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※勘違い周囲視点
※主人公が無意識にバイオレンスにつき注意




「お前は留守番をしていろ」

 ローがそう言った時、ナマエという名の彼は大した不満も無い様子で軽く頷いた。
 自分達の住処であり、大事な船であるそこを任されたと言う事実を、十二分に把握していたからだろう。
 事実、ベポが知っている限りでも二回ほど、ナマエは潜水艦を襲ってきた身の程知らずを撃退していた。
 恐るべき夜の海へ悲鳴も上げずに落ちた彼らがどうなったかなどベポには知る由も無いが、鮫も多いこの界隈で、海に落ちて無事に済むとも思えない。わずかに波間に混じった血の匂いが、それを証明している。

「……時間がかかるな」

 そんな風に言ったナマエと言う心強いクルーの傍で、ベポがふと瞳を眇めたのは、吹き抜けた風に嵐の臭いが混じったからだった。
 ナマエへと同意を示してから、そろそろ嵐も来そうなのに、と続けつつ、ベポの目が敵船を見上げる。
 黒い雲が空へ広がり始めているが、騒がしい敵船の上はまだ制圧できていそうにない。
 ロープを振り回しつつ回転を続けるマストがどういう作りなのかはベポには分からないが、士気が落ちていないと言うのなら、それを利用してこちらへ来ようとした海賊がまたいないとも限らないだろう。
 次は自分が、と体に力を込めた航海士の横で、仕方なさそうにナマエが呟いた。

「ロー達を呼びに行くか」

 その声に従うように、ひときわ強くふいた風が、敵船のメインマストに張られていた帆を膨らませ、ぐるんと先ほどより勢いよく回転させる。
 音を立てて向かってきたロープが、それを狙うように松明を持ったまま伸ばされていたナマエの腕に絡み、あ、とベポが声を上げるより早く、ナマエの体を潜水艦の上から攫った。

「ナマエ!」

 思わず声を上げたベポを、敵船へ向けて移動をしながらちらりとナマエが見やる。
 その冷静沈着な視線にぱちりと目を瞬かせたベポの視界で、敵船の甲板の上空で停滞したナマエの体が、ぽいと持っていた松明を放ってから、そのまま甲板へ向けて落下していく。
 軽く音を立てたその着地に、ようやくナマエが狙ってそれをやったのだと気が付いて、ベポは驚きに詰めていた息をそっと吐いた。
 恐らくナマエは、『ロー達を呼びに』行ったのだろう。

「もう……それなら、やる前に言ってくれたらいいのに」

 思わず呟いてみるが、ナマエがあまり口数の多くない男だと言うことはベポも知っている。
 嵐が来ると聞いてすぐにロー達を呼び戻しに行ったり、この潜水艦を守っていてくれたりする強くて優しい彼は、自分が何を考えているかを相手に悟らせようとしないのだ。
 仕方ないなあ、と言葉を零してから、ベポはもう一度敵船を見やりつつ、もうすぐ帰ってくる仲間達の為に、残りの時間の潜水艦を守ることにしたのだった。







「死ねェ!」

 目を血ばらせた男が叫びと共にふるった一太刀が頬をかすめて、ローは短く舌打ちをした。
 先日訪れた島でローを含んだ『ルーキー』を中傷していた海賊を、次なる標的と定めたのはローだった。
 同じそれを聞いていたクルー達にも異論はなく、あえて月の明るいうちに襲い掛かった船の上で、ローを迎え撃ったのは副船長らしい巨漢だ。
 それをようやく沈めたところで、傍らから隙を伺って刃を突き出してきた不愉快な顔の不愉快な船長殿は、その目を血走らせてローを睨み付けている。
 かすめられた頬に感じた痛みに、傷がついたと把握して、ローは一歩下がって刀を構えた。

「気を楽にしろ、すぐ終わる」

 ひとまずは手も足も出ないほどに生きたまま刻んでやるかと、能力を発動させようとしたローの視界の端をよぎったのは、黒い影だった。
 だん、と酷く大きな音を立てて落ちて来たそれが、ローの前で身構えていた船長を踏みつぶす。
 船長が持っていたサーベルが宙に放られ、それを片手で受け止めて眉間に皺を寄せたのは、ローがよく知る顔の男だった。
 先ほど、船を守っていろと湾曲的に命令して潜水艦へ残してきたはずのナマエだ。
 潜水艦から掛けたロープを伝ってきたにしては高い場所から落ちて来た相手に、ローの目が軽く瞬きをしている。

「…………ナマエ?」

 何をしている、と問うつもりで呟いたローの声に反応して、ナマエがちらりとローを見やった。
 何とも不機嫌をあらわにしたその顔に、ローは少しだけ目を見開く。
 あまり感情をあらわにすることの少ないナマエが、今確かに不機嫌で、どちらかと言えば『怒っている』とも取れると言うことに気付いたからだ。
 今にも誰かを殺しそうな顔をして、苛立たしげに眉間に皺を寄せている。
 潜水艦で何かあったのか、と尋ねようとしたローから視線を外し、自分の片手に握ったサーベルを見やったナマエが、ローの頬を霞めた際についたらしい血でわずかに汚れた切っ先を確認してから、そのままサーベルを手放す。
 狙いすましたかのように切っ先を下にして落下したサーベルは、ナマエに踏まれた船長の首からわずか十センチほどのところに突き刺さった。

「ひっ」

 勢いよく踏みつけられ、身動きの取れなくなった船長が、引きつった悲鳴を上げる。
 それを聞いて初めて、ナマエがその視線を自分の足元へと向けた。
 ゆらりと動いた足が、ぐり、と男を踏みにじった上で、そっと被害者の上からどかされる。

「…………すまないな、気付かなかった」

 何とも抑揚のない、心のこもっていない謝罪だ。
 ローが先ほどまで争っていた男が巨体であったせいで、ローの周囲にはその船長以外には人影もなかった。
 そこへ狙いすましたかのように降りてきて、更にはローを攻撃しようとした相手を踏みつけておきながら、『気が付かなかった』だなんてわかりやすい嘘を述べたナマエのその手が、先ほど手放したばかりのサーベルを掴んで引き抜き、切っ先が横たわったままの男の方へと向けられる。
 身動きすれば殺す、とでも言いたげなその切っ先にも動きにも何の迷いもなく、しぶとい虫を見つめるような無感動な眼差しを向けたナマエに、男がわずかに震えたのがローから見ても分かった。
 それと共に、ナマエの『怒り』に似た苛立ちが、ローと敵対していたその男に向けられていることも把握して、ローの口元に笑みが浮かぶ。

「おい」

 構えを解き、抜きかけていた剣から手を放して声を掛けたローへ、船長から外した視線を周囲に向けていたナマエがちらりと目を向けた。
 その眼差しが、まっすぐにローの頬についた傷へと注がれる。

「……怪我をしたか」

 尋ねられて、かすり傷だ、とローは答えた。
 わずかにひりついた痛みは感じるが、手当をすれば跡も残らないだろう怪我だ。
 その程度は一目見れば分かるだろうに、ナマエはまだ眉間に皺を寄せている。
 納得いかないと言うようなその顔に笑いながら、ローは足元に落ちていたモノクルを拾い上げ、それを船の上から海へ向かって放り投げた。
 それと同時にサークルを広げ、その中にいた敵船の首領を今投げたものと入れ替える。
 かつん、と床へモノクルが落ちるのと同時に、海へ何かが落ちる大きな音がした。この辺りの海には鮫も多いが、運が良ければ助かるだろう。
 まだシャチや他のクルーと交戦している者もいるが、明らかに士気は下がり、打ち倒されていくわずかな音がする。
 それを聞きながらナマエへと近づいて、ローは自分が入れ替えて甲板へ落ちたモノクルを踏みつけた。
 足を止め、まだ人の顔の傷に視線を注いでいるナマエへ向けて、軽く首を傾げる。

「何をそんなに見ていやがる」

 大した傷でもねェ、と続ければ、ナマエがぱちりと瞬きをする。
 その顔はまだ不満げで、どうにもローを気遣っているような様子が見て取れた。
 ただそれだけのことで、ローは自分の口元が緩むのを留めることが出来ない。
 どう考えても、ナマエはローが攻撃されたことに腹を立てていたからだ。
 今のナマエは落ち着きを取り戻しているが、先ほどどうやってか上から降ってきたときのナマエは、今すぐ人一人殺せそうなほどに酷い顔をしていた。
 そんな顔を自分がさせたのだと思えば、愉快でたまらない。
 ローのその様子に肩を竦めて、ナマエが手に持ったままだった用済みのサーベルを甲板へと放り捨てた。

「いらねェのか」

「いらない」

 からんと音を立てて転がったそれには、船長の持ち物らしく宝石があしらわれていたが、武器を向ける相手がいない以上、それに全く興味が無いらしい。
 シャチあたりが後で回収しそうなそれを見やり、それからもう一度ナマエを見やって、ローは軽く喉で笑った。
 くくく、と漏れたそれにナマエが視線を向けて、何が楽しいのか、と不本意そうな顔をしている。
 それがまたおかしくて堪らず、笑ったローへ向けて、嵐が来るぞ、と告げたナマエが船へ戻ることを提案したのは、それからすぐのことだった。
 潜水艦へと戻った時、ローが振り返った先で、敵船のジョリーロジャーは炎に包まれていた。
 海賊に対する一番非道な行為を行ったナマエもまた、ローに同行した他のクルー達と同じくあの海賊には腹を立てていたのだろうと思えば、やはりローは楽しくて仕方がなかった。



end


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