向けて胸を高鳴らせながら、俺は一度瞬きをして、夕陽に照らされているマルコをじっと見つめた。
まずは、まだ不完全だったマルコの名前を完璧に呼べるようにしなくては。
「まァ、る」
顔を撫でられながら俺の口が紡いだ不完全な呼びかけに、なんだよい、と返事をしたマルコはやっぱり笑っていた。
end
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